Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ しげなが にしむら 西村 重長浮世絵師名一覧
   〔?~宝暦6年(1756)6月27日・60余歳〕一説〔元禄6年(1693) ~宝暦6年(1756)6月12日・64歳〕     〈石川雅望(六樹園)の『浮世絵師之考』(文化五年)の記事「宝暦六年六月十二日没、六拾四」による〉    ※〔漆山年表〕  :『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」国文学研究資料館   『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」木村八重子著 日本書誌学大系95   『浮世草子考証年表-宝永以降』長谷川強著 日本書誌学大系42   『吉原細見年表』八木敬一、丹羽謙治共編  ☆ 正徳二年(1712)  ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(正徳二年刊)    西村重長画『死霊解脱物語』二巻「仙花堂西村重長筆」山形屋吉兵衛他板  ☆ 享保八年(1723)  ◯『赤本黒本青本書誌』(享保八年刊)   ◇絵本   『吉原むかし絵本』署名「ゑし西村重長図」            刊記「享保八年卯正月吉日 ゑし西村重長図」    ◯「日本古典籍総合目録」(享保八年刊)   ◇絵本    西村重長画『吉原むかし絵本』一冊 西村重長・近藤勝信画    ☆ 享保十八年(1733)  ◯『赤本黒本青本書誌』(享保十八年刊)   ◇黒本・青本   『ほりさらい』署名「西村重長筆」 うろこがた孫兵衛板    〈享保十八年、江戸城の御濠浚いがあったので同年刊とみた〉  ☆ 享保年間(1716~1735)  ◯『草双紙事典』(享保年間刊)   ◇赤本     西村重長筆 『武者づくし』  ◯『赤本黒本青本書誌』   ◇赤本〈刊年未詳だが、享保年間に入れておいた〉   「義経島めぐり」(後補書題)署名「ゑし西村重長」題簽「赤本 西村重長画」    『【小あつもり/いく田森】扇始』署名「西村重長筆」 商標(◯に三鱗)鱗形屋板    「武者づくし」(仮題)署名「西村重長筆」商標(◯に三鱗)鱗形屋板    『鳥羽絵』  (西村重長画作 村田屋版)    〈解題、漆山天童カード「赤本 重長画 村田屋板」を引く〉    ◯『増訂武江年表』1p139(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享保年間記事」)   〝浮世絵師、奥村文角政信(芳月堂)、西村重長(仙花堂)、鳥居清信、同清倍、近藤助五郎清春、富川    吟雪房信等行はる〟  ☆ 元文五年(1740)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(元文四年刊)    西村重長画『吾妻海道』一冊「画工 西村重長」西村源六板  ◯『赤本黒本青本書誌』(元文五年刊)   ◇赤本   『狼の婿入』署名「西村重長筆」「重長筆」 商標(◯に「村」)村田屋板    〈解題、『大東急記念文庫書目』の元文五年刊を引く〉  ☆ 元文年間(1736~1740)  ◯「日本古典籍総合目録」(元文年間刊)   ◇黒本 青本    西村重長画『石山の本地』(元文前後?)・『持統天皇』(元文・寛保頃刊?)  ◯『赤本黒本青本書誌』(元文年間刊)   ◇赤本   「猿蟹合戦」(後補複製題簽)署名「西村重長筆    〈「仮年表」元文頃かとする〉    『隠里福神嫁入』署名「西村重長筆」 商標(◯に三鱗)鱗形屋板    〈解題、所見本の墨記「元文ト云(中略)赤本」を引く〉    ◇黒本   『鶴の嫁入』署名「西村重長筆」 題簽(瓢簞形商標)「奥村」    〈解題、赤本として立項されているが赤本のものは未見とする。また書名についても『鳥の嫁入』と記すべきかもしれ     ないとする〉  ☆ 寛保二年(1749)  ◯『赤本黒本青本書誌』(寛保二年刊)   ◇赤本   『竹田新からくり』西川重長画 寛保二年 鱗形屋版    〈解題、画工名・版元名は水谷不倒著『草雙紙と読本の研究』に拠り、刊年は稀書複製会の解説に拠るとある〉    ◇青本   『竹田新からくり』署名「西村重長筆」 鱗形屋板    〈解題、「日本古典籍総合目録」の宝暦八年刊は疑問とする。赤本の『竹田新からくり』と内容が同じとある〉      ☆ 寛保三年(1743)      ◯「日本古典籍総合目録」(寛保三年刊)   ◇絵本番附    西村重長画『大からくり絵尽』三冊 西村重長筆    (稀書複製会本『大からくり絵尽』国立国会図書館デジタルコレクション画像)   ◇浮世草子    西村重長画『敵討笈花蔓』五巻 西村重長画 偏霽堂梁虹作    ◯『浮世草子考証年表-宝永以降』(寛保三年刊)   『敵討笈華蔓』大本 五巻五冊 偏霽堂梁虹作 寛保三年(1743)正月刊     序 「寛保三の年の睦月 偏霽堂 梁虹述」     刊記「画工 西村重長 寛保三亥年正月 武江書林 通油町川村源右衛門」  ◯『吉原細見年表』(寛保三年刊)   『通家美(カヨフカミ)』寛保三年 横小本 鱗形屋板     署名「画工 西村重長図」(遊女図)     刊記「寛保三亥年孟春毎月大改(◯に三鱗)鱗形屋         吉原細見改 うり所 家田屋庄吉 五郎兵衛」  ☆ 寛保年間(1741~1743)  ◯「日本古典籍総合目録」(寛保年間刊)   ◇黒本    西村重長画『持統天皇』(元文・寛保頃刊?)  ☆ 延享二年 乙丑(1745)    ◯「絵暦年表」(本HP・Top)(延享二年刊)   ⑧「西村重長筆」紅摺絵 図9「梅と美女」(図様不鮮明)板元不明    「延享二乙丑」〈壁と床に大小の月があるという〉  ☆ 延享五年(1748)  ◯『吉原細見年表』(延享五年刊)   『里乃家名起』延享五年春 横小本 鱗形屋板     署名「重長筆」     刊記「延享五辰年毎月大改(◯に三鱗)屋        改仕 浅草田町  小泉忠三郎        売所 浅草御寺内 本屋吉十郎」  ☆ 延享~寛延頃(1744~1750)  ◯『赤本黒本青本書誌』(延享~寛保年間刊)   ◇赤本   「鳥の嫁入」(仮題)署名「西村重長筆」 題簽「鶴の嫁入」・瓢簞形に「奥村」    〈解題、題簽には「鶴の嫁入」とあるが、この「題簽は別本のものかもしれず、本文は「鳥の嫁入」に該当するであろ     う」として『正本 若樹文庫収得書目』のいう書名『鳥の嫁入』を採るべきとする。刊年について「仮年表」は延享     ・寛延の頃とする〉  ☆ 宝暦元年 辛未(寛延四年・1751)    ◯「絵暦年表」(本HP・Top)(宝暦元年)   ⑧「寛延四辛未歳大小」紅摺絵「西村重長筆」「上村(江見屋吉衞門)」板     賛「梅もまだわかしみうへのとんぼがみ」  ☆ 宝暦二年(1752)  ◯『浮世絵年表』p106(漆山天童著)   〝十一月、西村重長の画ける『桃太郎物語』成る〟    ☆ 宝暦三年(1753)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(宝暦三年刊)    西村重長画『絵本江戸土産』三巻 画工西村重長 作者玉芝散人 奧村喜兵衛板    ◯「読本年表」〔目録DB〕(宝暦三年刊)    西村重長画『桃太郎物語』布袋室主人作 宝暦三年刊    ◯「百人一首年表」(宝暦三年刊)    西村重長画『雛鶴源氏艶文選』   (口絵に西川祐信図 西村重長筆とあるが、これは「重長が祐信画を模写したものである」とする)   (国立国会図書館デジタルコレクション 『浮世絵』25号 12/26コマ)  ☆ 宝暦四年(1754)    ◯「江戸絵本番付データベース」(宝暦四年刊)   ◇絵本番付    西村重長画 正月 中村座「百千鳥艶郷曽我」署名「◎筆工西村重長」鶴屋板  ☆ 宝暦六年(1786)(六月十二日没・六十四歳)  ☆ 没後資料  ☆ 宝暦八年(1758)  ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦八年刊)   ◇黒本 青本      西村重長画『竹田新からくり』    ☆ 宝暦九年(1759)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦九年刊)   ◇絵画    西村重長画『和漢衆画苑』五巻 仙花堂百寿画 奧村喜兵衛他板  ☆ 宝暦年間(1751~1764)  ◯『増訂武江年表』(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「宝暦年間記事」)   〝宝暦中、西村重長が絵本「江戸みやげ図」中、両国凉の図に水茶屋葭簀(ヨシズのルビ)の屋根なし。見世    毎に行燈を置きて、御凉所(オスズミドコロ)と記せり。吉原五十軒編笠茶屋に編笠釣るしてあり。歩行の女    子、帽子をかむる。浅草二十軒茶屋のあんどう(扇子の図)屋(ジガミヤ)(桔梗紋の図)屋などとあり〟  ☆ 刊年未詳  ◯『赤本黒本青本書誌』(刊年未詳)   ◇赤本   『【小あつもり/いく田森】扇始』署名「西村重長筆」鱗形屋板   『隠れ里福神娵入』署名「西村重長筆」商標「◯の三鱗」鱗形屋板    〈解題、実践大学所蔵本の柱刻に「西村重長筆」とある由〉   『義経島めぐり』署名「ゑし西村重長」(村田版)    〈解題、『草雙紙と読本の研究』は村田版とするが、根拠は不明とする〉   『武者づくし』署名「西村重長筆 屋板   『狼の婿入』 署名「西村重長筆」「重長筆」 商標「◯に村」村田屋板    〈解題、元文五年刊とする説もあるという〉   『鼠よめ入』画作者名なし 商標「鶴の丸」鶴屋板    〈解題、漆山天童のカード「西村重長に似たり つるや」を引く〉   『猿蟹合戦』署名「西村重長筆」   『鶴の嫁入』署名「西村重長筆」   『鳥羽絵』西村重長画作 村田屋版    〈解題、画工名、版元名は漆山天童のカードに拠るとする〉  ◯『草双紙事典』(刊年未詳)    西村重長  『鶴の嫁入』    西村重長筆 『ほりさらい』    ゑし西村〔重〕長 『義経島めぐり』    西村重長画 『かくれ里ふく神よめいり』 元文から延享頃の刊    ☆ 安永八年(1779)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永八年刊)    西村重長画『絵本江戸みやげ』三巻 画工重長西村氏 菊屋安兵衛板(原版は宝暦三年歟)    ☆ 寛政十二年(1800)    ◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)   〝浮画役者  西村重長          近藤清春〟    〈大田南畝の『浮世絵考証』(寛政年間成稿)及び山東京伝の『浮世絵類考追考』(享和三年成稿)は西村重長を収録     せず〉    ☆ 享和二年(1802)  △『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802))〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕   〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ    るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編    に委しくすべし    倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)     昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世      奥村(ママ)重長  (他の絵師は省略)〟    〈「昔絵は奥村鈴木富川や ~ 」の「奥村」は恐らく奥村政信ではなく、西村重長であろう〉
   『稗史億説年代記』式亭三馬自画作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)   〝青本 白紙又は赤紙の画外題に、黄表紙をかけたる本をはじめて製す。是を青本といふ    同  絵師の名を草紙の終りへばかり出さずして、上中下の分ちなく、ゆきなりに名を誌す    画工 鳥居清秀、清重、富川吟雪、富川房信、田中益信、江戸絵と号して諸国のはやる    〈『式亭雑記』に「富川房信改め吟雪」とあり〉    同  奥(ママ)村重長、石川豊信の絵はやる。田中益信は草双紙の画作を著す    〈西村重長の誤記であろう。石川豊信は巻末の「昔より青本の画をかゝざる人の名」にあるから、この「画工」とは当     時評判の絵師という意味であろうか〉    作者 文字、通幸、和祥、丈阿、専ら双紙を作る。終に作者の名を出す事は此和祥より始まる〟   〝昔より青本の画をかゝざる人の名    奥村   鈴木春信  石川豊信  文調    湖龍斎  勝川春章  春好    春潮    春林   春山    春鶴    春常 【勝川門人数多あり】    歌川豊春 【此外にも洩れたる画者多かるべし。追て加之】〟    〈上記同様、この奥村を西村重長と見なした。ただ国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」によれば、西村重長の     青本は四点ある〉  ◯『浮世絵師之考』(石川雅望編・文化五年(1808)補記)   〔「浮世絵類考論究10」北小路健著『萌春』207号所収〕   〝西村重長 孫三郎【通油町地主なれども後に神田へ出て本屋となる】仙花堂    絵本ならびに役者一枚絵多し、宝暦六子年六月十二日没、六拾四〟    〈西村重長の本名・住所・号・没年を記したのはこれが最初か。但しなぜか没年月日と享年は伝わらなかった〉    ☆ 文政元年(1818)    ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元年~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)   〝三馬按、此三人(編者注、奥村政信・西村重長・近藤清春)ハ清信門人ニ非ズ。各独立ナリ。此時代ノ    浮世絵ハ、スベテ鳥居風ノ画風ヲ慕シモノナリ。既ニ北尾重政モ、壮年ノ画ハ鳥居流ナリ。コレヲ以テ    知ベシ〟      ☆ 文政七年(1824)    ◯『耽奇漫録』上106(「耽奇会」第二集・文政七年六月十三日)   (「大文字屋カボチヤ之絵」の項)   〝大文字屋カボチヤの絵 こゝに京町大文字屋のかぼちやとて そのなは市兵衛と申ます/十二挑灯花紫    のひもつけて謡哥五章あり藍にて摺/西村重長筆 駿河屋板〟    〈「大文字屋かほちや」という唄が流行したのは宝暦二年の頃の由。松羅館・西原梭江出品。大田南畝の『仮名世説』     所収の「かぼちや市兵衛」の絵も松羅館所蔵のもの〉    ☆ 文政八年(1825)    ◯『仮名世説 下』〔南畝〕⑩569(文政八年刊)
〈新吉原・大文字屋市兵衛(かぼちゃ市兵衛)を画く「一枚絵」を模写して掲載。ただし南畝の模写ではなく、南畝公認    の贋筆・文宝亭の模写。それには「西村重長筆」「駿河屋板」とあり。『武江年表』によると、かぼちゃ市兵衛の評判    は宝暦三年頃よりあがるという。原画は当然紅摺絵である〉
   ☆ 天保元年(文政十三年・1830)  ◯『嬉遊笑覧』巻三「書画」p409(喜多村筠庭信節著・文政十三年自序)   〝江戸絵は菱川より起りて、後鳥居庄兵衛清信と云者あり。初め菱川やうを学びしが、中頃画風を書かへ    歌舞伎の看板をかく。今に相続きて其家の一流たり。勝川流は宮川長春を祖とす。長春は菱川の弟子に    はあらねども、よく其風を学びたる者也。勝川流にては春章すぐれたり。歌川流は豊春より起る。豊春    は西村重長の弟子なり【重長は初めの鳥居清信の弟子なり。後に石川豊信といふ】此流にてはこの頃ま    で歌麿が絵世にもてはやされたり。其外あまたあれ共枚挙にたえず〟    〈西村重長と石川豊信は別人である。喜多村筠庭は何に拠ったのであろうか〉    ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③293(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝西村重長【享保ノ頃カ】     俗称(空白)、居通油町〟    ☆ 天保五年(1834)    ◯『嵩鶴画談』巻之五(清筠舎著・天保五年成稿・『日本画談大観』「中編随筆」所収p1002)   〝西村孫三郎【重長は石川豊信之師也 豊信は元祖歌川豊春之師也】    西村孫三郎は重長の俗称と見へたり、此頃三代目団十郎の絵を見るに、西村孫三郎図とあり、三代目団    十郎に(三升の図)の如く三枡の中に今の字あり、上に市川今団十郎としるせり、こは二代目団十郎柏    莚団十郎海老蔵となりえ間なき事故、紋わかちしらせんか為にかくの如くかきし物と見ゆ、物孫三郎と    かきたる絵おほくみず、もしくは別人にやと思ふこともありしが、このころ偸閑子の蔵なる海老蔵と団    十郎と二人を絵かきたるを見たり、この絵師西村重長とありまつたく筆意などおなじ、これも又上に市    川海老蔵市川今団十郎としるせり、この絵見てはじめて孫三郎は重長の俗称ある事たしかにしれたり〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)    (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)   〝西村重長 享保の頃より     俗称(空白)居 通油町(此頃の一枚画に西村孫三郎と書たる有、重長の俗称歟)     号 仙花堂     一枚絵画本等多し      絵本江戸土産初編(寛延の頃也)〟    ☆ 嘉永三年(1850)  ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1383(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝元祖清信門人    西村重長【通塩町地主、後神田ヘ移リ、本屋ニナル、浮世画、役者画、号仙花堂、享保中】〟    ☆ 嘉永七年(1854)    ◯『扶桑名画伝』写本(堀直格著 嘉永七年序)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇西村重長([31]巻十之五 雑家 34/108コマ)   〝重長 姓しられず 西村氏 名は重長 浮世絵師 江戸に住す 享保頃の人なるべし〟    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)  ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪201(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   〝西村重長    仙花堂と号す。享保の頃、通油町に住す。一枚絵画本多く画けり。此頃、一枚画に西村孫三郎と書たる    有。重長俗称歟     絵本江戸土産 初編三冊〟    ☆ 明治十一年(1878)  ◯『百戯述略』〔新燕石〕④226(斎藤月岑著・明治十一年成立)   〝正徳、享保の頃、羽川珍重、鳥居庄兵衛清信、西村重長、奥村政信、続て懐月堂安慶(ママ)、石川豊信等 が専に一枚絵画出し、梓に鏤めて世に行れ、彩色摺は紅と萌黄の二色に有之〟  ☆ 明治十七年(1884)  ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝重長 西村氏、名ハ重長、元祖清信ノ門人ニテ、浮世絵及ビ俳優ノ図ヲ能クセリ〟  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字   (番付冒頭に「無論時代 不判優劣」とあり)   〝大日本絵師     (西川祐信)勝川春章 菱川師房  西村重長 鈴木春信  勝川春好 竹原春朝 菱川友房 古山師重     宮川春水 勝川薪水 石川豊信  窪俊満    (葛飾北斎 川枝豊信 角田国貞  歌川豊広 五渡亭国政 菱川師永 古山師政 倉橋豊国 北川歌麿     勝川春水 宮川長春 磯田湖龍斎 富川房信    (菱川師宣)〟  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪(吉川重俊編集・出版 明治二十二年二月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   ※( )はグループの左右筆頭   〝日本絵師    (葛飾北斎)西川祐信 勝川春章 菱川師房 西村重長 鈴木春信 川枝豊信  角田国貞 勝川春好     竹原春朝 歌川豊広 倉橋豊国 石川豊信 勝川薪水 古山師重 五渡亭国政 菱川師永(菱川師宣)  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝元文 西村重長    鳥居清倍に倣て、武者絵に及び当時の風俗を能くし、絵草紙に専ら行はる〟  ☆ 明治二十五年(1892)    ◯『日本美術画家人名詳伝』上p55(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年刊)   〝西村重長    大和画所ナリ、初代清信ノ門ニ入リテ鳥居派ノ画ヲ学ビ、浮世絵及ビ俳優ノ図ヲ能クセリ〟  ☆ 明治二十六年(1893)  ◯『古代浮世絵買入必携』p2(酒井松之助編・明治二十六年刊)   〝西村重長    本名 孫三郎  号 仙花堂  師匠の名〔空欄〕  年代 凡百七八十年前     女絵髪の結ひ方 第四図(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    絵の種類 漆絵、一枚絵、紅摺、墨絵、絵本、肉筆    備考   此時代には漆絵、紅絵、墨絵多し〟  ◯『浮世絵師便覧』p234(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年刊)   〝重長(ナカ)    西村氏、俗称孫三郎、仙花堂と号す、絵本類多し、◯享保〟  ☆ 明治二十七年(1894)  ◯『名人忌辰録』上巻p11(関根只誠著・明治二十七年刊)   〝西村重長    通称孫三郎、号仙花堂。通油町に住す、浮世絵師なり。宝暦六子年六月廿七日歿す、歳六十余〟    〈宝暦六年六月二十七日没は何に拠ったのであろうか。石川雅望の『浮世絵師之考』は同年六月十二日、六十四とする〉  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(28/103コマ)   〝西村重長【享保元~二十年 1716-1735】    通称孫三郞、仙花堂と号す、通油町の地主なりしが、後ち神田に移りて書肆を出せり、門弟となるもの    多し〟    ☆ 明治三十二年(1899)  ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(27/218コマ)   〝西村重長    元祖鳥居清信の門人なり 後に石川豊信と称せりといふ 然れども秀葩とは同名異人なり 浮世絵を画    きて名なり 又多く俳優の図を画ける(扶桑画人伝)〟  ◯『若樹随筆』林若樹著(明治三十~四十年代にかけての記事)   (『日本書誌学大系』29 影印本 青裳堂書店 昭和五八年刊)   ※(原文に句読点なし、本HPは煩雑を避けるため一字スペースで区切った   (西村重長筆「江戸八景」)p123   〝己酉(明治四十二年)二月二日 青柳亭の珍書会 一年ぶりにて出席々上所見    西村重長筆「江戸八景」外題如何可考 一帖 十円五十銭 村幸買    一 ゑもん坂夜雨  二 あさ草の晴嵐   三 金龍山の暮雪   四 あたごの秋の月    五 品川のきはん  六 両国はしの夕照  七 すみだ川の落雁  八 うへ野の晩鐘      金龍山の暮雪 二王門あり 米饅頭店(摸写)〟  ◯「集古会」第五十三回 明治三十八年(1905)五月(『集古会誌』乙巳巻之四 明治38年9月刊)    村田幸吉(出品者)西村重長画 古板赤本『猿蟹合戦』一冊〟  ◯「集古会」第八十回 明治四十三年(1910)十一月(『集古会誌』庚戌巻五 大正1年9月刊)   〝有田兎毛三(出品者)西村重長筆 赤本さるかに 中本一冊 享保頃〟  ☆ 大正年間(1912~1925)  ◯「集古会」第九十九回 大正三年(1913)九月(『集古会志』甲寅五 大正5年7月刊)   〝林若樹(出品者)西村重長絵 赤本鳥 一冊 逸題名 はしらに「とり」とあり〟 ◯「集古会」第百四十五回 大正十三年三月 於上野不忍湖畔無極亭(『集古』甲子第三号 大正13年5月刊)  〝山中共古 (出品者)西村重長 絵本江戸土産 合 一冊    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p97(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝西村重長、仙花堂と号す、通称孫三郎、東都通油町に住す、初代清信の門に入りて鳥居派を研究し終に    一派をなす、宝暦六年六月廿七日歿す、年六十余〟  ◯「日本小説作家人名辞書」p805(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝西村重長    通称孫三郎、仙花堂と号す。一世鳥居清信の門人、江戸の浮世絵家、通油町に住む、宝暦六年六月二十    七日歿、六十余。「鼠のゑんぐみ」(赤本)「桃太郎昔咄」(赤本)等の作者〟  ◯『浮世絵師伝』p81(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝重長    【生】  【歿】宝暦六年(1756)六月廿七日-六十余 【画系】  【作画期】享保~宝暦    西村氏、初め影花堂と表し、後ち仙花堂と改め、別に百寿といふ、享保十年頃より美人画家として現は    れ、初めの画風は鳥居清信の影響を受けしが、漸次西川祐信、奥村政信等の特長を採り、よく其等を融    合して遂に一家の風を成すに至れり。また遠近法を利用して浮絵も試みたり。(口絵第十六図参照)     彼の作品としては、漆絵に属するもの最も多く、其のうち「美人三幅対」の如き細絵三枚続の絵は、彼    の夙に創案せし所にして、当時非常の好評を博せしものなりと云ふ、其の他、石摺画といへる白ヌキの    絵を案出し、また支那版画に暗示を受けて水絵と稱する特殊の色摺版画を試作するなど、彼が版画家と    しての天分に豊かなりし事を察するに過るべし。『浮世絵類考』に従へば、彼は通油町の地主なりしが、    後ち神田に移りて書肆を開業したりし由、おもふに晩年には殆ど版画の製作を廃め、専ら営業に従事せ    しものならむか、而して彼の門下より石川豊信、鈴木春信の二大明星を生み出だしゝ事は、彼の名をし    て永久に光彩あらしむる所と謂ふべし〟  ◯「集古会」第百九十二回 昭和八年九月(『集古』癸酉第五号 昭和8年11月刊)   〝三村清三郞(出品者)西村重長画 小本 江戸名勝志 下巻 一冊 延享三年〟  ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「正徳二年 壬辰」(1712)p69   〝此年西村重長十六歳にて画ける『死霊解脱物語』出版。本書原版は元禄三年なれども此年再版にあたり    て重長の挿画にて刊行せるなり。重長此時仙花堂と号せり〟   ◇「元文五年 庚辰」(1739)p92   〝五月、俳書『吾妻海道』出版。蓋し西村重長の挿絵あり〟   ◇「宝暦三年 癸酉」(1753)p406   〝六月、西村重長の『絵本江戸土産』出版〟   ◇「宝暦四年 甲戌」(1754)p108   〝此年市村羽左衛門座の狂言絵本『皐需曽我橘』二巻出づ。画工は鳥居清満、版元は鶴喜なり。    又中村座の狂言絵本には西村重長の画ける『百千鳥艶郷曽我』あり〟   ◇「宝暦六年 丙子」(1756)p110   〝六月二十七日西村重長歿す。行年六十歳(重長は俗称孫三郎といひ、仙花堂と号し、鳥居・奥村等の画    風を学びたるものゝ如く、江戸通油町の地主にして後書店を営めり。石川豊信・鈴木春信の如きは西村    重長に負ふところ多くこれを譬ふれば、木門に新井白石・室鳩巣の出でし如く、又偉なりといふべし)〟   ◇「宝暦七年 丁丑」(1757)p111   〝九月、仙華堂百寿といへる画工『和漢衆画苑』を画きて出版〟    〈仙華堂百寿は西村重長の別号〉    △『増訂浮世絵』p96(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝西村重長    重長は氏を西村といひ、通称を孫三郎といふた。亦紅絵漆絵に往々孫二郎と署名したものがある。仙花    堂と号した。江戸通油町の地主で、後に神田に移つて書店を営んだ人である。その絵の早い頃のものに    は、鳥居清信の影響があり、次で奧村政信の様式を学んだと考へられる。特に天才的の輝は少ないが、    作風は穏健であり、構図も穏やかで、描線も整然として居る。また画題としての取材は多様で、啻に美    人又は役者を画いたばかりでなく、風景、花鳥、動物にも、筆をつけたことは注目すべきである。また    石摺絵といふものを作つて居る。木版を以て恰も石摺のやうに黒地に白抜いたのである。なほ落款に注    意すると、漆絵で市村竹之丞、富沢門太郎を写したものには、絵師西村孫二郎筆とある。普通には孫三    郎と落款して居るが、時々孫二郎と署名したものがある。然し決して別人ではない。また早い頃の浮世    絵師のやうに、大和絵師と肩書したものがあり、風流邯鄲枕には、仙花堂重長正筆とある。これは多分    奥村政信の款識の例に倣つたものであらう。実に重長は政信と時代を同うして、紅絵漆絵を専ら製作し、    なほ紅摺絵の時代にまで及んで作製した人である。挿絵には筆彩版画の例として文籠を挙げる。進歩し    た紅絵の例で、相当に手数をかけた、筆彩色の版画である。なほ重長の紅摺絵に、牡丹に唐獅子図があ    る。紅と緑との二色摺で、草花の絵として面白い色調を出したものがある。また浮絵の法をも善くした。    新吉原月見の座鋪はその例である。    重長は元禄十年に生れ、宝暦六年六月二十七日没し、享年六十と伝へられて居る。重長は例へ才気潑溂    たる画家でなかつたとしても、その門弟をとり立てることに於て、卓越した所があつたと見える。次の    時代に、版画界に活躍した石川豊信、鈴木春信、磯田湖龍斎の如きは、皆重長に負ふ所の最も大なるも    のである。その点に於て、重長は版画界に重要なる人である〟  ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔西村重長画版本〕    作品数:23点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:西村重長・仙花堂・百寿・仙花堂百寿    分 類:赤本6・黒本5・青本4・絵本3・絵画2・浮世草子1・黒本青本1・読本1・地誌1・        絵本番附1・評判記(吉原細見)1    成立年:享保8年 (1点)        寛保3年 (2点)(寛保年間合計3点)        宝暦2~3・8~9年(5点)        天保1年 (1点)    〈天保元年の一点は『絵本江戸みやげ』。宝暦三年刊の正編(西村重長画)と、明和2~7年刊の続編(鈴木春信画)     を一本化したもの〉