Top          浮世絵文献資料館           
                  好色本目録2(全記事)         柳亭種彦関係      出典 『好色本目録』写本 柳亭種彦著 天保年間(1830-1843)手記      底本 『新群書類従』第七「書目」所収・大久保葩雪校訂・国書刊行会・明治三十九年(1906)刊       ※ 浮世絵関係記事は「好色本目録1」   〝宝永元年(1704)までの刊本のみなり、画巻写本の類は載せず 柳亭種彦手記〟     ☆『秋夜長物語』(あきのよのながものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p147   〝秋夜長物語    『群書類従』三百十一に載せて、誰々も知る書なれば委しうはいはず、是男色本の初めなるべし、『庭    訓往来』と同作といひ伝ふ、其是非は知らず、古書なることは論なし、さて此書四版あり。      活版本  時代不知、元和の頃〈1615~1624〉歟。      古印本  寛永十九年〈1642〉      絵入本  年号不載、書風を以て考ふるに万治、寛文の頃〈1658~1673〉なるべし。      絵入新板 正徳六年〈1716〉    『類従』に入れられしは、此寛永本にて正しからざる本なり、穢土をさいどゝ誤るの類最多し、はじめ    の三本はさまで異同なし、正徳本は大に異なるところあり、其奥書は「古来の板行ところ/\ちがひあ    る故に本書のうつしを以て改めはべる」云々とあり、実に古写本を得て刊行なしゝならんと思はるゝこ    とあり、予も天正前の古写水を蔵す、此写本と正徳本にのみとうろうとあり、はじめの三本はてうちん    とあり、後人の書改めしなるべし〟    ☆『鳥部山物語』(とりべやまものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p147   〝鳥部山物語    松帆浦物語    右二書とも男色なり、『類従』本同巻に載せたり、『松帆捕物語』の古印本は、正保、慶安の頃(1644    ~1652)なるべし、其書の奥書に、兼載在判とあれども、恐らくは偽書、さまで古きものとは見えず〟    ☆『松帆浦物語』(まつほのうらものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p147   〝鳥部山物語    松帆浦物語    右二書とも男色なり、『類従』本同巻に載せたり、『松帆捕物語』の古印本は、正保、慶安の頃(1644    ~1652)なるべし、其書の奥書に、兼載在判とあれども、恐らくは偽書、さまで古きものとは見えず〟    ☆『花の縁物語』(はなのえんものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p147   〝花の縁物語 二冊 作者器之子 寛文六年〈*1666〉    『鳥部山物語』の男色を女色に引直して作りし書なり、其書ざま草子物に似て好色本ともいひがたじ〟    ☆『古今若衆』(ここんわかしゅう)    ◯『新群書類従』巻七・p148   〝古今若衆 一冊 刻梓年号なし    男色の事を古今の序にならひて作れり、巻中に天正の年号あり、『我衣』といふ随筆の追加に、此文を    載せて、細川幽斎の作と記したり、さもあらむ歟、末に載せたる歌は、雄長老狂歌百首なり、、後人彼    と是と取合せて刻梓せしものなるべし〟    ☆『田夫物語』(でんぷものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p148   〝田入物語 絵入 一冊 刻梓年号なし    男色と女色の論なり、寛永年間の梓行なるべしと思はるゝことあり、承応元年〈*1652〉より前の書な    り〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は寛永年間刊とする〉    ☆『うらみのすけ』    ◯『新群書類従』巻七・p148   〝うらみのすけ 絵入 二冊    葛の恨之助といふもの清水へ詣て、雲の前といふ女を見染ることを書きたり、後世の好色本に似たれぱ    好色の部に加ふ、巻中に慶長九年〈*1604〉の年号あり、北野へ行て国の歌舞妓を見むといふことも見    えたれば、古き作なるべし、此書わくのある本とわくなき本と二種あり、わくのなき本は原板なるべけ    れど、年号のある本を未見、わくのある本は古板の画を其儘用ゐて、筆耕ばかり書改めて重彫せしもの    なり、明暦二丙申〈*1656〉閏四月吉日高橋清兵衛開板。明暦板は古板よりすこし大形の本なり、古板    の画を用ゐしゆゑ、画のところの枠は二重にあり。    〔補注〕松雲堂云、近時入手の本左の年号ああり、明暦本の後重彫と見ゆ。         寛文四甲辰年〈*1664〉三月吉日 山本九右衛門板         わく入れて絵も重彫ならん。    附曰、今は此書知るもの稀なれど、昔は行はれしとおぼし、其証左に挙ぐ    『俳諧沙金袋』西武撰 明暦三年〈*1657〉      葛の葉のやうらみのすげが下重ね  正伯    『俳諧枯尾花』其角撰 元禄七年〈*1694〉       附合の句      はら/\と恨之助をとりさかし   風国    『風流色芝居』 元文三年〈*1736〉求之とあり、原の年号知れず    むかし女のしつぼくなることを前置きに「労さひの下地も病いたしぬれば、此の気をはらさんために、    恨之助、天正ざうし、もの草太郎、鉢はつぎ、やまと言葉文章の節にして、ちわぶみの手本にうす雪も    のがたり云々」などいふこと見へたり。    友人柳庵に此書を貸したる時、考を書ておこせり。     信充按、此冊子の首に、慶長九年夏の末とあれども、九年に書しものにはあらず、十四年〈*1609〉     の後に書きしものなり、其証拠は、雪の前二歳の時秀次が事ありて、雪の前の父木村常陸も亡びし由     記し、十六歳にて雪の前死せしといふ、秀次が事は文禄四年〈*1595〉秋の事なり、其時二歳なりと     いへば、十六歳は慶長十四年なり、また服部庄司の後家の年を考ふるに、自殺せしは三十九にて、雪     の前七つの時に十九年連添ひたる夫と別れしいふ、また十六歳より相馴れしといふを合せ考ふれば、     元亀二年〈*1571〉の生れなり、元亀二年より三十九は慶長十四年なり、之によれば此草子の首に慶     長九年の字は誤り歟、但しわざと年を錯誤せしにや、実は慶長十四年より後ちになりしこと論なかる     べし。    柳亭曰、また此後一板を見る奥書      寛文甲辰年〈*1664〉十二月九日 山本九右衛門     是れは画も筆耕も新たになして刻したるものなり。     以上三板〟    ☆『薄雪物語』(うすゆきものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p149   〝薄雪物語 絵入 二冊 寛文九年〈1669〉印本    是れもある男清水へ詣で、薄雪といふを見染め、遂に本意はとげたれども、かの薄雪身まかりれば、男    は髪をおろし、れんしやう法師と名乗り、高野の山に入る事を記して、粗ぼ『恨之助』が物語に似たり、    若し慶長、元和の頃実に斯かる事ありしを、夫も是も名をかりて作り物語となしたる歟。さて此書も冊    子物の中へ加ふべしと思ひしが、此書多板ありてかぞへつくしがたし、おほしきものはゑどり本なり、    ゑどり本とは墨にて摺りたる上を、丹、緑、青、藍の類を筆にて彩色したるをいふ。    奥書 寛永九年壬申十二月吉日 中野氏道也梓    寛文の年号あるものあり、また小本あり。    『新薄雪物語』後人の作なり、浄瑠璃本にも同名あり。    〔補註〕松雲堂云        延宝八庚申暦〈*1680〉弥生        右の奥書本も見たり    〔葩曰〕右は『薄雪物語』の奥書本にて、『新薄雪物語』には非ず、念の為めに附記す〟    ☆『若衆物語』(わかしゅうものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p150   〝若衆物語    或冊子の原板未見、予蔵する写本に寛文八年とあり、原板の年号歟、写せし時の年号歟未だ知らず。    後年鱗形屋再刻して、『若衆物語』を宗祇作と記せり。    柳亭按ずるに、是慶長、文禄頃の作にて、宗祇が名をかりし歟、好事の人の洒落ならむ歟。    『群書類従』三百十一に、『児教訓」として入れしは蜀山人の蔵書にて、彼鱗形屋の再刻本にて、所々    闕けたる所ありて好本ならず、はかけにてとあるを、ほうけにてと誤る、其外鱗形屋にたがふこと多し。    柳亭再按に、此冊子『犬短歌』といひし物なるべし、『犬つれ/\』承応三年〈*1654〉印本に「犬た    んかと云ふものあり、其はじめに、先第一にかの(数字空白「本ノママ」の添え書き)そのたしなみがき    らひにて人にはすねていふりにてといひ云々」とあり、此短歌にてしかいふことのあればなり、『犬た    んか』といふを思へぱ、是より先の『児の教訓』の短歌ありて、それが宗祇の作なりしも、其書世に絶    えて、終に『犬短歌』に宗祇の名を負はせしものなるべし。『子孫鑑』寛文十三年〈*1673〉寒川正親    作に曰く「十一二三四五六七よりの心もち大事なり、まづ童子教を読ませ、囚果の道理を如らすべし、    宗祇法師の短歌を見べし、また今川譬書を得とくすべし云々」こゝに宗祇法師の短歌といへる物、彼の    『犬たんか』なるべし、されば宗祇の作と偽りしは、承応の後ち寛文の前なるべし。    『宗祇小鏡』予が蔵する古写本にかくの如し、是鱗形屋が合刻したる短歌『最明寺百首』(イ 西妙ち)    と同本なり、例の偽書なること論なし、うちに守武が『世の中百首』の歌一首あり、これ大永の詠なる    べし、後人の仕業なる証とすべし。    これは児の教訓の歌なれども、男色の行はれたる故に詠じたるなるべし、後に此書目禄に加ふ。    附曰、今より二百年前に斯かる冊子行はれしと覚しく、予が蔵書に『草短歌』といふ書一冊あり、慶元    頃の古写本にて、女子への教訓の短歌なり、近年江戸湯島の辺に住める人、寛文年間の古写本『宗祇短    歌』といひし物を彫して好事の人へおくれり、予もそれを得て合せ見るに、異同はあれども全く此『草    短歌』と同本なり、然れば是も『宗祇短歌』といひし物なるべし。再び考ふるに『草短歌』を仮字して    書きたる本を、後人きの落字と思ひて斯く呼び誤り、遂に『犬短歌』にまで宗祇の名を負はせたもの歟、    予が蔵書には古き外題の儘にて『草短歌』とあり。    按ずるに、草は下書きといふものにて、ざつとしたるといふ程のことなるべし、源氏巻の名と香の図の    みを記したる古き冊子に、『草源氏』と題したるあり、今いふ草冊子の草の字と同じく一つなるべし、    此『草短歌』は女子の教訓にて、此目次へ加ふべき書にあらず、若しこれが実に宗祇の作にて、是に傚    ひて少年の教を後人の作り設け、『犬たんか』と名附けしも知るべからず〟    ☆『修身演義』(しゅうしんえんぎ)    ◯『新群書類従』巻七・p151   〝修身演義 一名『人間楽事』 一冊    春(一字欠)刻本のはじめなるべし。    巻の初は、ぼう内秘伝、美女良法、次に(一字欠)画を載する、之は華本の翻刻なり、また次に活字板    平仮名にて『真蘇妙論』及び薬法を附す。    予が見たる本は、白うすくれなゐ薄はなだのたぐひ、色紙へきらをひきたるに摺りたるにて、光悦本の    謡本に似たり〟    ☆『心友記』(しんゆうき)    ◯『新群書類従』巻七・p151   〝心友記 半紙本二冊    奥書に、寛永二十年癸未〈*1643〉秋吉辰    男色の事を書ける物なり、『書目録』に『心友記』といふ書見えず、例の外題直し歟未考。    柱(本の小口なり)に若道とあり、天和元年〈*1681〉の『書目』に『若道物語』二冊八分とあるは是    れ歟〟    ☆『仁勢物語』(にせものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p151   〝仁世物語 絵入 二冊    『伊勢物語』に倣ひて書けるものなり、『書目録』に烏丸光広卿の作とす、此書も二板あり、年号のあ    る本未見〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は『仁勢物語』寛文年間〈1661~1673〉刊とする〉    ☆『犬つれ/\』(いぬつれづれ)    ◯『新群書類従』巻七・p152   〝犬つれ/\ 絵入 二冊 承応二年〈*1653〉印本    男色の事を書きたるものなり、此書の外に『犬つ/\』と和文めきたる随筆あり、此書中に引書に『美    人艸』といふ書あり、是も男色の事を書けるもの歟未見。    馬術の書『美人草』にはあるべからず。    〔補注〕松雲堂云、此『美人草』、此頃京都にて一見したり、絵入の冊子なり〟    ☆『よだれかけ』    ◯『新群書類従』巻七・p152   〝よだれかけ    此書は尹工の坊が由来、茶道の始め、浄瑠璃の起りの事等ありて、五の巻まで好色本にあらず、ただ六    の巻に歌舞伎野郎の事ある故に、元禄の『書目録』に好色本のうちへ加へたり、年号いと紛らはしき故    左に録す。     寛文三年〈*1663〉洛陽の隠士江流の序あり     六の巻の末に承応二年〈1653〉梅條軒     寛文五年〈*1665〉五篠寺町 中野太郎左衛門板行    按ずるに、慶安二年〈*1649〉に四の巻まで編りしか、『よだれかけ』と名づけたるは、古人の涎をな    むる意にて、好色にかゝはりし事にはあらずといふ事江流の序にあり、さて五之巻まで稿成りて後、承    応元年〈*1652〉若衆歌舞伎法度になり、少年の前髪をおとされたり、次の年に走る夫々の事を、六の    巻に書附けたりしなり、作はさながらをかしき書なり、慶安二年六の巻まで書きたるなり、承応二年六    之巻書次(此間脱字)寛文三年序を書き、同五年に印行したるなるべし〟    ☆『錦木』(にしきぎ)    ◯『新群書類従』巻七・p152   〝【絵入】錦木 大本五冊    年号のある本未見、寛文年間なるべし、恋の文づくしなれども、古歌を引きしものにはあらず、世話詞    などありて、考へべきこと所どころ見えたり。『書目録』に浅井了意作とあり、『江戸名所記』『武蔵    あぶみ』等の作者なり、『御伽ほうこ』を作りし了意とは同名異人なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」には【絵入】の角書も作者名もないが、寛文元年(1661)    の刊行とする〉    ☆『ねごと草』(ねごとぐさ)    ◯『新群書類従』巻七・p152   〝【絵入】ねごと草 二冊    巻尾 寛文二年寅〈1662〉霜月吉日    『薄雪』『恨之助』の類の冊子にて、遠江の国白須賀に住む松風といふ女を、与之助といふ男恋わたり、    きんといふを倶して下だり、松風の下女を媒介として本意を遂ぐる物語なり、沢庵の詩歌を引きたれば、    さまで古き作にはあらず〟    ☆『若衆伽羅枕』(わかしゅきゃらまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p153   〝若衆伽羅枕 二冊 延宝六年〈1678〉印行    男色の(一字欠)画なり、頭書に詞ありて香具若衆の(一字欠)など見えたり、画風は菱川に似たり〟    ☆『枕ものぐるひ』(まくらものぐるい)    ◯『新群書類従』巻七・p153   〝枕ものぐるひ    闕本にて巻数時代知れず、是も菱川の画風に似たり〟    ☆『都風俗鑑』(みやこふうぞくかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p153   〝都風俗鑑 四冊 延宝九年〈1681〉    一名『都色欲大全』    京都の人の作なり、序跋ともに名を匿せば何人の作なりといふことを知らず、都の女風俗を書きたる書    なり〟    ☆『浪花鉦』(なにわどら)    ◯『新群書類従』巻七・p153   〝浪花鉦 六冊    一名『諸分店颪』    刻梓の年号ある本未見、延宝(一字欠)年写本『色道大鑑』の引書に見えたれば、当時の書なるべし。    大阪新町の事を書きたるものなり、西鶴作とあるは後人の彫入れし物なれば、これは信じ難し、されど    も実に西鶴歟猶考ふべし。    或人日く、予が蔵書『なには鉦』は、古く摺りたる本にて左の如く年号あり。    延宝八年申〈1680〉三月 水月庵迷色居士かな序、一生軒不埒後序、文中に作者の名酉水庵無底居士    と見えたり、巻尾に銘下南華軒の跋り〟    ☆『恋の釣針業平』(こいのつりばりなりひら)       ◯『新群書類従』巻七・p153   〝恋のつり針業平 一冊 鱗形屋板    画人の名は見えざれども、菱川に疑ひなき(一字欠)画なり、吉原の事など多くありて、春(一字欠)    中にては面白き本なり、末に業平秘伝といふことを載せたれば、外題に業平の名あるなるべし、梓彫の    年号なし。按に、天和元年〈1681〉の『書目』に『恋のつり針』一冊二匁【中ノ四十四ヲ】とあれば、    延宝の印本なるべし〟    ☆『源氏きやしや枕』(げんじきゃしゃまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p153   〝源氏きやしや枕 三冊或は一冊 延宝四年〈1676〉    一名『若紫』    源氏絵の春(一字欠)なり、菱川なるべし〟    ☆『たきつけ草』(たきつけぐさ)『もえくゐ』(もえぐい)『けしずみ』    ◯『新群書類従』巻七・p153   〝たきつけ 上    もえぐゐ 中 横本三冊 延宝五年〈1677〉印本    けしずみ 下     和文めかして好色の事を書きたる本なり、西鶴が『二代男』また『色道大鑑』下に載せたる『好色伊勢    物語』等の引書にも見えたれば、行はれしなるべし〟    ☆『四十八手』(しじゅうはって)    ◯『新群書類従』巻七・p154   〝四十八手 春 延宝七年〈1679〉    大伝馬町三丁目 鶴屋喜右衛門〟    〈菱川師宣に『恋のむつごと四十八手』という版本がある。平成12年、千葉市立美術館で開催された菱川師宣展のカタ     ログ解説によると、その初板本には「延宝七己未年三月吉祥日」の刊記があり、展示された版本には「延宝/絵師      菱川師宣図/板本大伝馬町三丁メ 鶴屋喜右衛門板」の刊記があるという。刊年も板元も同じであるから、種彦の     「四十八手」がこの『恋のむつごと四十八手』と同じもののようにも思えるのだが、おそらく別のものなのだろう。     何より種彦本には絵師名がない。また種彦も絵師については全く触れていない。この『好色本目録』において、種彦     は署名の有無と問わず、十四の作品を「菱川画」あるいは「菱川風」と判定している。つまり署名がなくとも、種彦     は菱川か否かの判断を下せるのである。その種彦が、この「四十八手」の絵師については何も言及しないのである。     菱川系統の画風ではないという判定を下したのである。ところで「四十八手 春」の「春」とは何であろうか〉    ☆『朱雀遠目鏡』(しゅじゃかとおめがね)    ◯『新群書類従』巻七・p154   〝朱雀遠目鏡 半紙本二冊 延宝九年〈1681〉正月    島原松梅の評判。    標題に知らるゝ如く、島原の遊女の評判なり、序の次に島原の総図、遊女の名、画は正月遊びの所僅に    一葉、さて夫より評判なり。     大夫 十四人   格子 五十四人  かこひ 五十三人      はし 百四十八人 同  二百七十人 外ニ 北白 十五人    とあり、今に比べては人少なり。    吉原にのみかゝりし冊子、また評判のたぐひは、別に目録の部に分つ、島原の評判は多く見ざるゆゑ、    先づこゝに加ふ〟    ☆『恋の中宿』(こいのなかやど)    ◯『新群書類従』巻七・p154   〝恋の中宿    外題如斯、うちに『身継の人和気』、また一冊には『身継』につくる、三冊を綴分け四冊。    男色、女色打交て話三條あり、更に面白からず、作者一慰軒、江戸板、元禄始めなるべし、画に両国の    花火踊りの船あり〟    ☆『花の名残』(はなのなごり)    ◯『新群書類従』巻七・p154   〝花の名残 絵入 半紙本五冊 天和四年〈1684〉印本    始め傾城の姿絵に心をかくる事などありて、好色本に似たれども、末は冊子物の書振にて、おてるの方    といふ女の事を記せり、面白からず〟    ☆『好色一代男』(こうしょくいちだいおとこ)    ◯『新群書類従』巻七・p154   〝好色一代男 八冊 天和二年作〈1682〉    大坂板なるべし。    作者西鶴、画人吉田半兵衛、筆耕西吟なりと云ふ、跋は落日庵西吟とあり    世之助といふ者の一代記にて、好色本中の絶作なり、此書大に流行して、江戸にて重彫をなしたる本あ    り、原板は大本なり、江戸板は半紙本にて菱川の画なり。      江戸重板の奥書 貞享四丁卯年〈1687〉九月上句      大和絵師   菱川吉兵衡師宣      日本橋青物町 大津屋四郎兵衡板    又【好色】やまとゑの根元 上下     【日本】ふうぞく絵本  上下    といふ書あり、是も菱川が画にて、『一代男』の絵を大本に書き、文章を約めて頭書になしたるものな    り、闕本のみ見たれば巻数は知らざれども、取集て四冊なるべし。    按に、初めに『絵本一代男』として四冊刊行なしたるを、後に二冊づゝ引分て『やまと絵の根元』『風    俗絵本』と名を附けたるもの歟    〔補註〕松雲堂云、一本に左の奥書あり、原板ならむ        大坂住 大野木市兵衛開板〟    ☆『遊里様太鼓』(ゆうりさまだいこ)    ◯『新群書類従』巻七・p155   〝【遊里】櫓(ママ)太鼓 絵入 横本六冊    柱に「けいせい櫓太鼓」とあり。    巻尾に、元禄十五年〈1702〉午ノ九月吉日     京寺町通り    榎並甚兵衛     江戸中通川瀬石町 須藤権兵衛    全本は見ざれども、是も『一代男』の略本といふべきものなり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、八文字自笑作の浮世草子で『遊里様太鼓』とある。「櫓太鼓」は誤     記であろう〉    ☆『好色二代男』(こうしょくにだいおとこ)『諸艶大鑑』(しょえんおおかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p155   〝二代男 絵入 大本八冊 貞享元年〈1684〉印本    『諸艶大鑑』    是も西鶴が作にて『一代男』に続て行はれしと云ふ〟    ☆『好色三代男』(こうしょくさんだいおとこ)    ◯『新群書類従』巻七・p155   〝【諸国】三代男 絵入 半紙本五冊 貞享三年〈1686〉印本    同じ西鶴が作なれども、之は余り行はれざりしや、今は本甚だ稀れなり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は西鶴作をとらず、西村市郎右衛門(未達)の作かとする〉    ☆『床のおきもの』(とこのおきもの)     ◯『新群書類従』巻七・p155     〝床のおきもの 大本一冊    菱川筆、狂画の枕(一字欠)なり    鱗形屋板にて巻尾に菱川の名あり、年号ある本未だ見ず    〔補註〕葩雪曰、本書二巻に分ち上巻を『しあはせよし』下巻を『たからくらべ』と名づくと云ふ〟      ☆『枕絵大全』(まくらえたいぜん)    ◯『新群書類従』巻七・p155     〝枕(一字欠)大全 大本三冊 天和二年〈1682〉    山形や板    菱川なるべし、上の巻は扇の形、色紙形のたぐひ、いろ/\なる枠にて仕切り、中の巻よりさも無くて    頭書を加へたり、端本を取集めたるやうなれど、柱に薬と同じやうにあれば、さにてしもあるべからず〟    〈底本の(一字欠)を補い『枕絵大全』とする〉      ☆『古今好色男』(ここんこうしょくおとこ)    ◯『新群書類従』巻七・p155   〝古今好色男 大本二冊 天和二年〈1682〉江戸板    下の巻に「右此枕(一字欠)双子は杉村氏治信真蹟秘術をつくし彼是集めて巻冊となし、首尾を加へ云    々」とありて、菱川が書風に似たり、曳尾庵の印本『江戸図鑑』浮世絵師の部に杉村治兵衛といふ者あ    り、彼が筆なるべしといへり、『図鑑』には正高とあり、治信後に正高と改めしか猶考ふべし、頭書に    吉原通ひの馬の事、吹矢町見世物の事ありて、江戸板なること疑ひなし〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、杉村春信画・天和四年刊とする。曳尾庵は加藤元亀、風俗随筆『我     衣』、また『浮世絵類考』曳尾庵本でしられる。『江戸図鑑』は石川流宣、元禄二年(1689)刊行の江戸地誌『江戸図     鑑綱目』、その「板木下絵師」として「杉村治兵衛正高」の名がみえる〉    ☆『小夜衣』(さよごろも)    ◯『新群書類従』巻七・p156   〝小夜衣 絵入 半紙本五冊 天和三年〈1683〉印本    作者城坤散人茅屋子 江戸板    恋の文尽しなり、五の巻遊女の文には考べき事少しはあれども面白からぬ書なり。    元禄板『貞女衣』とは別本なり〟    〈城坤散人茅屋子は西村市郎右衛門未達〉    ☆『東茶屋友嬲』(あずまぢゃやともなぶり)    ◯『新群書類従』巻七・p156   〝束茶屋友倣    元緑の『書目』にあり、三冊なるべし、中の巻一冊を見る、九丁日より二十四丁目に終る、一葉に一人    宛のことあれば、上の巻八丁に序文、下の巻二十五丁目より三十六丁に終る、高台寺前、八坂、清水坂    等の茶屋女の評制なり、姿絵丁毎にありて、狂詩と発句を題し、よしあしを論ず、句の調画風を以て考    ふるに、天和の頃の印本なるべし、八百屋お吉といふ女あり、八百屋お七同時代にて相似たる名なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄年間の刊行とする〉    ☆『好色しのすゝき』(こうしょくしのすすき)    ◯『新群書類従』巻七・p156   〝好色しのすゝき    上の巻ばかり見たり、天和頃〈1681~1684〉の刊行なるべし、二條后と業平、源氏と若紫の類古事    を春(一字欠)に書きたり、画人不知拙画なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元和年間(1615~1624)の刊行とする〉    ☆『好色一代女』(こうしょくいちだいおんな)    ◯『新群書類従』巻七・p156   〝好色一代女 絵入 六冊 貞享三年〈1686〉    西鶴が作なれば考へとなるべきことありて、面白き書なり〟    ☆『好色五人女』(こうしょくごにんおんな)    ◯『新群書類従』巻七・p156   〝好色五人女 絵入 五冊 貞享三年〈1686〉    一の巻お夏清十郎、二の巻樽屋おせん、三の巻おさん茂兵衛、四の巻八百屋お七、五の巻さつま源五兵    衛。    西鶴が作に似て百白し、之は寛文より貞享の初めまで、実にありし事を綴りたり、作意は加へたれども、    実説に近き事も略見えたり〟    ☆『諸国心中女』(しょこくしんじゅうおんな)    ◯『新群書類従』巻七・p156   〝好色諸国心中女 絵入 五冊    後年外題替『貞女白無垢』    洛下寓居序とのみありて作者の名なし。    巻尾 貞享三年〈1684〉孟春吉群日 京都の梓行なり。    標紙にのみ好色の字あり、是は書房のさかしらなるべし、好色の咄も無きにあらねど、多くは貞女の話    にて、あながちの好色本とは異なり、作者は貞徳風の俳諧師にて、歌の道も少しは心掛し人なるべし、    筆もよくまはりて頗る可笑しき本なり、短き咄しを多く集め、其うちには実説もあるべく見ゆ、目録は    「ふたつ文字牛の角行時参り寐ぬ夢に見る恋しりのさと」なんど、俳諧の長句、短句にて記したり〟    〈序の洛下寓居は西村市郎右衛門未達〉    ☆『男色大鑑』(なんしょくおおかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p157   〝男色大鑑 八冊 貞享四年〈1687〉印本    西鶴作。    初めは素人若衆の事、末は歌舞伎若衆の事を集めたり、浅草慶養寺の事などあれば、作り物語のみにも    あるべからず、世に知る所の如く、面白き冊子なり〟    ☆『男色の染衣』( )    ◯『新群書類従』巻七・p157   〝男色の染衣 四冊 貞享四年の印本    江戸松月堂不角作 鳥居彦兵衛画    島津数馬といふ少年主の(数字欠)を殺したりと、無実の罪に陥り、鈴ケ森にて罪せられし事を書たり、    作振り大に趣きあり、当時の街説なるべし。    〔補註〕葩雪曰、『杏花園書目』には、之をいの部に収め、単に『色の染衣』となして男の字を冠し居        らず〟    〈大久保葩雪の補注に言う、『杏花園書目』は、岩波書店の『大田南畝全集』第十九巻では『杏園稗史目録』を言い、     「読本部」「い」の項目に〝色の染衣 四巻 貞享四丁卯年、作者松月堂不角〟とある。(p473)また、同十九巻所     収の「識語集」、『色の染衣』の項目には〝蜀山按、貞享四年丁卯歳也。大和絵師庄兵衛者鳥居庄兵衛清信也。蓋書     林削貞享四字及大和絵師以下字而作新板也。今以異本訂正。蜀山人〟の識語がある。(p725)この大田南畝の識語のあ     る『色の染衣』は現在、京都大学図書館の所蔵となっているが、その奥書をみると、「丁卯歳仲秋下旬 作者松月堂     不角」としかない、その代わり赤字で「貞享四」と「大和絵師庄兵衛画」「日本橋南三丁目式部小路 近江屋(以下     数字判読出来ず)」とが加筆されている。おそらく南畝が入手した時点でこの加筆はあったものと思われる。南畝は     その加筆「大和絵師庄兵衛」を「鳥居庄兵衛清信」としたのある。これが『男色の染衣』の画工、鳥居彦兵衛を鳥居     庄兵衛清信と同人視する拠り所となったのであろう。もっとも柳亭種彦自身は鳥居彦兵衛画とするのみで、清信との     関係に対する言及はない。国文学研究資料館「日本古典籍総合目録」の統一書名は『男姿色の染衣』となっている〉
    『色の染衣』      (京都大学電子図書館・貴重資料画像)    ☆『好色破邪顕正』(こうしょくはじゃけんせい)    ◯『新群書類従』巻七・p157   〝好色破邪顕正 半紙本三冊 貞享四年〈1687〉印本    作者白眼居士。    好色本の世に行はるゝことを、よからざる事なりと難ぜし書なり、さて此白眼居士は東山の僧なり、西    鶴が門人団水が別号を白眼居士といひ、殊に同映代の人なれば、思ひ誤りつる事あり。『正月揃』とい    ふ書も、此僧白眼居士の作なるを、後に団水作と入木して彫あらためし本なり、是書房のさかしらなり。    〔補註〕松雲堂云、此『正月揃』旧年予が家より平瀬家へ納む、今同家の珍蔵なり、いとをかしき参考        の書なり〟    〈柳亭種彦は絵師に関して何も記していないが、国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は吉田半兵衛画とする〉    ☆『好色旅日記』(こうしょくたびにっき)    ◯『新群書類従』巻七・p157   〝好色族日記 絵入 五冊 貞享四年〈1687〉    好色なる男、京より江戸まで下だる物語なり、六郷の橋の事水(一字欠)吉久が事などあり〟    ☆『旅枕』(たびまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p158   〝旅枕 横本一冊 上方板    年号ある本未見、貞享五年〈1688〉印本『好色注能毒』に『旅まくら』といふ名見えたれば、貞享の    印本なることは論なし、末に歌舞伎若衆の(一字欠)画あり、又春(一字欠)ならざるもあり、惜い哉    例の書肆が、古板と見ゆることを厭ひて、歌舞伎役者の名を書きたり、されど紋所にて考ふれば、上村    吉弥、竹中吉三郎、立役にては坂田藤十郎等が姿絵なり〟    〈この「旅枕」は「日本古典籍総合目録」でいうところの好色軒在原の業平作『好色旅枕』に相当するか〉    ☆『好色しなの梅』(こうしょくしなのうめ)    ◯『新群書類従』巻七・p158   〝好色しなの梅    全本未見、元禄の目録に四冊あり、中に外題を書かず、二の巻吉三◯、三の巻ちかとなりなど、直ぐに    目録を書き、枠のなき本にて絵入なり、拙作にて面白からず、是も上に見ゆる『注能毒』に見えたれば、    貞享の印本なり〟    〈『注能毒』とは貞享五年(1688)刊の『好色注能毒』〉    ☆『好色訓蒙図彙』(こうしょくきんもうずい)    ◯『新群書類従』巻七・p158   〝好色訓蒙図彙 絵入 小本三冊 貞享二年〈1685〉と序にあり。    吉田半兵衛画作なり、遊女、手かけ、娘などゝ、其姿絵を書き、ことわけを書きたるものなり。    此書元禄以前のものなり、さるは元禄九年〈1696〉の印本『小柴垣』といへる書に「これほどがてん    のゆかぬことぞとしあんしてみれば夫よ好色きんもうづゐと外題して(一字欠)門の品々書たる本あり、    これにてなぞがとけた」と見えたり、『小柴垣』に此書を引たるを見るに、此書は元禄以前、寛文頃の    刊本と知るゝなり。    〔補注〕葩雪曰、序に洛下の野人作書、無色軒三白居士自序とあり。又末尾に、貞享三年丙寅後弥生吉     日 花洛銅駄坊 三右衛門 高辻 昆陽軒板とあり。此書後ちに再板せしなるべし〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は貞享三年の刊行とする〉    ☆『好色貝合』(こうしょくかいあわせ)    ◯『新群書類従』巻七・p158     〝好色貝合 絵入 小本 貞享四年〈1687〉秋九月 書林【清兵衛/三右衛門】開板     全本を見ざれば冊数は知らざれども、元禄の『書目録』に二冊とあり、是『訓蒙図彙』の後編なり、先    に同じく半兵衛が画作にて、前編に漏れたるものを集む〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によれば「好色訓蒙図彙後編」の角書がある由である〉    ☆『男色十寸鏡』(なんしょくますかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p158   〝男色十寸鏡 絵入 小本二冊    序に貞享四年〈1687〉七月吉日 洛陽野人夢軒好善居士    上の巻兄分勧学の巻、下の巻若衆勧学の巻、身のたしなみの事、伊達心得の事なんど見ゆ、若衆への教    も書たり、次に載せたる『注能毒』に『好色増鏡』と見えたるは此書歟。    因に云、俳書にて『十寸鏡』といふ物あり、之は稲田九郎兵衛の家士田中伊太夫久次が独吟にて、末に    九郎兵衛句をも載せたり、慶安五年の印本二冊あり〟    ☆『諸国色里案内』(しょこくいろざとあんない)    ◯『新群書類従』巻七・p159   〝諸国色里案内 並因縁あげやしうくらい附 小本二冊 序に空也軒一夢とあり。    按るに、是匿し名にて吉田半兵衛が作歟、京郡の板なれば島原の事は甚だ委し、吉原の事は委しからず、    誤りもつとも多し、諸国の事猶更いぶかし、元禄『書目録』に三冊とあり、下巻に諸国の色里の図を載    せたるが闕けたるなるべしと思ふ事名面に見えたり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は貞享五年(1688)刊とする〉    ☆『好色四季ばなし』(こうしょくしきばなし)    ◯『新群書類従』巻七・p159   〝好色四季ばなし 四冊 年号なし    外題がへ『好色堪忍記』 元禄十一年〈1698〉    又改めて『花鳥風月』  正徳三年〈1713〉    目録は別に彫り改めたり、此の如く三度外題を改めたり。一の巻は春の事、二は夏、三は秋、四は冬の    事を書きたり、『四季ばなし』は元禄五年〈1692〉の『書目録』に見え、外題を直せしが元禄十一年    なれば、貞享の印本なること論なし、作振りなか/\面白き書にて、後年八文字屋自笑が作にて、世に    行はれし『栄花男まめしち』といふは、此書より出でたるものなるべし。    さて此書二の巻三丁目の板を失ひしゆゑ、一の巻の三丁目を二枚摺りて、二の巻へもそれを入れたるも    のにて、二の巻の三丁目は欠けたり、三本あるを見るに皆同じ、やうやく近年古く摺りたるを見たり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は貞享・元禄の頃の刊行とする〉    ☆『好色年八卦』(こうしょくとしはっけ)    ◯『新群書類従』巻七・p159   〝好色年八卦 絵入 半紙本    外題替『傾城三島暦』『傾城文反故』    是も三度外題を改めたり、原摺りの本は四冊なり、丁数の少なき書ゆゑ又合本一冊になしたるものなり、    年号のある本は見ざれども、元禄の『書目録』にあれば、貞享の印本なるべし、西鶴作の『文反故』と    は別本なり。    蜀山人曰、予蔵書の『年八卦』は、これとは別本なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は貞享四年(1687)の刊行とする〉    ☆『好色盛衰記』(こうしょくせいすいき)    ◯『新群書類従』巻七・p159   〝好色盛衰記 絵入 半紙本五冊 貞享五年〈1688〉    外題替『西鶴栄花ばなし』    西鶴が作振りに似て面白き本なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は西鶴作とする〉    ☆『傾城百人一首』(けいせいひゃくにんいっしゅ)    ◯『新群書類従』巻七・p160   〝傾城百人一首 絵入 横本    三の巻と四の巻とを見たり、五冊か六冊なるべし、三ヶ津の遊女を集めて、今の世の道化百人一首の如    きのもぢり歌を、団扇形のうちに書き、其間々へ八文字屋調の読を書入れたるものなり、画風を以て考    ふるに、貞享歟元禄頃の上方板なるべし、吉原の遊女の歌を二つ三つ左に書載せて置きつ、     格子 女郎のこゝろもしらず(以下欠)        身はすもどりの蚊にくはれけり           江戸亀甲屋与左衞門内  あきしの     格子 恋すてふわが名はまぶたにたちにけり        人しれずこそおもひそめしか        江戸山口七郎左衞門内  春日野     格子 はゝきゞのあとさへなくば女郎の        かゞみを見てもうらみざらまじ           江戸三浦屋四郎左衞門内 ちとせ     此外三浦屋四郎左衞門内格子しらさき、巴屋三郎左衞門内格子いこく、三浦屋四郎左衞門内格子梅がえ、    巴屋三郎左衞門内格子ちさと、同格子なつ山、長崎屋平左衞門内格子はつせ、扇屋三左衞門内格子さか    たなんどいう名見えたり、高尾、薄雲等太夫の部は一二の巻にあるなるべし。    〔補注〕葩雪曰、此書六巻にて、元禄十六年〈1703〉出板なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄十六年の序とする〉    ☆『好色注能毒』(こうしょくちゅうのうどく)    ◯『新群書類従』巻七・p160   〝好色注能毒 絵入 小本三冊 貞享五年〈1688〉印本    序文に『好色増かゞみ』『しなの梅』『青梅』といふ冊子、近頃出でたる事見えたり、また文章のうち    に『京くれなゐ』といふ一冊子、おつつけ出板いたし候とあり。    〔補注〕『好色京くれなゐ』四冊其後出板せり。    作弥といふ歌舞伎若衆、女の姿となりて、ある家の娘に忍び逢ふ事、おさく物語と名づけたる一段あり、    拙作といふ程にもあらねど面白からず〟    〈〔補注〕の『好色京くれなゐ』、国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は吉田半兵衛画・元禄二年刊とする〉    ☆『恋の中宿』(こいのなかやど)    ◯『新群書類従』巻七・p160   〝前にあり    恋の中宿 絵入 半紙本三冊を四冊に綴分たり    うちには『身継の人和気』また『実情五人和気』など書えあり、男色、女色の話三つあり、作者一慰軒、    江戸板なり、さまで面白からず、年号はなし、貞享か又の元禄の初めの印本なるべし〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄年間の刊行とする〉    ☆『色三番』(しきさんば)    ◯『新群書類従』巻七・p161   〝色三番【好色太平記/好色太夫教】横本一冊    元禄十一戊寅年〈1698〉月日出度月日 慕暮堂羅堂    初めに(一字欠)根と(一字欠)門の合戦あり、故に一名を『太平記』といふ歟、末は好色のおとし話    なり、何者の作か知らず、三つ四つは面白き話あり。    『男色高名記』『衆道用文章』あとより出し申候といふことあり〟    ☆『好色錦木』(こうしょくにしきぎ)    ◯『新群書類従』巻七・p161   〝【絵入】好色錦木 半紙本五冊 元禄五年〈1692〉    京板なるべし。標題に并に(「本ノママ」の添え書き)狂言づくしとあり。    予此本は、或る家にて外題のみを写し置き、其後借らんとしたりしが、失ひたりとて貸さず、了意『錦    木』とは別本〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は統一書名を『好色にしき木/浮世狂言尽)』とする〉    ☆『好色わすれ花』(こうしょくわすればな)    ◯『新群書類従』巻七・p161   〝好色わすれ花 五冊 如酔作    巻尾に、元禄九戊子年〈1696〉六月吉旦        京下立売大宮西へ入町 和泉屋八左衞門        尾州両替町本町角   木村六右衛門    按『阿念仏』『品定』等の作者如水とは別人なるべし。是等の作より拙作なり。    作中作、一段ぎりの話なり、一の巻に、おやよ姫と花村伊之助といふ者、互に思ひ染めしが、其恋かな    はず、両人とも髪を剃り落し、老て身延山にてめぐり逢ひし事を記したり〟    ☆『好色伊勢物語』(こうしょくいせものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p161   〝好色伊勢物語 四冊 絵入本【半紙形より大きし】    『吉原伊勢物語』とは別本。    当世好色の事を『伊勢物語』にならひて編し、流言の語釈注解ありて、なか/\可笑しき作振なり、貞    享三年〈〉1686の印本『三代男』を引たれば、元禄初めの印行なるべし。    後年外題替『いくのゝさうし』〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は酒楽軒作・貞享三年(1686)刊とする〉    ☆『好色とし男』(こうしょくとしおとこ)    ◯『新群書類従』巻七・p161   〝好色年男 絵入 半紙形    残本を見たり、四冊か五冊なるべし。    巻中に、元緑七戊の年〈1694〉やうやくにくれ云々、又当年も五月が二つあつて云々、是にて時代は    能く知るゝなり。    全部の旨趣は何某といふ男、五條の天神の夢想をかふむり、俄に若く美形になりて、お染といふ女の姿    にやつし、ほしいまゝに媱楽する事を書たり、拙作といふにもあらねど面白からず〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄八年(1695)刊とする〉    ☆『好色井戸車』(こうしょくいどぐるま)    ◯『新群書類従』巻七・p162   〝好色井戸車 絵入 半紙本五冊    作者不知。     元禄十二卯ノ弥生 御幸町通三條上ル 二丁目                        小松勘兵衛                        松田太郎兵衛版    大和国長束永庵一子小八郎といふ美少年、学問の為め京に出で来り、島原へ通ひ、好色者となりし彼が    噂、末まで同じ話なり。    一の巻に、露の五郎兵衛露休が辻ばなしの図あり、拙作といふ程にはあらざれど、閏房の事をあらはに    書て、さまでに面白き冊子にもあらず。    外題替『新娵かゞみ』末に諸国遊女の直段、寿形(一字欠)悦道具図等を増したしたり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は『好色いとぐるま』とする〉    ☆『好色後家はなし』(こうしょくごけばなし)    ◯『新群書類従』巻七・p162   〝好色後家ばなし 絵入 半紙本五冊    元緑今(*ママ)年正月吉日とあり。    元緑五年〈1692〉の『書目録』に見えたれば、元禄初めの印本なるべし、さて此書訝しきことあり、    五の巻はじめに『好色かる口ばなし』とあり、別本の板を取合せし物かと思へば、柱も「後家ばなし」    とありて同本なり、同本かと思へば、五巻の一冊は好色かる口ばなしにて後家の事見えず。    按に、五の巻の板を失ひ、別本を是についで、柱のみ入木して彫入れしものにやあらむ、拙作にて面白    からず〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄年間の刊行とする〉    ☆『好色床談義』(こうしょくとこだんぎ)    ◯『新群書類従』巻七・p162   〝好色床談義 図入 半紙本 六冊 元禄二年〈1689〉    序に『好色重宝記』『好色旅枕』この『床談義』を合せて、三部の書といふとあり、これもさまで面白    からず〟    〈作者は山八(ヤマモヤツ)(好色軒在原の業平・山本八左衛門)〉    ☆『花の染分』(はなのそめわけ)    ◯『新群書類従』巻七・p162   〝花の染分 絵入 半紙本五冊 元禄五年〈1692〉    『染衣』とは別本。    京三條両替屋善兵衛が一子花之助といふもの、男色より女色に移も物語にて拙作なり、画風を以て考ふ    るに江戸板なるべし、序文に琴の名書あり、是は序文を書きたる人にて全部の作者にあらず、此書中に    俳諧師吟山といふ名見えたり、仝部の作者歟尚考ふべし。    〔補註〕此序は松月堂不角なるべし〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は立羽不角作とする〉    ☆『京大坂茶屋雀』(きょうおおさかちゃやすずめ)    ◯『新群書類従』巻七・p163   〝京大坂茶屋雀 横本一冊    『諸分重宝記』    【いろほんや三助/もつこうやらん】二人の編。    元禄六年〈1693〉二月吉日開板。    京大坂の色茶屋の事を書ける者なり、色茶屋の図、また座敷、勝手にてつかふ諸道具の図などあり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、統一書名『茶屋諸分調方記』・元禄四年(1691)刊とする。種彦本は     元禄六年の再刊本〉    ☆『男色子鑑』(なんしょくこかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p163   〝【当流風体】男色千(ママ)鑑 五冊 元禄六年〈1693〉    外題替『和国小性気質』  六冊 延享三年〈1746〉    作振りは中々面白き書なり、さて原板は五冊なるを、後に一の巻を一冊添え六冊となし、歌舞伎役者の    類ひ、はや人々の眼をつきて、古板なりと知るゝ故に、ところ/\入木し彫改め、絵も今様にかき改め、    『和国小性気質』と名づけし、本には延享の年号ある〟    〈底本に『男色千鑑』とあるが、国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」にしたがい『男色子鑑』とした。改題本     『和国小性気質』も「日本古典籍総合目録」は『和国小性形気』とする。作者は九思軒鱗長の由〉    ☆『好色産毛』(こうしょくうぶげ)    ◯『新群書類従』巻七・p163   〝好色産毛 絵入 半紙本五冊    作者雲風子林鴻。    林鴻は京都の俳諧師にて、『京羽二重』『永代記反答』『あらむつかし』(以上三種俳書)等の作者なり、    『花見車』に、林鴻子書画を能くせし事を引きたれば、これ自画自筆なるべし、西鶴には遙かに劣ると    いへど、名もなき作者にくらべて勝れりと云ふべし、梓彫の年号は見えざれど元禄初めの印本なるべし〟    ☆『好色万金丹』(こうしょくまんきんたん)    ◯『新群書類従』巻七・p163   〝好色万金丹 絵入 半紙本五冊    元緑七年戊〈1694〉三月六日と序にあり。    中の上作にて、素人の作る物とも見えず、林鴻等の作歟〟    〈作者は夜食時分とされている〉    ☆『好色夢之助』(こうしょくゆめのすけ)     ◯『新群書類従』巻七・p163   〝好色夢之助 絵入 中本 紙数二十枚程あるを綴分けて上下とす 鱗形屋板夢之助といふ者、花より姫    を恋ひわび、末に夫婦となる物語なり。画風菱川に似たり、江戸作なるべし、己が見たる本は、年号を    削りたる跡のみあり、元禄年間の印本と思はる、作は今少し古かるべし〟    ☆『好色仕合揃』(こうしょくしあわせぞろえ)     ◯『新群書類従』巻七・p163   〝好色仕合揃 絵入 半紙本五冊    作者、年号ともに無し、坂田藤十郎、山下半左衛門、水木、荻野の名あれば、元禄の印本ならん、拙作    にて面白からず〟    ☆『姥揃』(うばぞろえ)    ◯『新群書類従』巻七・p163        〝姥揃 絵入五冊 序に東都愚民遊色軒とあり。    一人は傾城には真実なき者ゆゑ、廓へ立寄るまじといひ、一人は傾城にも誠あるものなりといふ両人の    問答なり。    菱川の絵を入れたる本あり。又た絵は摺る時除きて、筆耕を継合せたる本あり、原摺の年号ある本は、    序に嵐三右衛門、伊藤小太夫の噂あり、又巻中に沢田おきち、菱川等の名あれば、元禄年問の作なるこ    と疑ひなし、後に享保寅の春と入木したる本あり、また此冊子も何とやらん、外題を替へしと、蜀山の    『さゝちまき』にありしが、今抄録を失ひたり〟    〈『瑣々千巻』は、文化八年(1811)、大田南畝が慶長以降の稗史(小説)野乗(民間史書)等の古書に関する書誌や考     証を書き記したもの。(『大田南畝全集』第十巻所収)だが、そこにはこの『姥揃』に関する記事が見えない。天保     十四年十月、斎藤月岑はこの『瑣々千巻』に「右一の巻ばかりにして末の巻なし」と注記しているから、その時点で     すでに二の巻の方は散逸していたのであろう。おそらく二の巻に収録されていた『姥揃』の記事を、種彦は見たので     ある。なお「日本古典籍総合目録」に『姥揃』はない。ただ遊色軒作として『諸わけ姥桜』(元禄五年(1692)刊)と     いう書名が見え、その改題本に『傾城千尋之底』(寛延二年(1749)刊)があるとするのだが、この『姥揃』との関連     は判然としない〉    ☆『風流鎌倉土産』(ふうりゅうかまくらみやげ)    ◯『新群書類従』巻七・p164   〝風流鎌倉土産 五冊 元禄七年〈1694〉印本    木目長作。    江戸板にて書振り面白からず〟    ☆『香のかほり』(かがかおり)    ◯『新群書類従』巻七・p164   〝香のかほり 半紙形 三冊 元禄八年 作者九思軒 画菱川なるべし。    紅梅之助といふ者、白菊といふ娘に馴染むる事を、和文やうに書きたり、考べきこと多くは見えず。柱    に(白)といふ字あり。按に例の外題直しにて、『白菊物がたり』といひたる歟〟    ☆『好色法のともづな』(こうしょくのりのともづな)    ◯『新群書類従』巻七・p164   〝好色法のともづな 元禄二年印本    作者磯貝捨君 画者菱川師宣    五冊なるべし、絵本のみを見る〟    〈「磯貝捨君」は「捨若」の誤記か〉    ☆『好色小柴垣』(こうしょくこしばがき)    ◯『新群書類従』巻七・p164   〝好色小柴垣    作者花洛酔狂庵、是匿し名なるべし。巻尾に、元禄九年〈1696〉丙子孟春日とあり。    拙作といふにはあらねど、さまで面白き書にもあらず〟    ☆『御前独狂言』(ごぜんひとりきょうげん)    ◯『新群書類従』巻七・p164   〝御前独狂言    残本を見たれば巻数不如、画の趣を以て考ふるに、元禄中ばの印本なるべし。    是は女郎と客と取替はす文なり、其文のうちにさま/\の物語あり、中に音羽といふ天神の女郎、実の    親を親と知らず、客に取りて馴染を重ね、其事を知つて白害せし咄しなどあり。巻中に扇流しといふ事    見えたり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、作者西鴬・宝永二年(1705)刊とする〉    ☆『好色さんげ咄』(こうしょくさんげばなし)    ◯『新群書類従』巻七・p164   〝好色ざんげ噛し 絵入 半紙本五冊 元禄九年〈1696〉    江戸板。    拙作にて面白からず、一段宛きれ/\の話なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は統一書名を『好色さんげ咄(こうしょくさんげばなし)』とする〉    ☆『好色飛鳥川』(こうしょくあすかがわ)    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝好色飛鳥川 絵入 半紙本四冊 元禄十一年〈1698〉印本    作者は京帥の者なるべし。    中作なり〟    ☆『八助飛鳥川』( はちすけあすかがわ)    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝八助飛烏川    未見ども好色本なるよしは、『弁疑書目録』及び元禄五の『書日』に見えたり、『弁疑』には一冊物、    『日録』には二冊とあり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、古山師重画・元禄年間の刊行とする〉    ☆『好色江戸紫』(こうしょくえどむらさき)    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝好色江戸紫 半紙本五冊 作者石川氏 中に画人古山師重の名あり。    〔補註〕葩雪曰、巻尾に、貞享三年〈1686〉八月吉日とあり〟    〈作者「石川氏」は石川流宣〉    ☆『好色俗むらさき』(こうしょくぞくむらさき )    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝俗むらさき 絵入 半紙本五冊 元禄十一年〈1698〉印本 画師画俳軒流宣    流宣が画作なるべし、流宣は江戸の人なり。    さて此冊子は、元禄四年〈1691〉正月十三日芝白金の敵討なり、是より先き『江戸紫』といふ冊子出    板せし旨、跋にも見えたれば、俗は続の仮字歟、また文章の俗なりといふこと歟〟    ☆『新色五巻書』(しんしょくごかんしょ)    ◯『新群書類従』巻七・p165   〝新色五巻書     序に元緑十一寅〈1698〉葉月、難波堂書生蘆倣(一字欠)与志編とあり。    按、西沢一風の事歟。    此冊子一冊ぎりに終る、話五つありて五巻なり、是皆当時の街説と覚しく、中々可笑しき書振にて、三    の巻は世に知る三勝半七の物語なり、閏房のことをあらはに書ける所あり。     巻尾 元禄十一戊寅歳清月吉日        大坂本町二丁目 万屋仁兵衛板行〟    ☆『色道小鏡』(しきどうこかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p166   〝色道小鑑(ママ) 半紙本五冊 元緑十二年〈1699〉    京都の板なり。    名にも似ずかたくろしき書なり、面白からず、序に放気堂無現の名あり、是は序文をのみ書きたる人に    て、全都の作者の名なし〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は「色道大鏡巻五の単行本」とある。書名は「日本古典籍総合目録」の     統一書名にしたがった〉    ☆『好色文伝授』(こうしょくふみでんじゅ)    ◯『新群書類従』巻七・p166   〝好色文伝授 半祇本五冊 元禄十二年〈1699〉    作者洛陽由之軒政房、末に載せたる『誰が袖の海』と同作なり。    此書も後に『文の評判』と外題改めし本なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によると、初板は元禄元年。種彦所蔵本は再刊本〉    ☆『御前義経記』(ごぜんぎけいき)    ◯『新群書類従』巻七・p166   〝御前義経記 絵入 八冊 元禄十二年〈1699〉    又た宝永の年号を入米したる本あり。    西沢与志作とあり、西沢一風軒歟、『義経記』を浮世の事にとりなして編める書なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、元禄一二年成立、同一三年刊行とする〉    ☆『風流女丹前記』(ふうりゅうおんなたんぜんき)    ◯『新群書類従』巻七・p166   〝風流女丹前記    『御前義経記』の後編なり、作者同人、欠本五冊を見たれぱ、巻数また年号不知、是も八冊歟〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は『御前義経記』の後編を『女大名丹前能』とする〉    ☆『五ヶ津余情男』(ごかのつよせいおとこ)    ◯『新群書類従』巻七・p166   〝五ヶ農津余情男 絵入 五冊 元禄十五年〈1702〉    作者秋花堂久澄。    一の巻は京の事、二は大阪、三は江戸、四は堺、五の巻は長崎なり、故に五ヶの津と名附けたるなり、    此書は多く好色に関はらぬ話なり、されども余惰男と標題に呼ぶ故に、好色本の内に加ふ、巻中に嵐三    右衛門の死したる事あり、初代は元禄三年十月八日死す、法号源誉嵐寿照といふ、元禄十三年役者評判    記『談合衝』に見えたれば、元緑三四年の作なるべし。    再按に、二代目三右衛門も、親に押続いて、元禄十四年十二月死と『玉のしり』と云ふに見えたり、此    『余情男』にいふは、二代目三右衛門なるべし〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄十五年刊、作者を都の花風とする〉    ☆『清少納言犬枕』(せいしょうなごんいぬまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p166   〝清少納言犬枕 三冊    一名『ふでかくし』     巻尾 元緑十五年壬午〈1702〉正日吉辰 武陽書林弔野屋吉兵衛板    団扇形のうちに言ありて、女色の事を和文のやうに書きたる物にて、草子物ともいひ難く、好色本とも    見えず、面白からぬ書なり。    按ずるに、未だ見ざれども、『こく(「本ノママ」の添え書き)犬枕』といふ冊子あり、又た『吉原状枕』    といふもあり、それは吉原の目次に加えたり、『筆かくし』といふ草子に、書房のさかしらして此名を    負はせたる歟、寛永十一年〈1634〉の印本『尤の草紙』の序に「かの清少納言が枕のさうしをまねび    て書きたるものあり其名を犬まくらといへるなり」また元禄四年〈1691〉印本『俳諧瓜作』撰者琴風    の跋に「誰かいふ枕草子は此道の実なり、また犬まくらもをかし、犬の草子は彼枕の文字にひとかたを    残し」などある「犬まくら」は、この『筆かくし』の事にはあるべからず、慶長の作(「本ノママ」の添え    書き)小瀬甫庵は『童蒙先習』の一名を古くは『犬枕』といひたる歟、是も予がおしあての考へなり〟    ☆『都女品定』(みやこおんなしなさだめ)    ◯『新群書類従』巻七・p167   〝【絵入】都女品定 半紙本 蔵書二冊    或人曰、三冊なりと、中巻欠たるなるべし。     巻尾に、元禄十五年〈1702〉三月下旬 書林洛陽木村氏     筆を白川の流れにさらし如水軒坂騎角    標題にも知るゝ如く、富家の妻、娘より舞子、茶屋女、下女はしたに至るまでの品定めなり、されば小    袖の染色を始め、すべて女の風俗には考べき事多し、されども取立て珍らしきことは見えず。    〔補註〕作者如水軒坂騎角を、次の『河念仏』には坂駅角とせるは、素よりで伝写の誤りなるべきも、     孰れが正しき歟疑を存す〟    ☆『好色河念仏』(こうしょくかわねんぶつ)    ◯『新群書類従』巻七・p167   〝好色河念仏 絵入 半紙本    予が蔵せるは一二三四と四冊あり。    書振り面日く考べき事あり、初名は甚太郎、後ち夏夕といふ者の一代好色物語なり、また或人の蔵書に    二三五とあり、則ち五の巻終りとて、元禄十四年〈1701〉如水軒坂駅角白川に筆を揮ふとあり、一の    巻と四の巻を彼方へおくり、此方へ五の巻を借らんと望みしかど許さず、今は其人卒したり、前の『品    定』同作なり、天保の今年に五の巻を得て全本となる。    〔補注〕葩雪曰、此書の外題『阿念仏』とあり、二三の異本を対比するに皆然り、されど『杏花園書目』     は之をかの部に収め、『河念仏』と記しあり、草体の為めに河を阿と誤りしまゝに伝へられしならむ     歟、また前項に記せし如く、作者如水軒坂駅角と坂騎角の誤りも、未見の書なれば今正すによしなし、     原本に接せば是等一目明瞭すべし〟    ☆『好色酒呑童子』(こうしょくしゅてんどうじ)    ◯『新群書類従』巻七・p168   〝好色酒呑童子 絵入 半紙本五冊    江戸みすや又右衛門板。    作者江戸の俳諧師にて、伊勢の産にはあらずやと思はるゝことある、拙作なり、考べき事なし、好色な    る者を酒呑童子になぞらへて作りし冊子なり、或人曰、元禄十年〈1697〉序に桃林堂印のうちに蝶磨    とあり。『好色栄花女』酒呑童子の外題替なりと云ふ〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、桃林堂蝶麿作・元禄八年(1695)成立とある〉    ☆『好色艶虚無僧』(こうしょくつやこもそう)    ◯『新群書類従』巻七・p168   〝好色艶虚無僧    一の巻のみを見る、五冊なるべし、作者桃の林、印に蝶麿とあり、前の『酒呑童子』と同作、おいくと    曰ふ貌美き娘と、大原伊織といふ若男の物語、さまで面白き冊子にあらず〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は元禄九年(1696)刊とする〉    ☆『好色れんりの松』(こうしょくれんりのまつ)    ◯『新群書類従』巻七・p168   〝連理松 絵入    全本未見、作者桃隣堂とあり。『むつちどり』を著したる桃隣とは別人なり。    書振り前の冊子に似たり、隣は林の仮宇同人なるべし。    江戸若松町今川政之助といふ者、正月七日巳の日なれば、池の端弁天へ参詣する事、此さうしの起りな    り、正月七日巳の日に当るは元禄五年〈1692〉また八年なり、其頃の作なるべし、是も面白き冊子に    はあらず〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、桃琳堂蝶麿作・元禄五年(1692)刊とする〉    ☆『好色日本鹿子』(こうしょくにっぽんかのこ)    ◯『新群書類従』巻七・p168   〝好色日本鹿子 絵入 半紙本    闕本にて巻数、年号、作者知れず、是も『阿念仏』と同じ頃の印本歟、うちに『好色扶桑鹿子』三の巻    七十五匁地蔵一体、大ヤ女は坊主をいやがる道理とぞ、すぐに引道うちしきにひぢりめんの二布施主は    是後家なり、此様なる目次あれど、作は中作なり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、統一書名『好色扶桑鹿子』・無友軒独笑作・元禄四年(1691)刊とす     る〉    ☆『好色大振袖』(こうしょくおおふりそで)    ◯『新群書類従』巻七・p168   〝好色大振袖 絵入 半紙本五冊    序なし。目禄に、元緑十六年未〈1703〉正月十六日 洛下好色軒円水作    もとより匿し名にて、円水の字を似せたるなるべし、さて作振りさまでで面白からねど、功のいりしも    の書きたりと覚し、すら/\として上作なり、一段/\ときれ/\の話なり、    また落し咄めきたる所も多し、江戸吉原の事もあれども、京都の人の作なるべし、閏房の事をうちかす    めて書きたり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は本作品を『好色大神楽』(貞享五年(1688)刊)の改題本とする〉    ☆『好色智恵袋』(こうしょくちえぶくろ)    ◯『新群書類従』巻七・p169   〝好色智恵袋 絵入 五冊 元緑十五年〈1702〉印本    京 永田四郎兵衛/大野木市兵衛合板    序に新斎、印に花松軒とあり、是は序の作者、全文の作者の名なし、一の巻の段落に智恵袋と云ふこと    二所まで見えたれば、外題直しにあらず。此書江戸流宣筆作には勝れたれど面白からず、好色本の作に    暇なきなどいふ事あれど、さほど行はたる人とも思はれず、昔を考べき事もなく、五の巻の末に、好色    和尚たばこごだんぎと云ふことを載せたり〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、花松軒新斎作・元禄十五年刊とする〉    ☆『好色敗毒散』(こうしょくはいどくさん)    ◯『新群書類従』巻七・p169   〝好色敗毒散 絵入 半紙本五冊     序に元緑壬午九月。     巻尾に元線十六未年正月    作者の名なし。     書肆 浪華 浅草弥兵衛     華洛 中村治郎兵衛        金谷平左衛門    作振り中作なり、林鴻が『産毛』に似て夫よりは拙し、巻中にも元禄十四年号見えたり〟    〈作者は夜食時分〉    ☆『好色甘露丸』(こうしょくかんろがん)    ◯『新群書類従』巻七・p169   〝好色甘露九、絵入    全本未見、冊数不知。    橘仲之丞といふ者、北野の通夜なし、梅は女と化し、松は男と化し契をこむる事二の巻にあり、上方作    にて面白からず、元緑年間の印本なるべし〟    ☆『好色十二男』(こうしょくじゅうにおとこ)     ◯『新群書類従』巻七・p169   〝好色十二人男    残本三の巻を見る、好色男話二つあり、然れば合本は二冊歟、さまで面白からず、また捨つべきにもあ    らす〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」になし。ただ書名の似た『風流好色十二段』という浮世草子は載ってい     る、こちらは元禄十五年(1702)の刊行である〉    ☆『男色木目漬』(なんしょくきのめづけ)    ◯『新群書類従』巻七・p169   〝男色木目漬 五冊 元禄十六年〈1703〉    辰閑斎自然坊と序にあり。    書中今弘法といふ事あり、例の絵入本にて男色の話なり、さまで面白からず〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、統一書名『男色木芽漬』、作者は漆屋園斎自然坊とする〉    ☆『風流連三味線』(ふうりゅうつれじゃみせん)     ◯『新群書類従』巻七・p169   〝風流連三味線 絵入 五冊 元禄十七年〈1704〉    一名『数めがね』    作者風音堂    全く好色本にて、後年八文宇屋板にて、世に流行せし三味線ものとか唱へし読本の類に非ず〟    ☆『誰袖海』(たがそでのうみ)    ◯『新群書類従』巻七・p169   〝誰袖の海 絵入 六冊 元禄十七年〈1704〉    由之軒政房作。    上に見えたる『文伝授』と同作なり、此二種の外由之軒の作未見。    富家是八といふ好色者、江戸に下る物語にて、吉原の事などあり。    按に、作者由之軒、貞享五末元禄の初めの頃江戸へ下り、其時吉原の様を見て、さて京へ帰りて後に作    りしなるべしと思はるゝ証あり、友人に此書を持てる者二人あり、何れも闕本にて四の巻未だ見ず。    標題に、【由之】たが袖の海 附 初て見る未の正月    如此ありて好色の文字なし〟    ☆『夕かほ利生草』(ゆうがおりしょうぐさ)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝【好色】夕顔利生草 絵入 半紙本五冊 元禄十七年〈1704〉印本    夕顔観音の利生にて、父の仇を討ちし物語にて江戸作なり。夕顔観音の事、予随筆に委し、強て好色本    といふにはあらねど、標題に好色の宇あればここに加ふ〟    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、松の緑作・鳥居清信(一世)画とする〉    ☆『めざまし草たか笑』(めざましぐさたかわらい)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝めざまし草たか笑 絵入 小本一冊 寛文九年〈1632〉印本    好色の落し話なり、『書目録』にはなしの部に出だしたれど(一字欠)画なり〟    〈柳亭種彦未見本〉    ☆『恋の息うつし』(こいのいきうつし)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝恋の息うつし (一字欠)画 大本一冊 延宝五年〈1677〉    鱗がた屋板〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は菱川師宣画とする〉    ☆『哥仙枕』(かせんまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝歌仙枕 大本一冊    三十六番狂歌入(一字欠)画〟    〈柳亭種彦未見本〉国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は菱川師宣画とする〉    ☆『やまとの大寄』(やまとのおおよせ)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝大和のおほよせ 大本一冊 天和三年〈1683〉月日 江戸堺町物の本屋 柏屋与市板    春(一字欠)ならぬ好色の絵本、頭書に歌などあり、序跋ありて、文中に菱川画と見えたり〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は菱川師宣画とする〉    ☆『好色通変占』(こうしょくつうへんうらない)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝好色通変占 絵入 半紙本半切本 貞享五年〈1688〉    闕本下の巻のみ、『書目次』に三冊とあり、下巻は追加にて『好色合鑑』とあり、板本、     京     帳屋喜兵衛           藤屋藤四郎     江戸日本橋 伏見屋兵左衛門〟    〈柳亭種彦未見本〉    ☆『好色日用食鑑』(こうしょくにちようしょくかん)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝好色日用食鑑 絵入 半紙本五冊    天和、貞享頃の物歟〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」に『好色日用食性』五巻五冊・貞享年間刊とあるの     が相当するか〉    ☆『楽事秘伝抄』(らくじひでんしょう)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝楽事秘伝抄 絵入 小本    巻中に日用食性の事見えたれば、彼さうしの趾歟〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は明暦元年(1655)刊とする〉    ☆『好色百物語』(こうしょくひゃくものがたり)    ◯『新群書類従』巻七・p170   〝好色百物語 半紙本五冊 元禄十四年〈1701〉板    作者桜花軒〟    〈柳亭種彦未見本〉    ☆『好色今美人』(こうしょくいまびじん)    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝好色今美人 半紙本五冊    一の巻闕、京板。    伊藤小太夫、貞享中狂気して身まかりし事、追加に、好色和尚夢物がたり、莨茗ゐせいあらそひと云ふ    事あり〟    〈柳亭種彦未見本〉    ☆『花のさかづき』(はなのさかずき)    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝花の盃 大本一冊     菱川風の画〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、菱川師宣画・貞享四年(1687)とする〉    ☆『衆道絵鑑』(しゅうどうえかがみ)    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝衆道絵鑑 闕本上    男色の春(一字欠)詩発句〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は笠城修行者文弘の序ありとする〉    ☆『好色桐の小枕』(こうしょくきりのこまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝好色桐の小枕 五冊 元禄十五年〈1702〉    桃林作〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は、桃林堂蝶麿作・元禄十六年刊とする〉    ☆『賢女明野夢』(けんじょあけののゆめ)    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝賢女明野の夢 半紙形二冊 元禄十年〈1697〉    作者偸閑堂主虎翁沉(ママ)水と序にあり〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」は作者を「偸閑堂主虎翁泗水」とする〉    ☆『好色優天狗』(こうしょくやさてんぐ)    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝好色優天狗 半紙形五冊    江戸作、長谷川町近江屋九兵衛板。    序に桃の林紫石、印に蝶广ろ。    柳亭も近年見たり、更に興なき書振りなり〟    ☆ 標題知らず    ◯『新群書類従』巻七・p171   〝標題知らず 元禄八年〈1695〉印本    柱にむらくとあり、夢楽坊といふ者の事をつくる。作者、板元『やさ天狗』と同じ、面白からず〟    〈柳亭種彦未見本〉〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によると、     桃林堂蝶麿の元禄八年刊の作品は『好色赤烏帽子』、これが種彦の「標題しらず」に相当するのだろうか〉          ☆『さゝげ絵枕』(ささげえまくら)    ◯『新群書類従』巻七・p171      〝さゝげ絵枕 大形本一冊 延宝板    師宣画、春(一字欠なり〟