Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ ぶせい きた 喜多 武清浮世絵師名一覧
〔安永5年(1776)~ 安政3年(1856)12月20日・81歳〕
 ☆ 寛政九年(1797)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(寛政九年刊)    喜多武清画?『むかしありしこと』一巻 画工不記名(武清に似たり)北山山本喜六信有跋            (安政五年檉園序有本 隣春子也)    ☆ 文化元年(享和四年・1804)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化元年刊)    喜多武清画『近世奇跡考』二冊 武清先生画 醒々老人著 文魁堂板〔漆山年表〕    ◯「読本年表」   ◇読本(文化元年刊)※角書は省略    喜多武清画『優曇華物語』喜多武清画 山東京伝作〔目録DB〕   △『近世物之本江戸作者部類』p147(曲亭馬琴著・天保五年成立)   (「読本作者部第一」「山東京伝」の項)   〝優曇花物語七巻を綴る【印行の書賈右に同じ(筆者注、鶴屋喜右衛門)】唐画師喜多武清【文晁門人】 と親しかりければ、こたびは武清に誂へて作者の画稿によりて画かしけり(中略。物語の説明あり)趣 向拙きにあらねどもさし画の唐様なるをもて俗客婦幼を楽まするに足らず、この故に当時の評判不の字 なりき、京伝竊にこれを悔ひて、又桜姫全傳【五巻】を綴るに及びて出像を歌川豊国に画かしむ。この 書大(イタのルビ)く時好に称ひて、雅俗倶に佳妙とせり〟    〈京伝作『優曇華物語』は文化元年刊、『【桜姫全傳】曙草紙』は文化二年刊〉    ☆ 文化七年(1810)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化七年刊)    喜多武清画『歌仙絵抄』一冊 喜多武清画 槐葊源顕祖書 須原屋茂兵衛板〔漆山年表〕    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇絵画(文化七年刊)    喜多武清画『三十六歌仙』一冊 喜多武清画    ◯『滝沢家訪問往来人名録』上p52(曲亭馬琴記・文化七年二月二日)   〝庚午(文化七年)春処々発会覚 ◯印ハ出席 ◯二月二日画会 百川楼 喜多武清    〈日本橋浮世小路にあった高級料亭・百川楼を会場とした喜多武清の画会。馬琴は出席した〉    ☆ 文化八年(1811)    ◯「三笑亭可楽落話会披露之団扇」   (『落話会刷画帖』式亭三馬収集・文化十二年八月序・『日本庶民文化史集成』第八巻所収)    〝文化八辛未年春、於両国柳橋大のし富八楼上披講〟   〝絵は武清筆 紙は雁皮紙〟    〈喜多武清はこの可楽最初の落語会において配られた団扇の絵を担当した〉    ☆ 文化九年(1812)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化九年刊)    喜多武清画『花濺涙帖』一帖 雲室・文晁・月窓・紹真・文一・抱一暉真・武清他〔漆山年表〕     ◯「書簡 212」〔南畝〕⑲266(文化九年十一月十六日付)   〝深川正覚寺橋より南、海福寺前にこいや伊兵衛と申候烟草屋有之候。蕉門杉風子孫にて、夥敷芭蕉、其    角、杉風、支考、許六等之書画所持、平日に人に見せ候事無之、漸当時こいや之旧主より申込、先日致    一見候処、中々短日には見つくされ不申候。いづれも真跡驚目申候。午前より薄暮迄二十四幅見申候。    又々来春日永之節を約し申候。蕙斎、武清など参候て少々図を写し申候。巻物等も数多、杉風隅田川紀    行一巻写取申候。朝湖之朝顔之画に翁之色紙などは誠に奇々妙々〟    〈杉風の子孫、鯉屋伊兵衛の所蔵する蕉門の書画を見る機会は多くはなかったようだ。書簡の主大田南畝と鍬形蕙斎と     喜多武清は、漸く願いが叶って一見したのである。見残したものも多く、来春の再来を約束したというのであるが、     叶ったのであろうか。南畝の記事は見あたらない。「朝湖」は英一蝶〉    ◯『懐宝日札』三〔百花苑〕(小宮山楓軒著・文化九年(1812)記)   ◇武清画山本北山肖像 ③53   〝山本信有、病中ニ画人文晁、武清両人ニ託シテ、己レガ像ヲ作ラシム。云ク、予ハ文武両全ノ人ナリ。 其意ヲ画クベシト。武清ガ図ニ、小具足シテ床几ニ拠リ、鑓ヲ横タヘ、其旁ニハ書籍散乱シテアルヲ画 ケリトゾ、癡漢笑ベシ。信有、去月死〟    〈山本信有北山は文化九年五月十八日逝去。北山は武清のこの画を見てどう思ったのであろうか〉     ◇北山肖像画 ③64   〝武清北山ノ肖像ヲ印刻シテ、三百銭ニ売ル、北山門人怒リテ、其板を奪ヒ絶交ス〟    〈痴漢北武清画く「小具足シテ床几ニ拠リ、鑓ヲ横タヘ、其旁ニハ書籍散乱シテアル」北山の肖像を板行されては、確     かに門人の面目に関わるであろう〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯『骨董集』〔大成Ⅰ〕(山東京伝著・文化十年序)   ◇「蝙蝠羽織図」⑮353(模写あり)   〝此絵筆者を詳ならずといへども画風を以て時代を考るに寛永正保の比の古画にやらん。其時代の絵に合    せみてしかいへれば、おほむねはたがふべからずとおもはる〟   〝杏花園所蔵〟〝武清縮写〟    〈「杏花園」は大田南畝〉     ◇「名古屋帯古図」⑮385(模写あり)   〝寛永以前の古画なり、当時の童女かくの如ききり髪おほし、ゆゑに禿といふ名なり〟   〝曳尾庵所蔵〟〝武清縮写〟    〈「曳尾庵」は文化十二年『浮世絵類考』を書写し加筆した加藤曳尾庵か〉     ◇「大津絵仏像縮図」⑮410(模写あり)   〝芝峯軒所蔵〟〝武清縮写〟    〈「芝峯軒」は未詳〉     ◇「古画勧進比丘尼絵解図」⑮490(模写あり)   〝按ずるに今よりおよそ百八十年ばかり前寛永中にかける絵なるべし。頭を白き布にてまきたるはふるき    ふり也。七十一番職人尽の絵を合せ見るべし〟   〝柳塘館摸蔵〟〝武清縮写〟    〈「柳塘館」は幕臣の蔵書家・竹垣柳塘か〉     ◇「古画後妻打図」⑮498(模写あり)   〝武清縮写〟
  ◇「編笠を切抜きたる古図」⑮517(模写あり)   〝これは古き屏風の絵のうちにあり。えがける風俗をもて時代を考ふるにおほかた寛永正保の比のものと    見ゆ〟〝江山蔵〟〝武清(一字不明)摸〟    〈「江山」は詩家・大窪詩仏か〉      ◇「見世棚古図」⑮522(模写あり)   〝これは鏡わりといふ絵巻に載る所(中略)これを文安宝徳の物とさだむるときは、今文化十年よで凡三    百六七十年へたる古画なり〟〝カイ(木+在)園所蔵〟〝武清縮図〟    〈「カイ園」は国学者・岸本由豆流か〉     ◇「手鞠」⑮545(模写あり)   〝これは文禄慶長のころの絵なるべし〟〝武清縮図〟
  ◇「天和貞享の比の雛人形」(模写あり)   〝武清写真〟〝京山人百樹所蔵〟    〈「京山自百樹」は山東京伝の弟山東京山〉    ☆ 文化十一年(1814)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文化十一年刊)    喜多武清画『春野七種考』一冊 武清・文一・抱一他画 菊塢撰 山城屋左兵衛板〔漆山年表〕     ☆ 文化十二年(1815)    ◯『【江戸当時】諸家人名録』初編「幾」部〔人名録〕②13(扇面亭編・文化十二年九月刊)   〝画家 可菴【名武清、字子慎】八丁堀地蔵橋通り 喜多栄之助〟    ☆ 文化十四年(1817)    ◯『うき草のあと』〔大成Ⅱ〕⑧72(釈立綱著・文化十四年序)   (「餅(モチヒのルビ)をふくだといふこと」の項)   〝日高川絵巻写  (詞書き略)  武清臨〟    ☆ 文化十五年(1818)    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   (「八町堀」合い印「画家」)   〝可菴  名武清 字子慎    地蔵橋通リ       喜多栄之助〟    ☆ 文化年間(1804~1818)    ◯「艶本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇艶本(文化年間刊)    喜多武清画『はつはな』一軸 喜多武清画 塙検校作 文化末頃〔目録DB〕     (注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    ☆ 文政元年(文化十五年・1818)       ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政元年刊)    喜多武清画    『武清写生帖』喜多武清画 文化一五-嘉永四 十冊〔目録DB〕    『以代美満寿』一冊 立川談洲楼焉馬序〔漆山年表〕      大和画元祖図鳥居清元図 五渡亭国貞画 武清筆 法橋玉山 春亭画 夸斎 秋艃筆       かつしか戴一筆 清信筆一円斎国丸縮写 国安画 豊国画     ☆ 文政二年(1819)      ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政二年刊)    喜多武清画『花鳥画帖』二冊 清河 武清 文晁 西村源六他板〔漆山年表〕     ☆ 文政八年(1825)    ◯『耽奇漫録』下634(第二十集・文政八年十一月十三日)   (「草木花実写生」の項)   〝草木花実写生二十巻    装(一字不明)して巻とするもの八巻。未だ装せざるもの八巻。藁のまゝなるもの四巻。先人其寧一花    一草得に随て谷寫山及其門人武清朗卿敬信等に托して真写する所凡二千余種集て廿巻とす。漢名和名は    小野蘭山の鑑別なり。奇といふにあらねど、今日しも会の終なれば、とう出て諸賢の清(一字不明)に    呈す。珍花奇草も亦自らに其中に在らんかし〟    〈谷文晁の項参照〉    ☆ 文政十二年(1829)    ◯『馬琴書翰集成』⑥257 文政十二年(1829)四月二十九日 馬琴宛・渡辺崋山(第六巻・書翰番号-来38)   〝拝読、如示、喧寒不定之候、審文御使、常勝奉欣聴候。然バ、被仰下候通、去月祝融氏之難、知人多延    焼仕候。私も武清方へ参、桑名侯邸ノ裏ニて蹻、危難将死三度、まことにこり果申候。    扨復、北渓事御尋被下、如仰、職匠町と申所にて、先日の回禄には幸のがれ申候。且かねて吹挙相願候    ニ付、高著繍像被仰付候半との御事にて、自私も聞御受可仕段、拝諾仕候。今日にも罷越、此段申述候    ハヾ、定而雀躍可仕候。早々当人にも御礼に罷越、拝眉御礼可申と奉存候。何も御報迄、如此御座候    拝復      四月廿九日      尚々、御丁寧之御端書、厚謝仕候       曲亭先生〟    〈「去月祝融之難」「先日の回禄」はともに三月二十三日の大火をさす。武清は絵師喜多武清。北渓が馬琴の挿画に起     用されたのは『近世説美少年録』の二輯。初輯は歌川国貞である。「定而雀躍可仕候」北渓にとっても馬琴の読本に     挿絵をとることは名誉のことなのであろう。ただ、馬琴作・北渓画の作品はこの『近世説美少年録』二輯のみ。弘化     二年(1845)の続編・三輯以降は再び豊国三代(国貞)になる〉    ☆ 天保元年(文政十三年・1830)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保元年刊)    喜多武清画『書画帖』一帖 文晁・文一・法橋雪旦・杏斎雪堤・雲峰・為一・其一・武清・蹄斎・                 崋山等画 大窪詩仏序〔漆山年表〕    ☆ 天保初年(1830~)    ◯『江戸現存名家一覧』〔人名録〕②309(天保初年刊)      〈当時現存の「画家」として名があがる〉    ☆ 天保三年(1832)    ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(天保三年刊)    喜多武清画『喜多武清粉本』二冊 喜多武清写(成立年「天保三・弘化四」)〔目録DB〕      ◯『画乗要略』(白井華陽著・天保三年(1832)刊・『日本画論大観』中)   〝喜多武清 字子慎、可菴と号す。文晁に学び、画名有り〟     ☆ 天保五年(1834)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保五年刊)    喜多武清画『弘法大師行状記』後六巻縮図 東武日本画師喜多武清 長久院蔵板〔漆山年表〕           (巻六巻縮図は「京師仏画工中西誠応」)    ☆ 天保六年(1835)    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』)   ◇狂歌(天保六年刊)    喜多武清画『烏亭焉馬追善集』一冊 為一・武清画 二世焉馬編〔狂歌書目〕          ☆ 天保七年(1836)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保七年刊)    喜多武清画    『とふの菅薦』一冊 香蝶楼国貞・後素園国直・朝桜楼国芳・柳川重信・葵岡北渓・              法橋雪旦・雲峯・行年六十翁可庵武清筆 梅多楼藏板〔漆山年表〕    『美人百咏』 一冊 六十一翁武清他筆 仙台松嵐居士鈴木道輯 雁金屋治兵衛他板〔漆山年表〕    『済急記聞』 一冊 武清 旦暮庵野巣輯〔漆山年表〕    『骨董集』 前後帙 四冊 武清他筆 文渓堂〔漆山年表〕     ◯『馬琴書翰集成』④221 天保七年(1836)八月十四日 馬琴、古稀の賀会、於両国万八楼   (絵師の参加者のみ。天保七年十月二十六日、殿村篠斎宛(第四巻・書翰番号-65)④221参照)   〝画工 本画ハ      長谷川雪旦 有坂蹄斎【今ハ本画師になれり】 鈴木有年【病臥ニ付名代】      一蛾 武清 谷文晁【老衰ニ付、幼年の孫女を出せり】 谷文一 南溟      南嶺 渡辺花山    浮世画工ハ      歌川国貞【貞秀等弟子八九人を将て出席ス】 同国直 同国芳 英泉 広重 北渓 柳川重信      此外、高名ならざるものハ略之〟     ◯『【江戸現在】広益諸家人名録』初編「キ部」〔人名録〕②50(天保七年刊)   〝画 可庵【名武清、字子慎、号五清堂、会日四九】八丁堀竹島 喜多武清〟    ☆ 天保八年(1837)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保八年刊)    喜多武清画    『八十翁昔かたり』一冊 酔画堂徳田慶寿写 武清 尚友堂板〔漆山年表〕    『百名家書画帖』 二冊 文晁七十五翁 雪旦長谷川巌岳斎 可庵武清筆 他 一貫堂蔵板〔漆山年表〕    『おあん物語』  一巻 武清 朝川鼎蔵〔漆山年表〕    『日光山志』   五冊 花菱斎北雅筆 可庵武清筆 齢七十二画狂老人卍筆〔漆山年表〕                二世柳川重信 文晁 須原屋伊八他板     ◯「【東都高名】五虎将軍」(著名人番付・天保八年春刊・『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝画家 谷文晁・依田竹谷・春木南湖・大西椿年・喜多武清〟    ◯「【東都高名】五虎将軍」(番付・天保八年春刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝画家 谷文晁・依田竹谷・春木南湖・大西椿年・喜多武清〟    ◯『馬琴書翰集成』④356 天保八年(1837)九月二十四日(十月二十二日、小津桂窓宛書翰(第四巻-書翰番号98))   〝(馬琴作の愛読者で三千石の旗本・石川左金吾(畳翠)より招待を受け、九月廿四日、来訪した時、そ    の席上にて)武清・武一父子合筆の画、寿星の上に蝙蝠あり。このきぬ地の画賛を、おなじ頭に乞れて、    席上狂歌      福禄をいく世かさねていやたかきくすしのかしら長いきの君    など申出候キ〟    〈喜多武清・武一父子の画く福禄寿に蝙蝠の図、この肉筆絹地に馬琴が狂歌の画賛を認めたのである〉     ☆ 天保十年(1839)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保十年刊)    喜多武清画『絵本勲功草』五巻 可菴武清筆 須原屋佐助板〔漆山年表〕     ☆ 弘化四年(1847)     ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(弘化四年刊)    喜多武清画『喜多武清粉本』二冊 成立 天保三・弘化四〔目録DB〕    ☆ 嘉永元年(1848)    ◯「【流行】長者盃」
(番付・嘉永元~二年刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝(行事)画 雲峯・武清・椿年〟      〝浮世画 国芳・卍老人・豊国    〈喜多武清は大岡雲峯や大西椿年と共に行事として番付の中央に位置している。町絵師の中でも別格の扱いである。     卍老人は北斎、そしてこの豊国は三代目(初代の国貞)。国芳・北斎・豊国、彼等がこの時代を代表する浮世絵師     なのである。ただ、そこに広重が入っていない点、現代の感覚とはズレがあるようだ〉    ☆ 嘉永二年(1849)    ◯『【現存雷名】江戸文人寿命付』初編〔人名録〕②331(嘉永二年刊)   〝喜多武清 喜んで多く人こそたのむなれ、武く清くもかける大和画 大極上々吉 寿 千載 八町掘竹    嶋〟    ☆ 嘉永三年(1850)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(嘉永三年刊)    喜多武清画    『義士肖像賛詞』文晁 北渓〔「葵」「岡」印〕蹄斎〔「北」「馬」印」秀旭斎蘭暎〔「政直」印〕〔漆山年表〕            法橋雪旦画〔「長谷川」印〕武清筆〔「可庵」印〕後素園写国直 柳川重信他筆  <   ◯『【江戸文人】芸園一覧』「画家」〔人名録〕②322(畑銀雞編・嘉永三年三月刊)   〝八町堀竹島 喜多武清〟    ◯「【高名時花】三幅対」(番付・嘉永三年五月刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   (最上段、東筆頭、相撲番付でいうと東横綱格)    〝骨画 カヤバ丁 喜多武清 ・倭歌 サカモト丁 井上文雄 ・書詩 ツキヂ 石川梧堂〟    〈因みに、西の横綱格は「肉画」の大西椿年・「倭歌」の本間遊清・「書家」の中川憲斎。武清の「骨画」は、大西     椿年の「肉画」と対になっていうようだが、その意味はよく分からない〉    ☆ 嘉永四年(1851~)    ◯『古画備考』三十上「近世二」中p1277(朝岡興禎編・嘉永四年四月二日起筆)   〝喜多武清 字子慎、号可菴、学文晁、有画名    (補)[印章]「可菴」(朱文丸印)〟    ☆ 安政二年(1855)    ◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④239(川喜多真一郎編・安政二年春刊)   〝喜多武清【字ハ子慎、可菴ト号ス、通称栄之助、文晁ニ画法ヲ学ンデ、山水ヲ能クシ、後一格ヲナシテ    人物ヲ画ク】    〔印章〕「可庵居士」・「可庵」    ☆ 安政三年(1856)     ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(安政三年刊)    喜多武清画『武清縮図』一冊 喜多武清画〔目録DB〕      ◯『増訂武江年表』2p158(斎藤月岑著・明治十一年稿成る)   (「安政三年」)   〝十二月二十日、画人喜多武清卒す(八十一歳、字子慎、号可庵、鶴翁、五清堂。文化の頃より世に行は    れし人なり。日本榎清林寺に葬す。辞世の狂歌碑面に彫りたれど、拙ければこゝにしるさず)〟    ◯『翟巣漫筆』〔新燕石〕②附録「随筆雑記の写本叢書(二)」p7(斎藤月岑書留・安政四年記)   (喜多武清、安政三年十二月廿日逝去、辞世・戒名)   〝来てみれハ二本榎の面白き話相手は雪周一蝶    洞玄院幽誉可庵武清居士〟    ☆ 没後資料    ☆ 安政六年(1859)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(安政六年刊)    喜多武清画『可菴画叢』一冊 可庵喜多武清原図 令嗣探斎武一臨模 金花堂蔵〔漆山年表〕    ◯『書画薈粋』二編〔人名録〕④540(畑銀雞編・安政六年三月刊)   〝画家【名武清、字子慎、号可庵、又笑翁】八丁堀 喜多武清。江戸ノ人草花ニ妙ヲ得タリ、世ニ大和画    ト称スルコト、先生元ヨリ欲スル所ナリ、又五清堂ノ別号アリ〟    ☆ 明治十四年(1881)    ◯『明治十四年八月 博物館列品目録 芸術部』内務省博物局 明治十五年刊    (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝第四区 舶載品(18コマ/71)    喜多武清画 手遊物奈良人形 画扇 一本〟  ☆ 明治十五年(1882)  ◯ 第三回 観古美術会〔4月1日~5月31日 浅草本願寺〕   『第三回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治15年4月序>(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第二号(明治十五年四月序)   〝武清 義家名古曽関図 一幅(出品者)竹中熊次郎〟  ◯『写山楼記』〔新燕石〕⑤52(野村文紹著・明治十五年(1882)成立)   (谷文晁門人の項)   〝喜多武清 【安政三年歿、八十一、号可菴、笑翁、字子順、五清堂、八丁堀住、平民】         【男武一、二男武一、号探斎】         門人【武金、武景、京水】〟  ☆ 明治十七年(1884)  ◯『扶桑画人伝』巻之四 古筆了仲編 阪昌員・明治十七年八月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝武清    喜多氏、名ハ武清、字ハ子慎、可菴ト号ス、幼名栄之助、江戸ノ人ナリ。文晁ニ画法ヲ学ブ、後探幽ヲ    追慕シテ一変ス。人物花鳥ニ工ナリ。安政三年十二月二十日没ス、年八十一歳。明治十六年迄二十八年〟    ☆ 明治二十五年(1892)  ◯『日本美術画家人名詳伝』下p443(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝喜多武清    字子慎、可庵ト号ス、武清ハ其ノ名幼名栄之助、江戸ノ人、画ヲ谷文晁ニ学ブ、後チ探幽ヲ追慕シテ画    風一変ス、人物花鳥ニ工ミナリ、安政三年十二月廿日没ス、年八十一〟    ☆ 明治二十六年(1893)  ◯『浮世絵師便覧』p226(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝武清(ブセイ)    可庵の別号、前に出つ〟    ☆ 明治二十七年(1894)  ◯『名人忌辰録』下巻p25(関根只誠著・明治二十七(1894)年刊)   〝喜多武清 可菴    字子慎、号五清堂、谷文晁門人。安政三辰年十二月廿日歿す、歳八十一。芝二本榎清林寺に葬る。法号    道玄院幽誉可菴武清      辞世 来てみればこゝ二本の面白き噺相手に其角一蝶〟      ◯『浮世絵師歌川列伝』「一世歌川豊国伝」p91(飯島虚心著・明治二十七年、新聞「小日本」に寄稿)   〝〈山東京伝〉さきに優曇華物語の出像を、唐絵師に誂えて後悔せしに桜姫全伝の作よりして豊国に画か    せ、特に時好にかないしかば、これより豊国と親しく交りて、功を譲ること大かたならず。     按ずるに唐絵師は喜多武清なり。武清は俗称栄之助、字は子慎可菴と号す。谷文晁の門人、作者部類     京伝の條に優曇華物語を綴る云々、趣向の拙きにあらねども、さし画の唐様なるをもて、俗客婦女を     楽ましむるに足らず。此故当時評判不の字なりき。京伝ひそかにこれを悔いたりとあり〟    〈山東京伝作の読本『優曇華物語』は喜多武清の挿画で文化元年の刊行。『【桜姫全伝】曙草紙 』は文化二年刊〉  ☆ 昭和以降(1926~)    ◯『狂歌人名辞書』p195(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝喜多武清、字は子慎、可庵と号す、通称栄之助、東都の画家、谷文晁に学び、又探幽の画風を慕ひ人物、    花鳥に巧みなり、安政三年十二月歿す、年八十一〟    ◯『浮世絵師伝』p165(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝武清    【生】安永五年(1776)   【歿】安政三年(1856)十二月廿日-八十一    【画系】谷文晁門人     【作画期】文化~嘉永    喜多氏、名は武清、字は子慎、俗称栄之助、可奄・五清堂・一柳斎・鶴翁等の号あり、初め文晁に学び、    後ち狩野探幽の筆意を慕ひ、遂に一家を成す、読本等の挿画あり。居所八丁堀竹島、法号洞玄院幽誉可    庵武清居士、墓所芝二本榎、清林寺(浄土宗)〟          ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化元年(二月十九日改元)甲子」(1804) p171   〝十二月、喜多武清の挿画にて、山東京伝作の読本『優曇華物語』出版せり。画は円山応挙の七難の画を        参照し、武清又自己の写生を加味して稀に見るの妙画なるも、当時の士女、歌川豊国の画に心        酔し、武清の画を顧みる者無く、売行き甚だ少なかりしといふ〟     ◇「文化二年 乙丑」(1805)p173   〝此年、抱一・文晁・武清・文一・鏑木雲潭・島田元旦・三好汝圭等の画ける『名花交叢』出版〟     ◇「文化七年 庚午」(1810)p179   〝正月、喜多武清の『歌仙絵抄』出版〟      ◇「文政元年(四月二十二日改元)戊寅」(1818)p191   〝正月、豊国・国貞・辰斎・戴一・国丸・国安・春亭・武清・玉山等の挿画ある『以代美満寿』出版〟     ◇「天保七年 丙申」(1836)p215   〝四月、国貞・国直・北馬・国芳・柳川重信・北渓・武清等の挿画に成る『とふの菅薦』出版〟     ◇「天保一〇年 己亥」(1839)p218   〝正月、喜多武清の画ける『絵本勲功草』出版〟     ◇「安政三年 丙辰」(1856)p235   〝十二月二十日、喜多武清歿す。行年八十一。(武清は文晁の門人なれども、読本などにも画けるあり)〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「芝区」清林寺(二本榎町二ノ四)浄土宗   〝喜多武清(画家)字子慎、可庵と号し、谷文晁の門人なり。安政三年十二月二十日歿。年八十一。洞玄    院幽誉可庵武清居士。      辞世 来てみれば二本榎もおもしろし咄の友は其角一蝶〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔喜多武清画版本〕    作品数:16点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:武清・喜多武清・可庵    分 類:絵画7・随筆3・和歌2・絵本1・読本1・艶本1・漢詩1    成立年:文化1・7・11~12・14~15年(7点)(文化年間合計8点)        天保7・10年(2点)        嘉永1~4年 (1点)        安政3・6年 (2点)      〈版本では山東京伝著への挿絵が多い。読本『優曇華物語』文化元年。随筆類『近世奇跡考』文化元年・『骨董集』文     化十~十二年。また、塙保己一作の『はつはな』(艶本・一軸・文化末の成立)に筆をとったのも珍しい〉     
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