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☆ ぶんちょう いっぴつさい 一筆斎 文調浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ☆ 宝暦五年(1755)    ◯『浮世草子考証年表-宝永以降』(長谷川強著・昭和五十九年(1984)刊)   ◇浮世草子   『栄花遊二代男』横本 五巻五冊     刊記「宝暦五乙亥のとし正月吉日」     板元 玩月堂堀野屋 小倉仁兵衛板  (「年表」は「二之巻一の挿絵、布袋の掛物に「文調画」とあり、即ち一筆斎文調の画なり」とする)
    『栄花遊二代男』挿画 文調画(東京大学附属図書館「電子版 霞亭文庫」)    ☆ 宝暦十年(1760)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇黒本 青本(宝暦十年(1760)刊)    一筆斎文調画『二代政宗』    ☆ 明和元年(宝暦十四年・1764)    ◯『浮世草子考証年表-宝永以降』(長谷川強著・昭和五十九年(1984)刊)   ◇浮世草子   『梅桜一対奴』半紙本 五巻五冊 泉花堂三蝶作 宝暦十四年(1764)正月刊     序 「于時 宝暦十四申の初春 東武 南梅枝門人 泉花堂述」     署名「守文調画」(巻之五挿画)     刊記「泉花堂蔵板 売弘所 東叡山下竹町 花屋久次郎」    ☆ 明和七年(1770)     ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(明和七年刊)    一筆斎文調画『絵本舞台扇』彩色 三巻 勝川春章画 文調画〔一筆斎〕雁金屋伊兵衛板    ◯『役者裏彩色』明和七年刊役者評判記(八文字屋八左衞門著・『歌舞伎評判記集成』第二期十巻p31)   〝見立浮世絵師に寄ル左のごとし   【いわくあり開口】山下金作   森田座  何をされてもわつさりとする春信  〈鈴木春信〉    上上吉     吾妻藤蔵   市村座  武道にはちと角があつてよい菱川  〈菱川師宣〉    上上吉     中村喜代三郎 同座   どふみても上方風でござる西川   〈西川祐信〉    上上◎     中村松江   中村座  思ひのたけをかいてやりたい一筆斎 〈一筆斎文調〉    〈◎は「吉」の字の「口」が二重枠の「口」〉    上上◎     尾上松助   市村座  此たびはとかくひいきと鳥居    〈鳥居清満か〉    〈◎は「吉」の字が二重枠の「吉」〉    上上◎     瀬川七蔵   中村座  瀬川の流れをくんだ勝川      〈勝川春章〉    〈◎は「吉」の字の「士」の二重枠文字〉    上上◎     山下京之助  森田座  風俗はてもやさしひ歌川      〈歌川豊春〉    〈◎は同上〉    上◎      尾上民蔵   市村座  うつくしひ君にこがれて北尾    〈北尾重政〉    〈◎は「上」の二重枠文字〉    上上      嵐小式部   森田座  いろ事にかけては心を奥村〟    〈奥村政信〉    ☆ 明和年間(1764~1772)    ◯『売飴土平伝』〔南畝〕①385(明和六年三月刊)  (「阿仙阿藤優劣の弁」お藤の美貌を)   〝雑劇(キョウゲン)趣を写し、錦画世に伝ふ。春信も幾たびか筆を投げ、文調も面(カホ)を肖(ニ)せ難し〟    〈文調の評判は似顔絵にあったようだ。春信の項参照〉    ◯『明和誌』〔鼠璞〕中193(青山白峰著・宝暦~文政記事)   〝明和頃役者似顔の一枚絵はじめて出る。一目にてたれと分り候やう書ことなり。画は、勝川春章、文調    といふ両人なり〟    〈一枚絵ではないが、春章と文調の競作で役者似顔絵の『絵本舞台扇』が出版されたのは、明和七年(1770)のこと〉
    『絵本舞台扇』勝川春章・一筆斎文調画(国立国会図書館デジタルコレクション)    ☆ 安永五年(1776)    ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(安永五年刊)    一筆斎文調画『末摘花』二編一冊 文調画 あさくさ似実軒序 星運堂板    〈「文調画」の署名がある「あさくさ似実軒」序の二編は天明三年の刊行。安永五年の初編の画工は二編のように署名がない     から判然としないが、挿絵の小間物屋の行商の背負い荷物に「小間物品々 雪仙画」とあり、この雪仙の挿絵と考えられる〉    ☆ 安永七年(1778)    ◯『黄表紙總覧』前編(棚橋正博著・日本書誌学大系48・昭和六十一年)   ◇黄表紙    文調画『三歳繰珠数暫』署名「湖龍画・文調画」「肝釈坊戯作」板元不明    〈肝釈坊に「焉馬」の印あり。すなわち烏亭焉馬の戯作。備考、文調の黄表紙は本作のみとする〉    ☆ 安永九年(1780)    ◯『狂言絵本年代順目録』(漆山又四郎(天童)著)   ◇芝居番付(安永九年刊)    五月 市村座「女伊達浪花帷子」不記名・文調風    ☆ 安永年間(1772~1780)    ◯『洒落本大成』第十四巻
(中央公論社・昭和五十三年(1978)~1988年刊)   ◇洒落本(安永年間刊)    文調画『性売往来』署名「文調画」根柄金内著〈解題は安永末から天明にかけての出版とする〉      ◯「艶本年表」(「国文研・艶本」は「艶本資料データベース」)   ◇艶本(安永年間刊)    一筆斎文調画『三十六歌仙』色摺 小判 二十二図 安永末年頃〔国文研・艶本〕    ☆ 天明三年(1783)  ◯『末摘花』二編 似実軒編(『誹風末摘花』岡田甫編・第一出版社・昭和二十七年刊)    一筆斎文調画 署名「文調画」    ☆ 没後資料    ☆ 寛政十二年(1800)    ◯『浮世絵考証』〔南畝〕⑱444(寛政十二年五月以前記)   〝一筆斎文調(以下朱筆)門人岸文笑(以下二行割書き)【絵冊子ニ此名アリ/狂歌士頭光】〟    男女風俗、歌舞伎役者画ともにつたなき方なり〟    〈「狂歌師頭光」は細字二行の朱註記事で岸文笑に関する注記である〉    ◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)                      一筆斎     一 役者似顔上手     文調       二代目八百蔵似顔上手 亀井町    ☆ 享和二年(1802)    △『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年(1802))〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕   〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ    るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編    に委しくすべし    倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)     昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世      文調  (他の絵師は省略)〟
    『稗史億説年代記』式亭三馬自画作(早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)        〝青本 草双紙いよ/\洒落る事を専一とする。当世風体此時より始まる    袋入 袋入本始まる。茶表紙に細き外題。袋入にして青板とは別板なり    画工 柳(ママ)文調、役者似顔の元祖、勝川春章に続いて似顔画を書く    〈「春章に続いて似顔画を書く」とあるから、一筆斎文調の誤記であろう。次項もそうだが、「画工」とあるものの、     このあたりから、三馬は青本の画工というより、当時活躍した浮世絵師を取り上げているように思う〉    同  鈴木春信、湖龍斎、女絵の一枚絵一流なり。柱隠し女絵本はやる〟    〈三馬は別のところで「昔より青本の画をかゝざる人の名」を十三人の浮世絵師をあげているが、春信も湖龍斎もそれ     に入っている。従ってこの「画工」は、この青本当時の絵師として春信や湖龍斎をあげたものと思われる〉     〝昔より青本の画をかゝざる人の名    奥村   鈴木春信  石川豊信  文調    湖龍斎  勝川春章  春好    春潮    春林   春山    春鶴    春常 【勝川門人数多あり】    歌川豊春 【此外にも洩れたる画者多かるべし。追て加之】〟    ◯『一筆斎文調』(「早稲田大学演劇博物館所蔵 芝居絵図録1」・1991年刊)   〝一筆斎守氏文調子は、石川幸元叟を師として倭画をよくし、又みづから浮世絵を好て、わざをぎの人の    面を写す事きはめて妙なり。そのかみ奥村、鳥居などが丹画、漆画といひしも、紅粉ゑに押移たる世に    守氏生れ出て、あらたにきめ出しといふことを工夫し、奉書にすりしより、さながら戯場の舞台にある    をみるが如し。百吐、一瓢かたち芸ともいかで此筆には及べきと思はる。栢莚が後の五粒盛なる比は、    是をよく肖せたれば、実に木場の親玉歟、筆の親玉歟とわきがたきまでにて、暫の篠塚がゆるぎ出す御    神輿には足利の足を空にして迯るかと思はれ、景清が清水のさつたを信仰するせりふには、右幕下のな    さけもをのづからしらるゝあり。慶子が所作の手のこまやかなるも画中にみゆ。かゝる妙手なりしも、    己が号の一筆を残して七とせ先、黄なる泉におもむき、今は釈尊閻王の似顔かく仏画師となりぬるぞか    なしき。扨こたみその未亡人の刀自、門葉の文康、舟調など聞ゆる人々追福のいとなみせんとて、楊柳    橋辺の万発楼に水無月十二日を卜し、知己の名だゝる画家を請し席画を催し、諸君子をねぎらひ、且は    墨水の流に暑をさけ、かはほりの風のまにまに文調が噂なし玉はらば、大乗妙典のくりきにもまさらま    しと、催主のもとめに応じてしるすことゝなりぬ                                            尚左堂俊満      かきのこす筆の似顔の七へん化早かはりなるきのふけふかな〟
   (摺物の上部には、当日の席画に参加したであろう絵師の絵があって、それぞれに以下の署名が入っている)    「豊廣画・堤孫二筆・豊国画・春秀蝶・寿香亭目吉筆・画狂人北斎画・歌麿筆・雪旦・春英画」
   〈この摺物は文調の七回忌に出されたものだが、年記がないので年代が分からない。それでも北斎が「画狂人」を名乗     っていることから、ある程度推定が可能のようで、『浮世絵大事典』の項目「一筆斎文調」は「享和元年~二年(1801     ~02)頃のもの」としている。そしてまた文調の没年をも「寛政八~十年(1796~98)」と推定している。この七回     忌は六月十二日(文調の忌日か)柳橋の書画会場として有名な料亭、万八楼で行われた。この俊満の摺物から、文調の     姓が守、師が石川幸元、文康・舟調は文調の門弟であることが分かる〉    〈島田筑波の「浮世絵雑考」(日本書誌学大系49『島田筑波集』上巻)を対照して、上掲追善文の空白箇所等を改めた。     2017/12/10追記〉     ☆ 文化初年(1804~)   ◯『反故籠』〔続燕石〕②170(万象亭(森島中良)著、文化年中前半)   (「江戸絵」の項)   〝(筆者注、春信の錦絵登場)引続て、一筆斎文調、勝川春章、似顔の役者絵を錦摺にして出す、是をき めといふ〟    ☆ 文化五年(1808)    ◯『浮世絵師之考』(石川雅望編・文化五年(1808)補記)   〔「浮世絵類考論究10」北小路健著『萌春』207号所収〕   〝一筆斎文調【桑楊庵、頭光 亀井町住】    男女風俗、歌舞伎役者画ともにつたなきかたなり。されど二代目八百蔵の似顔を能くし、板下を多く画け    り〟    〈二行割書きの【桑楊庵、頭光 亀井町住】は、大田南畝の『浮世絵考証』では岸文笑の記事に付いていたのだが、石     川雅望はなぜか、一筆斎文調に付けている。「男女風俗」以下の記事は南畝のものと笹屋邦教編の『古今大和絵浮世     絵始系』の記事をそのまま使っている〉    ☆ 文化八年(1811)    ◯『一話一言 補遺参考編一』〔南畝〕⑯110(文化八年五月二日明記)  (「雲茶会 二集」(凡例参照)に老樗庵主人の出品として)   〝大谷十町似顔 文調筆一片〟    〈文化八年で明和期の文調画は珍重すべき作品になっていたのか〉    ☆ 文化十三年(1816)    ◯「杏園稗史目録」〔南畝〕⑲485(文化十三年明記)  (この年の南畝の収得書目として〉  〝舞台扇 三冊 明和七年庚寅 春章 文調画〟    〈『絵本舞台扇』を入手したのは出版後四十六年の後であった。この記念すべき作品の存在を、南畝はずっと気に留め     ていたのであろう〉    ☆ 文政二年(1819)      ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政二年刊)    一筆斎文調画    『絵本舞台扇』三冊 勝川春章画 文調画 鶴屋喜右衛門他板〔漆山年表〕              浪速狂画堂蘆洲画 同嫚戯堂暁鐘成編 摂陽西隺孫東隺序              〈初版は明和七年〉    ☆ 天保四年(1833)   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③295(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝一筆斎文調【(空白)年中ノ人】     俗称(空白)、住居亀井町、狂歌師頭光なり    文調は、男女流行の風俗を画き、あるひは役者画もかけり、拙き方なれども、板下画に出たり 類考    類考附録に曰、文朝は役者画の上手、二代目八百蔵の顔をよく似せたる、とあり〟    〈「狂歌師頭光なり」としたのは何に起因するのであろうか。上出『浮世絵考証』の細字二行の朱注記事が写本で伝わ     ってゆく過程で、いつの間にか岸文笑に対する注ではなく、文調に関する記事となっていったのではあるまいか。と     もあれ、この文調・頭光同人説は、後出のように、斎藤月岑の『増補浮世絵類考』から明治の『浮世絵画人伝』にま     で引き継がれてゆく〉    ☆ 天保十一年(1840)    ◯『古今雑談思出草紙』〔大成Ⅲ〕④97(東随舎著・天保十一年序)   〝安永年中、一筆斎文調といふものこそ、芝居役者の似顔といふものを書出したり。名誉の筆勢、能其顔    色かたちまでを写せしなり〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)   〝一筆斎文調 (空白)年中の人     俗称(空白)住居 亀井町、狂歌師 頭光(ツフリノヒカル)門人 岸文笑    文調は、男女風俗の流行を画き、あるひは役者画も〈多く〉かけり。拙き方なれども、板下画〔に〕出た    〈せ〕り。(類考)    類考附録に云、文朝は役者画の上手、二代目八百蔵の㒵をよく似せ〔て〕〈たり〉とあり。    月岑按るに女絵は鈴木春信が画風を似せたり。奉書四ッ切の絵あり〟    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1392(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝文調 号一筆斎、住亀井町、二代目八百蔵似貌上手、明和比人       男女風俗、歌舞伎役者画ともに拙きかたなり【浮世絵類考】    佳気園云、なる程少し拙き所あれども、春章の方、世間にて多く用ひし故に、似貌画をやめ尋常の浮世    絵を画し様子也【同書】
   画本舞台扇二冊、役者似貌、春章文調寄合書、文調印[印章]「守氏」(朱文方印)    跋ニ文調の発句あり云、ゑの事は素顔を後ぞ不二の春〟    〈文政七年(1824)刊の『茶席挿花集』に佳気園(柿園)著・岩崎常正(灌園)画・芳亭野人編とあるが、この佳気園     と同人であろうか〉    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪204(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   〝一筆斎文調    亀井町に住す。狂歌をよくして名を頭光といふ。男女風俗の流行を画き、又役者画は上手にて二代目八 百蔵の貌をよく似せたり。門人に岸文笑といふ有り〟    ☆ 明治年間(1868~1911)    ◯『扶桑画人伝』巻之四 古筆了仲編 阪昌員・明治十七年(1884)八月刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝文調    姓氏、詳ナラズ、名ハ文調、一筆斎ト号ス。男女ノ風俗及ビ歌舞妓役者絵等ヲ画ガク、然レドモ巧ナラ    ズ、後チ法橋ニ叙シ、浮世絵ヲ廃止ス〟  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝明和 一筆斎文調    明和安永頃の人、当時の風俗を美麗に写す〟    ◯『日本美術画家人名詳伝』p20(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年(1892)刊)   〝一筆斎文調    名ハ頭光、東京人、狂歌ヲ能シ、男女ノ風俗役者画ヲ画ク、時代未詳〟    ◯『古代浮世絵買入必携』p19(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝守文調    本名〔空欄〕   号 一筆斎   師匠の名〔空欄〕   年代 凡百年前より百廿十迄    女絵髪の結ひ方 第五図 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 並判、中判、小判、細江、絵本、肉筆    備考  〔空欄〕〟    ◯『浮世絵師便覧』p226(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝文調(テウ)    一筆斎と号す、石川幸元門人、岸氏、名は誠之、俗称宇右衛門、寛政八年死〟    〈飯島虚心のこの記述には頭光の文字は見当たらないが、「岸氏、名は誠之、俗称宇右衛門、寛政八年死」は明らかに     岸文笑(頭光)のものである。つまり虚心は文調と頭光とを混同している〉    ◯『浮世画人伝』p54(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   〝 一筆斎文調(ルビいつぴつさいぶんてう)    一筆斎文調は江戸の人、本所亀沢町に住めり、斎藤月岑が随筆『蜘之糸巻拾遺』に宝暦年中より、歌舞    伎役者を画き創るもの、文調、続きて勝川春章、春好、春英等なりとあり、されば俳優の似顔を画きし    は文調を以て嚆矢とす。文調の画艶麗にして能く其当時の風俗を写せり、俳優の似顔にては二代目中車    (市川八百蔵)を画くに最も妙を得、殆ど真にせまりて口を開き、物云はんとするの風情ありきとぞ。    文調また狂歌をよくし、雅号を頭之光と号したりき〟    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p194(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝一筆斎文調、姓柳氏、通称未詳、東都の浮世絵師、石川孝(ママ)元門人にして風俗画、俳優似顏絵を能く    す、文化の末歿す、年七十、文調を狂歌師つぶり光の画名とするは誤り〟    〈狩野快庵は文調とつぶり光を別人とした。それはよいのだが、守とあるべき姓を柳とし、没年を文化末とし、石川幸     元の師名を孝元と記している。何に拠ったのであろうか〉     ◯「日本小説作家人名辞書」p707(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝一筆斎文調    柳川氏、一筆斎文調と号し、石川孝(ママ)元門人、江戸の浮世絵家、本所亀沢町に住む。俳優似顔絵に巧    で、特に二世市川中車は得意であった。文化末年歿、年七十。「二代政宗」(宝暦十年〈1760〉刊)の    作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『二代政宗』黒本・一筆斎文調画・宝暦十年刊〉    ◯『浮世絵師伝』p166(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝文調    【生】           【歿】    【画系】石川幸元門人    【作画期】明和~安永    守氏、一筆斎(落款には齋を齊とせるもの多し)と号す、美人画と役者絵をよく描けり、彼は春信及び    春章等と時代を同じうし、画風亦両者を折衷せしが如き特徴を有す、即ち春信の抒情的なると、春章の    写実的なるとの中間に位し、其處に彼の本領を発揮したりき、描く所の錦絵甚だ多数に上れるが、殆ど    一枚すら駄作を出さゞりしも、細判のみ多く、役者の名は紋章に拠て判別し得らる。(口絵第二十六図    参照)     彼は錦絵の外に草双紙の挿画にも若干の作を示せり、例へば宝暦十四(明和元)年版の読本『梅桜一対    男』(落款、守文調画)(水谷不倒氏の考証に拠る)、及び安永七年版の黄表紙『【市川五粒】追善記』    上下(上巻は湖龍斎、下巻は文調)、同八年版の黄表紙『三歳繰珠数暫』上下(上巻は湖龍斎、下巻は    文詞)等是れなり、其他年代未詳の『【助六揚巻】二代政宗』といへる黒本もある由なれど、未だ確証    を得ず。彼は斯くの如く湖龍斎と合作せるが、其れ以前に春草とも合作せし例あり、即ち明和七年版の    『絵本舞台扇』(彩色摺)にして、亦彼の傑作の一に数ふべきものなり。     尚ほ、天明元年頃のものとおぼしき肉筆人物画(故小林文七氏蔵)に、春草・湖龍斎・文調三人の合作    あるは、蓋し彼等相互間の親交を窺ふに足らむか。因みに、彼の門人と伝へらるゝ者に岸文笑(狂歌師    頭(ツムリ)の光(ヒカル))あり、往々両者の伝記を混同して、文調一に頭の光などゝするは誤なり。彼と    当時の俳優とは可なり密接の関係ありし事は、如上の作品によつて窺ひ得る所なるが、こゝに珍らしく    も彼の作画せし大絵馬二面、現に角筈十二社に保存されたり、一は無落款なれども宝暦十四(明和元)    年六月に奉納せし市村座「式三番」の図、二は安永二年四月奉納の市村座七俳優の図にして、「一筆斎    文調図」と落款せり。(『浮世絵新誌』第十二号に拠る)     因みに、彼の七回忌の追福を営まむとて、窪俊満が文章を綴りし摺物に「扨こたみその未亡人の刀自、    門葉の文康舟調など聞ゆる人々、追福のいとなみせんとて、楊柳橋辺の万発樓に水無月十二日を卜し、    知己の名だゝる画家を讃し席画を催し」云々と云へれば、文康・舟調の両人が彼の門弟たりし事と、彼    が忌辰の六月十二日なりし事とを明かにされ得べし(『浮世絵新誌』第九号所載、島田筑波氏の考証参    照)。さて右の摺物に、彼が高弟たる文笑(寛政八年歿)の名の漏れたるに依りて考ふれば、文笑歿後    間もなき頃、即ち寛政九年或は十年頃に、斯かる追福を営みしものなるべく、されば其が歿年は凡そ寛    政三四年頃と推定され得るが如し〟    〈窪俊満の七回忌の摺物については上出、享和元~二年の記事を参照のこと〉    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「明和七年 庚寅」(1770)p124   〝正月、勝川春章と一筆斎文調の合筆に成れる役者似顔絵本『絵本舞台扇』三巻〟     ◇「寛政八年 丙辰」(1796)p159   〝四月十二日、一筆斎文調歿す。行年七十歳。(文調は初め石川幸元に絵を学び、後石川豊信・鈴木春信    等を私淑し、勝川春章と共に俳優の似顔を画くに妙を得、春章合作の『絵本舞台扇』を画くに至れり。    絵本は多く画かざりしも、細絵の役者似顔絵は春章に匹敵するものゝ如し)〟    〈漆山天童は文調の没年月日を、寛政八年四月十二日・七十歳とする。この寛政八年の没年、実は岸文笑(つむり光)     のものである。天童も文調・つむり光同人説にたって記述したのであろう。ところで大修館の『原色浮世絵大百科事     典』「一筆斎文調」は、文調七回忌の追善摺物から推して、没年を寛政六~八年頃の六月十二日と推定する。一方、     東京堂出版の『浮世絵大事典』「一筆斎文調」の方は、同摺物によりながらも、その没年を「寛政八~十年(1796~     98)」かとする〉    △『増訂浮世絵』p115(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝一筆斎文調    文調は石川幸元といふ狩野派の画人の門人で、出藍の誉高k、後ち浮世絵に転じて、美人絵役者絵を善    くした。美人画は鈴木春信の影響をうけて、甚だよく似て居る。役者絵を画いては、勝川春章と伯仲し、    明和七年春、春章と合作して絵本舞台扇二冊を出版し、非常な名声を博しtあ。而してこの書に於ては、    両人の画いた役者絵は、誠によく似て、何れが文調か、春章かを、区別しにくい程である。実に文調は    美人画と役者とに於て、共に優れた伎倆をもつて居た。その他に花鳥などを画いても、また一種の面白    みを見せて居る。(中略)    文調の作画期は明瞭ではないけれども、明和二年頃から版画に筆をとつたといはれ、明和安永年間にか    けて盛に作つたのである。文調の作も少なからず遺つて居るが、拙作のないのは喜ばしい。(中略)    死んだのは寛政六年といふことである〟     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔一筆斎文調画版本〕     作品数:4点    画号他:一筆斎文調・守・守文調    分 類:浮世草子2・絵本1・黒本1    成立年:宝暦5・10年(2点)        明和1・7年 (2点)      『栄花遊二代男』(浮世草子・八文字屋自笑作・一筆作文調画・宝暦五年(1755)刊)    『二代政宗』  (黒本          ・一筆斎文調画・宝暦十年(1760)刊)    『梅桜一対奴』 (浮世草子・泉花堂作   ・守文調画  ・明和元年(1764)刊)    『絵本舞台扇』 (歌舞伎 ・勝川春章   ・一筆斎文調画・明和七年(1770)刊)        なお「湖竜斎・文調画」の下記2点を加えると作品数は6点となる。    『三歳繰珠数暫』(黄表紙・肝釈坊(烏亭焉馬)作・湖竜斎/文調画・安永七年(1778)刊)    『市川五粒/追善記』(『三歳操数珠暫』の改題本・安永八年刊)

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