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さ行             

 ☆ さんきょう さくらい 桜井 山興
  
 ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
  (「天明の頃名家」として)
  〝画家 宋紫石、嵩谷、嵩渓、芙蓉、山興(桜氏)、秋山(桜井氏)〟
 
  〈『東京掃苔録』に〝桜井雪館、名館、字常翁、山興、雪志と号す。人物に巧なり。寛政二年二月二十一
   日歿。年七十六。春台院山誉常翁居士〟とあり〉 
 
 ☆ しげなが にしむら 西村 重長
 
 ◯「享保年間記事」1p139(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)
  〝浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川
   吟雪房信等行はる〟
 ◯「宝暦年間記事」1p172(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝宝暦中、西村重長が絵本「江戸みやげ図」中、両国凉の図に水茶屋葭簀(ヨシズのルビ)の屋根なし。見世毎    に行燈を置きて、御凉所(オスズミドコロ)と記せり。吉原五十軒編笠茶屋に編笠釣るしてあり。歩行の女子、    帽子をかむる。浅草二十軒茶屋のあんどう(扇子の図)屋(ジガミヤ)(桔梗紋の図)屋などとあり〟
   ☆ しげのぶ やながわ 柳川 重信 初代    ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸。     筠庭云ふ(中略)重信は至つて後輩なり〟
 ◯「天保三年」2p85(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝十一月二十八日、浮世絵師柳川重信卒す(四十六歳)。     筠庭云ふ、柳川重信は志賀理斎の子なり。師なくして画をよくせり。北斎の風なりしが、本所一ッ目     弁天の前なる髪結床の障子に、午の時参りする女を野ぶせりの乞食等が犯さんとする図を書きて、い     と能く出来たり。北渓これを見て、画は社中の風なるが、かばかり書かんものを覚へずとて、其所に     て問ひしとぞ。夫より相知りて、北渓これを引きて北斎が弟子とす。其の後北斎これを養子とせしが、     如何したりけん、義絶におよべり。夫より重信頻りに板下を書きしを、北斎これを板下に禁じて、互     いに意趣を含みけるを、柳亭種彦双方をなだめて事和らげり。柳川といへるは柳亭の字をとるなり。     この時より柳川と号したり。八犬伝も初めはこれが筆にてよし(無声云ふ、志賀理斎が子は重山とい     ひ、後二代目重信となりしなり)〟
     ☆ しげのぶ やながわ 柳川 重信 二代 (柳川重山参照)    ◯「天保三年」2p85(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (十一月二十八日、柳川重信逝去の記事中)   〝無声云ふ、志賀理斎が子は重山といひ、後二代目重信となりしなり〟     〈「無声」とは『増訂武江年表』の編者・朝倉無声〉      ☆ しげまさ きたお 北尾 重政    ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟
 ◯「文政二年」2p62(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)    〝二月十一日、画工北尾重政卒す(八十一歳、紅翠斎花藍と号す。根岸に住せり。浮世絵中の高手なり。    筠庭云ふ、紅翠斎は手跡はよくて、江戸暦の板下はこの人也。また住吉町髪の油屋松本の出し看板も    其の書也。画は門人も能手多し)〟
   ☆ しせき そう 宋 紫石    ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「天明の頃名家」として)   〝画家 宋紫石、嵩谷、嵩渓、芙蓉、山興(桜氏)、秋山(桜井氏)〟    ☆ じへい すぎむら 杉村 治兵衛    ◯「元禄年間記事」1p105(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 橘町菱川吉兵衛、同吉左衛門、古山太郎兵衛、石川伊左衛門、杉村治兵衛、石川流宣、鳥井    (ママ)清信、菱川作之条〟    ☆ しゃらく とうしゅうさい 東洲斎 写楽    ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟    ☆ しゅうざん 秋山      ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「天明の頃名家」として)   〝画家 宋紫石、嵩谷、嵩渓、芙蓉、山興(桜氏)、秋山(桜井氏)〟    〈『諸家人名 江戸方角分』の「八町掘」の項、相印「画家」〝女史 秋山 <他号なし>。カヤバ〔茅場〕町   桜山娘〟とある人と同人か〉    ☆ じゅうざん やながわ 柳川 重山 (柳川重信二代参照)    ◯「天保三年」2p85(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (十一月二十八日、柳川重信逝去の記事中)   〝無声云ふ、志賀理斎が子は重山といひ、後二代目重信となりしなり〟     〈「無声」とは『増訂武江年表』の編者・朝倉無声〉      ☆ しゅんえい かつかわ 勝川 春英    ◯「寛政七年」2p11(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝正月九日、谷風梶之助終る。     筠庭云ふ、勝川春英よく谷風、小野川が肖像を書きたり。其の他も多かれども、わきて谷風が肖貌な     らでは、角力らしく思はれぬ程なりき。珍しい力士なりといふべし〟
 ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟
 ◯「文政二年」2p64(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝七月二十六日、浮世絵師勝川春英死す(五十八歳、号九徳斎。東本願寺中善照寺に葬す。牛島長命寺に    碑あり。六樹園の文也)。     筠庭云ふ、勝川春英は春章につゞきたる上手なり。操芝居看板はいつも春英が書きたり。見物ほめざ     るはなかりき。又其の頃三芝居茶屋より、暑中に得意に贈りものとする団扇の画、おかしき思ひ付を     筆かろく書けるは、他の画師及ぶものあるべからず。又三馬が作芝居の楽屋中の事を書けるもの、大     本にてあり、其の絵春英なり。太刀打ちたての処、人物裸に書きたる活動、いとよく書きなしたり〟
     〈「三馬が作芝居の楽屋中の事を書けるもの」とは『戯場訓蒙図彙』ことと思われる。初板は享和三年正    月の刊行。作画は八巻中、七巻を除いて勝川春英。七巻には市川五代目蝦蔵(白猿)以下四十七名の役    者似顔絵が色摺りで収録されているが、ここだけは歌川豊国が担当している。また、板下の筆者は栄松    斎長喜である。国立劇場・芸能調査室編〈歌舞伎の文献・3〉『戯場訓蒙図彙』参照〉      ☆ しゅんぎょうさい はやみ 速水 春暁斎    ◯「享和年間記事」2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝京大坂より画入り読本、新作あまた梓行して江戸へ下せり。(中略)画者は石田玉山、青陽斎蘆国、一    峯斎馬円、丹羽桃渓、合川珉和、松好斎半兵衛、歌川豊秀、速水春暁斎等其の外数多あり。春暁斎は画    人なれども、自ら著述のよみ本数十部あり〟    ☆ しゅんこう かつかわ 勝川 春好    ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟    ☆ しゅんしょう かつかわ 勝川 春章    ◯「寛政四年」2p9(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝十二月八日、浮世絵師勝川春章卒す(浅草西福寺に葬す。号旭朗井。俳優肖像を画く事上手なり。門人    春好、春英、春常、春山、春徳、春林、春潮、春玉、その余数多あり)〟    ☆ しゅんせん かつかわ 勝川 春扇    ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸。筠庭云ふ(中    略)春扇を出さば春徳を出すべし〟     ☆ しゅんちょう かつかわ 勝川 春潮    ◯「安永年間記事」1p206(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師鳥居清長(彩色摺鈴木春信の頃より次第に巧みに成しを、清長が工夫より殊に美麗に成たり)、    尚左堂、春潮、恋川春町(倉橋寿平)、歌川豊春(一竜斎)等行はる〟     ☆ しゅんてい かつかわ 勝川 春亭    ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸〟     ☆ しゅんどう らんとくさい 蘭徳斎 春童    ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟    ☆ しゅんとく かつかわ 勝川 春徳    ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸。筠庭云ふ(中    略)春扇を出さば春徳を出すべし〟     ☆ しゅんまん くぼ 窪 俊満    ◯「安永年間記事」1p206(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師鳥居清長(彩色摺鈴木春信の頃より次第に巧みに成しを、清長が工夫より殊に美麗に成たり)、    尚左堂、春潮、恋川春町(倉橋寿平)、歌川豊春(一竜斎)等行はる〟      ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝戯作者 通笑、喜三二、恋川春町(狂歌并びに浮世絵)、芝全交、万象亭(二代目風来山人)、唐来三    和、右六人を戯作者の六家撰といへり。其の外、可笑、七珍万宝、蔦の唐丸、観水堂丈阿、芝蘭、樹下    石上などあまた〟      〈「芝蘭」が窪俊満の戯作名・南陀伽紫蘭〉    ◯(寛政十一年二月十五日)2p49(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文化十一年」の記事)   〝三月朔日より、永代寺にて成田不動尊開帳。(奉納の幟、大挑灯、米俵、造り物等夥しく有り、此の時    より奉納目録に絵を加え、板行して売歩行(ウリアルクのルビ)事はじまる)。     筠庭云ふ 開帳奉納物の目録に画を加ふるは、ふるくもあるべし。そのかみ三囲稲荷開帳の時、尚左     堂俊満がうちは合はせ細工物に、柱かくしの如き板に付けたるものなりき。これ目録絵なり〟     〈この三囲稲荷開帳は『武江年表』によると寛政十一年二月十五日の開帳である。年表曰く〝奉納造り物    品々あり、日本橋白木屋より天鵞縅(ビロウドのルビ)にて張りたる牛、黒木売りの木偶(ニンギョウのルビ)を収    む。開帳の飾物に美をつくすの始なり〟〉       ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)    〝狂歌師 唐衣橘洲、尚左堂俊満(又浮世絵をよくす)、狂歌堂真顔、六樹園飯盛、蜀山人、芍薬亭長根〟     ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝浮世絵師 鳥文斎栄之、勝川春好、同春英(九徳斎)、東洲斎写楽、喜多川歌麿、北尾重政、同政演    (京伝)、同政美(蕙斎)、窪俊満(尚左堂と号す、狂歌師なり)葛飾北斎(狂歌の摺物読本等多く画    きて行はる)、歌舞伎堂艶鏡、栄松斎長喜、蘭徳斎春童、田中益信、古川三蝶、堤等琳、金長〟      ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝俊満は只職人をよくつかひて、誂への摺物を請取りて巧者に注文したるものなり。政演も画は自分には    其の志あるまでにて、書くことはならず。大方代筆をたのめり。俊満は左手にて手は達者にかきたり。    よきにはあらず〟    ☆ しんさい りゅうりゅうきょ 柳々居 辰斎    ◯「文化年間記事」2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)    〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸〟     ☆ しんろてい 振鷺亭    ◯「享和年間記事」2p26(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝筠庭云ふ、(当時江戸の戯作者、山東京伝・曲亭馬琴・式亭三馬・六樹園飯盛・小枝繁・感和亭鬼武、    十返舎一九作の批評記事中に)振鷺亭は清長が弟子にて画をかきたり。狂人にて趣向具せず〟    ☆ すうけい こう 高 嵩渓    ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「天明の頃名家」として)   〝画家 宋紫石、嵩谷、嵩渓、芙蓉、山興(桜氏)、秋山(桜井氏)〟     ◯「享和三年」2p24(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝七月、高嵩渓信宜、猩々舞の図を画く、浅草観音堂の外陣に掲ぐ〟    ☆ すうげつ こう 高 嵩月    ◯「天保元年」2p82(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝十一月二十日、画家高嵩月卒す(七十六歳、名常雄、晩年景納と号す。英一蝶の門人也。深川陽岳寺に    葬す)。     筠庭云ふ、榎坂秋語は阿州侯の魚物の用達なり。俳諧を好み旁ら茶器を鬻ぐ。それらがいへらく、嵩     月一蝶の筆を看定すること、大方は嵩谷抔(ナドのルビ)の目を通したるをも贋物とてうけずして云ふ、     一蝶といひて帰府の後書きたる、かく多かるべからずとなり。是れは自分の画くことの遅きに較べて     いふなり。名人の速筆なるを知らずといへり。度々蹴り付けられて呆れたるなるべし〟     ☆ すうこく こう 高 嵩谷    ◯「天明七年」1p219(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝五月、屠竜翁高嵩谷、浅草観音堂へ頼政猪早太鵺退治の図を画きたる額を納む(横二間、竪九尺もある    べし。此の額に付きて、色々の評判あり。甲冑其の外、故実を失ひたる由いふ人あれど、古画を潤色せ    る所にして、人物の活動、普通の画匠の及ぶ所にあらず〟      ◯「天明年間記事」1p221(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「天明の頃名家」として)   〝画家 宋紫石、嵩谷、嵩渓、芙蓉、山興(桜氏)、秋山(桜井氏)〟     ◯「寛政年間記事」2p18(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝画家 高嵩谷、谷文晁、董九如、長谷川雪嶺、鈴木芙蓉、森蘭斎〟     ◯「文化元年」2p30(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝八月二十三日、画人高嵩谷卒す(七十五歳。名一雄、号屠龍翁。浅草西福寺に葬す)〟    ☆ すうし さわき 佐脇 嵩之    ◯「安永元年」1p190(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝七月六日、画人佐脇嵩之卒す(六十六歳。名道賢、称甚臓。浅草誓願寺中称名院に葬す。初代英一蝶の    門人にして、始めは一水と云へり。嵩谷はこれが門也)〟       〈明和から安永への改元は十一月二十五日、従って七月六日ば明和九年にあたる〉        ☆ すうせつ さわき 佐脇 嵩雪    ◯「文化元年」2p31(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝十一月二十二日、画工佐脇嵩雪卒す(名貫多、号中岳堂。浅草誓願寺中称名院に葬す。女を英之と号し、    ともに画をよくす)〟    ☆ せきえん とりやま 鳥山 石燕    ◯「安永三年」1p191(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝画人鳥山石燕豊房、「鳥山彦」と云へる絵本二巻を著はす。フキボカシの彩色摺を工夫せしは此の本を    始めとする由、安間貞翁の話也(石燕は周信の門人なり。板刻の画本多し)〟      ☆ せっしん ふくおう 福王 雪岑    ◯「天明五年」1p215(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝三月十八日、福王雪岑卒す(御能役者、福王茂右衛門也。一号白鳳といふ。英家の画を学び、宝暦の頃    より能の図を画けるもの、巻物掛幅等数多なり。深川心行寺に葬す)〟    ☆ せったん はせがわ 長谷川 雪旦    ◯「文化年間記事」2p57(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝画 狩野伊川院法印、同晴川院法印、同素川彰信、抱一君、谷文晁、同文一、依田竹谷、英一珪、長谷    川雪旦、鈴木南嶺、大岡雲峯、春木南湖。     筠庭云ふ、竹谷などを出して雨潭を出さず。其の外も猶あり〟      ◯「天保十四年」2p100(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   〝正月二十八日、画人長谷川法橋雪旦卒す(六十六歳、名宗秀、厳岳斎、一陽庵等の号有り。浅草幸龍寺    に葬す)〟

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