Top             『新燕石十種』             浮世絵文献資料館
    新燕石十種              ら行                  ☆ りかさい 李下斎   ◯『歌舞伎十八番考』〔燕石〕④p161(石塚豊芥子著・嘉永元年成立)   (「暫【しばらく】」の項)   〝(二代目団十郎の鎌倉権五郎景政役)此事『耳底集』【李下斎差画】初め諸書に見えたり〟   〈「国書基本DB」は『耳底集』を梨下斎著とする。挿絵についての記載はない〉   ☆ りゅう お龍   ◯『花街漫録正誤』④188(喜多村筠庭著・成立年代未詳)   〝西条高尾之図【長二尺四寸、幅八寸九分】このお竜がうつしえゑは、時代少しおくれた、 寛文、天和の頃の西条高尾といふべし〟   (挿絵に「山崎氏女龍画」の署名。喜多村筠庭の「正誤」は着物の模様から高尾にあらずとする)    ☆ りゅうほ ののぐち 野々口 立圃    ◯『睡余操瓢』⑦附録「随筆雑記の写本叢書(七)」p6(斎藤月岑書留・明治三年頃)   〝足は我像なりとて愚息生白かきて見せたりおかしさのあまりに      かくとたにえやハ祝ひのいき見玉 立圃    図ハ菅原洞斎摹、    野々口立圃翁像其子鏡山所図也、亀沢竹垣氏得此物十襲不啻模刻以伝之同好、嗚呼松翁得竹垣氏而伝焉、    則茂矣苞矣宜相比近     文化両寅夏五      杏花園主人書〟    〈杏花園主人(大田南畝・蜀山人)の識語。立圃の息子、生白(鏡山)が画いた肖像画を竹垣柳塘が所蔵した。そして     柳塘は菅原洞斎の模写を刻して同好に配ったのであろう。松翁・茂ともに野々口立圃、苞は竹垣柳塘を指す。同気は     呼応すると、南畝はいうのである>     ☆ りょうたい たけべ 建部 凉帒(寒葉斎参照)    ◯『卯花園漫録』⑤255(石上宣続著・文化六年序)   〝凉帒、姓は建部、字孟喬、寒葉斎と号す、北国の人、京及江戸に住す、画名高く、初凉帒と書、其後凌    帒と称す。俳諧片歌をよくする所也。あや太理又綾足と称して、万葉集の古風を唱ふ。著述多し。嘗吸    露庵の号あり〟    ◯『睡余操瓢』⑦附録「随筆雑記の写本叢書(七)」p6(斎藤月岑書留・明治三年頃記)   〝南鍋町書画舗にて見たり    朝顔画并賛     蕣やみしかい夜から起ならひ   凉帒〟   〈『翟巣漫筆』に同じ記事あり。それには〝(文久元年)十月四日に南鍋町で見たという、涼袋(ママ)の画二軸が写されて    いる。一軸には句が記されている 蕣やみしかい夜から起ならひ〟とある。(『新燕石十種』第二巻、附録「随筆雑記    の写本叢書(一)」p7)〉    ☆ りんしょう すずき 鈴木 鄰松    ◯『寐ぬ夜のすさび』⑦250(片山賢著・文政十一年記事)   (「遊女七越」の項)   〝文政十一年、画かき鄰松がもとへ、よし原扇屋の遊女七越、画の弟子入をいひこして来りて、おしへ呉    よ、といひやりたるに、返事はなくて、歌一首して答へぬ、      七こしにどうたちうちがなりんしやうわしは隠居でたつた一こし    かく云こして行ざりしかば、たび/\人をやりて後、来りて教へしとぞ〟    ◯『雅俗随筆』⑥194(柳亭種秀(笠亭仙果)著・成立年未詳)   (「自子他子」の項「樽拾い」の図)   〝こは英一蝶の粉本を、明和の頃、 鄰公といふ人の集て刊行せる群蝶画英に載せたる画にて、雪中米つき    樽ひと題せるを抄模したるなり〟    〈英一蝶画『群蝶画英』は安永七年の刊〉    ☆ ろすい つるおか 鶴岡 蘆水    ◯『翟巣漫筆』⑤附録「随筆雑記の写本叢書(五)」p7(斎藤月岑書留・明治九年記)   〝翠松斎鶴岡露(ママ)水ハ、天明中隅田川両岸一覧の図二巻を画て、梓に行へり、東江源鱗の跋文あり、其    図麁略にして鈍筆にハ見ゆれと、工夫ハ面白く、はた絵巻を板にえりたるハ、其ためし少しと、覚ゆ、    この画巻出し時、いかがしてか、大川橋の上に鷹匠二人渡る所を画る、この橋は田沼侯の御指揮により    て出来たりし橋なれハ、貴賤絡繹として渉る所を画されハ、侯の機嫌如何あらんと、いふ人ありければ、    惣図に着色を施し(原板墨摺也)橋上多くの人物をかき加へて、侯の一覧に呈しけるとか、露水ハ長寿    にして、根岸に住し、文政八九年の頃も壮健にてありし由、小普請方大工棟梁依田弥八から絵の師にて    ありし由、同人の物語なりし、此絵巻板行すれと、今ハ行れす、書林にも少し〟