Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
蜀山人判取帳大田南畝関係
  底本:『蜀山人判取帳』補正〈翻刻〉濱田義一郎著        大妻女子大学文学部紀要 第2号 昭和45年3月15日   凡例 一 算用数字の番号は整理のためにつけたもので、原本には無い      二 番号の上の○印は複製本に掲載されず、今回はじめて公表されるものである        〈複製本とは昭和六年米山堂から刊行された稀書複製会本を言う〉      三 本文の中の(★……)は絵柄を示す      四 本文の仮名には濁点・半濁点を付した      五 本文のつぎの行〔……〕で囲んだのは赤良(蜀山人)が紙背に記した注である      六 〈……〉は翻刻者(浜田義一郎)の注である      七 狂歌人の所属グループは、天明三年刊の『狂歌知足振』『狂歌師細見』または同五年の『俳優風』に拠った      八 入集歌数は『万載狂歌集』『徳和歌後載集』『才蔵集』すなわち四方赤良中心の三集に限ることを方針とし、        やむを得ぬときだけ他の集にふれた         1 葎斎政演画 一名身がるの折輔 (★松と梅)     〈山東京伝。当時まだ絵師が本業なので、また、とくに巻頭だけに絵ばかり書いたのだろう。狂名身軽折輔。後万載      一、才蔵一〉     2 三教色抜書 四季繁花曰孔子名丘仇名通其先通人也 先生に夷歌御門人に成りし事を       師の縁を結んで口をとくわかにごまん才子の我も数かは 三教色作者 唐来参和     〈参和作洒落本『三教色』は天明三年刊。出版直後であろう。後万載三、才蔵二〉   3 才蔵集 吉原細見 新吉原大門口 四方先生板元 つたや重三郎 狂名蔦のから丸     〈『三教色』の板元。『才蔵集』はこのころから予約して七年に出版した。通油町に移転する以前で、吉原連に属す。      才蔵一〉     (註 次のページ(三丁裏)に無署名の「きぬたの辨二通り」と題する文章がある、後人のさかしらか。省略)   4 地獄なる十王むち?ん何たらが名を高慢にかきちらしけり 何多良方士野勃亭柿実     〔松田魏伯 住妻恋 医師〕     〈小石川連。後万載一。野勃亭は未考〉  ○5 大枝蘭雨娘もと十一才(★茄子三個)     〔大枝吉衞門養女 住大草屋敷〕     〈7小松百亀の縁故者か〉  ○6 珍ら敷帳に予が名をも加へよと 命にまかせて折ふし杜若の花ありけるに添て       むらさきのゆかりもなきに筆とりてかきつばたこそ事おかしけれ 紫のゆかり     〔萩原藤十郎 仕曽禰源八家 住小川町〕     〈四方連。後万載一〉   7 天明三卯月七夕ッの日 予が大草のかくれ家を小草庵と名付けたまわりしは かぎりなきよろこびな     りけらし 小松百亀六十四才書 (★小松百亀の自画像)     〔小松屋三右衛門 飯田町中坂 薬種舗 住大草屋舗〕     〈大草屋敷は大久保の地名、小松百亀の隠居の地。赤良の作に「小松軒が大草のかくれ家をとひて、山中にひきこも     りたる小松やと思ひの外に大草の庵」(巴人集)〉  ○8 天明三卯月小草庵ニ而蘭凌(★鷺と花)     〔住大草屋敷〕   9 ひとのすぎはひといえる題にてよめる       ほそくともかりの浮世をすぎ楊枝奥歯にものゝかゝるくはなし 桧皮釘たけ     〔家根屋小左衛門 住市谷田町〕     〈四方連。後万載一〉   10 寄水桶恋       水桶のもらさぬ中もたがきれてそこらうき名をながしもと哉  山手白人     〔布施弥二郎 住三百坂〕     〈小石川連。旗本、評定所留役。万載一九、後万載二九及び序、才蔵一〉   11 もとのもくあみ自画像(★老人)      かくばかりかはるすがたや梅ぼしも花をさかせしすいのみのはて     〔渡嵩松 住西窪神谷町 号落栗庵〕     〈万載二七、後万載一、才蔵一。落栗連を率いる元老。『狂歌師細見』に「江戸中はんぶんは西久保の門人だヨ」と      ある〉   12 星屋光次 夢ほどに見へし茄子や竹のこはげに藪入の是ぞ家土産     相川山人画(★竹の子と茄子)     〔山口治部之助 住小石川金杉 高松侯藩〕     〈四方連。万載四、後万載六、才蔵一。以下高松藩士が六名いる〉   13 初松魚買ふ気はやみにあらねども是も子ゆへに迷ふ雉子焼 馬屋厩輔     〔山口長兵衛 住小石川金杉 高松侯藩〕     〈朱楽連。後万載七、才蔵一〉   14 真桑売りをよめる      よい種をたんとまくはのうりつるにこがね花咲実のなる子村 山道高彦     〔山口彦三郞 住小石川牛天神下 田安藩〕     〈小石川連。幕臣。後万載八、才蔵一二〉    ○15 天の川洗濯      天の河空色衣洗あげ織姫のりをつけて星けり 根から不器用     〈後万載一〉   16 女子の疱瘡によめる      ぱら/\と八つ乳のよふな疱瘡はかせかけるほど扨もよくなる ふし藁中貫     〔吉田十五郎 住小石川金杉 高松侯藩〕     〈四方連。万載一、後万載一、才蔵一〉   17 灸を居る人によめる      すへよふとよふやく思ひ切もぐさ是がきかいで何としよふもん 沢辺ほたる     〔信沢重二郎 住小河町 高松侯中邸〕     〈四方連。万載二、後万載三、才蔵二〉   18 寄葉桜恋と云ことを      衣/\に名残おしみの暁の八声をつげの櫛の葉ざくら 麦藁笛鳴     〈本町連〉   19 初春に銀助といふでつち 金玉を顕しけるを 銀助が金玉を出した と子共のいひければ おとし玉     じやといふを聞て      銀助が出す金玉はふんどしをおとし玉じやといはふ初はる 風流の名無     〔栗原猶賢 名常安 字子中 初号文平 姓多賀谷変姓名 為医 住京橋水谷町 予受読師也〕  ○20 うなばらや風も治りしば肴めかしたさよりのながき君が代 鴨青羽生     〔西井安太郎 住(空欄)〕     〈朱楽連(狂歌師細見)〉   21 高慢斎恋川春町 於子子孫彦宅 応需写之(★遊女の後頭部)      身あがりのまつにおもひをたきましてにくらしゐ柴こるばかりなり もとのもくあみ     〔高慢斎倉橋寿平 住小石川春日町 狂名酒上不埒 松平豊後守臣〕     〈万載三、後万載九、才蔵三〉   22 劔術遣のひんといへることを      劔術の間に髪いらずいる品も切羽つまれば質におくの手 峯松風     〔榊原男依。住牛込若宮小路〕     〈四方連。万載六、後万載一四、才蔵一〉   23 寄亀視       万年と申すはおどけ御寿命は百をおこしの亀のをあたり 子子孫彦     〔村岡孫右衛門 住小河町広小路 佐久間六左衛門臣〕     〈四方連。万載三、後万載九、才蔵三〉   24 年の暮によめる      瀬をはやみこのかはつらにとし浪のくしや/\/\とよるしはす哉 坂上竹藪     〔安藤喜兵衛 住牛込庾嶺坂〕     〈四方連。万載三、後万載三、才蔵二〉   25 初鰹      我いちとまつさきかけに喰ぬるは人にかつほのさしみなりけり よみ人しれた     〔大膳亮好庵 住牛込御門前 医官河野元貞〕     〈万載一、後万載二〉   26 老の鴬      若きときほふほけ京でうみし子はてつぺんかけねなしの商人     右の通りよみあげ けんだい慥に請取申候 以上 小道具屋 片目あきら     〔梅忠梶右衛門 住市谷田町〕     〈四方連〉  ○27 湯殿涼といへる題によめる      行水も垢離もすゝみの湯殿山さむげ/\は丸はだかかな 薪高なを     〔平河町住市谷田町〕     〈四方連〉   28 寄新茶恋      若菜より汲かはしたるこひ中はあしなゑんかの茶のみ友だち 堪忍成たけ     〔桑名屋武右衛門 住牛天神下酒店〕     〈小石川連。後万載一、才蔵一〉   29 同じくを      気のつよき君の心は新茶なり思ひ浮れて寝るも寝られず 小川町すみ     〔大高仁助 住小石河 高松侯中邸〕     〈四方連。後万載四、才蔵三〉   30 隅田川       江戸画図で見ればむさしのすみ田川なれどもすめば都鳥かな 雲楽     〔朝倉源之介 住牛込逢坂〕     〈四方連(俳優風)。万載二、後万載三。洒落本『無陀物語』の作者〉   31 乞食恋      逢こともよしやあらはぬめんつうのふたのうらみの残るめし粒 婆阿     〔初名桑名屋与右衛門 錦江 名丁逖 字摹(ママ)仲 住牛込原町 剃髪号道甫〕     〈小石川連。万載三、後万載五、才蔵六〉     ※(本HP注 文政元年の『諸家人名江戸方角分』に「市ヶ谷・古人・狂歌・婆阿 名丁逖(マサトヨ)。字菶中、錦江、      (号)春日部。原町、薬種屋、雉髪道甫。桑名屋与左エ門」とあり)   32 今つからもう口まめになりたがる四方の連木の味噌一文字 阿胡垣金     〔山内助二郎 住市谷火之番町〕     〈後万載三〉   33 覚     一 狂文壱固  一 狂歌一艘     右之通積送申候 入津之砌御改御請取可被下候 尤運賃相済申候 以上     卯四月吉日 四方赤良様  須原屋宇兵衛     〔住池端 書肆青黎閣〕     〈万載狂歌集の版元。狂歌の投稿を届けて続編を依頼したのだろう〉   34 赤良大人のもとよりまかる時 市谷八まんにぬかづきて御社のもとのしばゐを見末りて      八まんの末社にならぶ宮芝居鳥居もこさぬいなり町かな 宿や飯盛     〔糠屋七兵衛 住小伝馬町三丁目 旅籠屋〕     〈四方連。後万載四、才蔵一三〉   35 四方先生をとひ侍りけるとき御茶の水をすぎける時 ほとゝぎすを聞てよめる(★時鳥)      御仏の産湯にあらでお茶の水てつぺんかけてほとゝぎす鳴 つむりの光     〔号文笑〕     〈日本橋亀井町の町代、岸宇右衛門。四方連。後万載五(長歌一)、才蔵一一〉   36 牛込の先生を馬喰町よりとひ侍りて      牛に馬のりかへるのを曳かへて馬喰町より牛込へとは なますの盛方     〔山城屋弥市 住馬喰町旅籠屋〕     〈四方連。後万載四、才蔵一〉  ○37 牛込の先生を馬喰町馬の友どちうちむれて師弟の縁をつなぐ牛込 勘定外成     〔升屋安二郎 住橘町竹河岸〕     〈四方連(狂歌師細見)〉  ○38 牛込の其つの文字の寺のぼりけふ師の恩の高き山の手 ろじ口のしまり     〔号柳和 住小伝馬町二丁目〕     〈四方連。34飯盛以下同道して訪問か〉  ○39 四方の方に帆南西に東にと迷ふ舟路の道しるべせよ 船頭御所雑掌     〔大西南甫 住伝通院前医者〕   40 夏野辺は草の露のみ蛍火のひるかとばかりあやまたれけり(★草と蛍)さくらのはね炭     〔源蔵〕     〈落栗連。万載二、後万載七〉   41 手折ともつゆしら浪のかほよ花ふみつけにしたどろのあし跡(★足跡と草花)糟句斎余丹坊     〔狩野凉眠 住餌指町 水藩画工〕     〈小石川連。後万載五〉   42 沢庵和尚賛      沢庵の風味をよしと賞美するをのれもかうのもののふのはし 一文字白根     〔草加作左衛門 名環 字循仲 号無端翁 住常盤橋北ノ番所 曲淵公邸〕     〈四方連(狂歌師細見)。万載五、才蔵一〉   43 楊弓のなかに下手が有馬山箭とりの尻をいなの笹原(★楊弓の的)      東武盤橋辺市隠本街二丁目 腹からの秋人自画自賛     〔中井友吉本町二丁目 紙屋〕     〈本町連。中井敬義、号董堂。万載二、後万載九、才蔵七〉   44 生酔は人の世話にもなりひさごふらり/\と浮渡る世ぞ(★瓢)大屋裏住     〔白子屋孫左衛門 住金吹町裏〕     〈本町連。萩の屋。万載一、後万載六、才蔵六〉      45 自画賛       糸きれて閑になりたるでこの坊此たのしみを天から/\(★法体坐像)嘉穂庵東作     〔稲毛屋金右衛門 隠居称東作 名懐之 字子玉 号東蒙山人 住四谷内藤宿〕     〈平秩東作。天明三年『狂歌師細見』を著わす。万載三六(長歌一)、後万載一三、才蔵四〉   46 酩酊祝      さかづきも玉のとこよのきみなればいつまでぐさを巻はしらかも(★盃)さか月米人     〔住金吹丁裏〕     〈本町連。榎本治兵衛、号吾友軒。後万載二、才蔵七(長歌)〉   47 ほとゝぎすけふ世にもらす声よりも別して鰹のねこそ高けれ      卯月廿二日 山手白人のあそのすみだ川へ舟逍遥し給日 地口ありたけまうどのもとにてしるす       ことさらにかい侍らざるは津ねにたびねがちなればなり 朱楽菅江     〔山崎卿助 名景貫 字道父 住牛込加賀屋敷原二十騎町〕     〈朱楽連の中心。万載三一、後万載二〇、才蔵八。『巴人集』に「山手白人 あけらかん江 地口有武など、同じく      墨田川に舟逍遥し侍りし時 おちよおとせといへる二人の白拍子の今様うたふをきく(巴人集)とあるのと符合する」〉   48 いまだ御目にかゝらざれども       君ならば千代に八千代に酒もりの生酔となりてこけとなるまで 千代     (★女と婆)酒上不埒 実は恋川はる町     〔遠州屋於千代 住薬研堀〕     〈いわゆる踊子。恋川春町も同席して船中で戯れに書いたか〉   49 目出度かしく とせ(★ 三味線と稽古本)     〔増田屋宇右衛門 於と勢 住薬研堀〕     〈おなじく踊子〉   50 都の人の御贔屓を謝して      ふつゝかな関東べいを御ひゐきはわがみながらもおや玉げ升 右 はな道つらね     〔市川団十郎五世。堺町連。万載二、後万載に、才蔵三〕  ○51 源孝縁       庭際雙栖鶴 松下引雛新 素質千年色 須媚仙骨人     右賦双鶴     〔青木三郞兵衛 住三斎小路〕   52 山ノ手の白人にならんと仰を請 赤良さまに全交善蔵我ぞ是は酉水もむだか つく/\かんがふるに     おちよおと勢が三弦のゆかしきに我が 文字をつゞるもてれぼう 誠に九人夏のむだ とんだ日のな     かき頃      てつぺんもどこ吹風や子規 芝全交     〔山本藤十郎 住西久保神谷町 水藩能役者〕     〈47と同じ舟遊と同じ時か。芝全交には狂名なく、狂歌もない〉  ○53 金竜山色漲江流 水尽長天落日浮 一呼扁舟我奨処 晴光先送転二州      右西谷酔客     〔万庵 住三斉小路〕     〈作者は不明ながら住所は芝全交の家に近く、かつ舟遊の時であるから、47から54まですべて同じ日のものかもし      れない〉     54 めで度かしく    市川升蔵 (★葡萄)      いち川や成田の家の生武道 全交     〈万載集に一首入り、通小紋息人、市川升蔵とある。句は全交〉  ○55 さゝがにのいとゝわからぬやみくもにいけるをだ巻くりかへしてぞ見る(★炭 源光)はね炭   56 初かつほ      借金をしちにおきても初鰹喰ねばならぬ江戸のたて引 紀のみぢか     〈後万載六、才蔵七〉   57 能事をきく耳つく哉はなのあと(★みみずく)喜久蔵     〔狂名喜久声色 住泉町 声色名人〕     〈堺町連。万載一〉     ○58 寄大工恋      やう/\とたてまへ髪のその日よりのぼりつめたるこひの足代(★蛙又と科拱)       在中将業平之下男 やはり棟梁     〈四方連。万載一〉  ○59 かれをうらやみこれをうらむる よきも夢あしきもゆめの世の中に 慎上     〈作者不明〉   60 夏恋(狂歌一首、裏字のため解読しがたい)加倍仲塗酔書      往し春 橘洲大人のたちにて 寄花出替といふひな歌よめとせちに仰ありければ かくなんよみ侍     り置けるを、萬歳集にいり侍らざりけるを深くうらみて 大人のみたちへもたえてまいらざりけるを、     けふののちの宝合ものし給ふよしをきゝ侍りまいりける時、後の撰集もし侍りければ 何にても自讃     の歌かひつけおけと仰ありければ、ふるめかしけれ共やはり寄花出替      御やかたのさかりみすてゝいそぐらんよめいるさきのむこのはな見に      さるものは日々にうとくの身でもなしすゝみかねたる風流のみち     〈朱楽連。万載一、後万載一三、才蔵一。文の中の「御やかたの」の狂歌も『後万載集』では文屋安雄の作となつ      ている〉  ○61 ほとゝぎすあはふく空にてつぺんをかけなんときもなきし一こゑ 二歩只取     〈四方連。後万載一、才蔵五。「鈴木氏 住牛込」(作者部類)〉   ○62 かゞ見山くもらぬなつと月かげをうつしてよするしがのうらなみ りうか     〈赤良の天明二年の日記『三春行楽記』には田沼腹心の御勘定組頭土山宗次郎とともにしばしば現われる。土山の      愛人か。64には漢詩がある〉  ○63 花みればみへぬまでこそおもしろき我目ふたつのあくにはあらねど(★盲人立姿)五畳たゝみ     〈後万載二〉  ○64 塗杯今夕宴 庭上興煦来? 桃李花如雪 春風入席来 流霞女  ○65 一本に千代をこめたる竹の杖そも幾寸にきつて配当 四谷坂安   66 あくたいの巻物ならば引さいて浮世の外へはらひ捨ばや(★人物像)黒人自画     〔三河屋半兵衛 住本芝二丁目〕  ○67 立秋旅立      ともにたつ旅をばいそげけふよりはみじかき秋の日あしかぎりに いつもの早秋     〔高嶺元二郎 住青山百人町〕     〈後万載二。69置石村路のグループ(狂歌師細見)〉  ○68 公家飯を焚      公家の焚竈は膝にちかの浦鍋とりはこぶみちのくもなし 望月少々酒成     〈置石村路のグループ(狂歌師細見)〉  ○69 諸鳥の囀も聞きあきたりとて 四方の人々のこゑをあからさまにきかんことを楽しむは 何がしの亜     相のむかしに似たり      ほとゝぎす是もたらねどきゝすてゝけふ珍らしき判とりのこゑ 置石村路     〔惟命 住鎌倉置石町〕     〈後万載四〉  ○70 香珥免伝天御出那牟志乃玉章遠飛羅玖扇濃於以蘭農花     右寄扇面蘭恋 河部鵞     〔船橋幸左衛門 住牛込松枝町〕     〈四方連。万葉仮名の狂歌は珍しい〉    (本HP注 香にめでゝお出なんしの玉章(たまづさ)をひらく扇のおいらんの花)  ○71 寄枕絵恋      まくら絵につい見ならゐしいくの二字千代もかはらぬ恋のかきぞめ 紀津丸(★武士と供)     〈四方連。天明三年歌舞伎狂言歌合に参加〉  ○72 両国郭公      一声を二ッに聞し橋の上右と左の耳は両国 相州農隠  ○73 ほをおふのウツツイべゝをきたひなの常々桐の箱にこそすめ 成笑     〈栗の成笑であろう。芝連。「姓八木岡 住赤坂」(作者部類)〉   74 中洲郭公       ほとゝぎすなくやひとふたみつまたときくたびごとにめづら四季庵 四方赤良出店釣方     〈普栗釣方。四方連。奈良屋清吉、書肆。『狂歌知足振』の版元。狂歌は赤良の作。だから出店と書いたのである〉  ○75 酒呑に何に難波津浅香山このうたうたは歌の親分   76 我恋は男を思ひ桐の箱ふたつ文字より牛の角もじ(★奥女中と供)      臍穴主     〔渡瀬庄兵衛 住赤城下〕     〈朱楽連。万載一二、後万載六、才蔵三〉   77 越路の旅に不動峠をのぼりて詠る      旅の空不動峠に緑あらば又こんがらや松はせい高 天地玄黄     〔道役清水亀五郎 住本所一ッ目〕     〈四方連(俳優連)。才蔵一〉   78 生酔神祇      かくかゝん呑んではくらす生酔のつみてふつみも中臣の友(★酒杯)一ふしの千杖     〔窪田安兵衛 住通塩町〕     〈窪俊満。本町連。後万載一、才蔵一〉   79 雨晴れて入る日も長き瀬田の橋ゆきげたはいて人や渡らん ざこね     〔上州屋忠四郎 住馬喰町三丁目〕     〈大原ざこね。四方連。後万載一〉   80 傾城真泣といへるを      傾城の紋日田面のまゝなれば稲とはいわで実もいりて泣(★泣く女)於曽礼長良     〔幸手屋二郎兵衛 住馬喰町〕     〈四方連。後万載一〉   81 坊主の女郎買をよめる      水晶の数珠の玉屋へなじみとて寺から里へ籠にのりの身(★長煙管くわえた坊主)はなげ長人     宿屋のめし盛絵にたくみなるゆへ 人のせちに講うにまかせ いなみがたくて筆をはたごやの二階に     にとる     〔遠州屋佐助 住小伝馬丁三丁目〕     〈芝連(俳優風)。79以下は飯盛主催伯楽会席上か〉   82 しかも上手狂歌はきせんおしなべて四方牛込と人はいふなり      野見てうなごんすみかね 本所の(書判)     〔焉馬 住本所相生町〕     〈立川焉馬、後万載一。狂名野見釿権墨金。談洲楼〉   83 筆跡師匠の所にて昼寝し侍りてよめる      転寝のあさきゆめみしゑびす様アヽよいかなと忘れせす京 襖の明立       つむりの光画(★ゑびす)     〔橋本町唐紙屋久二郎〕     〈天明三年歌舞伎狂歌合に参加〉  ○84 君が代は千世とやいわん岸の松苫きりなほす舟の夕立     (★苫舟)きのまゝなり     〔高部久右衛門 住洲崎〕   85 豆洲熱海へ湯治する人を送りて      紀行は狂歌に詠て来てたもれ伊豆の御山の言の葉くさを 門限面倒     〔高橋徳八〕     〈四方連(俳優風)。後万載四、才蔵四。館林藩士〉   86 寒き日の帷子      帷子で一日せきの関守ははだも碓氷の峠なるべし(★関屋)於保久旅人口筆     〔秩父屋幾八 住馬食町三丁目〕     〈本町連。後万載一〉   87 南鐐御大臣加保茶元成      世を捨て身は墨染の西行もおふじさんにはすこしのりきよ(★如意棒)     〈吉原連。万載一、後万載一〇、才蔵一。吉原京町の妓楼主 大文字屋市兵衛〉  ○88 稚子恋      いとけなき心におもふまゝごとのすゑは人めをかくれぼかな 鷹羽番     〈四方連。後万載一〉  ○89 芙蓉井上欽 賦得華時難過      花時相約共看花 々逕花山両着花 聞説花開花未落 華期互約不看花      歳々思華以有花 夢醒花暗花陵花 如何花発花無時 華落都成六出花   90 寄筆祝      命毛のよはひも長き大文字でかけのうれんの千代や万屋  ○91 達磨の目あくであてことてくなればくまどるかほもあらひ海老蔵(★矢の根)朱楽菅江出店白駒     〈千里亭白駒。四方連。万載一、後万載一、才蔵一。旅篭屋。狂歌は菅江の作か〉     (註 91の紙背に墨書で 俗名駒吉岡引ふらものとあり、大田南畝の手蹟と思われる。白駒の本名が駒吉で、旅篭      屋の傍ら岡引をしたのであろうか)     92 秋角力      長雨に秋の角力もたのもしき西のかたやの夕日やけかな 銀杏満門     〈朱楽連。後万載一七。久保九郎太郎、字百順、牛込住 幕臣〉    ○93 寄煙管恋      はじめにはよつてつかれぬやにさがりやう/\くどき落し張哉 藤満丸     〈四方連。万載四、後万載二〉   94 初午の日とて千はやふり出しの大鼓の音をきくくすり哉(★稲荷鳥居)紀束     〈万載一、後万載一。赤良の作に「是ほどに心をつかふ御亭主をきのつかぬとはたが名付けん」(巴人集)〉  ○95 寄松神祇      君が代はみな住よしとゆふだすき松も千とせをふる鈴の音 久須根兼満     〔佐立和二郎 住高松侯中邸〕     〈四方連。後万載一、才蔵二〉  ○96 相槌によする祝といふことを      治まれる御代にやむまれ相槌の楽にひやうしとん/\とよき 袋筒長     〔長野屋与平二 住深川八幡通〕     〈後万載一、才蔵一。朱楽連か(狂言鶯蛙集)〉   97 盲人の針      よのやみをさぐり/\て針たての心ぼそくもうちくらすかや 勘定疎人     〔花咲平蔵 住深川土橋〕     〈四方連(俳優風)。後万載四、才蔵二〉  ○98 寄竹祝      垣根とはなりても竹の目出度さは朽せぬ縄でいわゐこそすれ ひとりねのあくび     〈四方連。天明三年四月の宝合会に参加〉  ○99 よいおこをおもちなされとこのせちのかしははおひのてづくりにこそ 岐作者歌舞太良   100 森田頭取岸田東太郎鳩口(★拍子木)     わたくしは狂歌は申ませぬ 四方先生様     (本HP注 森田は森田座)   101 朝寝したるをくわんじて      問ひ来ます四方はひるまもなき比のさみだれ髪で筆をとりけり 梅旭     〈堺町連。五世団十郎の娘。堺町の芝居茶屋和泉屋の養女となり七世団十郎を生む。万載一、後万載一、梅旭子。       『巴人集』に、赤良が和泉屋を訪うた時に昼寝していた旨の詞書がある〉   ○102 穐人代筆 向島武蔵屋の額      筒井筒五つにきりし筒切の鯉をば我も喰にけらしな 将由諸味     〈作者未考、代筆は腹唐秋人〉   103 徘徊はうづみ火に独寒し 狂歌は其勢山川の岩にくだけて玉はしる如 夏の心のさら/\とあつさを     わすれる家なるべし 兼て此くちばしをたゝかんと思に かのうづみ火にからめられかじけぼうの名     久し 今や蚊遣りの扉をおしあけてぱつぱとあふぎいだせば 涼しや/\赤良先生こつぜんとあらは     れ来り玉ふ 先此門にいることを尻もちついてよろこんぶ 是からだい/\おまへのおでしでござり     ごまねにかやかちぐり 四方のはつ日の出の先生に題して      おもしろいことをはやらせ玉ふかなわれらもきやうかよもの門人 歌舞妓の工     〔中村重助狂言作者 住へつつい河岸〕     〈堺町連。後万載一、才蔵一。表徳を故一という〉   104 雷牙 城傾(ママ)の鏡にむかう暑かな(★鏡台)間違申候(裏字)     〔三井源右衛門 越後屋支配人 住駿河町〕     〈作者は不詳だが、四方赤良は三井長年(仙果亭嘉栗)とは天明二年にたびたび交渉がある〉  ○105 駿河町伊勢屋吾右衛門 広徳善右衛門(★瓢の絵と文-略)  ○106 しのびごまかけてくどけど生娘は胴がよいやらぴんしやんといふ(★三味線)第二酒成     〔浅田伴七郎越後屋番頭〕    ○107 園味 声色の芸はゑんみをこすけつゝ浮世のちりをはらひ方町  ○108 路兼 女ならあてこと恋の山道ゑろよふいらずにゆくよしもがな   109 きね屋仙(★杵)臼杵や仙石通しとをるなりよね沢町のよねが其名は から衣橘洲     〔画、名仙 杵屋佐次源次女 住米沢町 歌小島源之助〕     〈四方連。万載一。『江戸花海老』に「薬研堀にはきね屋のせん旨」とある。女芸者か。杵の中の狂歌は唐衣橘洲      の筆〉     ○110 此ぬしに孫とはてしと言ふことをよに入よとのぞみありければ      いつまでとはてしもしれぬ女郎買ひ孫子のすゑもさせぬものなり あふさかやかね(★廓通い男)     〔画、名大坂屋金 住薬研堀〕     〈万歳二。同じく女芸者か。文と狂歌は恋川春町。109と同じ時か〉   111 飯盛がもとにてはじめて四方先生に見へ奉りて      門人に鳴子瓜とわなつたれどからみつかれぬ鼠とらずに(★真桑瓜と鼠)京吉事 縫の糸屑     〔京菊屋吉兵衛 住田所町〕  ○112 寄花火恋      花火殿にふり袖かざす船の内何れ蛍と玉やあらそふ 守人     〔出口屋鈴木又右衛門 住小伝馬町〕   113 深川なる翁蕎麦がうちとにて内儀をほめ侍る席に       御亭主のやく身をそばにおきながらしなのよいこのうちかたと誉 問屋酒船     〔井上幸二郎 住霊岸島南新堀二丁目〕     〈本町連。後万載六(長歌一)、才蔵一〉      114 三日月の顔見世      いとはやも君をみまくのきり過て空にほのめく月の顔見世 奈良花丸     〔出雲寺和泉掾 住日本橋南一町目〕      〈落栗連(狂歌師細見)。後万載一〉  ○115 四方 煩悩はみなみの仇と北面をすてゝ東の富士見西行 牛門東菊麿     〔高田高木善左衛門 住牛込御門内〕     〈才蔵一〉   116 宮崎が言葉のあやち杜芳もない神明前のしばらくのうけ 宮崎八蔵     しばらく/\/\(★暫と引幕)言葉あやち書     〔称岸田杜芳 住神明前〕     〈万象亭ブループ(狂歌師細見)。天明三年の宝合会に参加〉   117 凉むにはてゝらもいらずすむ山家あたりに誰もみねの松風 免独斎     〔和泉殿橋通 酒井対馬守組 池田頼母〕   118 十界の恋歌よみ侍りし中に修羅道を      うたがひをはらふ劔ぞうけとめよ我ときる指我ときる髪(★髭と剃刀)から衣橘洲自画賛     〈万載三六、後万載二一、才蔵九。天明三年刊『狂歌若葉集』が不評のため『狂歌師細見』の橘洲門下(唐衣連)は      赤良の門人(四方連)に比してはるかにすくない〉   119 仲人下戸      下戸なればあんのごとくにまろめたり夫婦の中のとりもちをして もち月のあきよし     〈小石川連。後万載一〉   120 入置申判取帳之事     一 此燕十と申戯作者生国寄能ぶらつき我等武家人ニ罷立当寅六月分此世にながらへ居り 次第御給     金之儀者壱文ごみ九拾五文ニ相定只今御取替として百之口のぬけ候段承知仕候 尤どら迯洒落等致候     者早速おびき出し其品のむだ差出させ可申候 此外金事之儀者存不申むだ一通り之儀者御請合申上候     為余日一札仍而ふだんのごとし 天明三卯年六月十九日 志水燕十     我も此帳の数に入ることを題而      野にまでも筆よすみれと敷島の短冊ほどにつきし道幅     〔鈴木庄之助 住根津〕     〈万載に志水つばくらの一首がある。燕十作の黄表紙『啌多雁取帳』は天明四年刊〉  ○121 松屋てつ女 住上野広小路 暁郭公      うき物とおもひなれたる暁に聞ぞうれしき山本とぎす     〈朱楽連(狂歌師細見)。万載一。上野広小路の料亭の女将か。平秩東作の『歌戯帳』に「上野の下まつ屋てつ女が      もとへ立寄ければ、赤良高彦穴ぬしなどありて、思はず名残を惜む」とある〉  ○122 妹さの女 初こゑおたびねのともやほとゝぎす   123 覚      一霊験宮戸川 若宮御所之だん 一      一目黒比翼塚 中之巻 三場 大鳥村之段 切      一新田神徳  鎌倉御所のだん 一             矢口神前の段  一      一石田詰 壱部  〆四品     右私作ニ相違無御座候 以上 森羅万象亭     画はうた麿門人竹杖すがる 画譜(★遊女道中)     寄傾城神祇      うかれ女が誠をみすのかみ心とけて近江のきやく人の宮     〔森島万蔵(ママ) 称竹杖為軽 初号天竺老人 号万象亭〕     〈『狂歌師細見』は万蔵のブループを設けている。狂名竹杖為軽。万載三、後万載七。『石田詰将棋軍配』は天明      三年上演。黄表紙『夫従以来記』は天明四年作〉   124 (★屏風の版画貼込)     口演 此度画工哥麿義と申すり物にて 去ぬる天明二のとし秋 忍が岡にて戯作者の会行いたし候よ     り作者とさく者の中よく 今はみな/\親身のごとく成候も 偏に縁をむすぶの神 人々うた麿大明     神と尊契し御うやまひ可被下候以上 四方作者どもへ うた麿大明神     〔画工哥麿〕     〈吉原連(狂歌師細見)。貼込の絵にある名は、四方の赤良、あけら菅こふ、通笑、全交、里舟、岸田、恋川はる町、      明(ママ)誠洞喜三二、しんらばんぞう、なんだかしらん、山の手のばか人、ゑんば、志水燕十、可笑、雲らく斎、田      にしきんぎょ、風車。なお、当日画工出席として、北尾、勝川、清長を挙げている〉   125 義士の開帳読る      きればかけあぐればおもき大石やくらべ物なききみがほまれは 夜食かた丸      目のさめたうちを行夜や郭公 文竿     〈夜食かた丸。吉原蓮(狂歌師細見)。文竿は狂名地口有武〉   126 暁郭公      うき物とおもひなれたる暁に聞ぞ嬉しき山本とぎす てつ女       松屋てつ女上野広小路      初こゑを旅寝の友やほとゝぎす 佐野女 てつ女妹   127 星氏女兼(★菊)     〔星野瀬兵衛娘〕   128 かさね/\目出度今日やまた明日もおなじめでたき代々の寿 地口有武     夏野 いはしろ野夏野のくさもしげれたゞたびねのまくら夢やむすばん ぬい女     〔星野瀬兵衛 号文竿 住駿河台 ぬい女同人妻〕     〈四方連。万載三、才蔵一。号文竿、幕臣〉   129 杖 わが友とたのめばたすけ呉竹の杖はつきにも花の晨も 世入道へまうし(★杖)     〔常州屋隠居 住市谷田町 号君山〕     〈落栗連(狂歌師細見)〉  ○130 祇園会      祇園会のしるしと子供連中ものしこし山にちんほこを出す 一升夢輔     〈後万載三〉  ○131 孤舟簑笠翁 独釣寒江雪 菊賀書     〔平井直右衛門娘簑女〕     〈後万載集の菊賀三味とは別人。柳宗元の詩の一節〉   132 名を得たる望月なれば下戸ぞかし只一杯にさし渡哉(★野原)耳彦画 福隣堂湖鯉鮒     〔大久保 住山伏町〕     〈朱楽連。後万載四、才蔵一。便々館と号し、福隣堂巨立ともかく〉   133 献立の中にまじわる黄菊かな 家橘     〔市村羽左衛門 葺屋町 歌舞妓大夫元〕     〈後万載一。狂名橘大夫元家。『巴人集』に「長月二十日あまり一日、市村家橘わがやどりをとひ来りてはたれ      歌の名をこひ侍りしかば橘大夫元家と名つけ侍る」〉  ○134 千年/\三千年/\是は目出度き寿命糖 八十四翁誌仲     〔八百屋隠居〕     〈後万載集753の詞書に「東牛斎にて布留糸道の三味線にあはせて誌仲といへる翁、源平つはもの揃 蓮生道行      の段をかたりけるに、橘大夫の舞ければ」とある〉     (本HP注:東牛斎とは絵師吉田蘭香、下出136参照)   135 雙鶴十四歳画(★魚と貝)     〔吉田蘭香子土山宗角〕   136 東牛斎蘭香(★亀)     〔吉田氏 住牛込若宮〕     〈「長月二十日吉田蘭香のもとにて はじめて市村家橘にかひて」(巴人集)とあるから133以後は同日。蘭香は      壮年仕を辞して剃髪し狩野玉栄らに絵を学んだ〉   137 元舟秋風      秋風に鳥羽よりはやくとひ樽を先品がわのおきへ入舟 日影土竜      不得手なる人もまがきの露ほどはなめて千代経よきくのさかづき(★菊)朱楽菅江     〔榊原丈右衛門 住大久保百人町〕     〈後万載一、才蔵一〉  ○138 初松魚      藤戸にはあら帆さしみをもりつながけふは鰹の新せふみする 年寄髭面        139 振たてゝ人のうし込神楽坂つきずとふたる四方の判取 鈍奈法師     〈後万載四(長歌一)。「馬籠氏 住浅草」(作者部類)〉  ○140 ふるなの糸道なるもの 四方先生のすがた絵かきておこしければ とりあへず其後に      四方山の人しるらめやうつし絵のたえなる筆をふるのいとみち 阿那かしこ     〈後万載一、才蔵二。『巴人集』に「阿那か師古 わがすがたをゑがゝしめて歌を乞ければ、鏡にて見しりごし      なるわがすがたお目にかゝるもひさしぶりなり」〉  ○141 水のそこに一樹の陰もうつし画は是ぞ多生のゑんかうのさた 三本たら人     〈『狂歌師細見』芝連の心のだらんどとは別人か〉   142 山峰のさし出て書し筆の跡見る人毎にさぞ笑ふらん(★蘭)村竹自画讃     たわむれにかくも秀しうつし画のそばにいらざる歌をかくらん 世つや     よみがたき岩根の歌もおもひなばなんの唐画のそらやあらゝき 何毛紫蘭     〈絵は窓の村竹。呉竹世艶は後万載二、才蔵一〉  ○143 呉服屋のそれならなくに四方山のこだまにひゞく判取の声 三井新名(★判取帖)     〈書家三井親和のもじり〉  ○144 野郎買      芳町へ行て若衆を偕老はこれ同穴の契りなるべし 高野散人韓愈志     踊老若興      若ものと盆をまつ坂声かけてやつとせい/\おどろ老人 とぶ塵の馬蹄     〈唐衣連。万載四、後万載一、才蔵三。咲山六郎右衛門、田安臣〉      145 仙人もこのむ所はひとつにて落ればおはじ谷川の水(すべて裏字★谷川と盥)橘洲画   146 朝比奈が草摺ならで梅が香をやさしとゝめた袖の春風(★梅の木)橘洲孫店   147 我くにゝ見ぬ景色をうつせみは筆もゝぬけのから絵也けり(★南画山水)馬蹄     〈142-151は橘洲主催狂歌会の席上か〉  ○148 去年よりも鳴く見勢先のうぐいひすは冬から春をかけ音なるべし 若松曳也     〈唐衣連(俳優風)〉  ○149 ちとふるけれど橘洲四十二才画(★自像)     〈橘洲は天明四年に四十二歳〉    ○150 鶏声がくぼへまかりける時小石川にて郭公を聞て      ほとゝぎすないててつぺんのかけのめし小石川ゆく傾城が久保 笑陪友竹     〈才蔵一〉  ○151 蓮池へひゞき渡りし音羽屋に重扇の骨やおりけん 鸚鵡斎自画賛(★扇を顔にかざす)  ○152 五両とはいつの時代の相場なるらん 時にとりては千金の身をも全くし侍るものを      錦にも綾にもあらで堪忍の袋は見ても見事なりけり 橘洲自画賛(★巾着)   153 まつ先にひらくや花の鑓梅は表をはるの伊達道具なり(★梅の枝)ふるせの勝雄画讃     〈松本亀三郞 名保固 字伯厚 名花朗斎三甫 住四谷忍町台〉     〈唐衣連(狂歌師細見)。万載三、後万載二、才蔵一〉  ○154 一夜さも君にそひなばさるとても恋なんよりましらなるべき 山上百足  ○155 寄屏風神祇      囀りもなりとみの外しらはりの屏風のうらの宮すゞめがた 三方長のし     〈万載三、才蔵一、尾張名古屋と割註がある。赤良と名古屋狂歌界とは接触があつた〉   156 雪 雪つもる甲斐の根方をあし引のやまもと勘介橇はくみゆ 下毛栃木田畑持麿     〈渡辺源左衛門〉     〈才蔵二〉  ○157 世の中の義理とふどしをかへるとも恋には死ぬ我姿かな(★蚊帳を着た男)此道くらき     〈四方連(俳優風)。才蔵二〉   158 このことに酒のみほして横になる(★徳利)も花の下ぶしの友琴通舎     〈丸屋正蔵 英賀ト云古着店〉     〈琴通舎は天保十五年七十五歳で歿(狂歌人物誌)。逆算すると天明四年は十五歳にあたり、後の記入である。朱      の註記も別人〉  ○159 老人買傾城      河竹の流れに濡るゝ水遊ひさの命の洗濯ぞかし 黙老     〈木村黙老は高松藩家老、名は通明、代々の通称は亘。馬琴などとも交り、安政三年八十五歳で没した。逆算す     ると天明四年には十三歳だから、後になって記入したものである〉   160 ふじの山をいかにもちいさくよめと人のいひければ      ちりひぢの成たるふじは蚤なれやあふみおもてを飛できぬれば(★富士)鹿都部真顔     〈落栗連。万載三、才蔵一七(長歌一)。真顔の赤良への接近はおそいらしい〉  ○161 たま/\名家のもとにきたりぜんこうが あたまらんびんなるをよみたれども いまだ     狂歌をしらず人のものをどろぼうして      みがいたらみがいた程にひかるなりはげあたまでも青あたまでも         四方のぼうはん(扇巴印)のみ人しらず(★全交天窓)     〈芝全交は狂歌を作らないが意外に赤良に接近していたと見える〉  ○162 富士山にたとへし程ののみなれば天に通へる息やつくらん 無名子   163 曲阿写 裂眥入帰鳥      ほとゝぎす鳴つるかたにそへてやる心いくたび声をきくらむ 巴人亭 曲阿写     〈巴人亭は天明六年末からの赤良の亭号〉    巻末に石塚豊芥子の識語がある      天保四癸巳年中秋      天沢山前書肆に索之     此書は天明の昔 蜀山先生夷曲歌開きの節 此帳面を社中に廻され 自筆自画にて思ひ/\に書せ      是を判取帳と号け 紙の裏えは自其俗性住所を委曲にしるす 凡(そ)世界広しと雖(も) かゝる珍     書又あるべからず 豊芥子              石塚文庫