浮世絵の基礎知識
E 浮世絵の製作プロセス
上掲は、浮世絵の製作プロセスを図化したものです。
一枚絵や組み物などの版画と草双紙などの絵と文からなる版本とで違いがありますが、仕事の流れは基本的には同じです。
版画の場合(上掲図では緑色の矢印)
版元 → 画工(版下絵作画)→ 彫師(整版)→ 摺師(印刷)→ 版元 → 販路(絵草紙屋等)
版本の場合(上掲図では青色の矢印)
版元 → 作者(稿本作成)→ 画工 → 筆耕(清書)→ 彫師 → 摺師 → 製本 → 版元 → 販路(絵草紙屋等)
※「稿本」とは本文原稿および挿絵の構図や図様に関する下絵をいう
改(あらため)について
寛政二年(1790)五月、折からの改革の一環として、町奉行は出版取締令を出しました。これによって地本問屋に関す
る検閲制度がスタートしました。これを改と呼んでいます。ではどの段階で検閲を受けるかというと、版本の場合は
作者の稿本(下絵)が出来上がった時点、版画の場合は画工の板下絵が出来あがった時点ということになります。
出版許可が下りると、そのことを示す改印(あらためいん)が押されます。「極」という文字印が有名ですが、その他
に検閲を実施した年月を表す干支や漢数字の印、あるいは検閲を担当した地本問屋の行事や改掛かりの町名主の印な
ども押されるようになります。これらはいずれも製品上にそのまま残りますので、現在では作品の製作年代を知る上
で重要な手がかりとなっています。
参考 極印と改印(浮世絵ぎゃらりぃ)
版元から販路まで、それぞれの役割分担については、前項「D 浮世絵の製作システム」のところで解説しましたので、
ここでは触れません。
以下、喜多川歌麿の錦絵「江戸名物錦画耕作」(六枚続・享和三年(1803)頃)に拠って、画工(版下絵師)の工程から絵
草紙屋の店頭に並ぶまでの流れを見てみます。
この画題に「錦画耕作」とあるように、この絵は錦絵の製作を稲作の流れに例えて画いています。(版本製作の流れは前
項「D 浮世絵の製作システム」を参照願います)作業は右から左の順に進んでいきます。
なお、職人が女の姿で画かれていますが、実際は男です
(1)浮世絵の製作プロセス
右図(版下絵師)コメント「画師 板下を認(したため)種おろしの図」
画工が版下絵を仕上げたところ。その出来具合を見ているのが版元か。コメントは版下絵の作画を、種おろし(種まき)
に例えたものです。黄色の書箱に「芥子園画◎・笠翁画伝」「張◎画事」とあります。前者は清の李笠翁の『芥子園画
伝』(「笠翁画伝」はその別称)、後者はよく分かりませんが中国の画譜画論の類でしょう。南画・文人画のお手本であ
る『芥子園画伝』を、当世風俗を専らとする浮世絵師の許に置いたのは、歌麿の機転か。己の画業に対する自負がそう
させたに違いない。(※◎は不明文字)
中図(彫師)コメント「板木師 彫刻して苗代より本田へうつ(移)しう(植)ゆる図」
手前から彫刻刀を研ぐところ、板木に版下絵を裏返しに貼ってこれから主板(おもはん)を彫るところ、そして鑿(のみ)
と木槌(きづち)を使って不用の箇所を浚(さら)うところが画かれています。刀研ぎは職人各自で行うのでしょうが、主
板の彫りは親方、浚いは弟子が行います。コメントは、板木の製作(整版)を、稲の苗を苗代から本田(ほんでん)に移
し植える作業に例えたものです。
左図(礬水(どうさ)引き)コメント「礬水引 田ならしの図」
この工程は上掲のプロセス図にはありませんが、きわめて大切な工程です。目的は和紙に絵の具が滲まないようにする
ためです。膠(にかわ)と明礬(みょうばん)の入った混合掖(礬水)を刷毛で紙面に塗り、一枚ずつ天日で干します。コ
メントは礬水引きを田均(なら)しに例えたもの。田均しとは田の表面を平らにする作業のことで、田植えに先だって行
われるものです。これは摺る前の工程なので摺師たちが行います。
(2)浮世絵の製作プロセス
右図(摺師)コメント「摺工 田植の図」
コメントは文字通り摺りを田植えの作業に例えたものです。馬連でもって摺っているのが摺師。摺師が一日に摺る分量
は二百枚、これを一杯と呼び、仕上げはその一杯ごとに行います。前のめりになった摺台の前に置かれている和紙が二
百枚です。後ろの摺師に巻紙と板木を差し出してるのは、絵師や版元からの使いと思われます。絵師が色を指定した紙
とその色板を届けに来たようです。手前に丁稚がいます。通い帳には柳屋五郎三郎、絵具箱と思われる箱には柳五とあ
ります。柳屋五郎三郎は日本橋に実在した店で、主に香油や紅・白粉を商ったようですが、紅などの絵の具も扱ったの
でしょう。現在の柳屋化粧品のご先祖のようです。
中・左図(絵草紙屋店先)コメント「新板くばり 出来秋の図」
新版が出来上がって絵草紙屋から売りに出される一連の流れを稲の収穫に例えたものです。店頭では新版を、斜めの台
に並べ置いたり、あるいは上から吊したりと、見栄えのするように配置して売っていました。店では絵草紙や錦絵のほ
かに常磐津・富本の稽古本も取り扱っています。路上の看板に「地本問屋」の文字の一部が見えるこの店の光景は、こ
の錦絵の版元である鶴屋喜衛門の店先を写したものと思われます。
以上 2016/03/29