Top           『浮世絵師伝』         浮世絵文献資料館
                            浮世絵師伝  ☆ ながくに 長国    ◯『浮世絵師伝』p142(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝長国 蘆幸の前名〟      ☆ ながひで 長秀    ◯『浮世絵師伝』p142(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝長秀    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】文化~弘化    京都の人、中村氏、名は有慎、有楽斎と号す、合羽摺彩色の細絵にて「祇園神輿洗ねり物姿」及び「大    阪新町ねり物姿」と題する美人画を数多描き、また京阪の役者舞台姿を画きたるもの甚だ多し。黒田源    次氏著『上方絵一覧』に拠れば、彼は合羽摺絵の作品の数に於て、京阪の第一人者なりと云ふ。尚ほ同    書に引用せる天保初年頃の一枚摺『浪華画人名家案内』に「版行下主之部」として「ほり江旅宿、京、    有楽斎長秀」と載せたる由。然るに、文政七年版の『浪華商人買物独案内』には「京都祇園 浮世絵師、    太左衛門橋北話北入、ならや伊八」と云へる者あり、或は長秀と同一人ならむやも知れず。いづれにし    ても、彼が当時京阪に著名なる版画家の一人なりし事は明かなり、而して其が別号を有楽斎と云ひしは、    恐らく彼が住所の祇園のほとり、織田有楽斎が遺邸の近傍なりしに因みしものなるべし〟      ☆ ながまる 長丸    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝長丸    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】寛政~文化    大阪の人、桂向山人、桂向亭と号す、読(ヨミ)本挿画あり〟      ☆ ながのぶ 長信    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝長信    【生】天正五年(1577)   【歿】承応三年(1654)-七十八    【画系】狩野派       【作画期】慶長~承応    狩野派の画人なり松栄の五男、名は長信、休伯は其号、初め源七郎後ち左衛門と称す、後ち剃髪して法    橋に叙せらる(或は法眼に作る) 画法を父松栄に学べり。承応三年十一月十八日歿す。七十八(大日    本人名辞書) 大正十四年十月九日より十月三十一日まで日本美術協会で慶長~寛永時代の浮世絵展覧    会開催の時、大作品多数陳列されたる内、純浮世絵で筆者の解つたものは、原六郎氏所藏の六曲屏風、    花下遊宴の図である、小さくとも長信の捺印がある故、筆者を証明することができる。此図の作画年を    想定すれば、長信の中年時代として慶長末年頃の作であらう〟      ☆ なおくに 尚国    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝尚国    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】宝暦    大阪の人、森氏、祐信風の画を描く。宝暦十年版『花王伊勢物語』に、長谷川光信と共に挿画あり〟      ☆ なおふさ 尚房(寺井重房参照)    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝尚房  寺井重房の改名〟      ☆ なおさだ 尚貞    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝直貞    【生】           【歿】    【画系】国直門人      【作画期】天保    歌川を称す〟      ☆ なおてる 直照(国照参照)    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝直照 後に国照と改む。(国照の項参照)〟      ☆ なおてる 直輝    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝直輝    【生】           【歿】    【画系】国直門人歟     【作画期】嘉永    一楽斎と号す、国直風の肉筆美人画あり〟      ☆ なおひさ 直久    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝直久    【生】           【歿】    【画系】国直門人歟     【作画期】弘化~嘉永    歌川を称す、嘉永二年版『拳独稽古』に挿画せり〟      ☆ なおひろ 直広    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝直広    【生】           【歿】    【画系】豊広門人      【作画期】寛政    歌川を称す、寛政末期の作に、肉筆「橋上二美人」の図あり、画風豊広に酷似せり〟      ☆ なおまさ 直政    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝直政    【生】           【歿】    【画系】国直門人      【作画期】天保~安政    歌川を称し、一容斎と号す〟      ☆ なんすい 南翠    ◯『浮世絵師伝』p143(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝南翠    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】天保    肉筆、褄取団扇持芸妓の図あり、京都風〟      ☆ なんぼく 南北    ◯『浮世絵師伝』p144(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝南北    【生】           【歿】文政十年(1827)    【画系】          【作画期】文化    文化初年頃に歌麿風の美人画を描く、戯作者東西庵南北と同一人なるべし。『戯作者略伝』に云ふ、    「東西庵南北、芝金杉町に住せり、原は吾妻橋手前竹町に居住せし剞劂氏にて朝倉藤八といへるよし、    一書に朝倉力蔵とあり、画工春扇【後春好】物語と墨川亭の話なり、文政十丁亥年歿せりと云へり」と〟    ☆ なんれいさい 南嶺斎    ◯『浮世絵師伝』p144(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝南嶺斎     【生】           【歿】    【画系】          【作画期】天保    大阪風俗の肉筆美人画あり〟      ☆ なんれいさい 南嶺斎  ◯『浮世絵師伝』p144(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝南嶺斎    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】嘉永    国芳風の肉筆美人画あり、前記の南嶺斎とは画風落款等異り居れば、無論別人なるべし〟