◯「古野の若菜」山崎麓著(『江戸文化』第三巻六号 昭和四年(1929)六月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『古野の若菜』(24/36コマ)
〝「古野(ふるの)の若菜」と云ふ一巻は、常陸鹿島神社の代々宮司をして居た鹿島家の所蔵本である。近
頃同家の当主鹿島則幸氏に見せて貰つたから紹介する事にした。
同書の目次は次の如く記してある。
◯大和の大よせ 菱川筆 天和二年刻
◯草花宮城野 同 同時
◯百女一巻 同筆 元禄八年刻
〈以下、菱川以外の書名は略。寛永から元禄にかけて出版された草子類13部〉
右十七部の要をつみとりて一巻とし古野の若菜と号ケて蔵む
嘉永三年卯月六日 篠廼屋狂夫
終末の断り書でわかる如く、以上十七部の端本の一部づつを集めて合冊にしたものである。篠廼屋狂
夫とは何人か不明であるが、欄外に種々の書入れがあり、夫には守田翁とある、蓋し同人であらう。
以下順次に内容に就いて説いて行かう。
△大和の大よせ
原書二枚だけを採つてある。此書は菱川師宣の代表的艶本であるが、茲には淫猥でない画だけ撰んだ
ものらしい、原本奥付には「此一冊菱川氏之絵師、大伝馬三丁目鱗形屋開板」とあり刊年月は明記して
無い、本巻に綴つてあるのは十七丁十八丁及廿一丁、廿二丁の半丁づつであるが、その廿一丁の盂蘭盆
の灯籠に「天和二年七月朔日」と明記してあるので、註者守田翁は「コノ一丁にて天和二年ナルコト明
ケシ」と云つて居るが、夫で此書が天和三年の刊本なる事が明確であらうと思ふ。板倉氏編の艶本目録
に「江戸堺町物の本屋極屋与市板」と記してあるのは再摺本か、現本を比較し得ないから、何とも云へ
ない。
(以下、本誌の口絵とした十八丁詞書の翻刻あり、省略)〟
〈再摺本かとする版元「極屋与市」は「柏屋与市」の誤記ではなかろうか。〔国書DB〕の統一書名は『やまとの大寄』天
和三年刊〉
△草花宮城野
十丁の表裏しか綴つてない。完本を見た事がないから、絵模様だけで推測するのであるが やはり菱
川師宣筆の艶本らしい、下に若い男女、或は婦人の姿態を描き、上に草花の名と俳句とが記してある、
十丁の裏の草花の図柄が性的の意味にとれるやうになつて居る。(艶本に往々見受ける意匠である)註
に次の如く記してある。〈註は上記守田翁のもの〉
「此画風を当時の四五本にてらし合せ考ふるに、菱川吉兵衛が筆なるべし、されど年号見えざれば発兌
の年を今知るよしなし。此本こゝより末十丁許もうせたるものとおぼし、巻末には画者の名及発板の
年号などもあるにや。按るに『毛吹草』の発句をのせ『紫一本』の歌を出ししなどもて思ふに、貞享
中か元禄はじめ比の印本なるべし」
次に朱字細書で次の如く書入がしてある。
「森正朝此本全部を得たり それを見るに此本上中下三巻ものにして、これは上の巻也、書名『草花宮
城野』とあり、下の巻末に山本九左衛本(ママ)板とありて発兌の年号はなし、天保十五年十月十五日書
つく」
〈『草花宮城野』の関する記事はこれだけのようで、他に見えない。〔国書DB〕にも記載がない〉
△百女一巻
此書は大本一巻で、原本の奥付に「元禄八亥歳正月吉日、画師菱川師宣、書林松会朔旦」とあるもの
である。註を記すと
「菱川吉兵衛師宣筆、元禄八年印本、今年に至り百四十一年に及べり、此書名百人女郎といひて上下二
巻のうちの是は下の巻なるべし、画中古代考証のたよりとなる事あり。
天保六年五月十八日 苫廼屋蔵 印」
稽の屋(ママ)は守田翁の号であると見え、下の印に守田翁と見える。此説の誤つた事を悟つたらしく直
ぐ右横に書入がある。
「さきのとし此菱川本のなかばを得て左の如くしるし置きしか、今此半の上の方を得て、かれとこれと
合せ見るに 左に記せしは誤也、故に今改記す。此書は全一巻のものにして丁数三十四葉也、そをふ
み屋が手に二ツにさきて二巻とせしもの也、書名左に記せしは違へり、此巻のはじめに「百女一巻」
とあり。もとも師宣筆のものにて百人女郎といへるものあるよし、耳に聞はさみたればそれなるべし
と、そゞろに思ひしなり【西川筆にも同名のものあり】
半よりすゑはさきに天保六年五月十八日に得たるところのものにして、半より上は今同十年四月十に
得たり、あはひ四とせを経てここに全本となりぬ。
卯月十一日 浦屋のやどりにむらきみがかいつけ蔵」
(以下、図様の説明と詞書あり、略)〟
〈〔国書DB〕の統一書名は『和国百女』三巻一冊・元禄八年刊〉