Top 『浮世絵師伝』 浮世絵文献資料館
に 浮世絵師伝
☆ にしむら ちゅうわ 西村 中和(「ちゅうわ」でも収録した)
◯『浮世絵師伝』p144(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝西村中和
【生】 【歿】文政
【画系】 【作画期】寛政~文政
京都の人、梅渓とも号す、字(アザナ)は士達、法橋に叙せらる、屡々名所図会及び絵本類を画く、紀州
名所図会、木曾路名所図会、都林泉名所図会、絵本年代記、義経勲功記、楠正行戦功図会等の類なり、
彼れ文学の才ありて歌詩を善くす。秋里籬島編の木曾路名所図会七册(文化二年三月版)に西村中和の
挿絵は案内記の文章と比較して当時の駅路情景、神社仏閣の建物境内、祭礼、古跡、名所名産等を写実
して趣味深く挿図せり。
木曾路名所図会は京都より出発し中仙道を日本橋迄、また日本橋より行徳、八幡、神崎、鹿島、鹿取神
社へ参拜し筑波山を廻りて宇都宮、日光鉢石町、神橋、御宮、中禪寺、裏見の瀧へ廻り、日光街道を小
山田駅、栗橋、利根川、千住を経て浅草寺観音堂へ戻る。享和二年初夏より籬島と中和同伴して旅行し
た意味、跋文に記述してある。木曾街道中特殊の図は内裏舞御覧の図(太平楽の舞を)。山科…休息茶
屋の前を人足旅客茶屋女等十数人の動作を現はし。大津…舟着場へ上下する人々、荷揚人足。武佐…奥
石神社、鳥居本駅神教薬丸店、磨針(スリハリ)峠、長浜八幡宮、日本武尊居寤清水(ヰサメシミヅ)腰懸岩、
常盤の暮、南宮金山彦神社祭礼列式、長柄川鵜飼舟、鯉岩、臨川寺寝覚床、諏訪温泉、望月遠江寺城跡、
碓日嶺(ウスヒトウゲ)、熊谷直実古跡、大宮氷川神社、江戸御影堂の店等である〟
〈井上和雄、この西村中和を「ち」の項目に入れず「に」の項目にしたのは何か理由でもあるのだろうか〉
☆ にちょうさい 耳鳥斎
◯『浮世絵師伝』p144(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝耳鳥斎
【生】 【歿】享和二年(1802)頃
【画系】小柴隼人門人 【作画期】安政~寛政
大阪の人、俗称松屋平三郎、京町堀三丁目に住し、初め酒造家なりしが、後ち骨董商となる。狂画に妙
を得て、筆致甚だ雅趣あり、又滑稽の才ありて戯作をも能くし、義太夫の道外浄瑠璃に熟達したりしと
云ふ。画く所のもの『絵本水也空』(安永九年版)・『画話耳鳥斎(ジチヨウサイ)』(天明二年版)・
『嵐小六過去物語』(寛政九年版)・『歳時滅法戒』(享和三年版)・『絵本古鳥図加比』(文化二年
版)其他数種あり。
彼の歿年に就て『浪華名家墓所集』に「寛政五年卒す」とあれど、そは誤りにして、恐らくは享和二年
又は同三年春頃なるべしと、宮武外骨氏の『此花』凋落号に考証されたり〟
☆ にほんさい 日本斎
◯『浮世絵師伝』p145(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝日本斎
【生】 【歿】
【画系】 【作画期】文化
京都の人、文化初期の合羽摺役者絵に「洛、日本斎写」と落款せり、画風凉光斎に似たり〟