Top           『浮世絵師伝』         浮世絵文献資料館
                                    ☆ かいげつどう 懐月堂(懐月堂安度参照)    ◯『浮世絵師伝』p62(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝懐月堂    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】宝永~正徳    岡沢(一に岡崎とす)氏、名は安度(安慶とせるは誤)、俗称源七、別号を翰運子といふ、浅草諏訪町    に住す。画系未だ詳ならざれども、鳥居清信・奥村政信等の画風を参酌して、新たに一派を開きしもの    ゝ如し。描く所の婦女の風俗によりて、作画年代は宝永乃至正徳年間を超えざるものなる事を知るに足    るべく、また彼は正徳四年春奥女中江島の一件に連座し、同年四月蔵前の豪商梅屋善六等と共に伊豆大    島に流謫されし由なれば、其の時を以て一旦作画を中止せしものと見るを得べし。    世に流布せる版画及び肉筆物中に、安知・度繁・度辰・度種・度秀等の落款を有し、いづれも「日本戯    画懐月末葉」の八手を冠したるものあり、画風の特徴、落款の書体等に類似の点多く、遊女のみ描きし    故、或は一人の懐月堂安度が、自家広告の爲に斯く別号を用ゐしものならむとの説あれども、恐らくは    然らず、乃ち一般に伝ふるが如く安度の門人なるべしと思はる。(口絵第八図参照)〟     〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「懐月堂」は「カ」ではなく「ク」の項目に入っている〉      ☆ かおう 花翁    ◯『浮世絵師伝』p62(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝花翁    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】寛延    名は保信、東艶斎と号す、肉筆美人画あり、背景の山水などには狩野派の特徴を有す〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「花翁」は「カ」ではなく「ク」の項目に入っている〉    ☆ がくすけ 額輔(嵩濤参照)    ◯『浮世絵師伝』p28(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝額輔  絵馬屋額助、初め嵩濤と号す。(嵩濤の項にあり)〟    ☆ がくてい 岳亭(春信・定岡・五岳参照)    ◯『浮世絵師伝』p28(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝岳亭    【生】             【歿】    【画系】初め堤秋栄、後ち北渓門人【作画期】文化~天保    菅原姓、八島氏、通称丸屋斧吉、幕府の士平田其の庶子なりしが、母故ありて八島某に嫁するや共に其    家に養はる、初名を春信といひ、後ち定岡と改む、字は鳳卿、岳亭(また岳鼎)と号す、別に五岳・丘    山・一老・南山・陽亭・陽斎・黄園・神歌堂・神岳堂・堀川多楼等の諸號あり、晩年には梁左とも称す、    初め画を堤秋栄に学び、後ち北渓の門人となる、また狂歌を窓の村竹及び六樹園に学びたり。    彼は青山緑ケ岡の養家(八島氏)に成長せし後、大伝馬町・人形町・日本橋坂本町等に転居し、文政の    末より天保四五年頃に亘りて京阪地方に住みしが、再び江戸に帰りて余生を送りき、其の性質敦厚にし    て孝心特に深かりしと云ふ。夙に著作に志を懐き、文化十二年版の『春山媼花鉞』(自画作合巻本)を    初めとして、『狂歌奇人譚』・『猿著聞集』・『俊傑神稲水滸伝』其他合巻本及び読本数種あり、版画    の作も亦恐らく文化十二三年頃より始めしならむが、文政初年以後は、盛んに狂歌の摺物を画き、傍ら    狂歌本に挿画せしもの甚だ尠からず、就中、色紙判の摺物に金銀の彩色を施せしものなど、其の技巧を    認むべきものあり、又彼が在阪記念とも称すべき天保五年版の『浪速名所 天保山勝景一覧』(落款五    岳)は殊に出色の作たり。彼が挿画せし狂歌本中、二三著名のものを挙ぐれば左の如し。     ◯狂歌水滸傳(文政五年版)      ◯山水奇観狂歌集(文政六年版、後ち狂歌を削除して『一老画譜』と改題す)     ◯狂歌奇人譚(文政七年版)      ◯略画職人尽(同九年版)     ◯狂歌略画三十六歌仙(天保元年版)  ◯今樣三十六歌仙(同二年版)    彼の歿時年齢は未詳なれど、凡そ幕末の頃まで生存し、相当の高齢を保ちしことは推定され得るなり。    (本項は星野日子四郎氏の研究を参考す)〟    ☆ かげまつ うたがわ 歌川 景松    ◯『浮世絵師伝』p25(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝景松    【生】           【歿】    【画系】貞景門人      【作画期】天保~慶応    西川氏、歌川を称し湖春亭と号す、天保年間に合巻本を画けり〟           ☆ かげまつ ごりゅうてい 五流亭 景松    ◯『浮世絵師伝』p25(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝景松    【生】           【歿】    【画系】貞景門人か     【作画期】天保    歌川を称し、一峰斎・五流亭と号す、天保十一二年頃大阪版の役者絵あり〟    ☆ かざん 哥山    ◯『浮世絵師伝』p25(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝哥山    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】文化   石川氏、美人画錦絵あり。画風菊川派に近し〟          ☆ かずま 一麿    ◯『浮世絵師伝』p25(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝一磨    【生】明治十五年 現在       【画系】          【作画期】明治末~昭和     織田氏、本名一磨(カズマ)、画号も同じ。東京芝公園地に生れ、石版画に趣味を有ち、最初金子政次郎   (米人スモリック門人)に就て石版術を学び、東京勧業博覧会美術部へ装飾画を出品したるを始めとして、   自画、自摺の石版画數十図あり、東京及び大阪の名所等の外に、明暗の感じを表はしたる石判に佳作あり。   帝国美術院展覧会へ自画自摺の石版画を出品して数回入選。大正十三年より木版画に、出雲、伯耆の名所   等数図を作る。現住所東京府雜司ヶ谷鶴巻三八一〟     ☆ かちょうてい 花蝶亭    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝花蝶亭    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】文政    新見氏、名は皐、浮舟と号す、厳島神社宝物の泥絵大額「外国港の図」に「文政七年六月吉日、花蝶亭    浮舟新見皐」とあり。〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「花蝶亭」は「カ」ではなく「ク」の項目に入っている〉     ☆ かちょうろう 華(花)蝶楼(豊原国周参照)    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝華蝶楼    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】嘉永    歌川を称す、華蝶楼とも云へり。錦絵美人画及び肉筆裸体美人画あり、落款の下に年丸の朱印を用う。    こは国周の初期に於ける別号なりと云ふ〟    ☆ かつしげ 勝重    ◯『浮世絵師伝』p25(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝重    【生】慶長八年(1603)頃  【歿】延寶元年(1673)二月二十日-七十一?    【画系】勝以の子      【作画期】寛永~寛文    勝以の子、岩佐氏、俗称源兵衛、画を父に学び、時勢粧を画くに巧みなりき、而して、其が作品(肉筆)    には稀に「勝重」の印章を押せるのみにして、落款を施せるものは殆ど無し、(口絵第一図参照)され    ど、流石に父勝以の後を継ぎし彼なれば、筆力構図等非凡にして、よく土佐本流の画格を具へ彼が歿年    は既に判明し居れども年齢は未詳なり、併し、彼の肖像及画風等より想像すれば、慶長八年即ち勝以二    十六歳の頃に出生せしものにはあらざるか、仮りに其の年より起算すれば、慶長元年には二十二、慶安    四年父の歿時には四十九、而して彼の歿時延宝元年には七十一歳に相当せり。尚ほ、彼が浮世風俗を真    面目に画きし期間は、他の画家の例と比較しても、凡そ二十五歳以後五十歳住までの間なりしが如し。    浮世絵備考より転写〟     ☆ かつのう 活囊    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝活嚢    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】文化    京都の人、祇園芸妓を画きたる合羽摺彩色の細絵あり〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「活囊」は「カ」ではなく「ク」の項目に入っている〉    ☆ かつのぶ 勝信    ◯『浮世絵師伝』p26(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝信    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】享保    梅祐軒と号す、肉筆美人画あり〟    ☆ かつのぶ 勝信    ◯『浮世絵師伝』p26(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝信    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】享保    近藤氏、漆絵及び肉筆美人画あり〟          ☆ かつぶみ 勝文    ◯『浮世絵師伝』p26(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝文    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】天保~嘉永    狂画堂と号す、人形町に住せり、彼が画く所の小形錦絵を見るに、着想奇警にして運筆亦軽妙、画風大    石眞虎などに似たり。また社寺に奉納の絵馬などを画く〟    ☆ かつまさ 勝政    ◯『浮世絵師伝』p26(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝政    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】享保    岸川氏、鳥居風の漆絵美人画あり〟    ☆ かつまち 勝町    ◯『浮世絵師伝』p26(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝町     【生】           【歿】    【画系】恋川春町門人か   【作画期】天明~寛政    井上氏〟    ☆ かつもち 勝以(岩佐又兵衛参照)    ◯『浮世絵師伝』p26(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝勝以    【生】天正六年(1578)   【歿】慶安四年(1651)六月廿二日-七十四    【画系】土佐光則門人    【作画期】元和~慶安    藤原姓、岩佐氏、俗称又兵衛、又は荒木摂津守村重といひ、夙に織田信長に仕へて寵を受く、功により    て摂州伊丹の城主と成りしが、天正七年十一月、信長に背くことありて其の城を攻略せられ、隠遁して    中国辺を流浪したりといひ、或は城中に於て自殺したりきとも伝へらる、其の時勝以年僅かに二歳、乳    母と共に逃れて京都西本願寺の末寺に寄寓し、世を憚りて岩佐氏を称す、これ母方の氏なりといひ、又    乳母の氏なりとの説あり。    勝以成長の後、織田信雄に仕へしが、幾ばくもなくして之れを辞し、越前福井に流寓して、こゝに初め    て作画に従事することゝなれり、惟ふに元和、寛永年間の事なるべく、当時彼の画技に堪能なること遠    近に宣伝されしが、偶ま將軍家の召に応じて江戸に赴き、種々用命を蒙る所あり、爾来久しく江戸に滞    留して、益々作画に努力する所ありしに、不図老病を発して再び起つ能はざることを悟り、記念に自書    像を作りて妻子の許に迭りし後、遂に其の儘江戸の地に長逝せり。これより曩に、福井藩主は彼が技能    を愛するの余り、其が妻子を郷里に留めさせて、以て再び彼の帰郷せむことを切望したりしと云ふ。彼    の画系は京都の土佐光則の門に入りて、大和絵を学び當時の風俗、新樣の姿勢を写し、遂に一家を成す    に至れり。また父摂津守の家士たりし、重郷、俗称久藏、後に内膳、画号を一翁と称する狩野松栄に就    て学びしと云ふ説もあり。    武州川越の喜多院内東照宮に現存さる三十六歌仙の絵街中一図の裏面に「寛永十七年六月十七日、絵師    土佐光信末流、岩佐又兵衛尉勝以図」と朱書きしおるに由りて、土佐派の画風を習ひしこと明かなり、    彼は浮世絵の初期時代に直面し、巧に時俗を描写したるのみならず、徳川初期に江戸へ招かれて作画し    たる爲め、彼を所謂浮世絵の始祖と喧傳せられたのであらう。而して彼の作品として世に伝へられるも    のゝ内、浮世絵人物には殆ど無落款にて、僅か美濃紙位の横判(中にはスアマ形に裁切りたるものあり)    にて時代の風俗を描きしもの、諸所に分散したるものを合計しても八枚位、其画面には勝以の印章のみ    捺印しあり、其地上代の人物及び唐人物などの図には「勝以」「碧勝宮図」等の印を用ゐたり、これ蓋    し、彼が壮年時代には、種々の事情によりて落款印章等を現さず、壮年以後晩年に亘りて、多く前記の    如き画印を用ゐしものと思はる、従つて、浮世人物の図などの無落款の傑作品は、概して壮年時代の筆    に成りしものと推定するを得べし。    自画像(武岡豊太氏藏)〟     ☆ かねなり 鐘成    ◯『浮世絵師伝』p27(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝鐘成    【生】寛政五年(1793)   【歿】万延元年(1860)十二月十九日-六十八    【画系】          【作画期】文政~嘉永    大阪の人、名は明啓、俗称弥四郎、暁鐘成・鶏明舎・嫚戯堂、鹿廼屋眞萩・手鍋庵・未曾志留坊一禪等    の数号あり、後ち鐘成の号を門人に護りて晴翁と改む。彼は大阪の醤油醸造家和泉屋太兵衛の男にして、    戯作をよくし又自から挿画せるもの尠からず、晩年丹波福知山に赴き、百姓一揆の檄文を作りて忌諱に    触れ、獄中に於て病死せりと云ふ。墓所は摂津国西成都浦江村勝楽寺(又、正覚寺とも)なり〟    ☆ かねひこ 兼彦    ◯『浮世絵師伝』p28(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝兼彦    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】明治    高畠氏、三代目柳亭種彦(藍泉)の男にして、雑本の挿画などありしといふ〟    ☆ かぶきどう 歌舞妓堂(艶鏡参照)    ◯『浮世絵師伝』p28(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝歌舞妓堂  艶鏡の別号〟    ☆ かんてい 甘亭    ◯『浮世絵師伝』p28(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝甘亭    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】明和    昭和(ママ明和)二年の摺物に「甘亭工」としたるものあり。其図の考案者なり〟    ☆ かびまる 峨眉丸    ◯『浮世絵師伝』p29(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝峨眉丸    【生】           【歿】    【画系】栄之風       【作画期】寛政~文化    一に峨眉山人といひ、月斎また烏文斎と号す、画風細田派に近し、左の刊本の外に肉筆美人画数種あり〟     ☆ かよう 華陽    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝華陽    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】天明    天明九(寛政元)年の絵暦美人画あり〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「華陽」は「カ」ではなく「ク」の項目にあげている〉     ☆ かんぎゅう 関牛    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝関牛    【生】           【歿】天保四年(1833)    【画系】関月の男      【作画期】文政    大阪の人、蔀氏、名は徳風、字は子偃、荑楊軒と号す、書画を父に学び、刻本の挿画及び文字の版下を    書したるあのなどあり、立売堀一丁目に住す〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「関牛」は「カ」ではなく「ク」の項目にあげている〉     ☆ かんげつ 関月    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝関月    【生】延享四年(1747)   【歿】寛政九年(1797)十月廿一日-五十一    【画系】雪鼎門人      【作画期】明和~寛政    大阪の人、初め柳原氏、名は徳基、俗称源二郎(一に原次郎)、菁莪堂(また二酉堂亭)と号し、絵本    を描くの傍ら書肆を営み、家を千草屋と云へり、安永五年頃書肆を廃めて画事を専らとし、爾後蔀氏に    改め、名は旧の如く徳墓、字は子温、俗称は約して原二とし、新たに関月を号とせしなり。彼は安永以    後漸次和漢の画法を研究し、殊に人物・山水等に長じたり、又多少学殖ありて、詩文及び書道に堪能な    りしと云ふ、画く所『絵本武者録』(明和五年版)・『絵本倭詩経』(同八年版)・『伊勢参宮名所図    会』(寛政九年版)・『山海名産図会』(同十一年版)其他数種あり、晩年法橋に叙せらる。居所初め    は京町堀二丁目(また土佐堀一丁目)蔀氏となりて後は堂島中二丁目に住す、墓は北中島木寺村(大阪    府下)正通院にあり〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「関月」は「カ」ではなく「ク」の項目にあげている〉     ☆ かんし 寛志    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝寛志    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】宝暦    東燕斎と号す、肉筆風俗画あり〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「寛志」は「カ」ではなく「ク」の項目にあげている〉     ☆ かんせつ 寛雪    ◯『浮世絵師伝』p63(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝寛雪    【生】           【歿】    【画系】          【作画期】宝暦    東柳斎と号す、肉筆風俗画あり〟    〈『浮世絵師伝』は「歴史的仮名遣い」による表記のため、「寛雪」は「カ」ではなく「ク」の項目にあげている〉
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