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浮世絵師総覧日清戦争 新聞記事・版本版本年表一覧
明治27年(1894)7月25日~明治28年(1895)4月17日
  ※ ②:国立国会図書館デジタルコレクション ③:近代書誌・近代画像データベース     版本 例(19/20)分子19はその月の出版数 分母20は明治27年7月からの出版累計  ☆ 明治二十七年(1894)※日清戦争(明治27年7月25日~明治28年4月17日)    <明治27年7月>  ◯「日清戦争 版本」(27年7月)(1/1)   『朝鮮電報実記』尾崎民太郎 口絵・挿絵 未詳 尾崎民太郎(7月)②  <明治27年8月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(8月1日)   〝錦絵速刊の計画    錦絵出版は先づ之を板刻印刷し内務省へ届け出(い)で一週日を経て発売することなるが 日清事件起り    てよりは各々其発売を急ぐ為め 何分一週間が待ち遠なりとて 京城小戦の模様の如きは存外早く売り    出したり され共斯(か)くては禁止などゝ云ふ危険計られずとて 其筋へ出願の上 墨刷にて届け出で    拒否の速決を乞ひて 出来早々売出す事にせんと協議中なり 又銅山を以て有名なる某豪商は之に肩を    入れて一雑誌の付録として錦絵を発売するの計画あるよし〟   『読売新聞』(8月9日)   〝日清戦争の錦絵 大鳥公使兵を率ひて参内 豊島海戦 成歓劇戦の三図は何れも三枚続の勇壮なる錦絵    にて国周子の筆に成り横山町三丁目辻岡方より発売す〟   『読売新聞』(8月12日)   〝日清事件の錦絵 豊島近海に於る日清開戦の錦絵は日本橋区吉川町松本平吉方より売出せり〟   『読売新聞』(8月14日)   〝絵草紙問屋(とひや)の軍費献金    日清開戦以来 其戦況の錦絵に上るもの数十種に及び 都下幾多の錦絵問屋 多きは十種少きも一二種    を出版せしに 其売れ方頗るよく 中には七千五百枚(三十盃)を売尽したるもありて 其利益夥しく    此先尚ほ何程の利益を見るも 知れざる程なるより 日本橋区横山町の辻文始め二三有力の問屋は 此    際戦争絵双紙の純益金を 悉く軍費の内へ献納せんと 目下各同業者へ相談中なりと云ふ 因みに記す    錦絵は総て四百枚乃至五百枚を売れば出板費用を償(つぐの)ひ得るに付 既に出版し及び出版せんとし    て着手中の分を合す時は 其純益少くも一万円に及ぶべく 此に今後出版するものゝ純益を算すれば    十万円以上に及ぶも知るべからず 而して問屋は其純益を悉く献金するも 板木は全く儲けとなり 我    軍凱旋の後 帰郷の兵士へ売る所の錦絵にて十二分の利益ある見込みなりと〟   『読売新聞』(8月18日)   〝吾妻錦絵    日清事件に関する錦絵の出版日も猶足らざる如くなるが 此程又々成歓襲撃和軍大捷(年方筆)及び成    歓激戦(清親筆)の両国を売出したり 板元は前者は日本橋区室町三丁目の秋山、後者は同区吉川町    の松木方なり〟    〈水野年方「大日本帝国万々歳/成歓襲撃和軍大捷之図」・小林清親「成歓ニ於テ日清激戦/我兵大勝図」か〉   〝朝鮮政府改革の錦絵    韓廷改革を施し閔族処罰の図は横山町三丁目辻岡方より発売す〟   『読売新聞』(8月25日)   〝新板吾嬬錦絵 此ほど又々日本橋区横山町三丁目の辻岡方より 松崎大尉軍功を顕す図 及び日本兵大    勝利祝宴を開く図(孰れも三枚続)を出版せり また東錦絵揚(ママ)斎延一の筆に成れる 我軍威海衛を    攻撃するの図 及び陸軍牙山全勝凱旋の図は孰れも三枚続として 日本橋区馬喰町二丁目の綱島方より    発売せり〟〈「松崎大尉軍功を顕す図」「日本兵大勝利祝宴を開く図」は楊洲周延画〉   『読売新聞』(8月27日)   〝おもかげ 日清戦争の錦絵に就て  実相居士    絵画彫刻の如き有形美術の目的はつとめて事物の実相真体を描写するにあり 敢へて詩歌小説の如く猥    (みだ)りに想像を弄(もてあそ)びて事実を過(あやま)るべからず。近来絵双紙店より際物(きはもの)と    して売出せる日清交戦の吾嬬(あづま)錦絵なるものを見るに 其実際を過ること実に甚だし 固より此    等を物せる画家は未だ実地の戦場を踏んで実際を目撃したることなければ 敢へて之に誤謬なきを期す    るは固より困難にして 又望むべからざる事なり と雖(いへど)も 彼等支那兵が其服装に於て或ひは    夏時に冬服を着し 其武器に於て或ひは三国志時代の刀鎗を用(もち)ゆるが如き例を始めとし 其他海    陸に於ける戦闘の様など 余り想像に過ぎて 吾人は一見実に噴飯に堪へざるものあり 而して此等は    小学の児童さへいと見易き疵瑕(しか)なるべし 吾人は常に支那の画家が時情に暗くして 日清戦争画    の牽強付会 事実を誤るの甚だしきを笑ひしが 顧みて現時の東錦画の画家の時情に通ぜざると 亦彼    等を同様なるを見るに至りては 自失せざらんと欲するも得ざるなり これ一些事に過ぎずと雖ども     之を大にしては東洋の美術国たる日本の為めに 之を小にしては美術家の為めに 外人の嗤笑(しせう)    を蒙(かうむ)らんことを恐れ 聊(いささ)か注意の為めに一言す〟   『読売新聞』(8月28日)   〝日清戦争の錦絵 此程又々日本橋区本銀町二丁目井上方より 清親の「清兵自ら広乙号を焼て遁走する    図」及び小国延(ママ)「朝鮮京城之小戦」と題する二版を発行せり〟〈小国延(ママ)は小国政が正しい〉   『読売新聞』(8月29日)   〝錦絵画工の蒙を笑ふ  砲兵の一卒    貴社新聞「おもかげ」に実相居士なる人 日清交戦の東錦絵につき云々の説をなして 画家の注意を促    (うなが)せり 是れ余の大に然りとする所なり 斯かる不注意は単(ひと)り美術家の面目に関するのみ    ならず 又我国の面目に関す 而して彼等際物絵師の時情に暗きは清国軍隊の武器服装に限らず 実に    我が日本帝国の軍隊が戦時に於ける武器服装の一班をだに知らざるなり 今爰に二三の例を挙げんか    「整々行進」にすべき処を「五行行進」になせるあり、兵卒は肩に村田銃の着剣を担ふと雖ども 腰に    は十三年式の歩兵刀を佩(は)かずして 鞘長き軍刀をぶらさげるあり、歩兵にして長靴を穿つものあれ    ば 将校に非ずして絨(ぢう)脚絆を着け 近衛兵ならざるに赤色の帽を冠(か)ぶるあり 其他戦時軍式    に違(たが)へるもの 一々数ふるに遑(いとま)なく 我々軍人の目より見るときは抱腹絶倒の外なし     よし以上の間違ひは甚だしき不都合なしとするも 第一に我が帝国軍隊の面目を穢すものと思はるゝは    野山砲の形状なり 彼等絵師は九段招魂社なる大村銅像の周囲にならべある三十年前の大砲を見て 今    日も矢張り斯かる大砲を使用するかと思ひしものか 錦絵写真版等の多くは元込(もとごめ)にあらずし    て先込(さきごめ)なり、東西の列国に後れを取らず新式の武器を使用せし日本軍隊をして 斯かる旧式    砲を用ゐしむ 余は之を一見して憤慨に堪へざると同時に 絵師の思想の甚だ幼稚にして軍事に昧(く    ら)きを憐れむ 世の絵師達よ 若(も)し実相居士が支那人の剣戟武装に付 云々(しか/\)の説を肯    首(かうしゆ)すれば 余が此注意は一層肯首して可なり〟    〈「元込・先込」とは砲弾の装填方式の名称で、前者は新しく後者は旧式。日本の軍隊は常に最新のものを使用する、と     ころが錦絵をみればその多くが旧式であり、帝国の砲兵の一卒氏にはこれが看過できなかった。8月27日記事の実相     居士やこの砲兵の一卒が、画中の誤りを錦絵の板下絵師の責任に帰するのは、旧来の絵師を西洋の近代画家同様のも     のとして捉えるところから生ずる見解なのであろう。明治も三十年代になると新旧こもごもというか、板元(出版人)     の求めに応じて画く旧来の浮世絵師がいる一方で、つまり図案考案者の指示に従って画く絵師がいる一方で、作画を     画家個人の自発的な行為として捉える西洋伝来の新しい視点もまた定着しつつあったのである〉   『読売新聞』(8月30日)   〝大鳥公使韓廷談判の錦絵は日本橋馬喰町二丁目の綱島亀吉方より発売せり〟〈楊洲周延画〉  ◯「日清戦争 版本」(27年8月)(19/20)   『日清韓海陸戦争実況』山本樵夫   口絵・挿絵 未詳    山崎暁三郎(8月)②   『日本振気之軍歌』  篠崎権三郞  表紙のみ  未詳    村上勘兵衛(8月)②   『日清海陸戦争記』  北桃隠士   口絵・挿絵 未詳    鈴木常松 (8月)②   『日清韓対戦実記』  牛台山人   口絵のみ  静光    東生書館 (8月)②   『日清韓開戦始末』  洗纓楼主人  口絵・挿絵 未詳    杉山書店 (8月)②   『日清戦争実記』   山本春太郎  口絵のみ  未詳    山本春太郎(8月)②   『海陸戦争軍歌』   山崎暁三郞  口絵・挿絵・表紙 未詳 国華堂  (8月)②   『日清戦争実記』   松林若円   口絵・挿絵・表紙 未詳 井口松之助(8月)②   『日清戦争軍歌』   熱血処士   口絵・表紙 未詳    中島抱玉堂(8月)②   『日清開戦記』正   服部喜太郎  口絵・挿絵 未詳    求光閣  (8月)②〈無署名だが続編担当の耕濤画か〉   『支那征伐』     石原貞堅   口絵のみ  未詳    藤谷暢吾 (8月)②   『日清戦史』     扼腕山人   口絵・挿絵・表紙 未詳 中島真蔵 (8月)②大阪   『討清軍歌』     陸軍軍楽学舎 表紙のみ  未詳    東雲堂等 (8月)②   『清国征伐軍歌集』  福羽美静   挿絵・表紙 未詳    小川尚栄堂(8月)②   『日支韓戦史軍歌』  野際馨    挿絵・表紙 未詳    中村鍾美堂(8月)②   『戦乱始末日清韓』  宮崎淞陽   挿絵 幽香       淡山堂他 (8月)②   『日清戦争実記』   鉄壁城士   挿絵 光方       錦集堂  (8-10月)②   『日清戦争実記』   三田村熊之介 挿絵 未詳       中村松之助(8月)②   『朝鮮時事』     柵瀬軍之佐  挿絵 久保田米仙    春陽堂  (8月)②   〈画工名は明治31年刊『菊と桐』の巻末広告による〉  <明治27年9月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(9月12日)   〝錦絵 清親筆安城渡進撃の錦絵頗る見事なり 発売所は日本橋吉川町松本平吉方〟    〈「牙山激戦/安城渡進撃之図」〉   『読売新聞』(9月16日)   〝解三升結柏(とけてみますむすびがしは)    此程日本橋区室町三丁目の秋山方より『解三升結柏』と題する国周の筆に成る団十郎と九蔵の和解に因    める錦絵を出版したり〟   〝錦絵    秋香子の筆に成る成歓大激戦の錦絵は頗る上出来なり 発売所は京橋区銀座一丁目の関口政治郎方〟    〈富田秋香か〉   『読売新聞』(9月26日)   〝戦争絵 海軍将校等征清の戦略を論ずる錦絵は年方筆にて 発売所は京橋銀座一丁目の関口政次郎 朝    鮮貴顕の石版絵(朝鮮国王・大院君・閩王妃の三肖像)は岡村政子筆にて発売所は京橋北槙町鳳林館。大    元帥◎下の御肖像を始め伊藤総理・大島少将並びに朝鮮国王支那皇帝等 日清韓三国の貴顕肖像の石版    画は日本橋材木町一丁目の中島石松方より発売。年方の意匠に成る平壌激戦大勝の錦絵は 至極上出来    なり 発売所は日本橋室町の滑稽堂なり。成歓駅に分捕りたる ◎聶憑魏の旗及び朝鮮婦人上衣等数十    種の写真は神田小川町の博文堂より売出せり 刷色鮮明〟   『読売新聞』(9月27日)   〝戦争絵 我兵平壌占領の錦絵は日本橋横山町三丁目の辻岡より発売す〟〈楊洲周延画〉  ◯「日清戦争 版本」(27年9月)(29/49)   『日清海陸戦争実記』鉄壁城士   口絵・表紙 未詳・挿絵 光方 聚栄堂  (9月)②〈見開き6ページ大折込口絵〉   『討清都阿房陀羅経』春風亭年枝  口絵・挿絵 未詳       魁真楼  (9月)②   『絵本日清大戦争記』松田槌太郎  口絵・挿絵・表紙 未詳    松田槌太郎(9月)15ページ   『日清戦端壮士ぶし』編者不詳   表紙のみ  未詳       柄沢常治郎(9月)②山形   『日清戦争実記』  松成保太郎  口絵・挿絵・表紙 未詳    松成保太郎(9月)②   『日清戦争実記』  編者不詳   口絵・表紙 未詳       いろは書房(9月)②   『日清戦闘実記』前 鬼雄外史   口絵・挿絵・表紙 吟光    金桜堂  (9月)②〈後編は12月>   『清兵退治の歌』  骨皮道人   口絵・挿絵・表紙 未詳    鳳林館  (9月)②   『支那征討実録』前 遠藤速太   口絵・挿絵・表紙 未詳    金桜堂等 (9月)②   『日清開戦記』続  服部喜太郎  口絵・挿絵 耕濤       求光閣  (9月)②   『清国征討史』   城北隠士   口絵 未詳・挿絵 幽香    岡島幸次郎(9月)②大阪〈3ページ大折込口絵〉   『日清戦争記』   三田村熊之介 口絵・挿絵 基春       石塚猪男蔵(9月)②   『日清戦争記』   鉄骨将軍   口絵・挿絵 未詳       日吉堂  (9月)②   『日清戦争記』   岡田庄兵衛  口絵・挿絵 耕濤「畊濤」印   文真堂  (9月)②    『日清戦争記』   石原貞堅   口絵・挿絵 耕雪       岡本仙助 (9月)②   『日清戦争』    鹿島長次郎  口絵・挿絵 未詳       興文社  (9月)②   『日清軍歌』    松田槌太郎  表紙のみ  未詳       松田槌太郎(9月)②   『日清軍記』1-5 愛国社編集局 口絵・挿絵 圭荘 桂荘 ◎◎ 愛国社  (9月-翌年1月)②〈◎は未読〉    『ちゃんちゃん征伐』骨皮道人   挿絵 米仙・表紙 清親    尚古堂  (9月)②   『日清戦争画さがし』鳥井正之助  挿絵・表紙 未詳       鳥井正英堂(9月)②   『日清開戦滑稽剣舞』骨皮道人   挿絵 未詳          扶桑堂  (9月)②   『日清交戦画報』  藤原信一編  挿絵 信一          嵩山房  (9-10月)②   『日清戦争実記』  勝山栄三郞  挿絵・表紙 未詳       勝山栄三郞(9月)②   『日清交戦記談』  近松於菟寿  挿絵・表紙 静?光       勉強堂  (9月)②   『征清愛国軍歌』  菟道春千代  挿絵    未詳       三省堂  (9月)②    『支那征討記』   高橋孝七   挿絵・表紙 未詳       高橋孝七 (9月)②   『討清珍々集』   岡本半渓   挿絵・表紙 未詳       魁真楼  (9月)②   『おどけ文庫』   骨皮道人   挿絵 未詳          扶桑堂  (9月)②   『日清戦記』    田中喜重   挿絵 未詳          山田万吉 (9月)②  <明治27年10月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(10月10日)   〝百撰百笑(東錦絵) 清親子の筆に成る「李鴻章の大頭痛・わが支那兵士・ちゃん/\の肝潰し」三葉の    滑稽画は骨皮道人の賛あり 時節柄至極面白き錦絵なり 発売所は日本橋吉川町大黒屋方〟   『読売新聞』(10月12日)   〝錦絵 我兵平壌を陥れし錦絵を浅草神吉町の伊藤伊三郞〟〈画工不明〉   『読売新聞』(10月25日)   〝掩撃鏖殺平壌略取の錦絵 年方子の意匠に成る九枚続つゞきの同図は我兵の突貫、清兵敗走の有様 実況を見る    が如き想ひあり 売捌所は日本橋区横山町の辻岡文助方〟   『読売新聞』(10月30日)   〝錦絵 秋香(しうかう)筆 海洋島沖日艦大勝の絵(三枚続)は京橋銀座一丁目関口政次郎方より発売せり〟    〈富田秋香画〉  ◯「日清戦争 版本」(27年10月)(48/97)   『ちゃんちゃん痴気オッペケぶし』表紙のみ  未詳 松成保太郎編集・出版(10月)②   『ちゃんちゃん痴気チャリ義太夫』表紙のみ  未詳 松成保太郎編集・出版(10月)②   『ちゃんちゃん痴気分捕どゞ一』 表紙のみ  未詳 松成保太郎編集・出版(10月)②   『陸海軍大勝利落しばなし』見返・挿絵・表紙 未詳 宮崎八十八編集・出版(10月)②    『日清戦争平壌大勝利』 松田槌太郎 口絵・挿絵・表紙 未詳 松田槌太郎(10月)②   『支那退治日本流行節』 骨皮道人  表紙・見返 清親    扶桑堂  (10月)②   『絵本日清戦争実記』  石原貞堅  口絵・挿絵 耕雪    藤谷暢吾 (10月)②   『絵本平壌激戦実記』  石原貞堅  口絵・挿絵 耕雪 一玉 藤谷暢吾 (10月)②   『平壌及黄海の大捷』 三田村熊之介 口絵・挿絵 耕雪    松室八千三(10月)②   『海陸軍激戦実記』   山本春太郎 口絵・表紙 未詳    山本春太郎(10月)②   『日清海陸実戦記』   井沢孝雄  口絵のみ  未詳    三叢館  (10月)②大阪   『絵本日清戦争記』   伊沢駒吉  口絵・挿絵・表紙 未詳 伊沢駒吉 (10月)②   『征清南庭苦都誌』   橋本千弥  表紙のみ  石鼎    橋本千弥 (10月)②   『日清戦闘画報』1-3 久保田米僊 米斎著・画 口絵のみ  大倉保五郎(10-12月)   『李鴻章之降伏』    若宮万次郎 口絵・表紙 未詳    孟三堂  (10月)②   『日清開戦実記』   抜山倒海散史 口絵・表紙 耕一    岡安平九郎(10月)②   『日清交戦実記』    東洋道人  口絵・挿絵 光方    聚栄堂  (10月)②   『日清交戦実記』    西森武城  口絵 写真・挿絵 吟光・表紙 未詳 弘文館(10月)②   『日清戦況実記』    揚武将軍  口絵・挿絵 未詳    金松堂  (10月)②   『日清戦争軍記』    山木樵夫  口絵・挿絵・表紙 未詳 国華堂  (10月)②   『日清戦争実記』   三田村熊之介 口絵のみ  未詳    高田文賞堂(10月)②   『討清戦況実記』    東洋野史  口絵・表紙 未詳    杉本七百丸(10月)②   『日清戦乱実記』    宮崎淞陽  口絵・挿絵・表紙 幽香 鍾美堂  (10月)大阪   〈「幽香」署名入りの挿絵は8月刊『戦乱始末日清韓』所収の一図と同じ〉   『日本勝利ぶし』    寒英    口絵・挿絵・表紙 耕一 山口暁三郞(10月)②   『国姓爺討清記』    依田学海  表紙のみ  未詳    六合館  (10月)②   『豊太閤之鉄魂』    鬼雄外史  口絵のみ  未詳    有章堂  (10月)②(角書「日清戦闘余劇」)   『日本太平記』     長野長興  口絵・挿絵 景方    大成堂  (10月)②   『日清戦争記』     若山蔵三  口絵・挿絵・表紙 未詳 若山庫三 (10月)②   『日清戦争記』     鳴剣学人  口絵・表紙 未詳    関太郎  (10月)②   『日清大戦争』     編者不詳  口絵・挿絵 耕一    国華堂  (10月)②   『平壌大陸戦』     鉄壁城士  口絵・表紙 未詳    錦集堂  (10月)②   『日清軍記』前後    編者不詳  口絵・挿絵 米僊    民友社  (10月)②   『支那征伐』     新田見太忠太 表紙のみ  誠斎    新田見太忠太(10月)②新潟   『戦勝実記』      洗纓楼主人 口絵 米仙・表紙 清親 杉山書店 (10月)②   『征清戦記』      服部誠一  口絵のみ  未詳    六盟館  (10月)②   『日清戦記』      堀中東洲  口絵・表紙 未詳・挿絵 蝸堂 文盛堂(10月)②   『忠勇美談』      江東散史  口絵・挿絵・表紙 蝸堂 文盛堂  (10月)②   『平壌之役』      揚武将軍  口絵・表紙 未詳    金松堂  (10月)②   『最新日清戦争実記』  近松於菟寿 挿絵・表紙 未詳    勉強堂  (10月)②   『日清戦争忠勇美談』  江東散史  挿絵・表紙 未詳    文盛堂  (10月)②   『日清戦争新剣舞』   得能通成  挿絵・表紙 基春    明昇堂  (10月)②   『日清戦争実記』    菅谷与吉  挿絵・表紙 小国政   日吉堂  (10月)②   『征清戦功美談』1-2 斎藤源太郎 挿絵・表紙 未詳    斎藤源太郎(10月)②栃木   『絵本討清戦記』    伊沢孝雄  挿絵・表紙 未詳    伊沢駒吉 (10月)②   『日清交戦実記』    堀中徹蔵  挿絵 蝸堂       文盛堂  (10月)②   〈初版の刊年月は明治19年1月刊増補第五版奥付による〉   『日清戦争記』     諸澄甲子吉 挿絵・表紙 未詳    三階堂  (10月)②8ページ小冊子   『平壌激戦記』     松成保太郎 挿絵・表紙 未詳    松成保太郎(10月)②   『討清軍歌』      吉田広治  挿絵・表紙 未詳    小塩武吉 (10月)②  <明治27年11月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(11月5日)   〝百撰百笑(錦絵)「踏潰しの状(さま)」「人間の皮剥」「御負将」の三葉は日本橋吉川町の松木平吉方よ    り売出せり〟〈小林清親画〉   『読売新聞』(11月12日)   〝戦争絵 玄武門兵士先登の錦絵(米作筆)は日本橋本町二丁目の井上吉次郎方より 我艦隊黄海に清艦    を撃沈する(清親筆)の錦絵は両国吉川町の松木平吉方よりいづれも売出せり〟   『読売新聞』(11月12日)   〝戦争絵 玄武門兵士先登の錦絵(米作筆)は日本橋本町二丁目の井上吉次郎方より 我艦隊黄海に清艦    を撃沈する(清親筆)の錦絵は両国吉川町の松木平吉方よりいづれも売出せり〟   『読売新聞』(11月14日)   〝戦争絵 落武者、第二軍金州城攻撃の図(石版画)二枚は京橋南鍋町三丁目の文栄堂より 平壌の凱旋    (錦絵)は日本橋吉川町の松木平吉より 霊鷹高千穂艦檣頭に止まる図は神田塗師町の凌雲書閣より    赤城艦長坂本少佐奮戦の錦絵(年方筆)は日本橋室町滑稽堂よりいづれも売出せり〟    〈「平壌の凱旋」画工未詳〉   『読売新聞』(11月17日)   〝戦争絵 黄海沖に於ける清艦撃沈の錦絵(耕濤筆)は日本橋吉川町の松木平吉形より 野砲兵九連城幕    営攻撃の錦絵(清親筆)は日本橋本町井上吉次郎方より いづれも売出せり〟   『読売新聞』(11月29日)   〝戦争絵 百撰百笑(地獄大繁昌・御注進々々・龍宮の騒ぎ)錦絵は清親の筆 発売所は日本橋吉川町松    本平吉、鳳凰城陥落敵兵潰走の錦絵(年方筆)日本橋室町の滑稽堂より売出せり〟  ◯「日清戦争 版本」(27年11月)(52/149)   『チャンチャン退治新うた大全』香夢楼主人  表紙のみ  未詳 中川芳文館(11月)②   『ちゃんちゃん征伐流行歌』骨皮道人  口絵・挿絵・表紙 未詳 弘文堂  (11月)②   『大まけちゃんちゃん』  骨皮道人  表紙のみ  未詳    薫志堂  (11月)②   『日清海洋島大海戦記』 小島外史   口絵・挿絵・表紙 未詳 綱島亀吉 (11月)②   『平壌大激戦実見録』  鈴木経勲   口絵・挿絵・表紙 経勲 博文館  (11月)②   〈この時鈴木経勲は名古屋扶桑新聞の特派員。挿絵に「経勲写」とあり。ただ口絵の肖像画が同人のものかは不明〉   『平壌黄海激戦実記』  福井淳    口絵・挿絵・表紙 未詳 福井淳  (11月)②大阪   『征清もろこし談語』  鶯亭金升   口絵のみ  未詳    鳳林館  (11月)②   『日清戦争狂言筋書』  河内清八   表紙のみ  未詳    河内清八 (11月)②   『日清海陸大合戦』   西森武城   口絵のみ  未詳    扶桑堂  (11月)②   『平壌附近大戦争』   杉山米吉   口絵・挿絵 未詳    杉山書店 (11月)②   『日清事件新小説』   浪六     表紙のみ  年英    青木嵩山堂(11月)②   『支那征討実録』後   遠藤速太   口絵・挿絵・表紙 信◎ 金桜堂等 (11月)②   『征清忠勇叢話』    境沢盛    口絵・挿絵 未詳    東京教育社(11月)②   『日清交戦実記』    金沢巌雄   口絵・表紙 未詳    東雲堂他 (11月)②   『日清交戦実記』    大塚宇三郞  口絵のみ  未詳    大塚宇三郞(11月)②   『日清戦争軍記』    大淵渉    口絵・挿絵・表紙 未詳 大淵渉  (11月)②   『大当新歌大全』    桂枝雀    口絵・挿絵 未詳    名倉昭文堂(11月)②   『宝生祝言小謡』    供田鶴汀   口絵のみ  未詳    伴田鶴汀 (11月)②   『新作遊芸全書』    可楽亭主人  表紙のみ  未詳    藤谷暢吾 (11月)②   『日清大軍記』     秋山次郎   口絵・挿絵・表紙 蝸堂 秋山次郎 (11月)②   『日清大戦争』     天野寒英   口絵・挿絵・表紙 耕一 国華堂  (11月)②   〈国華堂10月刊『日清大戦争』(耕一画)の図様をいくつか組み込む〉    『名誉の戦死』    伊皿子浦思施吉 口絵・挿絵 東仙    相沢書店 (11月)②   『征清画譚』三冊    角張敬四郎  口絵・挿絵・表紙 耕一 鳴声館  (11-12月)②   『征清戦史』      車江散史   口絵・挿絵・表紙 未詳 盛文館  (11月)②   『討清実記』      樋口正三郎  口絵・挿絵 基春    樋口正三郞(11月)②   『日清戦争』再版    鹿島長次郎  口絵・挿絵・表紙 未詳 興文社  (11月)②   〈9月刊の訂正再版。口絵は新調。挿絵は同じ。表紙は9月版未確認のため比較できない〉   『支那征伐』      松林伯円   口絵・挿絵・表紙 年光 文事堂  (11月)②   『英傑伝』       堀本柵    扉 ・挿絵 未詳    東雲堂等 (11月)②   『ちゃんちゃんちき日本お祭地口』松成保太郎 挿絵・表紙 未詳 松成堂  (11月)②   『成歓牙山激戦実記』  福井淳    挿絵 未詳       福井淳  (11月)②(石版)   『絵本日清大戦争』   編者不詳   挿絵・表紙 未詳    山崎暁三郎(11月)②   『日清戦争面白誌』   夕霧丹治   挿絵・表紙 未詳    井戸田市太郎(11月)②   『日清交戦実記』    翠柳居士   挿絵 未詳       開文堂  (11月)②   『日清戦争画談』    菅谷与吉   挿絵 未詳       日吉堂  (11月)②   『日清戦争画報』    多田省軒   挿絵・表紙 未詳    栗本長質 (11月)②   『日清戦争実記』    多田省軒   挿絵 耕一       辻本尚古堂(11月)②   『日清大戦実記』    烟外居士   挿絵・表紙 未詳    柴本辰之助(11月)②   『日清大戦争記』    服部喜太郎  挿絵・表紙 未詳    求光閣  (11月)②   『日清戦争録』1    野村常吉   挿絵・表紙 耕濤    栄山堂  (11月)②          2    挿絵 耕暁 耕濤   『出師美談』      著者不詳   挿絵・扉  未詳    一二三館 (11月)②   『ちゃんちゃんちき日本お祭地口』松成保太郎 挿絵・表紙 未詳 松成堂  (11月)②   『成歓牙山激戦実記』  福井淳    挿絵 未詳       福井淳  (11月)②(石版)   『絵本日清大戦争』   編者不詳   挿絵・表紙 未詳    山崎暁三郎(11月)②   『日清戦争面白誌』   夕霧丹治   挿絵・表紙 未詳    井戸田市太郎(11月)②   『日清交戦実記』    翠柳居士   挿絵 未詳       開文堂  (11月)②   『日清戦争画談』    菅谷与吉   挿絵 未詳       日吉堂  (11月)②   『日清戦争画報』    多田省軒   挿絵・表紙 未詳    栗本長質 (11月)②   『日清戦争実記』    多田省軒   挿絵 耕一       辻本尚古堂(11月)②   『日清大戦実記』    烟外居士   挿絵・表紙 未詳    柴本辰之助(11月)②   『日清大戦争記』    服部喜太郎  挿絵・表紙 未詳    求光閣  (11月)②   『日清戦争録』1    野村常吉   挿絵・表紙 耕濤    栄山堂  (11月)②          2    挿絵 耕暁 耕濤   『出師美談』      著者不詳   挿絵・扉  未詳    一二三館 (11月)②  <明治27年12月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(12月2日)   〝錦絵  玄武門先登原田重吉氏の錦絵(年方筆)は日本橋室町滑稽堂より売出せり〟   〝戦争絵 鳳凰城占領民政庁、旅順口攻撃の石版絵は京橋南鍋町文栄堂より、原田重吉玄武門乗越(永年    筆)の錦絵は日本橋室町滑稽堂より売出せり〟      『読売新聞』(12月6日)   〝戦争絵 黄海大捷に錦絵(第一図より四図まで何れも三枚続)は清親の筆になる上出来のものなり 発    売所は両国吉川町の大黒屋方〟   『読売新聞』(12月9日)   〝戦争絵 年方子の筆なる九連城攻撃より占領に至るまでの錦絵(九枚続)は彩色精麗頗る上出来のもの    なり 発売所は日本橋横山町の辻岡文助方〟   『読売新聞』(12月12日)   〝戦争絵 斥候川崎軍曹錦絵は京橋銀座一丁目関口政次郎より売出せり〟〈水野年方画か〉   『読売新聞』(12月24日)   〝戦争絵 玄武門を開くの錦絵は日本橋横山町の辻岡方より売出せり〟〈画工未確認〉   〝百撰百笑(東錦絵)清方の筆になる 奉天府の荷厄介・退将の泣別れ・日兵の一撚りの三枚 発売所は日本橋吉    川町大黒屋〟   『読売新聞』(12月29日)   〝戦争絵 玄武門開門者原田重吉氏図(年方筆)金州大激戦の図(秋香筆)は何れも三枚続きの美麗なる    錦絵なり 発売所は京橋銀座一丁目関口政次郎方〟  ◯「日清戦争 版本」(27年12月)(30/179)   『ちゃんちゃん滑稽軍歌』寒英   口絵・表紙 未詳     野村銀次郎(12月)②   『支那征伐と我国論』福島文中   表紙のみ  未詳     文盛館  (12月)②大阪   『金州旅順之大戦』 三田村熊之介 口絵のみ  耕雪     松雲堂  (12月)②大阪   『日清韓戦闘美談』 吉江治平   口絵のみ  未詳     集画堂  (12月)②大阪   『日清戦争壮士唄』 寒英     口絵・表紙 未詳     銀花堂  (12月)②   『日清戦争流行歌』 町田久    口絵・挿絵・表紙 未詳  東雲堂  (12月)②   『征清忠烈美談』  潜龍居士   口絵のみ  未詳     イーグル書房 (12月)②   『日清戦闘実記』後 鬼雄外史   口絵・挿絵・表紙 無署名 金桜堂  (12月)②〈前編は吟光画〉   『日清戦争実記』  菅谷与吉   口絵・挿絵 小国政    日吉堂  (12月)②   〈②の画像には10月本もあるが、挿絵は同一だが、口絵はない〉   『軍人功名録』   凱旋城史   口絵・挿絵・表紙 未詳  早川新三郎(12月)②   『討清忠烈伝』   北条明喬   口絵のみ  秀湖     温故堂  (12月)②   『浄瑠璃天狗』   松廼家梅河  表紙のみ  未詳     博多成象堂(12月)②   『滑稽演舌会』   寒英居士   口絵・表紙 未詳     野村銀次郎(12月)②   『征清独演説』正  撫松子    口絵のみ  芳景     小林喜右衛門(12月)②〈続編は翌28年5月刊〉   『征清美談』1   東北日報   口絵・挿絵 晴村     桜井産作 (12月)②〈2集以下未見〉   『支那征伐』    凱旋城史   口絵・挿絵・表紙 蝸堂  秋山次郞 (12月)②   『征清戦史』    下村初太郎  口絵・挿絵・表紙 柳塢  群書城  (12月)②   『戦地の花』    戸田為治郎  口絵・挿絵・表紙 耕一  愛知堂  (12月)②   『討清戦記』    大川旔次   口絵・挿絵・表紙 未詳  有明堂  (12月)②   『原田重吉』    凱旋城士   口絵のみ  未詳     求光閣  (12月)②   『ちゃんちゃん征伐ちうたづくし』 中丸貞蔵  挿絵・表紙 未詳 中丸貞蔵 (12月)②   『ちゃんちゃんやっつけろぶし』  寒英    挿絵・表紙 耕一 山崎暁三郞(12月)②   『日清戦争実記旅順城域陥落』   町田勲   挿絵・表紙 未詳 勉強堂  (12月)②   『支那征伐こっけい集』      中丸貞蔵  挿絵・表紙 未詳 中丸貞蔵 (12月)②   『討清日本勝利歌』 岡村庄兵衛  挿絵    未詳     岡村庄兵衛 (12月)②   『日清戦争美談』  伊東洋二郎  挿絵・表紙 未詳     井戸田市太郎(12月)②   『軍人忠勇美談』  河合東涯   挿絵・表紙 安土白嶺   藜光堂   (12月)②   『新歌百種』    浮世仙人   挿絵    未詳     相原政次郎 (12月)②   『滑稽大尽』    浮世仙人   挿絵    未詳     相原政次郎 (12月)②   『陣中日記』    遅塚麗水   挿絵 米仙 米斎     春陽堂   (12月)③②  ◯「日清戦争 絵本」(27年8~12月)   (見開き4ページ大のパノラマ口絵・挿絵入り> (5/184)   『日清戦争実記』  鎌田在明 口絵・挿絵 未詳 鎌田在明 (8月)②12丁   『絵本日清韓戦争記』牧金之助 口絵・挿絵 未詳 金寿堂  (8月)②20丁   『絵本日清大戦争』 牧金之助 口絵・挿絵 未詳 金寿堂  (8月)②8丁   『日清韓戦争記』  牧金之助 口絵・挿絵 未詳 金寿堂  (8月)②12丁   『日清開戦記』2  堤吉兵衛 口絵・挿絵 未詳 堤吉兵衛 (9月)②10丁   〈見開き絵に文〉(9/193)   『日清朝鮮戦争記』1-2 編者不詳  見返・挿絵・表紙 未詳 村山銀次郎(8月)②   『朝鮮日清憤戦記』    編者不詳  口絵・挿絵 小国政   長谷川園吉(8月)②12丁   『日清海陸戦争記』    村上輝雄  口絵・挿絵・表紙 未詳 村上輝雄 (8月)②10ページ2銭〈2ページ大折込挿絵〉   『日清海陸戦争記』    編者不詳  口絵・挿絵・表紙 未詳 綱島亀吉 (8月)②10丁   『日清開戦実記』     近藤明徳  扉 ・挿絵・表紙 未詳 近藤明徳 (8月)②10丁   『日清韓戦争記』     大竹与一  口絵・挿絵・表紙 豊貞 大竹与一 (10月)②12丁   『日清交戦実記』     野村鶴三  見返・挿絵 未詳    野村鶴三 (10月)②23ページ   『討清実戦記』1-2   長尾佐太郎 扉 ・挿絵「三世小信」表紙 貞信 文成堂(11月)②各19ページ   『征清軍記』       近藤明徳  口絵・挿絵・表紙 未詳 晩香社  (12月)②10丁  ☆ 明治二十八年(1895)※日清戦争(明治27年7月25日~明治28年4月17日)  <明治28年1月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(1月10日)   〝戦争絵 玄武門の原田重吉氏、安城渡の松崎大尉、第二軍金州上陸、赤城艦大劇戦、鳳凰城占領の五種    は清親の筆にして 発売所は日本橋堀江町吉田直吉方、同じく清親の筆にて我艦隊大連湾砲撃の錦絵五    枚続きは日本橋吉川町松木平吉方より発売〟   『読売新聞』(1月12日)   〝戦争絵 第二軍金州城占領(米作筆)の三枚続きの錦絵は日本橋本町井上吉次郎方より 海城占領、山    縣・大山・山地・桂・野津・伊東・樺山坂本・福島・乃木等陸海軍将校の肖像(石版画)は京橋南鍋町    の文栄堂より孰れも売出せり〟   『読売新聞』(1月19日)   〝戦争絵 白神喇叭手の錦絵(年英筆)は日本橋横山町辻岡文助方より 大和尚山先登者伊藤少尉の錦絵    (年方筆)は京橋銀座一丁目関口政次郎方よりいづれも売出せり〟  ◯「日清戦争 版本」(28年1月)(7/200)   『日清滑稽流行歌大博覧会』松の家みさを 口絵・挿絵・表紙 未詳 石橋南門堂(1月)②   『ちゃんちゃん征伐音曲集』寒英居士   口絵・挿絵・表紙 耕一 盛花堂  (1月)②   『絵本日清戦争軍記』1  北川英也   口絵・挿絵・表紙 未詳 名倉昭文館(1月)②   『日清戦争俗歌集』    環翠堂編輯局 表紙のみ        環翠堂  (1月)②   『日清戦闘画報』6・8  大倉保五郎  口絵のみ 久保田米僊 米斎 金僊 大倉保五郎(1・3月)②〈4-5号、7号未見〉   『支那さだめ』      瀬山佐吉   口絵・挿絵・表紙 耕一 順成堂  (1月)②   『滑稽演説』       骨皮道人   口絵・表紙 未詳    弘文館  (1月)②  <明治28年2月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(2月6日)   〝戦争絵 我軍栄城湾上陸の三枚続き錦絵(清親筆)及び百撰百笑の内「逃げ支度」「清代限り」「首ッ引」三葉    は清親子の筆に成り 骨皮道人の賛ある滑稽画なり 発売所は日本橋吉川町の松木平吉方〟   『読売新聞』(2月17日)   〝戦争絵 梨子園奮戦の錦絵(年英筆)は日本橋横山町の辻岡文助方より 我艦隊威梅衛敵艦を沈む錦絵    (永年筆)は日本橋室町滑稽堂よりいづれも売出せり〟   『読売新聞』(2月18日)   〝月耕随筆(錦絵)の内 目録・相撲・関の戸の三枚は月耕子の意匠に成る清妍美麗なる錦絵なり 発売    所は芝宇田川町の武川利三郎方〟   『読売新聞』(2月22日)   〝戦争絵 工兵小野口徳治郎綿火薬を以て金州城門破壊の錦絵(年方筆)は日本橋室町滑稽堂より 又日    本勲章鏡の図(年章筆)は京橋出雲町水田浅次郎方より 百撰百笑のうち長足の進歩・清兵の冷かされ    ・厚い面の皮(清親筆)の三枚は日本橋吉川町の松木平吉方より いづれも売出せり〟   『読売新聞』(2月23日)   〝戦争絵 我水雷艇風雨に乗じ威海衛防材破壊の図、我艦隊暴風雨を冒して威海衛を攻撃するの図(石版    画)は頗る上出来のものなり 発売所は京橋南鍋町文栄堂方 又海陸軍高名鑑の内 富岡歩兵中佐風雪    を冒して指揮す、川崎軍曹大同江を渡る、乃木少将の錦絵及び威海衛進撃配置の錦絵はいづれも清親筆    にて出来栄え殊によし 売捌きは日本橋本町井上吉次郎方〟   『読売新聞』(2月27日)   〝旅順口攻撃より陥落に至るまで(九枚続)の錦絵 即ち我軍奮闘勇戦の光景を年英子が画きたるものに    して頗る上出来なり 発売所は日本橋横山町の辻岡文助方〟  ◯「日清戦争 版本」(28年2月)(18/218)   『支那征伐粋のかきよせ』駒の家主人 表紙のみ  未詳    高田文賞堂(2月)②   『義太夫佐和利換文句』 中村芳松  表紙のみ  未詳    中村鍾美堂(2月)②   『絵本海洋島激戦実記』 石原貞堅  口絵・挿絵・表紙 耕雪 一玉 藤谷暢吾(2月)②   『絵本旅順口激戦実記』 石原貞堅  口絵・挿絵 耕雪 雪峯 一玉 藤谷暢吾(2月)②〈他に一つの落款あるも未読〉   『支那征伐新はやり歌』 可楽亭主人 表紙のみ  未詳    藤谷暢吾 (2月)②   『支那征伐呆痴陀羅経』 夢廼舎現  表紙のみ  未詳    吉沢富太郎(2月)②   『義勇奉公小軍人』   睨天逸史  口絵・挿絵・表紙 吟光 求光閣  (2月)②   『実説阿豚乱狂』   砲楽坊主迂鳴 表紙のみ  未詳    愛智堂  (2月)②    『日清戦争記』     鉄骨将軍  口絵・挿絵 小国政   日吉堂  (2月)②   『精神の教育』     三好守雄  表紙・見返 未詳    学友館  (2月)②   『勇気の教育』     三好守雄  表紙・見返・表紙 弘  学友館  (2月)②   『征清甚句集』     広放子   表紙のみ  未詳    金城堂  (2月)②   『支那征伐』      凱旋城史  口絵・挿絵 蝸堂    坂井直  (2月)②   『愉快ぶし』      西村寅次郎 口絵・挿絵・表紙 未詳 東雲堂  (2月)②   『日清滑稽千笑珍聞』  田中安三郞 挿絵・表紙 未詳    田中安三郞(2月)②〈整版〉   『日清戦争画あてもの』 安井喜一  挿絵・表紙 未詳    精英堂  (2月)②   『支那征伐諸芸の隊長』 著者不詳  挿絵・表紙       鹿田書店 (2月)②   『征清忠勇美譚』    牛台山人  挿絵 未詳       弘文館  (2月)②  <明治28年3月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(3月21日)   〝陸海軍人高名鑑(錦絵)池田砲兵大尉、安満・今田両少佐会合、桂第三師団長の三枚は清親筆になる上    出来の錦絵、発売所日本橋本町井上吉次郎方〟  ◯「日清戦争 版本」(28年3月)(37/255)   『ちゃんちゃん征伐落話』村田銃    口絵・挿絵・表紙 蝸牛 林甲子太郎(3月)②   『日清事件新諸芸づくし』松廼家みどり 表紙のみ  未詳    市田元造 (3月)②   『日清事件はうたかへ唄』松廼家みどり 表紙のみ  未詳    中村鍾美堂(3月)②     『支那征伐戦争はなし』 覚張栄三郞  口絵・表紙 耕一    上田屋  (3月)②   『ちゃんちゃん都々一』 大和屋小うで 口絵のみ  未詳    山崎暁三郞(3月)②   『支那征伐戦勝実記』  多田省軒   口絵・挿絵 蝸堂    野村銀次郎(3月)②(内題「征清大戦争」)   『ちゃんちゃん文句』  中村芳松   表紙・カット  未詳    中村鍾美堂(3月)②   『日清戦争佐和理集』  松廼舎みどり 表紙のみ  景重    直入堂  (3月)②   『日清戦争落ばなし』  高橋鋤郎   表紙・カット  未詳    和田文宝堂(3月)②   『支那征伐日本魂』   鉄壁城史   口絵のみ  未詳    上田屋  (3月)②   『討清軍人十勇士』   天野寒英   口絵・表紙 未詳    国華堂  (3月)②   『日清海陸実戦記』   伊沢孝雄   口絵・挿絵 未詳    伊沢駒吉 (3月)②〈2ページ大折込挿絵〉   『討清阿房陀羅経』   道楽寺和尚  口絵・表紙 未詳    近江屋久次郎(3月)②   『日清あほだら経』   中村芳松   表紙のみ  未詳    中村鍾美堂(3月)②   『日清滑稽にわか』   中村芳松   表紙のみ  未詳    中村鍾美堂(3月)②   『日清戦争考へ物』   高橋鋤郎   表紙のみ  未詳    和田文宝堂(3月)②   『諸芸占りやう』    中村芳松   表紙のみ  未詳    中村鍾美堂(3月)②   『日清大戦争記』    凱旋城士   口絵・挿絵 吟光 畊濤 文真堂  (3月)②   『戯芸一大奇書』    夢廼家主人  表紙・挿絵 未詳    早川熊治郎(3月)②   『日清大合戦』     山木樵夫   口絵・挿絵・表紙 耕一 国華堂  (3月)②   『日清大戦争』増補再版 天野寒英   口絵・挿絵・表紙 耕一 国華堂  (3月)②〈奥付によると初版は27年11月刊〉   『粋の隊長』      松廼舎みどり 表紙のみ  基春    三木直入堂(3月)②   『少年の夢』      渡辺霞亭   口絵・挿絵・表紙 国坡 学齢館  (3月)②〈2ページ大折込口絵〉   『日清戦争流行かへうた』松の舎みどり 挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『日清戦争関係人物伝』 扼腕山人   挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『日清戦争なぞかけ』  松廼舎みどり 挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『支那戦争地口大全』  著者不詳   挿絵・表紙 未詳    山口亀吉 (3月)②   『討清なぞづくし』一軍 和田庄蔵   挿絵・表紙 未詳    和田文宝堂(3月)②   『征伐なぞばなし』二軍 和田庄蔵   挿絵・表紙 未詳    和田文宝堂(3月)②   『日清戦争絵口合』   松廼舎みどり 挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『日清戦争にわか』   松廼舎みどり 挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『日清戦争画探』    大淵渉    挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『支那大敗絵本』    田中安三郞  挿絵・表紙 未詳    田中安三郞(3月)②   『征清忠勇画談』    三田村楓陰  挿絵 未詳       鹿田書房 (3月)②   『日清戦争狂歌』    不識庵主人  挿絵・表紙 未詳    駸々堂  (3月)②   『呆痴陀羅経』     陳紛閑人   挿絵・表紙 国輝    林甲子太郎(3月)②  <明治28年4月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(4月1日)   〝百撰百笑の内『清狂言の降伏』『自業自得』『向ふ処に敵なし』の三枚及び我軍劉公島占領の錦絵はい    づれも清親筆に成る 例に依つて美事なり 発売所は日本橋吉川町松木平吉方〟   『読売新聞』(4月4日)   〝威海衛鹿角嘴砲台攻撃の錦絵は清親子の筆に成る、発売所は神田裏神保町の宝山堂〟   『読売新聞』(4月5日)   〝百撰百笑 「支那人形」「漢兵の切腹」「大兵降」の三枚は清親の筆に成り 骨皮道人の賛あり 発売    所は日本橋吉川町松木平吉〟   『読売新聞』(4月27日)   〝戦争絵 日本橋室町の滑稽堂より売出したる『丁汝昌於自宅自殺』の錦絵は年方子の意匠になる上出来    のものなり〟   『読売新聞』(4月28日)   〝戦争絵 『征清軍休戦野営の夢』三枚続きの錦絵は真生(まふ)子の筆 又『陸海軍人高名鑑』の内「真    野九号水雷艇長」「伊東連合艦隊司令長官」「樋口第六師団大隊長」の三葉は清親子の筆に成り いづ    れも美麗なり 発売所は日本橋本町二丁目井上吉次郎〟〈真生は清親の別号〉  ◯「日清戦争 版本」(28年4月)(13/268)   『支那征伐流行歌』    月の家かつら 表紙のみ  未詳    藤谷敬文堂(4月)②   『支那征討実録』続    遠藤速太   口絵・挿絵 年昌    金桜堂  (4月)②   『幻灯指かげえ』     編者不詳   口絵・挿絵・表紙 未詳 和田文宝堂(4月)②   『白神源次郎』      凱旋城史   口絵・表紙 未詳    求光閣  (4月)②   『征清歌曲集』      箸尾竹軒   口絵・挿絵 未詳    青木嵩山堂(4月)②   『日清戦争絵入一口ばなし』和田庄蔵   挿絵・表紙 未詳    和田文宝堂(4月)②〈整版〉   『連戦連勝なぞなぞあわせ』林甲子太郎  挿絵・表紙 未詳    林甲子太郎(4月)②   『日清戦争いろは都々逸』 和田庄蔵   挿絵・表紙 未詳    和田文宝堂(4月)②   『日清戦争絵入考へもの』 和田庄蔵   挿絵・表紙 未詳    和田文宝堂(4月)②   『いろは数へ唄』     数寄のや主人 挿絵・表紙 未詳    和田文宝堂(4月)②   『御代のほまれ』1・3  落合直文   挿絵・表紙 秀湖・金僊 大倉書店(4・9月)②〈巻2未見〉   『忠烈美伝』       海東外史   挿絵 桂荘       目黒書店 (4月)②   『義勇の鑑』       小林角次   挿絵 未詳       国家教育社(4月)②  <明治28年5月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(5月1日)   〝戦争絵 樋口第六師団大隊長豚児を抱きて大雪を冒し奮戦の錦絵は年方子の筆に成る美麗のものなり     発売所は京橋銀座一丁目関口政次郎方〟   『読売新聞』(5月11日)   〝戦争絵 百撰百笑の内『支那土産』『三途川の大混雑』『北京の摘草』三枚の滑稽画は清親子筆 『大    寺将軍百尺崖襲撃』の錦絵は月耕子の筆に成り 共に美麗也 発売所は日本橋吉川町の松木平吉〟   『読売新聞』(5月21日)   〝戦争絵 樋口大尉清民の遺児を抱いて進撃するの錦絵は月耕子の筆になる 発売所は日本橋吉川町の松    木平吉方〟   『読売新聞』(5月28日)   〝戦争絵 遼河の左岸に十一名の将校集り 戦勝を賀す錦絵は(月耕筆)京橋銀座一丁目の関口政次郎方    より 百撰百笑の内「患吁と愁傷」「是は澎湖島」「臆病神」の(清親筆)三枚は日本橋吉川町の松木    平吉よりいづれも売出せり〟  ◯「日清戦争 版本」(28年5月)(3/271)   『絵本通俗征清軍記』  多田省軒  口絵・挿絵 耕一    鳴声館(5月)②   『凱旋愉快どんどんぶし』山崎暁三郞 口絵・挿絵・表紙 未詳 山崎暁三郞(5月)②   『出師美談』      岡野竹堂  挿絵 未詳       松栄堂(5月)②  <明治28年6月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(6月27日)   〝戦争絵 『青木参謀休戦使として清軍に赴く』の錦絵は年方子の筆に成る 発売所は日本橋室町秋山滑    稽堂なり〟   『読売新聞』(6月30日)   〝戦争絵 佐藤大佐聯隊旗を杖ついて突貫するの錦絵は月耕子筆に成る清妍のものなり 発売所は京橋銀    座一丁目関口政次郎方〟  ◯「日清戦争 版本」(28年6月)(2/273)   『第二師団征清録』伊東祐雅 挿絵 耕年 昌閣(6月)②仙台   『日本詩軍』   烏玉山人 挿絵 耕窓 新進堂(6月)②  <明治28年7月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(7月11日)   〝錦絵 年方子の筆成る『美人観吉野園花菖蒲』の三枚続きは清妍艶麗のものなり 発売所は日本橋区室    町三丁目の滑稽堂方 『大元帥陛下御進幸凱旋門御通輦』の錦絵は月耕子の筆 発売所は京橋銀座一丁    目関口政次郎方〟   『読売新聞』(7月12日)   〝錦絵 「澎湖島に於て粟田大尉刀を振るって賊漢を惨殺するの図」は年方子の意匠になる上出来のもの    発売所は日本橋室町三丁目の秋山滑稽堂方〟  ◯「日清戦争 版本」(28年7月)(1/274)   『日清軍記』続 編者不詳 挿絵 米僊 民友社(7月)②  <明治28年8月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(8月6日)   〝滑稽倭日史記(やまとにしき)(東錦絵) 日清戦役を面白く滑稽絵に編みし其うちの三枚を日本橋室町    滑稽堂より売出せり 清妍美麗にしてしかも意匠の斬新なる 思はず人をして噴飯せしむ〟    〈署名は「晒落斎芳幾〔しやらく〕印」〉   『読売新聞』(8月10日)   〝滑稽倭日史記(東錦絵) 芳幾子の筆にて日清戦争に因みたる滑稽画総て三枚 筆勢軽妙一見人をして    抱腹せしむ 発売所は日本橋室町の滑稽堂也〟   『読売新聞』(8月17日)   〝錦絵 周延子の意匠に成る『幼年の戯れ』の図は美麗なる三枚続き 発売所は京橋銀座一丁目関口政次    郎方〟   『読売新聞』(8月22日)   〝錦絵 鎮遠号縦覧の錦絵は日本橋本町二丁目井上吉次郎より売出せり〟   『読売新聞』(8月25日)   〝錦絵 『鎮遠縦覧』の錦絵(月耕子筆)は芝神明前 宇田川町の竹川堂より売出せり〟   『読売新聞』(8月28日)   〝滑稽倭日史記(東錦絵)    日清役を仕組みたる滑稽画の続ゞき三枚を日本橋室町の滑稽堂より売出す 画工は例の芳幾子にて意匠    の斬新なる益(ます/\)出て益妙なり〟   『読売新聞』(8月31日)   〝錦絵 『鎮遠縦覧』の錦絵は月耕子の筆に成る三枚続きの美麗なるものなり 発売所は京橋銀座一丁目    の関口政次郎方〟  <明治28年9月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(9月5日)   〝百撰百笑(錦絵)『二奥の到来』『新日本の開拓』『目録』の三葉は例によつて骨皮道人の賛ありて     中々面白し 発売所は日本橋吉川町の松木平吉〟   『読売新聞』(9月10日)   〝錦絵 『徳川時代の貴婦人』の図は周延子の意匠になる清妍艶麗の錦絵なり 発売所神田鍛冶町長谷川    常二郎方〟   『読売新聞』(9月11日)   〝戦争絵「台湾新竹附近土賊掃攘」の錦絵(清親子筆)は日本橋区本町二丁目の井上吉次郎方より売出せり〟   『読売新聞』(明治28年9月18日)   〝陸海軍人高名鑑(錦絵)大井軍曹 田中石松 横田安治の三枚は清親筆に成る錦絵なり 発売所は日本    橋区本町二丁目井上吉次郎方〟  ◯「日清戦争 版本」(28年9月)(2/276)   『日清大戦争』増補再版 天野寒英   口絵・挿絵・表紙 耕一 国華堂(9月)②   〈3月刊と挿絵は同じだが口絵と表紙は異なる。奥付によると初版は27年11月刊〉   『日清戦争凱旋みやけ』 痴軒居士   挿絵 未詳       光世館(9月)②  <明治28年10~12月>    ◯「日清戦争 新聞記事」   『読売新聞』(10月9日)   〝戦争絵 勇兵田中石松の三枚続き錦絵は奉書摺にて 画工は年方子の意匠に成る上出来のものなり 発    売所は京橋銀座一丁目の関口政治郎方 台湾太姑陥草賊抵抗の錦絵は三枚続きにて清親子の筆に成り     日本橋本町の井上吉次郎方より売出せり〟   『読売新聞』(明治28年12月16日)   〝百撰百笑(東絵)「兵士の帰村」「細君の歓迎」「開化振」の三枚は清親子筆に成り 骨皮道人の賛あ    る滑稽絵なり 発売所は日本橋吉川町松木平吉〟    ◯「日清戦争 絵本」(28年1~10月)   (見開き4ページ大の折込口絵・挿絵入り>(2/278)   『清国征討名誉鑑』牧金之助  口絵・挿絵 金寿堂  (4月)②12丁   『日本大勝利』  荒川藤兵衛 口絵・挿絵 荒川藤兵衛(4月)②13丁   〈見開き絵に文〉(8/286)   『日清戦争絵巻』1   遅塚麗水編  口絵・表紙 鈴木華邨 春陽堂(1月)③②           2-8 鈴木宗太郎編 口絵・表紙 鈴木華邨 春陽堂(2-8月)③②〈宗太郎は華邨の本名〉   『日清戦争漫画』    耕書堂主人序 口絵・挿絵・表紙(落款未読)耕書堂(1月)②    『日清幻燈ゑさがし画報』画工未詳 関由蔵編・出版  (1月)   『支那征伐畫談』    画工未詳 三ツ井眞次郎   (1月)   『日清開戦録』     画工未詳 今井七太郎著・出版(3月)   『日清戦争絵本開戦実記』鈴木熊次郎画・編 瀬山左吉 (4月)   『日清戦闘絵巻』    画工未詳 耕書堂      (4月)   『日清太平図会』    画工未詳 辻岡文助編集・出版(10月)  <明治29年>  ◯『読売新聞』(明治29年2月1日)   〝戦争絵の末路    日清戦争の錦絵は牙山・平壌・大孤山沖等のもの 初めに売れ口よく 昨年までに出版せしもの 都下    にて三千余種に及び 最も能く売れたるものは十万以上を摺立てたり 然るに中比以後は版元 売り先    を急ぎて早きを競へるが為め 前版を改訂し端書きを改めて売り出したるより 買手も夫と心附きて    売れ口俄かに止まり 米国行のものまで直段悉く下落し 中には積戻されんとするもありしより 版元    等は大に困却し 折角初めに儲けし利益も形なしになれる有様なりと云ふ〟    〈明治27年7月の開戦以来約3000余種もの戦争絵が出版され、最も売れたものは10万枚にも及んだらしい。この当時銅版     も石版普及していたが、投入出来る画工の数や、素早く大量に生産するという面では、依然として木版が断然優位に     あったことを、この記事は物語る。ただ出版を急ぐあまり、前版の焼き直しなどに走るなどしたため、粗製濫造、飽     きられてたちまち勢いを失ってしまったようだ〉  ◯『読売新聞』(明治29年6月29日)   〝昨今の錦絵    東錦絵は日清戦争に止めを刺して 是ほど捌けしこと古来稀なりといへるが 其余波今も猶残りて 年    方・年英・月耕などの筆になる京城談判より講和談判に至るまで 五十組に仕組みて画帖となせしもの    地方は勿論 遠く海外へも輸出するもの多しとぞ 代価は凡そ三円五十銭乃至四円なり〟    〈28年4月、講和が成立して一年余、戦闘はなくなったものの、勝利に伴う精神的高揚はなお続いていたと見える。この     種の回顧録を歓迎する雰囲気は依然として残っていたのである〉