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古今墨蹟鑒定便覧
           『古今墨蹟鑒定便覧』川喜多真一郎編 安政二年(1855)春刊             (国立国会図書館デジタルコレクション)(3巻の1-2)   ※原文はカタカナだがひらがなに直した。半角カッコ(かな)は本HPが施した補記   〝岩佐又兵衛(3巻-1 119/126コマ)    名勝重、摂津伊丹の城主荒木摂津守村重の子なり、村重戦死の後、母氏の姓を以て岩佐と称す、後織田    信雄に仕ふ、幼より画を好んで善し、終に一家をなす、能(く)当世の風俗を写すを以て、呼て浮世又兵    衛と云、土佐光則を師とし、益(々)妙を得、晩年越前福井侯に仕ふ、画く所印象のみを用る多し、    附云世に浮世又平とて大津画の妙手ありとする者は義太夫の浄瑠璃に及(び)魂香に土佐の末弟に浮世又    平重興と云、大津画の妙人を作り、設けたるより世に伝ふの誤にして其人実はなし、彼福井に有る所の    印章を今こゝに模出して其疑ひを解んとす〟   〝橘守国(3巻-1 119/126コマ)     後素軒と号す、探山に学ぶ、曾て彫物の画本を著せり〟   〝橘保国(3巻-1 120/126コマ)    守国の子、画を父に学んで専ら著◎の図を画けり〟   〝英一蝶(3巻-2 2/82コマ)    初め多賀氏、名は信香・朝湖と号す、故有て八丈島に流謫せられて年あり、時に胡蝶の草花に集るを見    る、忽(ち)赦書至来せるを聞て、大いに喜び乃ち其姓名を更ゆ、爰に江戸に出て、狩野安信に従ひ学ん    て其格を更ゆ、人物花鳥を善す、又狂画に妙を得、奇情異思見る者をして頤を解く、其島に在るが中、    嶋中の石土及び木河を以て設色とす、又常に其角等の俳家を友として、其伎(わざ)を能す、翁、暁雲・    北窓翁・簑翠翁等の別号あり、時に享保九年正月十三日没す、年七十三〟      〝英一峰(3巻-2 3/82コマ)    一蝶の男、名は信勝、通称長八、画風よく父の格を得て妙なり、元文二年十一月十一日没す〟   〝英一蜩(3巻-2 3/82コマ)    一蝶の二男なり、百松又源内と称す、孤雲と号す、父の風を得て能す〟   〝英一舟(3巻-2 3/82コマ)    一蜂の義子、名は信種、東窓翁と号す、通称弥三郞〟     〝英一川(3巻-2 3/82コマ)    一舟の子なり〟   〝英一嶂(3巻-2 3/82コマ)    一蝶の門人なり、宝暦十年四月廿八日没す、年七十〟   〝高嵩谷(3巻-2 4/82コマ)    名は一雄、屠竜斎と号す、英一蝶の画風を慕ふて能(く)其風到を得たり、故に世に称譽す、文化八年八    月廿三日没す、年七十五〟   〝友禅(3巻-2 8/82コマ)    姓氏詳ならず、設色の画を善せり〟   〝雛屋立圃(3巻-2 10/82コマ)    雛屋は其家号なり、平安の人、俳諧を貞室に学んで松翁と号す、委しくは俳家の部に出せり〟   〝宮川長春(3巻-2 11/82コマ)    江戸に住す、世俗の美人を写すに妙なり(署名)日本絵宮川長春図〟   〝西川祐信(3巻-2 11/82コマ)    自得斎と号す、平安の人、善く世俗の美人を写す、彩色尤(も)工みにして、秘蔵の図を製るに妙なり〟   〝菱川師宣(3巻-2 12/82コマ)    通称長兵衛、善(く)邦俗の美人を写す、艶容一見して実に人心を動す〟   〝大岡春卜(3巻-2 12/82コマ)    狩野氏に学び世俗の美人を善く写す〟   〝高田敬輔(3巻-2 12/82コマ)    名は隆久、初め徳右衛門、後敬輔と称す、近江の人、初め狩野永敬に学び、後古礀を師とす、人物を善    くす、後豊前大目となり、又法眼に叙す、宝暦五年没す、年八十二〟   〝月岡雪鼎(3巻-2 12/82コマ)    名は昌信、近江の人、移て浪花に住す、敬輔を学び変じて、善く邦俗の美人を写す、又雑画に工みなり、    天明六年十二月没す、年七十七〟   〝蔀関月(3巻-2 13/82コマ)    名徳䑓、字子温、浪花の人、雪鼎を師とす、後雪舟を法(のっと)る、山水人物甚だ風致あり〟   〝蔀関牛(3巻-2 13/82コマ)    名徳風、字は子偃、浪花の人〟   〝加藤文麗(3巻-2 14/82コマ)    名は泰都、従五位下伊予守に叙任す、江戸の人、狩野氏の風を学ふ〟   〝桜井雪館(3巻-2 15/82コマ)    江戸の人、自ら雪舟派と称す〟   〝秋山女(3巻-2 16/82コマ)    名は雪保、字は桂月、雪館の女なり、父に学んで、近世女流画家の妙手となる〟   〝建部凌岱(3巻-2 23/82コマ)    字は孟喬、寒葉斎と号す、伝は和歌の部に委し、故に爰に省略せり〟   〝楫取魚彦(3巻-2 24/82コマ)    稲生氏、茅生庵と号す、凌岱の画法を学んで、殊に鯉魚梅花の図を善くせり、伝は和歌の部に詳なり〟   〝長山孔寅(3巻-2 55/82コマ)    字は亮、出羽秋田の人、浪花に住す、月渓門にして、人物花鳥を能くす〟   〝田中訥言(3巻-2 61/82コマ)    名は痴、字虎頭、大孝斎と号す、法橋に叙す、尾張の人、平安に住す、曽て藤原信実の画軸を見て、こ    れを摸し、研究して其格を得たり、古画の風致を得、古画の格に詳なる、此人の右に出るなし、因て世    頗る称誉して、其画を珍とす、殊に衣冠の人物宮殿の図に妙手なり、文政六年三月廿一日没す〟   〝鍬形蕙斎(3巻-2 63/82コマ)    名は紹真、江戸の人、山水花鳥を能くす、時に称譽す、文政七年三月没す〟   〝藤鄰松(3巻-2 63/82コマ)    名は茂銀、江戸の人(落款)藤原茂銀〟   〝喜多武清(3巻-2 66/82コマ)    字は子慎、可菴と号す、通称栄之助、文晁に画法を学んで、山水を能くし、後一格をなして人物を画く〟   〝司馬江漢(3巻-2 71/82コマ)    名は峻、字は君岳、春波楼と号す、画風一家、曽て皇朝に銅板の図を作るは、此人より始まれりと、文    政元年十月廿一日没す、年七十二〟   〝岡田玉山(3巻-2 74/82コマ)    名は尚友、字は子徳、浪花の人、花鳥を工にす〟   〝大石真虎(3巻-2 80/82コマ)    尾張の人、専ら皇朝の古画を摸し、殊に人物調度を写す事を善くして、其時代を想像せらる、実に一家    の画風たり〟   〝西村中和(3巻-2 80/82コマ)    字は士達、梅渓と号す、法橋に叙す、大和画師と称して、専ら人物を能くし、或名所等の図を写すに巧    みなり、文政中没す〟   〝速水恒章(3巻-2 80/82コマ)    春暁斎と号す、通称彦三郞、平安の人、浮世画を以て其名大いに高し、尤人物を画くに真に至る、文政    六年七月十日没す〟   〝竹原信繁(3巻-2 80/82コマ)    春朝斎と号す、浪花の人、浮世画を以て名あり、専ら名所の図を写す〟   〝北尾政演(3巻-2 80/82コマ)    京伝、又醒々斎と号す、或(は)山東と云、戯作を以て其名高し、画風又一家を成す〟