Top 『新燕石十種』浮世絵文献資料館
新燕石十種 な行☆ なひこ かとり 楫取 魚彦 ◯『睡余操瓢』⑦附録「随筆雑記の写本叢書(七)」p6(斎藤月岑書留・明治三年頃記) 〝竹の子や寐た鶯に名はたゝす 也有 魚彦画〟〈横井也有の発句に楫取魚彦の画の取り合わせと見たのであるが〉 ☆ にちょうさい 耳鳥斎 ◯『【摂陽見聞】筆拍子』〔新燕石〕⑧263(浜松歌国編・成立年未詳) 〝芙雀、眠子中違の事 寛政九年八月十五日初日、北新地芝居「恋女房」差出し候所、嵐雛助、尾上新七中違にて初日一日にて 相休、一座替りて、九月九日より同廿二日迄「恋女房」に切狂言「嫗山姥」相勤る。丸平より「天上天 下貴縁千金」と自筆の幟を遣す。同廿三日より晦日迄、切狂言、 寄源平実記【布引三の切/東鑑鶴岡】 右狂言に、堂島かじ林より大幕遣す。耳鳥斎の画にて、雛助朝比奈の姿にて、新七と首引に勝たる図お かし〟☆ ねぼけせんせい 寝惚先生 ◯『秀鶴随筆』⑧23(中村仲蔵著・天明七年(1787)五月下旬記)〈大坂の正月興行「義経千本桜」は中村仲蔵の狐忠信と市川八百蔵の静が評判を得て大当たりとなった。この仲蔵の狐 忠信には、江戸でも異様なほどの関心があったらしく、四方赤良はわざわざ次のような詞書と狂歌を仲蔵のもとに届 けていた〉 〝江戸ねぼけ先生様より参候迚、大坂御贔屓様より御届被下候、 右江戸に名だゝる中村秀鶴、難波の国にありて、千本桜きつね忠信とかや、わざおぎ侍りしに、見る 人あしがきのごとつどひ、うらくつがへりきと聞、よみて遣しける 四方赤良 評判もよし野花の江戸ざくら京大坂のひと目千本〟〈当時の四方赤良は「寝惚先生」の名称の方が一般的だったのかもしれない〉