Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ほういつ さかい 酒井 抱一浮世絵師名一覧
〔宝暦11年(1761)7月1日 ~ 文政11年(1828)11月29日・68歳〕
 ☆ 天明五年(1785)    ◯『狂言鶯蛙集』〔江戸狂歌・第二巻〕朱楽漢江編・天明五年刊   〝九月尽  尻焼猿人      長月の夜も長文の封じめを明れば通ふ神無月なり〟   〝寄皷恋  尻焼猿人      音に立てなをも皷のうつゝなや三つ地の文の長地短地〟    ◯『三十六人狂歌撰』〔江戸狂歌・第三巻〕四方赤良編・丹丘画・天明五年(1785)刊   〝尻焼猿人      長月の夜も長文のふうじめをあくればかよふ神無月なり〟    ◯『俳優風』〔江戸狂歌・第三巻〕唐衣橘洲、朱楽菅江、四方赤良編・天明五年(1785)八月成稿   〝巻軸 三浦屋あけ巻  尻焼猿人狂 スキヤ      月の夜もよし原ばかりやみにせんこのあけ巻に棒をあてなは〟    〈「スキヤ」数寄屋連所属の意味〉    ☆ 天明六年(1786)      ◯『新玉狂歌集』〔江戸狂歌・第三巻〕四方赤良編・天明六年(1786)刊   〝春の興われも哥人のはし鷹にならばゝならべなら尾ならしば〟    ☆ 天明七年(1787)    ◯『狂歌才蔵集』〔江戸狂歌・第三巻〕四方赤良編・天明七年(1787)刊   〝寄鍔恋  尻焼猿人      ぬしさんにはゝきもとまで恋のふち人の目貫をかね家のつば〟    ◯『狂歌千里同風』〔江戸狂歌・第三巻〕四方山人序・天明七年(1787)刊   〝としのはじめによみ侍りける  尻焼猿人      楊弓をはるは来にけり結紋場霞の幕もあらたまりぬる〟    ☆ 天明八年(1788)    ◯『南畝集 七』〔南畝〕③484(天明八年一月十五日賦明記)(漢詩番号1400)  〝上元宴屠竜公子館  金馬門前白日開 上元春色満楼台 和令飛蓋遊西苑 天下誰当八斗才〟    〈新年早々、酒井雅楽頭の家に招かれたようだ。目出度い席である。南畝は屠竜公子(抱一)の詩文の才能を高く評価     し祝福した〉    ☆ 寛政三年(1791)    ◯『南畝集 九』〔南畝〕④93(寛政三年八月頃賦・漢詩番号1750)  〝秋日過屠竜公子   屠竜公子在江皐 百尺楼頭臥自高 晩命漁人聊下網 得魚新欲酌醇醪〟    〈前出の荘厳な館と違って、こちらは水辺の別荘らしい。とはいえ百尺楼頭であるから、庵などという代物ではない。     姫路侯・酒井雅楽頭の次男ともなるとさすがに豪勢だ〉    ◯『南畝集 九』〔南畝〕④138(寛政三年賦・漢詩番号1890)  〝屠竜公子席上 題妬婦夜祈貴船祠図  香羅曾結両同心 海誓山盟契濶深 溝水応須無断絶 谷風何事変晴陰     伐柯斧使良媒失 積羽舟随旧怨沈 苦向叢祠将告訴 松杉夜色気蕭森〟    〈いわゆる丑の時参りの図に南畝の題〉      ☆ 寛政七年(1795)    ◯『四方の巴流』〔江戸狂歌・第四巻〕鹿津部真顔編・寛政七年(1795)刊   〝俊成の古今は定家にゆづられ、四方先生の箱伝授は鹿津部の文庫に納る、すみ蔓長く伝り関取のあとた    へず、今や日のした開山の狂歌堂にあふがん事、林にしげき木葉のごとき狂歌師もはる雨のふる葛籠の    底にうちはたき恵比寿うた一首きこへ奉るになん   尻焼猿人      斯うといへばいな負背鳥呼子鳥そのあぢはひも百千とり/\〟    〈四方先生とは四方山人(赤良、後の蜀山人)。この年、四方赤良は古今伝授よろしく、狂歌堂鹿津部真顔に秘伝をさ     づけて判者を譲った。尻焼猿人はそれを言祝いだのである〉    ☆ 寛政九年(1797)   ◯「会計私記」〔南畝〕⑰48(寛政九年一月一日)      〈南畝、年始の挨拶に行く。酒井栄八殿と記す〉    ☆ 享和二年(1802)    ◯『狂歌東来集』四編〔江戸狂歌・第五巻〕吾友軒米人編・享和二年(1802)刊   〝つゝめども袖よりもるゝ梅がゝを唯は通さぬうくひすの関〟    ☆ 享和三年(1803)    ◯『細推物理』〔南畝〕⑧366(享和三年六月一日明記)  〝伝法院にて、開帳の前にぬかづき、矢大臣門前を出て、富士浅間の宮にまうで、等覚院殿をとふにあは   ず〟    〈「等覚院」がすなわち抱一である〉    ◯『細推物理』〔南畝〕⑧371(享和三年六月十五日詠明記)  (狂歌師花の屋道頼の宅にて)  〝襖に屠竜子の画き給ふといふ一つの柿の実あり。たはぶれに筆とりて  歌の道に熟したる人丸かぶりたつた一つの柿のもとにて〟    〈南畝、新材木町の花の屋少々道頼の家に、抱一の画く柿の絵を一見。花の屋は文化七年四月逝去、南畝は追悼歌を詠     んでいるから、親密な交渉であったようだ〉    ◯『増訂武江年表』2p25(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「享和三年」浅草田圃、太郎稲荷参詣群集の記事に続き)   〝文化元年抱一上人画会の時、「絵をかくか願ひかくるか此のくんじゆ太郎さまへか屠龍さまへか」〟    ☆ 文化五年(1808)    ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)<   ◇絵本(文化五年刊)    酒井抱一『俳諧百職人』一冊 酒井抱一画 正東坊百我著〔目録DB〕  ☆ 文化九年(1812)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化九年刊)    酒井抱一画『花濺涙帖』一帖 雲室・文晁・月窓・紹真・文一・抱一暉真・武清他〔漆山年表〕    ◯『放歌集』〔南畝〕②177(文化九年一月上旬詠)   〝鶯村君の松の画は金川宿羽根沢といふ楼の庭にある松なり  かな川の松の青木の台の物洲浜にたてる鶴の羽根沢〟    〈「鶯村君」とあるのが抱一。この松の画をどこで見たものか記述がない〉    ◯『増訂武江年表』2p46(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文化九年」九月、巣鴨染井の植木屋にて、菊の花の人物鳥獣の造作大評判になる。文化十三年迄続く)   〝此の時「菊の番付案内記」、絵草紙類あまた印形せり、抱一上人、植木屋何某が庭中の作り菊を譏りて    「見劣りし人のこころや造り菊」〟    〈「屠龍」が抱一〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文化十年刊)    酒井抱一画『四季花鳥図巻』二軸 酒井抱一画〔目録DB〕    ◯「序跋等拾遺」〔南畝〕⑱556(文化十年三月八日記)  (文化十年刊の抱一著「屠竜之技」に南畝の跋)  〝覃(南畝)識抱一隠君 蓋三十有余年。隠君之操。終始如一。性好誹諧。善図画。〈以下略〉  文化癸酉晴明後日 南畝覃書于緇林楼中〟    〈文化十年の「三十有余年」前となると、安永の末年ということになる。しかし管見では、安永期・天明初年の交遊記     事は見当たらない〉    ☆ 文化十一年(1814)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化十一年刊)    酒井抱一画『春野七種考』一冊 武清・文一・抱一他画 菊塢撰 山城屋左兵衛板〔漆山年表〕    ☆ 文化十二年(1815)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化十二年刊)    酒井抱一編『光琳百図』二冊 抱一暉真撰 亀田鵬斎序〔漆山年表〕    ◯『六々集』〔南畝〕②222(文化十二年一月詠)  〝抱一君の梅のずあえの図に  如意々々と素枝の出しもとよりも宝珠のごとき梅の花さく〟    ◯『南畝集 十九』〔南畝〕⑤341(文化十二年二月上旬賦・漢詩番号3972)  〝春日尋抱一隠君  狂風処々起清芬 不是探梅偶訪君 幽谷孤鶯求友入 片時閑話洗塵氛〟    〈南畝、根岸の里に抱一を訪問するのは、俗塵を洗い流すためでもあったようだ〉    ◯『万紅千紫』〔南畝〕①279(文化十二年二月記)      〈〝根岸の抱一隠君〟を訪問したという詞書あり。そしてその詞書の欄外に注記して〝等覚院抱一君称鶯邨〟とあり。     この詞書は前項と同じ日のものか〉    ◯『七々集』〔南畝〕②279(文化十二年十一月二十一日明記)      〈「後水鳥記」より。この日千住にて酒戦あり。抱一、亀田鵬斎、谷文晁、南畝立会う。普段は幽谷に住む隠君抱一も、     時折はこうした戯れにうち興じたのである。谷文晁の項参照〉    ☆ 文化十三年(1816)    ◯『芦荻集』〔江戸狂歌・第十巻〕紀真顔著・文化十三年(1816)刊   (紀真顔詠)   〝抱一大とこのかき給へる一枝の梅のゑに      かうばしき筆のかをりは散らさじと袖もて抱く一枝の梅〟    ◯『七々集』〔南畝〕②298(文化十三年二月中旬詠)  〝抱一上人、月と鼈のゑに  大空に月にむかへるすつぽんの甲のまろきや地丸なるらん〟    ☆ 文化十四年(1817)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文化十四年刊)    酒井抱一画    『万象即吾師』一冊 酒井抱一画〔目録DB〕    『鴬邨画譜』 一冊 抱一暉真筆 董堂敬義序 和泉屋庄七郎板〔漆山年表〕    ☆ 文化年間(1804~1817)     ◯『増訂武江年表』2p57(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文化年間記事」)   〝画 狩野伊川院法印、同晴川院法印、同素川彰信、抱一君、谷文晁、同文一、依田竹谷、英一珪、長谷    川雪旦、鈴木南嶺、大岡雲峯、春木南湖。     筠庭云ふ、竹谷などを出して雨潭を出さず。其の外も猶あり〟    ☆ 文政元年(文化十五年・1818)    ◯『紅梅集』〔南畝〕②338(文化十五年四月十二日詠明記)  〝卯月十二日、鶯邨上人のやどりに晋子のかける光陰の道行といふものをみて  光陰の道行はやかくれ家は鶯村も山ほとヽぎす  所からちかき山屋の若楓岡べのまくづかヽるもてなし  夕ぐれに山の根ぎしをいでくればいそぐ四つ手に帰る安茀〟    〈「晋子」は俳諧師・榎本其角のことか。山屋は吉原の名物豆腐屋。岡部は豆腐の異称〉    ◯『紅梅集』〔南畝〕②349(文政一年七月詠)  〝抱一上人より三幅対の画讃をこひ来る  中は遊女の形にして、花に権現の事をよむべきむねをこふ   おいらんの中座の蔵王権現はこがねのみねの山にこそすめ  左右は里の藝者の形して、手に桜のはなをもてり。子守勝手の明神のうたよめといふ  一きりに千代をこもりの神ならばいざせん香をたて直さばや  いにしへの静がまへる法楽も花をもらふが勝手なるべし〟    ☆ 文政二年(1819)    ◯『半日閑話 次五』〔南畝〕⑱204(文政二年十月記)  (杉本茂十郎旧宅、恵比寿庵所蔵書画、一蝶の項参照)  〝松竹梅の間 十畳 抱一筆 袋戸、松竹梅、同筆〟    ◯『麓の塵 巻三』〔南畝〕⑲510(日付なし)  〝袖移香  古きうたのよし、土佐画の図あり。次君名忠因称栄八、姫路大守乃二郎君のもとにて見侍りし〟    〈酒井抱一と南畝の交渉は天明初年、狂歌の関係から始まるのであろう。以来題画も多く、身分の違いを越えて息の長     い交遊が続いた〉    ☆ 文政四年(1821)    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』)   ◇狂歌(文政四年刊)    酒井抱一画『草のはら』一冊 北斎・北渓・抱一其他 六樹園撰 彷徨亭〔狂歌書目〕    ☆ 文政五年(1822)    ◯「絵入狂歌本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇狂歌(文政五年刊)    酒井抱一画『蓮華台』徳成父対善集 一冊 抱一・北斎他画 山田徳成版〔狂歌書目〕〈〔目録DB〕は文政九年刊〉     ☆ 文政六年(1823)     ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政六年刊)    酒井抱一画『仏説摩訶酒仏妙楽経』狂文 一帖 文晁・抱一画 鵬斎興訳〔漆山年表〕     ☆ 文政八年(1825)      ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政八年刊)    酒井抱一画『料理通』二編 一冊 北斎改為一筆 抱一筆 文晁筆 渓斎筆 鳴門 赤子筆                    鵬斎興序 八百善跋 甘泉堂板〔漆山年表〕  ☆ 文政九年(1826)      ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文政九年刊)    酒井抱一画    『狂歌の集』一冊 北渓 西山 文晁 南湖 閑林 国貞 蹄斎 抱一 国直 嶌蒲 桜川慈悲成賛              辰斎 為一筆 六十翁雲峰 六樹園序 徳成蔵板〔漆山年表〕      ☆ 文政十年(1827)      ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政十年刊)    酒井抱一画『酔墨帖』一帖 抱一・春暁斎・豊彦・景文・孔寅・文晁・真虎・皓月永春・公長他                 七十五翁六樹園序〔漆山年表〕    ☆ 文政十一年(1828)    ◯『増訂武江年表』2p78(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文政十一年」)   〝十一月二十一日、等覚院抱一上人逝去あり(六十八齢と聞えし。名輝真、号文詮、鴬邨雨華庵といふ。    尾形光琳の画風を慕ひ給ひて一派を弘めたまへり。筠庭云ふ、抱一上人そのかみ狂歌をよみて尻焼猿人    といふ)〟    ☆ 文政年間(1818~1829)    ◯『武江扁額集』(斎藤月岑編・文久二年(1862)自序)   ◇文政年間(1818~1830)の奉納   (画題記さず。絵柄は花卉)    落款 〝抱一揮真〟〝◯◯ 師現鴬浦筆〟〝抱和筆〟〝孤村筆〟    識語 「屏風坂下稲荷社」「文政の頃納る所也」「嘉永五子年縮図」    〈師匠・酒井抱一とその門人が寄せ書きした花卉図〉
    『武江扁額集』画題未詳(花卉図)酒井抱一等筆     (国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」)    ☆ 没後資料    ◯『花街漫録正誤』〔新燕石〕④181(喜多村筠庭著・成立年未詳)   (「筠庭主人戯記」)   〝此の草紙の書は、抱一上人の風なり、しかれば、画の縮図も、抱一の弟子などなるべし、作者はもとよ    り、画を書しものも、序を書かゝしたる抱一上人も、画の時代、また近世の画かきの事をも知らず、笑    うべき事甚し〟    ☆ 明治九年(1876)  ◯『閑談数刻』〔百花苑〕(著者未詳・「明治九年六月」の記あり)   ◇「よし原角町司役山口庄兵衛」記事 ⑫230   〝俳名心牛空光洞と云、花街初ての肝煎にて慈悲陰徳の人也。抱一君毎夜よし原へ来給へるに、もし何事    かあるまじかと酒井侯より内々の御頼有て御扶持を下されたるよし。    角町、揚や町、京町壹丁目貳丁目支配也。わづかの金子にて出入事の下らざる時は、庄兵衛自分に金子    を持出し埒明し事度々あり。【風流行せし時煎薬を日々施したる事あり】俳諧は鴬邨君の門にて、文政    之頃は日毎に点取を催ふされ、亀貝【後に晩得】青峨【田村隠居】至言【後に佐知】李岱、能阿【向じ    まはせお堂】雛屋、郭中にて上手は平道【此人も古き俳人にて湖十青峨も不及と言れし】魯育【中の町    山口巴や隠居、茅町青峨の父也、点取りの上手也、現阿の兄也】白茅【新甫と云、又日阿と云、海老や    源吉と云し判人也、高名なる人にて至而才子也】正朔【江戸町名主竹しま仁左ヱ門】此外連中来り日々    遊びたり      羽織着ぬ人に人あり夏の月  心牛    句は是のみ覚てをれり。【遊芸何も不為】    和歌を蓮阿に学び、御家流の書をよくして弟子数多あり。養子心水子に家を譲り別宅し、剃髪して蘇平    と改む〟    〈「鴬邨君」が酒井抱一〉     ◇「抱一上人の御発句集の中に」⑫231   〝岩倉三位殿不二の山見んとて忍びて吾嬬に下り給ぬとて立よらせ給ふに不計謁見して    上人    岩倉のしのび音もれつ時鳥      御かへし    山寺の青葉がくれのほとゝぎすきく人からに聲ぞそへぬる〟     ◇「大文字や市兵衛」記事 ⑫236   〝大文字や市兵衛【大かぼちや三代目也。京町壹丁目家持。南瓜、落髪して宗園と云】抱一上人に画を学    び南瓜と云。(中略)(注、大文字屋の)千束別荘に藁ぶきの人丸堂あり。自在釜をさげ薄茶煎茶を用    ふ。人丸の像は頓阿法師の作なり     抱一上人人丸の画に千かげの賛の碑あり。     父元成、母木綿子歌をよみたればなり。    三月十八日人丸堂にて詩哥連俳諸々の雅人来る。平生の連中はだんご売すし売よめ菜売などにやつして    庵にて商ひをする。座敷には霊宝を人々思ひつきて錺る。(中略)    又ある年貝尽しにて、     染附の徳利茶わん   ぶら/\貝  鴬邨君     たばこ入れにきせる筒 わすれ貝   小鸞女君    此外略す 赤良菅江(ママ) 手からの岡持 ねぼけ先生 大やうら住 千かげ 常かげ 跡鳥 鴬邨公     小鸞女【元大文字や遊女賀川と云し】外略す。各和哥発句をさゝぐる〟    〈「赤良菅江」は、後に「ねぼけ先生」(四方赤良)とあるから、朱楽菅江の誤記か。菅江は寛政十年没。手柄岡持、     文化十年。四方赤良、文政六年。大屋裏住、文化七年。橘千蔭、文化五年の没である。常かげ(とかげ)、跡鳥は未     詳。「小鸞女君」は⑫237に〝鴬邨君妾〟⑫281に〝後に剃髪して妙華尼と云〟とある人〉     ◇「鶴屋大淀」記事 ⑫246   〝ある人大淀かたへ馴染通ひけるに、鴬邨君も折々遊びに行給へるを、わけありての事成べしと人のうわ    さしけるを聞て、     きのふけふ淀の濁や皐月雨    と書して後めにかけたるに、鴬邨君、     淀鯉のまだ味しらずさ月雨    と返しをなし給へるを聞て、大淀、     ぬれ衣を着る身はつらし皐月雨    といゝ訳してうち連、うたぎ舛やにて一盃の笑ひしと也〟    〈この大淀は〝京町壹丁目つるや市三郎抱 よび出し 大淀郭中壹人の美女也。眼の涼やかなる事、靨の入る事、聲音の     可愛らしき事すゞ虫の如し。此外申ぶんなし〟(⑫246)とあり〉     ◇⑫254   〝保が谷の枝道曲れ梅の花    鴬邨公御筆にて此碑を程が谷へ御建被成候。杉田梅林の入り口也     此碑昨年も一指見て参候〟    〈「昨年」は未詳。「一指」は田川屋駐春亭の子息幸次郎の法名〉     ◇⑫254   〝【元吉原大俵屋/後菜種屋】木釜、【よし原/額たわらや】朝三の両人は、鴬邨公の其角、嵐雪と評し    たり〟     ◇「十寸見沙洲」記事 ⑫254   〝栄川の払子の画に鴬邨君の、     初祖いかに馬の尻尾の蠅はらひ    といへる句あるを居間にかけたり〟    〈沙洲は八代目十寸見河東、斎藤月岑の『声曲類纂』は文化十四年没とする〉     ◇⑫281~284   〝等覚院前権大僧都文詮暉真    世人 抱一上人と云、誹名 屠龍、狂名 尻焼猿人。    御俗名 酒井栄八郎殿、庭柏子【前出の画に此名あり】     軽挙館、雨華庵【大塚御住居の節】    別名狗禅とも    御住居 大手【御句集に小かねの駒とあり】 本所 椎の木やしき脇、        大音寺前【千束村と云、大もんじやうしろ裏道也】        鳥ごへ紙あらひ橋角         下谷金杉うしろ大塚村鴬邨【初音の里と云、雨華庵是也。此所にて御命終】〟    〈「等覚院文詮暉真」が酒井抱一の法号。文政十一年没〉     〝常にすげ笠をかむり、小さき脇ざしをさし、野辺を好せ給ふ。画人、茶人、俳人召連られ、向じま梅や    しき菊塢方長浦の辺えも何となく行給ふ    長浦茶店にて子日に    松薪も引けや若菜のゆでかげん    王子へも折々いらせ給ふ。    髷にさす王子みやげや穂に出る    (小鸞婦人と以一の句、略)〟    〈「菊塢」は佐原菊塢。彼の向島百花園(新梅屋敷)は文化元年(1804)の開園〉       〝鴬邨君五六人召連王子へ入らせらるゝ細路にて、向ふよりはなれし馬のかけ来るを、人々のいかゞせん    とあはてたる時、鴬邨君先へすゝませ給ひ、皆々おどろきそと、御言葉もおはらざるに、馬のかけ来る    を取おさへ給ひ、召飛乗てしづ/\とあゆませ給ふに、口取侍二三人追来り、感心いたし、厚く礼をの    べ曳行たり。つれ給ひし人々もあやうき難を逭れ、初めて馬にめしたるを見て、御身からの恥を思ひ、    尊敬いたしける〟
  〝景樹大人江都へ下りて、鴬邨君を御尋申せし時、御逢不被成帰りし跡にて、駐春亭まで此手紙を遣し給 ふ。     先刻はわざ/\御尋被下、千万忝候、折ふし取込にて御目にかゝらず候、おし付よし原まで出張仕候 間、夫に御待可被下候。      音羽山音にのみきく君が名をたちなかくしそ五月雨の雲     御なぐさみ御覧に入候、後刻合羽かけにて拝顔万々御物語可申とたのしみ居候。        五月            雨華庵      委細は此ものに尋可被下候       景樹様〟    〈歌人香川景樹の江戸滞在は文政元年とされる〉     〝浅草奥山人丸堂は吉原江戸(ママ)二丁目名主西村佐兵衛実父隠居藐庵宗先 哥名 伊村の建られし時、聯に    句を願ひければ     俳諧師等も雲と見るさくらかな    俳諧師らといたされたるは、御身からゆへと人々感心したり〟
  〝毎日夕七ツ頃より、僕壹人召連、多分駐春亭え御立寄、御夕飯召あがり、入湯遊ばし、京町大もじやの    裏てよりよし原へ入らせけり。     駐春亭に、御膳、椀、御ゆかた、別にあり〟
  〝角町松葉屋【半蔵と云】粧(ヨソホヒ)、京町大もんじや一元(ヒトモト)方え遊びにゆかれけり。ある時大もん    じや笑寿講にて客来り、間狂言を致しけるに、鴬邨公は鼓をうち給へば、がくやへゆきたり。見物をし    給ひたり、二階へゆきたり、あちことと歩行かるゝを見て、一元新造に申つけ、鴬邨君の煙草入を畳の    へりへ一針縫つけさせしをしらず、又々何れへかゆかんと思召、煙草入を取らんと被成しに中/\とれ    ざるゆへ、そばなる遊女ども皆々大笑被成たり。尻やけの猿人と御自分より名乗られけり〟
  〝美男にて入らせ給へば、ある新造しきりにしたひ参らせしに、きらはせ給ひしに、雪の日俳諧師鴈々方    にて炬燵にあたり居給ふ所へ、かの新造めしあがり物などあたゝかくして沢山持来り、真実をつくしけ    るに、思はず夢を結び給ふて帰り給ふ時、     鰒くふた日はふく喰たこゝろ哉    と、わる紙【よし原にてはすき返しを云】へ矢立もて書て鴈々に見せられわらはせ給ひけると、鴈々よ    り承りたり〟    〈「駐春亭」は『増訂武江年表』「享和年間記事」中に〝下谷龍泉寺町の駐春亭、文化年中より盛なり〟と記される料     亭で、山谷の八百善、深川の平清と並び称せられた。「鴈々」は⑫242に〝西瓜【大文字ややりて忰にて巳之助と     いふ小間物や素人狂言の上手也、後に俳諧師鴈々と成ル】〟⑫255〝山鴈々(ガン/\)【吉原京町角に住居して、     小間物、扇などを売、尾張や巳之助と云。西瓜と云、貝合と云】〟とある〉     〝一もと、粧ひの後、遊びにゆかれしは、     よび出し 白玉 江戸町弥八玉屋   〃 大淀 京町つるや〟
  〝巳の御年ゆへ江のしまへは度々御出被成候。    神奈川羽根沢や泊、翌朝御出立、参詣して又はね沢へ御泊。或年江のしま渡し場までゆきて、遙拝して    帰り給ひし也。【小子も御供致せし事あり】昼休茶店などにて一寸横に成給ふ時の枕には、桐の茶箱を    少し高くこしらへ置、薄茶の跡にて枕にし給ひたり。     茶箱裏書附       宇宙都廬一枕頭        摘録蕉中和尚之句    狗禅蝸           一指所持〟    〈「一指」は下谷の料亭、田川屋駐春亭の子息幸次郎〉    〝よし原へ泊り給ふ事は一夜もなく、四ツ時前に御帰り被成ける。與助と申下男、酒んに酔て歩行覚束な    き時は與助壹人駕籠へ乗せ、御自身は歩行みて帰り給ふ〟
  〝書画、和哥、茶の湯、香道、皷、尺八、河東節【七代目東雲河東、後に田中に住居せし沙洲に御けいこ】〟
  〝武芸の中にて、馬術、剣術、刀の目利、能遊ばしたりと云。     尺八の露取の麻へ蜘の巣を染させ、銀にさゝがかにを鋳させ、尻より糸のつくやうにして、笛の中の    露を取給ひしと仰ありたる事、思ひ出したる侭に書〟
  〝うごかぬも動くも人のこゝろかなまさしくすめる水の上の月     是は懐紙にて、金五両に売れ申候     久松町脇村(【左注「鴬邨君内弟子】買候て、鴬邨君追善の茶をいたし申候〟
  ◇「松葉や粧」記事 ⑫294-6   〝和哥発句 鴬邨君〟
  〝黒天の被布に裏紫羽二重に金泥計にて、梅の画抱一上人、鵬斎先生賛〟
  〝年中着類、上人下画〟
  〝抱一上人、宗微、日々来る〟
  〝団扇【上人月の画】    庭の面はまだかはかぬにといふ哥。    粧の書にて数多出したる事あり〟
    ◇「駐春亭」風呂場の記事 ⑫297   〝家根の真中に鵜の焼もの置。    濡て又乾くこころ也。鴬邨君下画〟
  〝鶴梅 寒中見舞     鴬邨君初て手拭の下画を遊ばしける〟  ☆ 天保三年(1832)    ◯『画乗要略』(白井華陽著・天保三年(1832)刊・『日本画論大観』中)   〝抱一上人 名煇信、雨華菴と号す。光琳ニに法(ノッ)とり、画趣凡ならず。時工恐服す〟  ☆ 天保七年(1836)    ◯『【江戸現在】広益諸家人名録』初編「画家」〔人名録〕②58(天保七年刊)   〝鴬村【名文詮、字暉真、文政十一年十一月廿九日、六十八】釈抱一〟  ☆ 弘化四年(1847)    ◯『貴賤上下考』〔未刊随筆〕⑩155(三升屋二三治著・弘化四年(1847)序)   〝抱一公    屠竜先生は酒井侯の御由縁にして、築地御門跡の御宗門の上人なり、光琳風を学びて、世上に御画広く    認有て、今に筆の軸物数多くみゆ、下谷鴬塚村に閑居して、鴬塚様といふ、日頃よし原に遊びて、中に    も京町大文字屋の二階に遊び楽しむを好ミ給ふ、世上に光琳風を専らはやらせしは、此上人より始る。    古今稀なる御僧にして、さすが唯人ならず、姫路侯の御種と思ハるゝ処ありし、初は浮世絵師歌川豊春    の門なりしといふ〟  ☆ 嘉永頃(1850)    ◯『古画備考』三十五「光悦流」下p1575(朝岡興禎編)   〝抱一上人 酒井氏、字栄八郎、雅楽頭忠挙朝臣男、出家【一向宗】等覚院暉真、始号屠龍、後改鴬村、    文政十一年十一月廿九日化、年七十二、十二月七日葬、坦記    (添え書きに『武江年表』を引き「廿一」日の逝去、享年「六十八」歳とする)
   酒井抱一子、専ら光琳風を画き当六月二日、光琳忌を宅にて致し、光琳画幅六十通りも集られ候、石川    大浪殿より委く承ぬ、今日も観氏にて、其噂出候、一体此御方の画、修業より才気にて、画き被申候也、    画は最初歌川豊春門人也、其浮世絵を捨て、光琳になられ候也、書は専ら其角を学れ候、今は少し違候、    今日扇へ自画賛を見せられ候、淡墨にて杉を書、ちかづきの森のあたりやほとゝぎす、当時の風調也【坦記】    文政四年五月廿三日、東□にて聞、鴬村子へ外方より、竹谷などの偽せ候、文晁の画に、賛を乞に来る    事あり、偽せ物なれども、先方により断りもならざる所あるにより、近比其似せの絵の賛にばかり捺し    ゝ印別に拵られし由、    丙戌九月三日、鴬村子ヨリ、新刻光琳百図後編二冊ヲ贈ラル、翌日御挨拶ニ参シ処、御他行ニテ、福田    氏へ申置帰ヌ、序ハ写山楼也、     抱一上人所輯光琳百図、称為奇絶、今茲丙戌、上人更彙輯其余、為後編二巻、光琳筆蹟伝世甚鮮、是     編前後為図数十百種、工妙秀麗、足以想像其神采也、  文政九年六月二日 文晁[印章]「無二」     跋、緒方先生の絵がける所、月々に、日に日に、目にさへぎるものは、筆にまかせ書集ける、はや一     百図に余りぬ、今年文政丙戌の六月、光琳忌の一助に備へ、又是を百図後編と名づけ、二冊に綴て、     同好の人にあたへむと、梓に行ことにはなりぬ  抱一暉真誌[印章]「文詮」(瓢箪印)
    尾形流略印譜序、抱一上人最好光琳筆、凡所目撃有稍異、必摹留之、但琳之輩、印色不用油朱、多用     調膠朱、是以印文肥痩、毎幀不同、字体有不可弁者、上人病其如此、特選字体鮮明者、輯為一本、名     緒方流印譜、一日袖来見似、摹勒極精、不堪傾賞、因題一言還之        乙亥六月 文晁[印章]「刻字未詳」     跋 余聚緒方氏印、尽掇拾之也、嘗以慕其風、随得随摸而蔵之、頃者骨董某氏請襄其譜于梓以分之好     事士、乃索筐衍輯以與之、庶幾観者、補其所漏爾  文化乙亥六月二日 抱一道人識    文政九年頃ヨリ、水戸家ヘ、書画ノ売品ヲ常ニ出サルヽコト、兼テ聞及ベリ、当秋カ冬ノ始、御茶会ニ    掛リシ、利休筆、喝ノ一字抔モ、古筆氏所々ヘ見セ候得共、誰モ怪ミ買不申ヲ、丸屋ヨリカ、上人方ヘ    来リ、夫ヨリ小石川ヘ納リシ也、斯ノ如キ大珍書トシテ、扱申サルヽト也、成経三首懐紙モ、小石川ヲ    心アテニ致サレ、買取出サレシニ、元来升屋上方ヨリ買来リテ、直ニ小石川ヘ出セシニ、写物也トテ、    帰リシ品故、参リカネ、今ニ所持ナリ、世ノ人譏ル者アレドモ、予ハ是ヲ諭シテ曰、是貴公子ユエモト    戯也、強テ金帛ヲ欲セラルヽニ非ス、其故ニ其策クハシカラズ、貴キ所以ナリト、立原氏云、其画ガヽ    ルヽ所ノ専門トセル、光琳宗達ノ偽物ヲ、真跡トセラルレバ、其外ノ鑑定ハ、勿論不鑑ト知ラルヽ由語    ラン、サレド当時世ニ行ハルヽコト、上方マデモ隠レナシ 坦記     抱一上人、号雨華菴、法光琳雅趣不凡、時工恐服 画乗要略      「十月五日 報恩講 雨華菴」配手札      「正月十五日 画始 雨華葊」配手札     蓬莱ノ松、一本松、一羽鶴、絹小直幅[署名]「抱一筆」[印章]「鸎村」(朱文壺印)    (補)[署名]「庭柏子」[印章]「屠」「龍」(朱文方印)〟  ☆ 安政二年(1855)    ◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④240(川喜多真一郎編・安政二年春刊)   〝抱一上人【名ハ大詮、字ハ暉真鴬村ト号ス、又雨華庵ト云、光琳ノ画法ヲ慕ヒテ修シ大イニ其格ヲ得タ    リ、時ニ称誉シ其名頗ル高ク画ヲ求ル甚夥シ、文政十一年十一月廿九日歿ス、年六十八、実ハ某侯ノ公    子ナリ、因テ僧体トナリテ等覚院と云】    〔署名〕「抱一暉真誌」〔印章〕「抱一」・「文詮」・「暉真」・「抱一之印」・「軽挙道人」・        「等覚院印」    ☆ 文久二年(1862)  ◯『本朝古今新増書画便覧』「ホ之部」〔人名録〕④315(河津山白原他編・文化十五年原刻、文久二年増補)   〝抱一【名ハ煇信、号ハ雨花庵、且テ光琳法ヲ慕テ、其真ヲ得ル雅赴、凡ナラズ、文政十一年十一月歿ス、    六十八】〟  ☆ 明治三年頃(1870)    ◯『睡余操瓢』⑦附録「随筆雑記の写本叢書(七)」〔新燕石〕p6(明治三年頃・斎藤月岑書留)   ◇p6   〝青楼十二月 画巻縮図    この一巻は文政のころ雨花庵上人の御筆にして花明園のあるし【江戸町坊正西村氏】親しく乞ひ奉りし    により、画て与へ給ひしよしして彼家に珍蔵せるを借得て、嘉永五年壬子六月うつし置り、しかれとも    名筆の跡得てこを模す事あたはされは依稀たる疎影をのこせるのミ、よりて犬桜と題せるを、ふたゝひ    縮写してこゝに加へぬ    原本ハ青楼十二月と題せるか安政の地震火事に亡ひたり、惜むへし〟    〈雨花庵上人が酒井抱一。花明園のあるじとは吉原江戸町二丁目名主の西村藐庵〉     ◇p8   〝抱一暉真筆 梅鶯葛屋 付立     のそかるゝ乞食の家も森田屋かほとこすものか梅のはかなさ 蜀山人〟  ☆ 明治十三年(1881)    ◯ 観古美術会(第一回)〔4月1日~5月30日 上野公園〕   『観古美術会出品目録』第1-9号 竜池会編 有隣堂 明治14年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第三号(明治十三年四月序)    酒井抱一 松竹梅之図 三幅(出品者)榛原佐助         花卉之図  二幅(出品者)榛原佐助〟   ◇第八号(明治十三年五月序)   〝酒井抱一 筑波山之図 一幅(出品者)高木半兵衛         観音之像  一幅(出品者)板東家橘〟   ◇第九号(明治十三年五月序)   〝酒井抱一 画巻 花鳥ノ図 二巻(出品者)博物局蔵〟  ☆ 明治十四年(1881)  ◯ 第二回 観古美術会〔5月1日~6月30日 浅草海禅寺〕   『第二回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治14年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十四年五月序)   〝酒井抱一 四季花鳥図 一幅(出品者)宮内省         四季花鳥 十二幅(出品者)水野忠幹         蛍火図   一幅(出品者)宮内省         抱一筆   一幅(出品者)大竹弁五郎         梅画    一幅(出品者)新村七蔵〟   ◇第二号(明治十四年五月序)   〝酒井抱一 蘆雁図   一幅(出品者)小林述作         観音像   一幅(出品者)大沢乙次郎         画山水   一幅(出品者)義仲茂助〟   ◇第三号(明治十四年五月序)   〝酒井抱一 業平望獄図 一幅(出品者)山井景安         福禄寿画  一枚(出品者)中川昇         紅葉画   一幅(出品者)村田篤親         七草画   一幅(出品者)村田篤親   ◇第四号(明治十四年五月序)   〝酒井抱一 不二越龍  一幅(出品者)遠藤道受         桜画    一幅(出品者)吉田親安〟  ◯『新撰書画一覧』伴源平編 赤志忠雅堂 明治十四年五月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝抱一上人 名ハ文詮、字ハ暉真、鴬村、雨華菴ト号ス、酒井侯公子、僧ト成リ等学院ト称ス、尾形光琳         ノ画風ヲ慕ヒテ妙所ヲ得、又狂歌ヲ克クス、文政十一年十一月歳六十八ニシテ寂ス〟  ☆ 明治十五年(1882)  ◯ 第三回 観古美術会〔4月1日~5月31日 浅草本願寺〕   『第三回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治15年4月序(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十五年四月)   〝酒井抱一 団扇蛍図 一幅(田沢静雲献品)         四季草花 二幅(出品者)フエノロサ〟   ◇第二号(明治十五年四月序)   〝酒井抱一 冨士筑波春秋図 二幅(出品者)矢沢充幸         其一合作屏風  一双(出品者)高畠藍泉         昔噺図     三幅(出品者)龍池会々頭 佐野常民         白梅画     一幅(出品者)森田六翁         女図      一幅(出品者)清水晴風         抱一画     一幅(出品者)根本源兵衛〟   ◇第三号(明治十五年四月序)   〝酒井抱一 抱一画     一幅(出品者)大井五郎   ◇第四号(明治十五年四月序)   〝酒井抱一 柳月画     一幅(出品者)加藤政重         芥子画     一幅(出品者)加藤政重         月梅図     一幅(出品者)長尾景弼  ◯ 内国絵画共進会(第一回)〔10月1日~11月20日 上野公園〕   『内国絵画共進会 古画出品目録』農商務省版・明治15年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   〝酒井抱一 花卉之図 二巻(出品者)博物局         草花   二巻(出品者)松平信正〟  ◯『写山楼記』〔新燕石〕⑤52(野村文紹著・明治十五年(1882)成立)   (谷文晁門人の項)   〝酒井抱一 【初文晁門人【雨華庵、根岸住、号文詮、継男道一】       門人【鈴木其一、男守一、池田孤村、花村抱山、守村抱儀、田中抱二】〟  ☆ 明治十六年(1883)   ◯ 第四回 観古美術会〔11月1日~11月30日 日比谷大神宮内〕   『第四回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治16年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十六年十一月序)   〝酒井抱一 秋艸月 一幅 (出品者)黒川常徳         弼桐鳳 一幅 (出品者)福岡長次郎〟  ◯『明治画家略伝』渡辺祥霞編 鴻盟社等 明治十六年十一月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝祖宗略象 第一区 巨勢、土佐、住吉派之類    抱一上人    名ハ暉真、酒井雅楽頭ノ子ナリ、等覚院ニ住ス、雨華葊ト号ス、光琳派の中興ナリ、文政十一年死〟  ☆ 明治十七年(1884)  ◯ 第五回 観古美術会〔11月1日~11月21日 日比谷門内神宮教院〕   『第五回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治17年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十七年十月届)   〝酒井抱一 蔦之細道之図 一幅(出品者)神田孝平         真山水    一幅(出品者)佐藤栄中〟  ☆ 明治十八年(1885)  ◯ 第六回 観古美術会〔10月1日~10月23日 築地本願寺〕   『第六回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治18年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第二号(明治十八年十月序)   〝酒井抱一 中翁面舞扇 左右海旭海月 三幅対(出品者)井口直樹         中寿老人  左右春秋草花 三幅対(出品者)田沢静雲         便而阿亀図 一幅(出品者)鵜飼渚           白鹿図   一幅(出品者)松平覚堂         富士図   一幅(出品者)松平覚堂         雀図    一幅(出品者)松平信正〟  ☆ 明治十九年(1886)  ◯ 第七回 観古美術会〔5月1日~5月31日 築地本願寺〕   『第七回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治19年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十九年月序)   〝酒井抱一 中寿老人 左右鶴亀 三幅(出品者)岡部長職         盆踊図       一幅(出品者)大関定次郎〟   ◇第二号(明治十九年五月序)   〝酒井抱一 鶴 三幅(出品者)荒尾亀次郎   ◇第三号(明治十九年五月序)   〝酒井抱一 銀地屏風 紅白梅 一双(出品者)荒尾亀次郎         達磨       一幅(出品者)奥木和三〟  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪 広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字   (番付冒頭に「無論時代 不判優劣」とあり)   〝美術円山四条派       山水花卉(柳里恭) 人物 田中訥言  人物 月岡雪鼎  艸花 抱一上人  ◎◎(円山応挙)     人物 菊池蓉斎   艸花(尾形光琳)  ☆ 明治二十二年(1889)    ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪 吉川重俊編集・出版 明治二十二年二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※( )はグループの左右筆頭    和画諸流    Ⅰ(京都 円山応挙) 京都(ママ)抱一上人 京都 田中訥言   東京 月岡雪鼎  大阪 岡田玉山      大阪 長山孔寅  画  菊池蓉斎  尾州 浮田一蕙  (京都 尾形光琳)    Ⅱ(東京 瀧和亭)  大阪 松川半山  尾州 小田切春江  大阪 鈴木雷斎      大阪 長谷川貞信(京都 久保田米僊)    Ⅲ(東京 月岡芳年) 大阪 藤原信一  東京 歌川国松   東京 河辺暁斎  サカイ 中井芳瀧      東京 小林清親  大阪 若林長栄  東京 柴田是真  (東京 尾形月耕)  ☆ 明治二十四年(1891)   ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 樋口正三郎編集・出版 明治二十四年十月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝和画諸流 無論時代 (字の大きさが最大のグループ)    (筆頭)西京 円山応挙 東京 谷文晁    〔西京〕駒井源琦 長沢芦雪 尾形光琳 松村呉春 岡本豊彦 山口素絢 松村景文 円山応震        中島来章 円山応瑞 浮田一蕙 奥文鳴    〔大坂〕森狙仙  月岡雪鼎 西山芳国〔東京〕菊池蓉斎 酒井抱一〔三河〕渡辺崋山   ☆ 明治二十五年(1892)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪 鳥井正之助編 中島徳兵衛出版 明治25年2月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝古人之部皇国各派 不判優劣      東京 伊藤若沖 西京 河村文鳳 大坂 蔀関月 西京 浮田一蕙 東京 酒井抱一      大坂 岡田玉山 大坂 長山孔寅〟  ◯『古今名家印譜古今美術家鑑書画名家一覧』番付 京都     木村重三郎著・清水幾之助出版 明治三十年六月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝近代国画名家〈故人と現存とを分けている〉    ※Ⅰ~Ⅳは字が大きさの順。(絵師名)は同一グループ内の別格絵師。    〈故人の部は字の大きさでⅠ~Ⅳに分類。(絵師名)はそのグループ内の別格絵師〉    Ⅰ(狩野探幽・土佐光起・円山応挙)酒井抱一 渡辺崋山  伊藤若沖    Ⅱ(谷文晁 ・英一蝶 ・葛飾北斎)田中訥言 長谷川雪旦    Ⅲ(尾形光琳・菊池容斎・曽我蕭白)岡田玉山 司馬江漢  浮田一蕙 月岡雪鼎 高嵩谷      蔀関月    Ⅳ 大石真虎 河辺暁斎 上田公長 柴田是真 長山孔寅 英一蜻  英一蜂 佐脇嵩之      高田敬甫 西川祐信 橘守国  嵩渓宣信 英一舟  葛飾為斎〟    〈江戸時代を代表する絵師としての格付けである〉  ☆ 明治三十五年(1892)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪 鳥井正之助編集・出版 明治三十五年正月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※ⅠはⅡより字が大きい。(絵師名)は同一グループ内の別格絵師   〝故人皇国各派不判優劣   Ⅰ(江戸 谷文晁 〔平安〕森狙仙 円山応挙 長沢芦雪 松村呉春 越前介駒岸)    〔江戸〕酒井抱一 菊池容斎〔平安〕浮田一蕙 山口素絢〔大坂〕上田公長 〔オハリ〕田中納(ママ)言   Ⅱ(平安 尾形光林 土佐光起〔江戸〕伊藤若冲 狩野元信 葛飾北斎 河辺暁斎)    〔大サカ〕長山孔寅 蔀関月〟  ☆ 明治三十四年(1901)     ◯『明治東京逸聞史』②p66「文録堂」明治三十四年(1901)(森銑三著・昭和44年(1969)刊)    〝文禄堂 〈東京名物誌(松本道別著)〉     文禄堂の主人堀野文禄は、京の藁兵衛の名で知られる滑稽文学者であるが、その人が一昨年から出版    業を始め、意匠に体裁に工夫を凝らし、用紙から印刷まで、五分の隙もない、灰汁抜けした本を出して、    「団々珍聞」をして、「凝り屋の総本家」と呼ばしめるに至った。文禄堂処女出版は「滑稽類纂」で、    それが大いに好評を博した。それについて堀野氏は、「日本五大噺」を版にした。これは馬琴の戯作を    作り替え、桃太郎、花咲爺、舌切雀、猿蟹合戦、かちかち山の五つの話を打ってまろめて一つの話とし    た面白いもので、表装にも、口絵にも、挿絵にも善美が尽してある。     堀野氏が昔話に熱心なことは全くの予想外で、その店は昔話風の装飾で充たしてある。格子戸を開け    て入ると、店の正面には是真が丹青を凝らした桃太郎の絵が掲げてある。月耕その他の昔話の絵の貼交    ぜがあり、それが額にもなっている。左方の楣間に、抱一の筆の「昔噺亭」とした額がある。氏はその    間に在って筆を執り、牙籌にも携わっている。     こうした特色のある書肆も、十年と続かないで閉店するに至ったのが惜しい。道楽の勝ち過ぎていた    のが禍したのかも知れない。    「滑稽類纂」「日本五大噺」とは、共に堀野文禄その人の編著で、今見てもなつかしい書物となってい    る。その他文禄堂の出版物には、この店一流の凝り方が、それぞれにあって、一つ一つが楽しい書物に    なっているのに感心する〟    ☆ 明治三十五年(1902)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪 鳥井正之助編集・出版 明治三十五年正月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   ※ⅠはⅡより字が大きい。(絵師名)は同一グループ内の別格絵師   〝故人皇国各派不判優劣   Ⅰ(江戸 谷文晁 〔平安〕森狙仙 円山応挙 長沢芦雪 松村呉春 越前介駒岸)    〔江戸〕酒井抱一 菊池容斎〔平安〕浮田一蕙 山口素絢〔大坂〕上田公長 〔オハリ〕田中納(ママ)言   Ⅱ(平安 尾形光林 土佐光起〔江戸〕伊藤若冲 狩野元信 葛飾北斎 河辺暁斎)    〔大サカ〕長山孔寅 蔀関月〟  ◯『病牀六尺』(正岡子規著・底本岩波文庫本)   ◇「五」明治三十五年(1902)五月八日   〝きのふ朝倉屋より取り寄せ置きし画本を碧梧洞等と共に見る。月樵の不形画藪を得たるは嬉し。其外鴬    邨画譜、景文花鳥画譜、公長略画など選り出し置く〟       ◇「六」明治三十五年(1902)五月十二日記   〝抱一の画、濃艶愛すべしと雖も、俳句に至つては拙劣見るに堪へず。其濃艶なる画に其の拙劣なる句の    讃あるに至つては金殿に反古張の障子を見るが如く釣り合はぬ事甚し〟     ◇「二十七」明治三十五年(1902)六月八日   〝枕許に光琳画式と鴬邨画譜と二冊の彩色本があつて毎朝毎晩それをひろげて見ては無上の楽として居る。    唯それが美しいばかりで無く此小冊子でさへも二人の長所が善く比較せられ居るので其点も大に面白味    を感ずる。殊に両方に同じ画題(梅、桜、百合、椿、萩、鶴など)が多いのが比較するには最も便利に    出来て居る。いふ迄も無いが光琳は光悦、宗達などの流儀を真似たのであるとはいへ兎に角大成して光    琳派といふ一種無類の画を書き始めた程の人であるから、総ての点に創意が多くして一々新機軸を出し    て居るところは殆ど比肩すべき人を見出せない程であるから、とても抱一などと比すべきものではない、    抱一の画の趣向無きに反して光琳の画には一々意匠惨憺たる者があるのは怪しむに足らない。そこで意    匠の点は姑く措いて筆と色との上から見たところで、光琳は筆が強く抱一は筆が弱い、色に於ても光琳    が強い色殊に黒い色を余計に用ゐはせぬかと思はれる。従つて草木などの感じの現れ方も光琳は矢張強    い処があつて抱一は唯なよなよとして居る。此点に於ては勿論どちらが勝つて居ると一概にいふ事は出    来ぬ。強い感じのものならば光琳の方が旨いであらう。弱い感じのものならば抱一の方が旨いであらう。    それから形似の上に於ては草木の真を写して居る事は抱一の方が精密な様である。要するに全体の上に    於て画家としての値打は勿論抱一は光琳に及ばないが、草花画かきとしては抱一の方が光琳に勝つて居    る点が多いであらう。抱一の草花は形似の上に於ても精密に研究が行届いてあるし輪郭の画き工合も光    琳より柔かく画いてあるし、彩色も亦柔かく派手に彩色せられて居る。或人は丸で魂の無いがだといふ    て抱一の悪口をいふかも知れぬが、草花の如きは元来なよ/\と優しく美しいのが其の本体であつて魂    の無いところが却て真を写して居るところであるまいか。此の二小冊子を比較して見ても同じ百合の花    が光琳のは強い線で画いてあり抱一のは弱い線で画いてある。同じ萩の花でも光琳のは葉が硬いやうに    見えて抱一のは葉が柔かく見える。詰り萩の様な軟かい花は抱一の方が最も善く真の感じを現して居る。    鴬邨画譜の方に枝垂れ桜の画があつて其木の枝を僅かに二三本画いたばかりで枝全体には悉く小さな薄    赤い蕾がついて居る。其の優しさいぢらしさは何ともいへぬ趣があつて斯うもしなやかに画けるものか    と思ふ程である、光琳画式の桜は之に比すると余程武骨なものである。併し乍ら光琳画式にある画で藍    色の朝顔の花を八輪画き其の下に黒と白の狗ころが五匹許り一緒になつてからかひ戯れて居る意匠など    といふものは別に奇想でも何でもないが、実に其趣味のつかまへ処はいはれぬ旨味があつて抱一などは    夢にも其味を知る事は出来ぬ〟    〈子規は云う「形似の上に於ては草木の真を写して居る事は抱一の方が精密な様である」と。尾形光琳没後(享保元年     (1716)没)、絵画では南頻派が台頭し、自然科学方面では主観を排し客観的な観察に基づく蘭学が隆盛を迎える。時     代全体が「草木の真を写す」画法の方へ流れていたのである。酒井抱一に写実を重視する姿勢が定着していたのは当     然である。両者の筆勢の強弱差は、おそらく、趣向や意匠といった主観主情の表出を重視するものと、ものそれ自体     の「写真」を重視するものとの違いから生じているのではあるまいか。写実派では「写真」を意識する分だけ、運筆     上、筆が本来的に持つ奔放自在さを抑える方向で、画法の錬磨が行われていったのだろう。抱一の草花画のもつ「柔     らかさ、優しさ、いじらしさ」は、抱一の草花に寄せる思いに由来するのではなく、写生から生じると、子規は云う。     つまり写生によって、草花の本来有する本質がかえって現れたとするのである〉     ◇「三十五」明治三十五年(1902)六月十六日   〝そこらにある絵本の中から鶴の絵を探して見たが、沢山の鶴を組合せて面白い線の配合を作つて居るの    は光琳。唯々訳もなく長閑に竝べて画いてあるのは抱一。一羽の鶴と嘴と足とを組合せて稍々複雑なる    線の配合を作つてゐるのは公長。最も奇抜なのは月樵の画で、それは鶴の飛んで居る処を更に高い空か    ら見下した所である〟    ◯『零砕雑筆』〔続大成〕④311(中根香亭著・成立年未詳)   〝二つ帯の賛    抱一が男女の帯二筋を屏風にかけたる画の賛に、      常陸帯の長きちぎりな結びつゝ 季鷹     ときつゝかはす寝屋の手まくら 【傾城よい山】〟    ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)    (国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」所収)   〝抱一 酒井抱一上人、画名屠龍とあるは、米国ボストン博物館に楓窓屠龍として豊春に見まがう者あり、    蓋し抱一上人が豊春に師事せられし時の作ならん、文政十一年十一月廿九日没、六十八歳〟     ◯『狂歌人名辞書』p87(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝尻焼猿人、通称酒井忠因、名は文詮、字は暉真、酒井雅楽頭宗雅の弟、出家して西本願寺文如上人の養    子となり、東都根岸の里に住し、雨華庵抱一、又、鴬村と号す、光琳派の画に巧みにして傍ら書、俳句、    狂歌を善くす、尻焼猿人の戯号は大田南畝の命名する所なりと云ふ、文政十一年十一月廿九日寂す、年    六十八、築地西本願寺に葬る〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化二年 乙丑」(1805) p173   〝此年、抱一・文晁・武清・文一・鏑木雲潭・島田元旦・三好汝圭等の画ける『名花交叢』出版〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「京橋区」本願寺別院(築地三ノ一)真宗本願寺派   〝酒井抱一(画家)名忠因、酒井雅楽頭忠以の弟、出家して文詮暉真と称し、雨華庵、鴬村、屠龍、軽挙    道人、庭拍子の諸号あり。狩野、丸山の諸派を学び、光琳の画風を慕ひて一家をなす。書は董堂敬義に    学び、俳諧にも巧みなり。鴬村画譜、屠龍の技(俳句集)あり。文政十一年十一月十九日歿、年六十九。    等覚院文詮暉真。指定史跡〟    〈『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」は没年月日及び享年を文政十一年十一月二十九日六十八歳とする〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔酒井抱一画版本〕    作品数:32点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:抱一・酒井抱一・屠竜・鶯村・鶯邨・雨華庵・軽挙道人    分 野:絵画(画譜・図巻・粉本)14・俳諧9・浄瑠璃(河東節)2・書簡2・印章1・戯文1・        絵本1・書画1    成立年:寛政2・8年     (2点)        文化5・10・12・14年(7点)        文化文政頃      (1点)        文政6~7・9~10年(4点)        慶応1・3年     (2点)   (屠竜名の作品)    作品数:3点    画号他:屠竜    分 類:俳諧2・書簡1    成立年:寛政8年(1点)   (軽挙道人名の作品)    作品数:1点    画号他:軽挙道人抱一    分 類:俳諧1    成立年:文化10年跋         『屠竜之技』   (鶯邨・鶯村名の作品)    作品数:2点    画号他:鶯邨・鶯村    分 類:俳諧1・浄瑠璃(河東節)2    成立年:文政7年(1点)      〈雨華庵名は収録なし〉
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