Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ きよみつ とりい 鳥居 清満(鳥居家三代)浮世絵師名一覧
〔享保20年(1735) ~ 天明5年(1785)4月3日・51歳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』   〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」国文学研究資料館   『稗史提要』「青本之部」比志島文軒(漣水散人)編   『黄表紙總覧』棚橋正博著・日本書誌学大系48   「江戸顔見世番付諸板一覧」『近世文芸 研究と評論』34-36号    角書は省略  ☆ 延享三年(1746)    ◯『稗史提要藁本』p408   (「延享三年(1746)丙寅」時評)   〝鱗形屋板鳥居清満筆にて出る日向景清の跋に云、絵草し目録四十八品ありて、右外題二十部出る。然共    外に目録の付し本もありと見ゆ。未見当〟    〈この年の鱗形屋出版二十部の外題あり〉    ◯「日本古典籍総合目録」(延享三年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『恋塚物語』『日向景清』    ☆ 延享四年(1747)    ◯「日本古典籍総合目録」(延享四年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『対面之琵琶』    ☆ 寛延三年(1750)    ◯「日本古典籍総合目録」(寛延三年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『化物義経記』     ☆ 宝暦二年(1752)    ◯『狂言絵本年代順目録』(漆山又四郎著)(宝暦二年刊)   ◇芝居番付    七月 中村座「諸鞚奥州黒」不記名・清満 鶴屋板    〈〔目録DB〕は鳥居清満一世画とする〉     ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『猿塚物語』『百人一首歌判事』   ◇絵本番付    鳥居清満画『諸鞚奥州黒』一冊 鳥居清満画    ◯『草双紙事典』   (宝暦二年(1752)の新版「広告一覧」〔『猿塚物語』所収〕)   〝申正月【新板】目録    絵師 鳥居清信 鳥居清満    【ちんぜい八郎】一代記 五冊物  増補うら嶋    上下     公平から舩      上下   金平せ参     上下     女三みや       三冊  【いもせ山】風流鑑 三冊物     さる物かたり     三冊   おば山物語    三冊    【わたなべ】花いくさ  三冊   うねめ物語    三冊     いぶき山合戦     三冊   平安城都定    三冊     玉つしま       三冊       (◯の中に三鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    跡より段々珍敷新板追々出し申候〟    〈『草双紙事典』はこの「申」を宝暦二年とする〉    ◯『歌舞伎年表』③105(伊原敏郎著・昭和三十三年刊)   (「宝暦二年(1852)」の項)   〝七月、中村座「諸(モロ)(革偏+穴+干)(タヅナ)奥州黒」。(中略)    (鳥居清満の絵本、稀書刊行会にて複製す)〟      ☆ 宝暦三年(1753)    ◯「浄瑠璃年表」(宝暦三年刊)    鳥居清満画「伊達錦五十四郡」絵尽・鳥居清満筆・肥前座     〈第一巻・本文篇「伊達錦五十四郡」の興行史料の一つとして鳥居清満画の絵尽(絵本番付)が紹介されている〉    ☆ 宝暦四年(1754)    ◯「江戸絵本番付データベース」(早稲田大学演劇博物館「デジタル・アーカイブ・コレクション」)   ◇絵本番付(宝暦四年刊)    鳥居清満画 正月 市村座「皐需曽我橘」「ゑし鳥居清満筆」鶴屋板    ◯『狂言絵本年代順目録』(漆山又四郎著)(宝暦四年刊)   ◇絵本番付    七月 中村座「根元阿国哥舞妓」不記名・清満歟    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦四年刊)    十一月 中村座 署名なし  村山源兵衛板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 三板あり    〈顔見世番付に絵師の署名が入るのはこの年・宝暦四年からのようだ。また、後年の例でも分かるように、三座とも同じ     絵師が長年にわたって担当することが通例のようだから、宝暦四年以前の署名のない番付でも、どこまでさかのぼれる     かわからないが、清満の作画である可能性は高い。署名のない番付については、本HP「版本年表」の項目所収の「江     戸顔見世番付年表」を参照のこと。なお、参考までにいうと、鳥居清満はこの年から天明四年(1784)まで、実に三十年     にも亘って三座の挿絵を担当する〉    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦四年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『丹後国鉄焼地蔵』    ☆ 宝暦五年(1755)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦五年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛板        中村座 署名なし  中村屋板        市村座 鳥居清◎◎ 中嶋屋伊左衛門正板        市村座(未記載)  中村屋板        森田座 不明    金井半兵衛板    〈宝暦四年の項で触れたように、顔見世番付の通例上、三座とも同じ絵師が担当することになっているようだから、署名     なしでも、清満の可能性はたかい〉    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦五年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『弘法大師御本地』    ☆ 宝暦六年(1756)    ◯『草双紙事典』   (宝暦六年(1756)の新版「広告一覧」〔『播州曽根松』所収〕)   〝子正月【新板】目録    絵師 鳥居清倍 鳥居清満      【東岸柳南枝梅】箎管隅田川 五冊物 大織冠鎌倉開 三冊    【山椒太夫】老花婿     三冊  唐崎愛護松  三冊    【篠原合戦】錦母衣     三冊  播州曽根松  三冊    【延命】味噌豆由来     三冊  通天橋楓縁  三冊    【対面曽我】赤木柄     二冊  竹斎老匙加減 二冊    【頼光金臣】本末記     二冊  男色狐敵討  二冊    【琵琶法師】三筋糸桜    二冊  春袋地口種  二冊    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    珍敷新板物 御慰ニ追々出し御覧ニ入可申候〟    〈この「子」歳を、『草双紙事典』は宝暦六年のものとする〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦六年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    〈この年・宝暦六年から三座とも同じ絵師の署名が入る〉    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦六年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『弘法大師御本地』『通天橋栬縁』    ☆ 宝暦七年(1757)    ◯『役者名物略姿』上下 鳥居清倍 鳥居清満画 鱗形屋孫兵衛   (国立国会図書館デジタルコレクション)〈稀書複製会本・昭和5年刊〉   〝丑正月 新板目録 絵師 鳥居清倍/鳥居清満     実盛本末記     五冊 【延喜聖代】鉢敲濫觴 三冊     【大塔宮】 熊野篠緊 三冊 【油やほそめ小実久待】思妖競 二冊    【亀山曽我】念力岩  三冊 【福◎】萬穀◎    二冊    【山本勘助】軍配団  三冊 【弥陀次郞】踊大文字 三冊     【役者名物】略姿   二冊  家内儀魔離     三冊     【伏見夜舩】沖津白波 三冊 【浮世】めつけゑ   全     弁慶分身石     三冊  元木阿弥手柄噺   二冊    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    珍敷新板物 御慰ニ追々出し御覧ニ入可申候〟  ◯『稗史提要藁本』p415(宝暦七年刊)   ◇草双紙   〝板元の部 鱗形【鳥居清倍/同清満】〟    <七月 見世物 からくり細工(竹田近江)堺町>  ◯『観物画譜』2(朝倉無声収集見世物画譜『日本庶民文化史料集成』第八巻所収)   △2「からくり細工 大坂下り 竹田近江大掾」摺物 「鳥居清満筆」江見屋吉右衛門板    (竹田近江、十一年ぶりの下り興行、宝暦七年七月十五日より大当たり 桟敷三十六匁・切落し百三十二文)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦七年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦七年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『念力岩』『役者名物略姿』    ☆ 宝暦八年(1758)    ◯『草双紙事典』   (宝暦八年(1758)の新版「広告一覧」〔『孖孖孖』所収〕)   〝寅正月【新板】目録    絵師 鳥居清倍 鳥居清満     【通神】吾妻伽羅夫   五冊 【武勇熊谷】鉈捨山     三冊    【梅雨左衞門】名所井筒 三冊 【飛騨規矩】指南車     三冊    【吉田兼好】北山桜   三冊 【加茂長明】狸の腹◎    三冊    【伊豆御山】旭梛葉       道成寺昆原記       三冊    【本朝俚諺】藪香物   二冊 【酒餅陰陽】無間鐘     二冊    【分福】丹頂鶴     二冊 【うしにひかれて】善光寺詣 二冊    【助読】孖孖孖     二冊 【諸道まめ助】息才男    二冊    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    珍敷新板物御慰ニ追々出し御覧ニ入可申候〟    〈「日本古典籍総合目録」および『草双紙事典』ともに、この「寅」を宝暦八年とする〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦八年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦八年刊)   ◇黒本 青本      鳥居清倍画 同清満画 同清重画『仇敵打出小槌』    鳥居清満画『東伽羅夫』『分福丹頂鶴』    ☆ 宝暦九年(1759)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦九年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛板        中村座 署名なし  板元 不明        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ☆ 宝暦十年(1760)    ◯『草双紙事典』(宝暦十年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満『だるま』    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦十年刊)    十一月 中村座 署名なし  村山源兵衛板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『明石松蘇利』『通俗三国志』    ☆ 宝暦十一年(1761)    ◯『草双紙事典』   (宝暦十一年(1761)の新版「広告一覧」〔『娘敵討念刃』および『倭詞元宗談』所収〕)   〝ゑ本 巳之年新板目録    倭詞元宗談 上中下  今物語青柳塚   上中下    ◎帯日高川 上下   紅白三人女    上下    貧偸却恋歌 上下   勅宣養老水    上下    娘敵討念刃 上下  【化物】大穴底隠坊 上下   【化物】大居座後座 全      画師 鳥居清倍 鳥居清満    扨御断り申上げまする    一 めづらしきしんはんもの御なぐさみにおひ/\にいだし御らんに入奉り可申候 以上    戯作(麥沾宇)丈阿    彫工 町田平七 上村兵吉 橋上定七     通油町丸屋(◯の中に「山」の字の印)丸小 山本小兵衛版〟    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦十一年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十一年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『魁◎太平記』『◎帯日高川』『倭詞元宗談』『娘敵討念刃』    ☆ 宝暦十二年(1762)    ◯『稗史提要藁本』p411(宝暦十二年刊)   ◇草双紙   〝作者の部 丈阿    画工の部 清倍 清満 房信〟    ◯『草双紙事典』   (宝暦十二年(1762)の新版「広告一覧」〔『寺子短歌』所収〕)   〝【壬午】春新板物目録     画工 鳥居清倍 鳥居清満        【和田阿佐利】努陰陽尺鏡 五冊  可児才蔵花降里      三冊         義女再来記       三冊 【笛寄鹿手白猿】音曲猿沢月 三冊         吾妻権現由来      三冊  本津間之由来       三冊         盛遠夢浮橋       上下  源九郎狐出世咄      上下         鳥跡槿物語       上下  童子廓雛形        上下         往古噂放鳥       上下  八重桜倭歌        上下         御三稔奥羽鏁      上下 【木丸判官】太平樲     上下        【いろは文字】寺子短歌       珍敷御慰ニ新板物追々出し御目かけ可申候 已上〟    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦十二年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛正板 三板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『木起原』『恋紅染』『音曲猿沢月』『手玉元祖』    ☆ 宝暦十三年(1763)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(宝暦十三年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛正板    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十三年刊)   ◇黒本 青本    富川房信画『碓氷貞光奉公始』『吝坊竹子諍』『雪中濃両敵』『とんだ茶釜』『妖怪雪濃段』         『弓勢百太郎』    鳥居清満画『沖石水魚の筆始』『団十郎蓬芥伝』    ☆ 宝暦年間(1751~1763)    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」   ◇宝暦年間 赤本      『とら少将扇子八景』「絵師 鳥居清満画」鶴屋板    〈解題は「画風・内容ともに黒本風。髪形なども宝暦期とみてよいような作品」とする〉    ☆ 明和元年(宝暦十四年・1764)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和元年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板        森田座 署名なし  金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十四年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『海陸妖敲込』『初戯場平家連中』『文武平安城』『倭歌甘露雩』    ☆ 明和二年(1765)    ◯『草双紙事典』(明和二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『東荘寺合戦』    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和二年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 二板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(明和二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画    『都鳥艶物語』『忠臣仮名書初』 『東山獅子谷物語』 『佐々木三郎藤戸日記』    『根元草摺曳』『越後国夜都業油』『出雲於国 芝居始』    ☆ 明和三年(1766)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和三年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 三板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(明和三年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『凱結城合戦』『男色太平記』    ☆ 明和四年(1767)    ◯『草双紙事典』   (明和四年(1767)の新版「広告一覧」〔『うらしま』所収〕)   〝亥之歳新板絵本目録    【梅津のかもん 梅の由兵衛】向梅浪花質 上中下三冊     【山海妖物】怪談竪貫競         上中下三冊    【絵姿人形 綱手車】貝初七種薺     上下 三冊    【宇治橋姫】太平兜人形         上下 二冊     画師 鳥居清満      同  鳥居清経     戯作 八十二翁丈阿     画師 富川房信     彫工 町田平七 小林八之助 橋上定七    (□の中に「山」の字の印)松本治兵衛 板元     通油町売所(◯の中に「山」の字の印+「丸小」)山本小兵衛     扨御断り申上まする     一 めづらしきはんもの御なぐさみにおい/\にいだし御らんにいれ奉り可申候以上〟    〈『草双紙事典』は「亥之歳」を明和四年とした。またこの目録は本来『うらしま』のものではなく別本から綴じ合わ     せたものとする〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和四年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(明和四年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『妖物道成寺』『放下僧石枕』    ☆ 明和五年(1768)    ◯『稗史提要藁本』p424   ◇草双紙(明和五年刊)   〝作者の部 丈阿    画工の部 清満 清経 房信〟    ◯『草双紙事典』     (明和五年(1768)の新版「広告一覧」〔『大鳥毛庭雀』および『三世相袖鑑』所収〕   〝ゑ本 子之年新版目録    【初夢公時】娘独婿八人      上中下 【男女相性】三世相袖鑑        上中下    【信田小太郎小山判官】絹川思煙草 上中下 【ちゞとばゞばあつたとさ】大鳥毛庭雀 上下    【蛸の入道鯱之介】大朝比奈磯辺廻 上下  【鳥海弥三郎鎌倉権五郎】弓勢陸奥責  上下    【料理こん立狐のふる舞】娯伽草  上下  【七福神かへ名の役割】春遊座舗狂言  上下     画師 鳥居清満     同  鳥居清経     戯作 八十六翁丈阿     画師 富川房信     扨御段り申上げまする     一 めづらしきはんもの御なぐさみにおい/\にいだし御らんにいれ奉り可申候 以上     彫工 町田平七 小林八之助 松本清八 橋上定七    (◯の中に「金」の字の印)小間物屋伊兵衛板     江戸通り油街 丸屋(◯の中に「山」の字の印「丸小」)山本小兵衛〟     〈『草双紙事典』はこの「子之年」を明和五年とする。不審なのは戯作者・丈阿の年齢、この明和五年の目録では      〝八十六翁〟とあるが、前年の同四年の目録では〝八十二翁〟である〉         ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和五年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板     ◯「日本古典籍総合目録」(明和五年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『乾局』『鬼戯』『黒丸合戦』『鴟◎藤戸魁』丈阿作    ☆ 明和六年(1769)    ◯『草双紙事典』(明和六年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『雙面(鬼+奇)』〈画工名清満は推定〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和六年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(明和六年刊)   ◇黒本 青本    鳥利清満画『百六寿』『山口太郎秋道』    ☆ 明和七年(1770)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和七年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 二板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(明和七年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『京水染桜』『爺婆雀蜃』    ◯『役者裏彩色』明和七年刊役者評判記(八文字屋八左衞門著・『歌舞伎評判記集成』第二期十巻p31)   〝若女形之部    見立浮世絵師に寄ル左のごとし   【いわくあり開口】山下金作   森田座  何をされてもわつさりとする春信  〈鈴木春信〉    上上吉     吾妻藤蔵   市村座  武道にはちと角があつてよい菱川  〈菱川師宣〉    上上吉     中村喜代三郎 同座   どふみても上方風でござる西川   〈西川祐信〉    上上半白吉   中村松江   中村座  思ひのたけをかいてやりたい一筆斎 〈一筆斎文調〉    上上白吉    尾上松助   市村座  此たびはとかくひいきと鳥居    〈鳥居清満か〉    上上半白吉   瀬川七蔵   中村座  瀬川の流れをくんだ勝川      〈勝川春章〉    上上半白吉   山下京之助  森田座  風俗はてもやさしひ歌川      〈歌川豊春〉    上白上     尾上民蔵   市村座  うつくしひ君にこがれて北尾    〈北尾重政〉    上上      嵐小式部   森田座  いろ事にかけては心を奥村〟    〈奥村政信〉    ☆ 明和八年(1771)    ◯『草双紙事典』(明和八年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『男色太平記』『北条九代序』    鳥居清満画?『歌枕駅路硯』〈清満は推定〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(明和八年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        市村座 署名なし  中嶋屋伊◎◎門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(明和八年刊)   ◇黒本 青本>    鳥居清満画    『軍配団』『万燈会贄物語』『琵琶湖蝉丸実記』『鎮西八郎弓勢鑑』『陰陽 十二支記噺』    ☆ 安永元年(明和九年・1765)    ◯『草双紙事典』(明和九年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『明石松蘇利』『恋藤巴』『通俗三国志』     ◇「辰正月【新板】目録」(『功薬罐平』所収の「広告一覧」)   〝辰正月【新板】目録    絵師 鳥居清満 鳥居清経 北尾重政       【柿本人麿】明石松蘇利 五冊  【北条時頼】政道明月院 三冊       【化娘】沙門大黒舞   三冊  【九十六文】陸奥壺碑文 三冊         悪源太忿怒霹靂    三冊  【曽我武田】目貫因縁  三冊       【伊豆熱海】温泉縁起  三冊  【八百屋お七】恋藤巴  三冊       【貞節】女武者花鑑   二冊   鼠嫁入蝙床      二冊       【竹斎筍斎】悴褒医   二冊  【分福茶釜】功薬罐平  二冊       【世間形気】質屋本   二冊  【御月様いくつ】十三七 二冊        通俗三国志      十冊  【此度出来仕候、御求御覧可被下候】    (◯の中に三つ鱗の印)板元 鱗形屋孫兵衛    御慰ニめづらしき新板追々出し御覧に入可申上候 已上〟    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永元年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 二板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(明和九年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『公時接穂梅』『政道明月院』『陸奥壺碑文』    ☆ 安永二年(1773)    ◯『草双紙事典』(安永二年刊)   ◇黒本・青本    鳥居清満画『五衰殿熊野本地』〈宝暦十一年刊という説あり〉       ◇「巳正月【新板】目録」(『色里通』所収の「広告一覧」)   〝巳正月【新板】目録    絵師 鳥居清満画 鳥居清経画 北尾重政画       【鎧宮】麻布一本松 三冊   五衰殿熊野本地   三冊        変成男子悟衣川  三冊  【現在未来】鬼戯   二冊       【梅漬】膏惚薬   二冊  【宗祇俳諧】行脚物語 二冊       【野暮大尽】色里通 二冊   魁(鬼+堯)太平記 五冊     御慰にめづらしき新板追々出し御覧に入可申上候已上     (◯に三つ鱗印)板元 鱗形屋孫兵衛〟     〈『草双紙事典』はこの「巳」を安永二年(1773)とする。なお「日本古典籍総合目録」は宝暦十一年(1761)とする〉     ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永二年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        中村座 署名なし  中村屋板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 二板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(安永二年刊)   ◇黒本 青本    鳥居清満画『鴻巣禿倉』『百太老寿草紙』『いろは武者 九寸五分高名』    ☆ 安永三年(1774)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永三年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ◯「日本古典籍総合目録」(安永三年刊)   ◇黒本 青本     鳥居清満画『於満紅』『娜二代鉢木』    ☆ 安永四年(1775)    ◯『黄表紙總覧』前編   ◇黄表紙(安永四年刊)    鳥居清満画    『光明千矢前』  「鳥居清満画」     伊勢治板    『義貞智仁勇』  「鳥居清満画」     伊勢治板    『悟乳柑子』   「鳥居清満画」     鱗形屋板    『韛祭望腹皷』   署名なし       鱗形屋板    『源氏重代剣宮居』「鳥居清満画」「和祥作」鶴屋板    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永四年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 二板あり    ☆ 安永五年(1776)  ◯「国書データベース」(安永五年刊)   ◇黄表紙    鳥居清満画    『浮世風便女敵討』 清満画 鼎峨作 鱗形屋板    『忠臣矢口渡』  「画工鳥居清満筆」村田板  ◯『桐の島台』八文字屋自笑作 流行斎画 八文字屋八左衛門板 寛政九年(1797)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)    鳥居清満画   〝神社仏閣奉納之分 願主 嵐三五郎    安永五年申九月吉日 江戸 王子稲荷大明神 千本桜道行出半(?)の絵馬  鳥居清満画〟    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永五年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ☆ 安永六年(1777)       ◯『稗史提要』p351(安永六年刊)   ◇黄表紙    作者の部 春町 桂子 喜三二 鈴木吉路 錦鱗    画工の部 清満 清経 吟雪 春町 鳥居清長    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(安永六年刊)   ◇青本   『再板 舌切すゞめ』 「鳥居清満画」 鱗形屋板    〈解題、題簽が鱗形屋安永六年刊のものと同じとする〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永六年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛板 四板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 三板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 三板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(安永六年刊)   ◇黄表紙    鳥居清満画『上総七兵衛』    ☆ 安永七年(1778)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永七年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板 三板あり    ◯「日本古典籍総合目録」(安永七年刊)   ◇黄表紙    鳥居清満画『薄化粧七人美女』『奈良都八重桜』    ☆ 安永八年(1779)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永八年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 三板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板    ☆ 安永九年(1780)    ◯『黄表紙總覧』後編「刊年未詳・補遺」(安永九年刊)   ◇黄表紙    鳥居清満画    『三浦大助百六寿』「鳥居清満画」鶴屋板     〈『黄表紙總覧』後編「刊年未詳・補遺」備考、明和六年板『百六寿』の改刻改題再板本。      絵題簽より安永九年刊とする〉    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(安永九年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板       ☆ 安永年間(1772~1781)    ◯『黄表紙總覧』後編「刊年未詳・補遺」(安永年間)    鳥居清満画    『新田一代記』「画工鳥居清満筆」村田屋板      (刊年未詳)    『遠霞平安城』 「鳥居清満画」西宮板    『黒崎かつせむ』〔鳥居清満画〕西宮板    『名将智勇鋒』 「鳥居清満画」西宮板    ◯「日本古典籍総合目録」   ◇黒本    鳥居清満画『こく性や合戦』    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」   (刊年未詳の赤本)   『恵方馬づくし』(鳥居清満 鶴屋版)    〈解題、朝倉無声の『新修日本小説年表』に拠るとする〉    ☆ 天明元年(安永十年・1781)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(天明元年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 二板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛正板 三板あり    ☆ 天明二年(1782)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(天明二年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板        市村座 鳥居清満筆 中嶋屋伊左衛門正板 三板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛正板 二板あり    ☆ 天明三年(1783)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(天明三年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        市村座 署名なし 中嶋屋伊左衛門正板 三板あり        森田座 署名なし 山口又治郎板     ☆ 天明四年(1784)    ◯「江戸顔見世番付諸板一覧」(天明四年刊)    十一月 中村座 鳥居清満筆 村山源兵衛正板 二板あり        桐 座 鳥居清満筆 松本屋万吉正板 三板あり        森田座 鳥居清満筆 金井半兵衛板       〈鳥居清満の顔見世番付はこの年が最後。署名の入った番付では、宝暦四年(1754)以来ちょうど三十年間欠かさず担当     したことになる〉  ☆ 天明五年(1785)(四月三日没・五十一歳)    ☆ 刊年未詳    ◯『草双紙事典』(刊年未詳)    鳥居清満  『源氏の勝鬨』 刊年未詳    鳥居清満画 『篠塚角力遊』 刊年未詳    鳥居清満筆 『ちくさい』  刊年未詳    ☆ 没後資料    ☆ 寛政六年(1794)    ◯『黄表紙總覧』中編(寛政六年刊)    鳥居清満画    『分福茶釜』鳥居清満画 西村屋板     〈宝暦八年刊の青本『丹頂鶴』の改題改刻再板本〉    『軍配団』 鳥居清満画 鶴屋板     〈明和八年刊板の改刻再板本〉    ☆ 寛政七年(1795)    ◯『黄表紙總覧』中編(寛政七年刊)    〔 〕は著者未見、或いは他書によるもの、または疑問のあるもの    鳥居清満画『弘法大師御本地』〔鳥居清満画〕村田屋板    〈作者・画工名なし。備考、宝暦五年刊の再摺本〉  ☆ 寛政十二年    ◯『浮世絵考証(浮世絵類考)』〔南畝〕⑱441(寛政十二年五月以前記)   〝鳥居清信弟子 一枚絵、草双紙をかけり〟    〈『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師人名」によると、初代清満は鳥居清倍の弟子とされる〉    ◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)    「鳥居派系図」    △『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802))〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕   〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ    るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編    に委しくすべし    倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)     昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世      鳥居庄兵衛清信  清倍  清重  清満 秀  清経  清広      とりゐ清長 関   (他派の絵師は省略)〟
   『稗史億説年代記』 三馬自画作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)        〝青本 赤本は此節絶ゆる。青本新板として黒本は古板と称す    同  青本に彩色摺の外題をはりて鱗形屋より始めて新板    画工 鳥居清満 経、同清長、北尾重政、いづれも同じ絵風にて、少しづつの変りあり    同  鳥居家の風、清経よりはじめて、少し当世に移る。此頃の書入文句に野暮なる洒落混る    作者 喜三二、通笑つくる。恋川春町一流の画を書出して、是より当世にうつる〟    ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)      〝三馬按、三芝居看板ヲ受継タル順当ハ       元祖  庄兵衛清信      四代  清長  清満門人也       二代  清倍  清信男也   五代  清峯  清満孫也、今清満ト改ム。清長門人也。       三代  清満  清倍男也      三代清満ノ実子ハ、浮世絵ヲ学バズシテ縫箔屋ヲ業トシ、和泉町ニ住ス。仍之清長姑ク看板絵      ヲ相続セリ。其縫箔屋ニ忰アリテ、清長門人トナリ清峯トナル。今二代目清満ト改テ三芝居番      附絵、看板ヲ画ク。是即三代清満ガ為ニハ実ノ孫ナリ〟    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③291(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「鳥居清長」の項)
   「鳥居清信系譜」〝(清倍門人)三代目 清満【俗称半二 芳町三味線師】弟早世〟    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
   「鳥居清信系譜」〝鳥居二代目清倍門人 三代目 清倍男トモ 清満 俗称半三 芳町 三味線所 弟早世〟    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1380(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   (「鳥居清信系譜」より)   〝弟子 清満 【一枚摺ニ六代目、コレマデ代々実子ト云々、俗名亀次郎、一枚摺ニ云、現在ノ清満ハ最    初清満の孫也】〟
   「鳥居清信系譜」  ◯「【中興/近代】流行名人鏡」(番付 一夢庵小蝶筆 板元未詳 刊年未詳)   (東京都立図書館デジタルアーカイブ 番付)    (下段 西)    〝古作 文政 曲亭馬琴  一流画 安永 鳥居故清満 戯作 文化 十返舎古一九〟  ☆ 明治元年(慶応四年・1868)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪192(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「鳥居清信系譜」〝(鳥居清満)実子 清満 画不学。和泉町ニ住シテ縫箔屋行業トス〟    ☆ 明治以降(1868~)    ◯『扶桑画人伝』巻之四(古筆了仲編 阪昌員・明治十七年(1884)八月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝清満    鳥居氏、名ハ清満。清倍ノ男ナリ。家風ヲ画ガキテ江戸歌舞妓ノ絵看板及ビ一枚摺ノ江戸絵又草双紙ノ    板下等ノ画ヲ能クセリ〟  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝宝暦 鳥居清満     清倍の男、家風を継て、歌舞伎看板に及び世俗を能くす〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』上p99(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝鳥居清満    初メ清満、後清信ト改ム、通称半三、清倍ノ男、家風ヲ守リテ画ヲ能クス、江戸歌舞妓ノ絵看板及ビ一    枚摺ノ江戸絵又草双紙ノ板下等ヲ画ケリ、其後清満ト名クル、鳥居派ノ画家数人アリト云(鳥居系譜の    燕石十種)〟     ◯『古代浮世絵買入必携』p3(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝鳥居清満    本名〔空欄〕  号〔空欄〕  師匠の名〔空欄〕  年代 凡百五六十年前    女絵髪の結ひ方 第三図・第四図(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 漆絵、丹絵、紅絵、墨摺絵本、肉筆    備考   鳥居家の三代目なり〟    ◯『浮世絵師便覧』p231(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝清満(ミツ)    清倍の次男、鳥居三代、一説に、清信の次男といふ、俗称半三、三味線製作を業とす、天明五年死〟    ◯『名人忌辰録』上巻p13(関根只誠著・明治二十七年(1894)刊)   〝鳥居清満 三世    俗称半三。始め清元芳師三味線所、後鳥居養子と成る。天明五巳年四月三日歿す、歳五十一。    浅草寺町法成寺に葬る〟     ◯『高名聞人/東京古跡志』(一名『古墓廼露』)(微笑小史 大橋義著 明治三十一年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(33/119コマ)   ※(原文は漢字に振り仮名付だが、本HPは取捨選択。半角括弧(かな)で示す)   〝鳥居清満 (浅草)永住町 法成寺    鳥居風と云て、今猶芝居の招牌(かんばん)に、其流伝へて衰へず、墓は大勢合葬にして、先祖代々と上    に刻す〟   ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(29/103コマ)   〝鳥居清満【元文元~五年 1736-1740】    清信の次男、一に清倍の男とも云ふ、鳥居流の三代目なり、通称半三、芳町に住みて、三味線を製作す    るを業とし、傍ら一枚絵を画きしと云へり、天明五年に没す〟  ◯『浮世画人伝』p24(関根黙庵著・明治三十二年(1899)五月刊)   (「鳥居清信系譜」より)   〝清満     次男、通称半三、葭町ニ住。三味線渡世。天明五年四月三日卒、法名善院(ママ)要道日達、法成寺ニ葬ス〟
   「鳥居清信系譜」  ◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊)   「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇『浮世絵画集』第一輯(明治四十四年七月刊)   (絵師)鳥居清満(画題)「子供舞図」(制作年代)明和安永頃(所蔵者)九鬼周造〟  ◯「集古会」第百三十五回 大正十一年(1922)一月(『集古』壬戌第二号 大正11年2月刊)   〝林若吉(出品者)赤小本 鳥居清満歟 桃太郎 八丁一冊〟  ◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)   (国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)    鳥居三代目清満(◇は所蔵者)   ◇鳥居清忠「菅公象画賛」肉筆 紙本着色 巾八寸 立三尺   ◇春慶寺 「大星由良之助図」額(額縁に五代目坂東彦三郞とあり)〈三代目かどうか未確認〉  ◯「集古会」第百五十五回 大正十五年(1926)三月(『集古』丙寅第三号 大正15年5月刊)   〝林若樹(出品者)     鳥居清満筆 細絵 役者絵     一枚 賛 つがもない散ず萎ず江戸桜 丈阿     同        嵐和歌野鐘入図 一枚  ◯「集古会」百五十八回 大正十五年十一月(『集古』丁卯第一号 大正16年1月刊)   〝浅田澱橋(出品者)三世清満筆 市村羽左衛門〟〈鳥居家三世とみた〉  ◯『狂歌人名辞書』p59(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝鳥居清満(三代)、通称亀次郎、清倍の次男、黒本の挿画及錦絵を描けり(一書に俗称半二、清信次男    とあるは誤)、天明五年四月三日歿す、年五十一〟    ◯「集古会」第百七十回 昭和四年三月(『集古』己巳第三号 昭和4年5月刊)   〝林若樹(出品者)鳥居清満画 細絵 道成寺 一葉 嵐和歌野 市川久蔵 いがや板〟  ◯「日本小説作家人名辞書」p799(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝鳥居清満    通称亀次郎。鳥居清倍の次男、葭町に住み三味線職、浮世絵家、天明五年四月三日歿、年五十一。「恵    方馬づくし」(赤本)、「舌切すゞめ」(赤本)等の作者〟  ◯『浮世絵師伝』p42(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝清満    【生】享保二十年(1735)  【歿】天明五年(1785)四月三日-五十一    【画系】二代清倍の次男   【作画期】延享~天明    鳥居氏、俗称亀次郎、画を父に学び夙に出藍の誉れあり、宝暦二年(十八歳)の春妻を迎へ、同年六月    二代清信の歿するや、清信の実子既に夭折して在らず、乃ち彼れ其の後を承けて鳥居家の世業を継げり、    画系上彼を以て三代目とす。作品には紅摺絵(宝暦十三年作、口絵第二十図参照)・錦絵及び芝居番附    等の外に、草双紙の挿絵甚だ多し、其の初期時代には、主として黒本を画きしものなるべく、延享四年    (十三歳)版の黒本『【振袖蝉丸】対面の琵琶』は、恐らく彼の処女作ならむ。彼の画風は、初め父の    感化を受くる所多かりしが漸次他の特長をも参酌し、殊に美人画に於ては、鳥居家在來の類型を破りて、    一層繊維優婉の情趣を添ふることに努めたり、たゞ芝居看板及び番附等には、比較的伝統を重んじ、範    を先例に求めし所多かりしが如けれども、しかも尚ほ看板絵に金具張の新月を用ゐ、或は土場を描くに    真の砂粒を散布せしなど、彼独創の技巧を施せしを見れば、これ亦必ずしも守旧をのみ事とせざりしは    明かなり。    彼れ宝暦五年に一女(名はえい)を儲け、後ち一男を挙げしが安永元年早世して男嗣絶えたり、よつて    其の前年(明和八)長女の聟とせる上絵職松屋某に己が俗称(亀次郎)を譲りて、これを後継者と定め    しも、固より画系を継ぐべき素養無かりしかば、彼の歿後は、孫庄之助(清峰)の代に至る期間を、門    人清長によつて聯絡せられしなり。法名廣善院要道日達信士、代々の菩提所法成寺に葬る〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「寛延三年 庚午」(1750)p102   〝正月、鳥居清満の画作黒本『化物義経記』(清満の画作黒本は延享四年に既に『振袖蝉丸対面の琵琶』    あり。)〟     ◇「宝暦四年 甲戌」(1754)p108   〝此年市村羽左衛門座の狂言絵本『皐需曽我橘』二巻出づ。画工は鳥居清満、版元は鶴喜なり。    又中村座の狂言絵本には西村重長の画ける『百千鳥艶郷曽我』あり〟     ◇「天明五年 乙巳」(1785)p141   〝四月三日、鳥居清満歿す。行年五十二歳。(清満は鳥居家の三代を継ぎ、実に清倍の次男なり。今の所    謂三色版を発明し、我版画界に特に功績ありし人なり)〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「豊島区」法成寺墓地(駒込六ノ七五六)寺は浅草松山町(顕本法華宗)   〝鳥居清満(画家)三代、通称亀次郎。天明五年四月三日歿。年五十一。廣善院要道日達〟    △『増訂浮世絵』p99(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝鳥居清満    清満は鳥居家の三代を継いだ人で、享保十年、江戸浪花町の鳥居家に生れ、清倍の次男であつた。父に    就いて画技を修め、清倍の没後、家名を継いで、芝居看板絵の世襲業に従事する傍ら、黄表紙や黒本に、    非常な勢力を以て、挿絵を画き紅摺絵を製作した。    清満はなか/\技術の優れた人であり、且つ才気に富み、器用であつた。看板絵の吉例となつてゐる。    三日月に銀金具を用ふることは、清満の工風に成つたもので、以て遠視の効果を大にしたのである。    清満は多く役者を画いたのであるが、一種の清満の典型をなす程、様式化したのである。従つて千遍一    律の嫌がないでもないが、常用の形式には、一種の特色をもつて居たことは認められる。優美と典雅の    趣に於ては優れて居る。清満の版画で特に注意すべきは、裸体の婦女をかくことに妙を得たことである。    如何にもよく日本婦人の裸体の姿を写し得て居る。かやうな図は入浴並に浴後の美人姿で、或は海女を    かいたり、或は美人の化粧する所を写して、頗る肉感的に作って居る。当時評判がよかつたといはれる    のも道理である。かやうな美人画に妙を得たことは、鳥居流としては、旧来の画風に一大変革を与へた    ので、注目すべきことであるが、退いて考へると、鳥居独特の役者絵の版画から、美人画に転じたので    あつて、鳥居家全体の上から見ると、次の清長が美人画に傑出するの素地を与へたものと考へられる。    また一面からは、清満を以て鳥居の役者の版画の殿将としなければならぬ。何となれば鳥居家は芝居の    看板絵にこそ、家業の独特の彩筆を今日まで揮つて居るが、版画界に於ては勝川春章が役者に写実な立    派な絵を作るやうになり、版画界に於ける鳥居流の領域は痛く侵害されたからである。    清満の版画の例としては、役者絵として、悪七兵衛景清の牢破り図を挙げる。これは景清の勇猛な所作    を画いたもので、鳥居流の役者絵の名残を見るに足るものである。その表現も勇壮なものであるが、然    し清信清倍の特色ある表現とは異り、その描線も穏かとなり、所謂蚯蚓描の特色が薄くなつてゐる。然    かもこの図は勇猛な姿をあらはしてゐるから、鳥居風の特技も見らるゝのであるが、同じ役者絵でも、    穏かな場面をあらはしたものでは、全くこれと異つて、優麗な表現となつてゐる。従つて美人画を表は    した場合には、更にやさしい表現を以てして、清満の特色をあらはしてゐる。これ清満に至つて、鳥居    家の手法に大きな変化を来たした所以なのである。    次に肉筆画に於ては、どうであらうかといふに、これまた優れた手腕をもつて居る。版画に於けるやう    な流麗な趣致のものではないが、描線も中々力あり、賦彩の術にも長じたものである。家業の看板絵を    筆にする習慣で、一種の画風を画くに至つたのであらう。清満の肉筆画の例としては、市川団十郎の四    扮装を一図に画いたものゝ如きは、その代表的のもので、これによつて画技の如何をみることができる。    (中略、大正十二年五月発行の国華に木版色摺として掲載の由)    清満は天明五年四月三日、享年五十一で没した。それに先立つて安永二年六月に相続者である男子が夭    折したので、後継者が無かった。そこで門人清長が中継養子として家名を襲ふた。後の清満の女婿松屋    に生れた孫の庄之助が成人した時、二世清満を名乗つて、鳥居家五代を称したのである。    墓は鳥居家の菩提寺なる法成寺にあつたのが、今染井墓地に移されて居る。法名を広善院要道日達信士    といふて、清倍の墓石に刻まれて居る〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔鳥居清満画版本〕     作品数:149点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:鳥居清満    分 類:黒本青本58・黒本45・青本24・黄表紙11・赤本3・歌舞伎3・絵本番附2・        顔見世番附2・浮世絵1・地誌1    成立年:延享3~4年(3点)        寛延3年  (1点)        宝暦2・4~8・10~13年(24点)(宝暦年間合計25点)        明和1~8年(27点)        安永1~7年(19点)(安永年間合計20点)