浮世絵文献資料館
     Top              稗史提要             浮世絵師総覧
                 延享元年(1746) ~ 文化三年(1806)
     延享元年(1746) ~ 安永三年(1774)の稗史(草双紙)記事は『稗史提要藁本』      安永四年(1775) ~ 文化三年(1806)の稗史(草双紙)記事は『稗史提要』      (『稗史提要』『稗史提要藁本』比志島文軒(漣水散人)編・天保年間成稿)      〔底本、笠間叢書171『戯作文芸論-研究と資料-』          「翻刻「稗史提要」並びに研究」広瀬朝光著・昭和57年(1982)刊〕       〈「稗史」とは、この場合、草双紙(赤本・黒本・青本・黄表紙)をさす〉    ☆ 延享元年(1744)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 奥村    時評〝赤表紙一変して黒表紙となる。黒表紙に蘇木(スオフ)、或は黄色の張外題にて、其としの甲乙十二       支杯、画・年号なし。此黒表紙の起りは、戯場の丙画本より出たり。黒表紙芝居絵本は、延享元       甲子、中村座(石+面(サザレイシ)ルビ)末広源氏と云、市村座にて七種(生+若)曽我、両座共々       是迄の絵本より大方に出せし也。然共わづかに一両年にしてやみぬ。是狂言本廃たれて、如斯な       りしものと見ゆ〟    〈中村座の「(石+面(サザレイシ)ルビ)末広源氏」および市村座の「七種(生+若(ワカヤギ))曽我」は、ともに寛保四年(1     744)正月の興行。黒本の黒表紙は芝居絵本の黒表紙を踏襲したというのである〉    ☆ 延享二年(1745)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 延享三年(1746)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形    時評〝鱗形屋板鳥居清満筆にて出る日向景清の跋に云。絵草し目録四十八品ありて、右外題二十部出る。       然共外に目録の付し本もありと見ゆ。未見当〟    ☆ 延享四年(1747)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 寛延元年(延享五年)(1748)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 寛延二年(1749)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本【作者画工/山本重春】    時評  (記事なし)    ☆ 寛延三年(1750)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鶴喜    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦元年(寛延四年)(1751)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦二年(1752)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 奥村    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦三年(1753)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦四年(1754)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦五年(1755)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部(記事なし)    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦六年(1756)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦七年(1757)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形【鳥居清倍/同清満】    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦八年(1758)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦九年(1759)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 村田    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦十年(1760)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦十一年(1761)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦十二年(1762)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部 丈阿    画工の部 清倍 清満 房信    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 村田    時評  (記事なし)    ☆ 宝暦十三年(1763)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 鶴屋    時評  (記事なし)    ☆ 明和元年(宝暦十四年)(1764)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 西村 奥村 村田    時評  (記事なし)    ☆ 明和二年(1765)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 つるや 丸小 奥村 村田 (◯内に三鱗紋)富 丸甚    時評  (記事なし)    ☆ 明和三年(1766)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 鶴屋    時評  (記事なし)    ☆ 明和四年(1767)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 村田    時評  (記事なし)    ☆ 明和五年(1768)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部 丈阿    画工の部 清満 清経 房信    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 おく村 村田 丸甚    時評  (記事なし)    ☆ 明和六年(1769)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 おく村    時評  (記事なし)    ☆ 明和七年(1770)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 おく村 村田    時評  (記事なし)    ☆ 明和八年(1771)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 鶴屋 奥村 村田 松村    時評  (記事なし)    ☆ 安永元年(明和九年)(1772)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 伊勢次 村田 奥村 松村 西の宮    時評  (記事なし)    ☆ 安永二年(1773)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 おく村 伊勢次    時評  (記事なし)    ☆ 安永三年(1774)    ◯『稗史提要藁本』   ・この年出版の草双紙    作者の部(記事なし)    画工の部(記事なし)    板元の部 鱗形 山本 鶴屋 おく村 松村    時評  (記事なし)    ☆ 安永四年(1775)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 恋川春町 耕雪亭桂子    画工の部 鳥居清径 富川吟雪 恋川春町    板元の部 鱗形屋 鶴屋 奥村 伊世次 西村屋    時評〝二十余年の栄花の夢、金々先生といへる通人出て、江戸中の草双し是が為に一変して、どうやら       かうやら草双しといかのぼりは、おとなの物となりたるもおかし〟    〈この年、恋川春町作・画『金々先生栄花夢』が出て、草双紙が一変、大人の読み物となる。時評は大田南畝の戯作・     安永九年(1780)の絵草紙評判記『菊寿草』の序から引いている〉    ☆ 安永五年(1776)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町    画工の部 清径 吟雪 春町    板元の部 鱗形屋 鶴屋 奥村 伊世次 西村 伊世幸 村田    時評〝街談録云、今年より鱗形屋草双しの絵、并に表紙の標書をも風を変ず。表紙の上は例年青紙に題       号をかき、赤紙に絵を書しが、今年は紅摺にす。絵も烏居の風を変じて、当世錦絵の風の絵とな       す。宝暦十年よりして、所々の題号みな紅摺となりしが、鱗形屋計は古風をうしなはず、人もま       た是を見る事を愛せしが、今年古風を変ずることいかが云々。按に、こゝに当世のにしき絵風と       いへるは、明和の初より書出せし鈴木春信が吾妻にしき絵の事なり。是まで吾妻にしき絵の風を       草双しには画く事なかりしを、春町はじめて稗史に画き出してより、後は鳥居の絵までも、此風       にうつれり〟    〈「街談録」は大田南畝の随筆記事〉         ☆ 安永六年(1777)     ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町 桂子 喜三二 鈴木吉路 錦鱗    画工の部 清満 清経 吟雪 春町 鳥居清長    板元の部 鱗形 鶴屋 奥村 伊世次 西村 松村 村田    時評〝街談録云。当年絵草紙鱗形屋新板恋川春町画作、また喜三三作大に行はる。当年は去年と違ひ題       号を青紙に書き、赤紙に絵を書べき所に柾絵摺にてまぜ張の如き絵をかきたり〟     ☆ 安永七年(1778)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町 桂子 物愚斎於連 四国子 薪葉 林生    画工の部 清経 清長 春町 北尾重政 湖龍斎 蘭徳斎春重 勝川春常 芳川友幸    板元の部 鱗形屋 鶴屋 伊世次 西村 奥村 村田 山本 岩戸 松村 よし屋    時評〝鱗形屋の外題今年は又変じて、石摺の漸上一のごとき形にして画なし。(中略)湖龍斎女絵のに       しき絵に名あり。稗史を画く事此本にかぎる歟。北尾重政此頃よりはじめて、文化の初にいたる。       年々に妙手をあらはせり。巻末に名をしるさゞる故、彼此の画風を誉識すべし。只、天明のはじ       めに名を記すもの四五部あり、徴とすべし〟            ☆ 安永八年(1779)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 喜三二 桂子 通笑 文渓堂(鼎哦) 呉増左    画工の部 清経 清長 春町 重政 北尾政演    板元の部 鱗形屋 鶴屋 伊世次 奥村 松村 西村 岩戸 村田    時評〝画工政演、今年より出る。後に作者京伝をいふ是也〟    ☆ 安永九年(1780)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 通笑 文渓堂 四国子 錦鱗 可笑 山東京伝 臍下逸人 窪田春満 常磐松    画工の部 清長 春町 政演 春常 北尾三次郎 春朗 闇牛斎秋童 春旭 松泉堂    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 西村 山本 岩戸 村田 鱗形    時評〝この頃より袋入と云草紙出る。三冊十五丁を合巻一巻にして茶表紙をかけ、錦絵摺の袋へ入て出       す。(中略)春朗は勝川春章門人にして、一家の風をなす。後に俵屋宗理と改め、享和の頃より       北斎辰政、または戴斗といひし人なり。三次郎、また政美と称す。後に蕙斎と号せり〟    〈作者の部の山東京伝は北尾政演、窪田春満は尚左堂俊満。画工の部の北尾三次郎は北尾政美〉    ☆ 天明元年(安永十年)(1781)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 喜三二 通笑 芝全交 可笑 南陀伽紫蘭 是和斎 風車 蓬莱山人亀遊女    画工の部 清長 重政 政演 政美 春常    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 西村 村田 岩戸    時評〝袋入の草しの名を得たるを、翌年青本に直して出すこと始まる。(中略)清長当世の女風俗に妙       を得たり。世継鉢木に猫の女に化し処、半面を女、半面を猫に画し趣、尤妙なり。浮世の変化の       図に程々の巧みをなす濫觴を云べし。南陀伽紫蘭は、前年に窪田春満といへる同人なり。後年に       狂歌を専らにし、尚左堂俊満と号す〟    〈清長画『化物世櫃鉢木』は伊庭可笑作。「日本古典籍総合目録」によれば、この年の清長画の青本(黄表紙)は二十     四作品で、他を圧倒するとともに、清長画黄表紙の頂点をなす。翌二年が二十一点でこれに次ぐ〉       ☆ 天明二年(1782)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町 喜三二 通笑 京伝 全交 可笑 岸田杜芳 紫蘭 宇三太 雪岨 豊里舟 三椒         魚仏 風物 古風    画工の部 清長 重政 政演 政美 春常 春朗 国信    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 西村 村田 岩戸    時評〝京伝が戯作御存商売物に、はじめて画作の名を顕し、文化の末まで四十余年の間妙作多し。実に       稗史作者中の一人と称すべし〟    ☆ 天明三年(1783)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町 喜三二 通笑 京伝 全交 杜芳 紫蘭 里舟 四方山人 南杣笑楚満人         奈蒔野馬鹿人・在原艶美・四方門人新社・春卯    画工の部 清長 重政 政演 政美 春潮    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 西村 村田 岩戸    時評〝前青本中の吟雪と房信と別人とす。又湖龍斎、青本を画かずと云。戌年の松茸売の画は、湖龍斎       なり。又春常・春湖も往々青本に画あり〟    〈戌年とは寛政二年にあたるが、松茸売の画は未詳。湖龍斎の板本は少なく、「日本古典籍総合目録」によれば、青本     (黄表紙)は全くなく、安永五年(1776)の往来物『古状揃』一点のみである。なお春湖は春潮の誤りか〉       ☆ 天明四年(1784)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町 喜三二 通笑 京伝 全交 杜芳 亀遊女 楚満人 四方山人 窪春満 万象亭         唐来三和 黒鳶式部 二本坊寉志芸 飛田琴太 古川三蝶 幾治茂内 里山 邦杏李          紀定丸    画工の部 清長 重政 政演 政美 春町 春朗 古川三蝶 勝川春道 哥丸    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 西村 鱗形 岩戸    時評〝袋入の本此頃にて止む。是より後の袋入は、其年青本の高作をまづ袋入にして出し、一月ほど立       て直に青本にして出すことゝなれり〟    ☆ 天明五年(1785)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 喜三二 通笑 京伝 全交 三和 恋川好町 蓬莱山人帰橋 夢中夢助 二水山人 鳴瀧         録山人信鮒    画工の部 清長 重政 政演 政美 春朗 哥丸 勝花 柳交    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 西村    時評〝啌つき曽我の兄弟が工藤に対面の条は、当世の人情権貴に阿訣するさまを写せりとぞ。近世の人       情にもかゝる事有しといふは、誠にやしらず。又下巻に娼家の厨房のさまを図せし密画あり。此       後に、豊国・国貞などかゝる図に巧をつくせども、清長この頃既に先鞭を着たり〟    〈清長画『間似合嘘言曾我』は蓬莱山人帰橋の作〉        ☆ 天明六年(1786)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 喜三二 通笑 京伝 全交 杜芳 万象 三和 三蝶 好町 帰橋 琴太 山東鶏告 芝甘交         白雪・道笑・半片・自惚山人・虚空山人    画工の部 清長 重政 政演 政美 春朗 春英 三蝶 好町 蘭徳    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 奥村 松村 榎本 西村 西宮    時評(省略)     ☆ 天明七年(1787)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 喜三二 京伝 全交 杜芳 三和 万象 物蒙堂礼 鶴一斎雀千声 鶏告 好町 通笑    画工の部 重政 政演 政美 清長 栄之 柳郊    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 西村 西宮 榎本 村田    時評〝家の化物に喜三二が肖像あり。重政が筆、真に逼るといふべし〟    〈北尾重政が作者朋誠堂喜三二を肖像で画いて登場人物化した「家の化物」とは『亀山人家妖』である〉      ☆ 天明八年(1788)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 喜三二 通笑 京伝 三和 杜芳 春町 石山人 万宝 虚空山人 山東唐洲    画工の部 重政 政演 政美 哥丸 蘭徳 春英 行麿    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 西村 西宮 榎本 村田    時評〝此頃の稗史に営中の遺事に擬して作るもの多しといふ。。按に、万石とをし、ひゐきの絵草紙な       ど、其類なるべし。是等は草葬の人のしるべきにあらざれぱ、識者に問て弁ずべし。又袋入に世       直大明神、天下一面鏡撹の梅鉢など有。是等もおなじ趣なるべき歟〟    〈「営中の遺事」つまり幕府の事柄に擬えた黄表紙と見なされたのは『文武二道万石通』朋誠堂喜三二作・喜多川行麿     画。『悦贔負蝦夷押領』恋川春町作・北尾政美画。「是等は草葬の人のしるべきにあらざれぱ、識者に問て弁ずべし」     お上のことは民間人には知り得まいから識者に聞きなさいと、評者・漣水散人(旗本家臣・比志島文軒)はいうのだ     が、そうであろうか。袋入の『天下一面鏡梅鉢』は唐来三和作・栄松斎長喜画、「世直大明神」の角書をもつ『黒白     水鏡』は石部琴好作・北尾政演画でともに翌天明九年の刊行である〉    ☆ 寛政元年(天明九年)(1789)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 春町 通笑 京伝 全交 三和 鶏告 桜川慈悲成 三橋喜三二 一橋山人 陽春亭         内新好 伝楽山人 伐木丁々 美息斎象睡    画工の部 重政 政演 政美 柳郊 栄之 蘭徳 春朗 歌川豊国    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 大和田 西宮 榎本 秩父    時評〝鸚鵡かえし、孔子じま、太平権現など、皆当時の遺事に擬作せしなるべし。地獄一面は、袋入の       天下一面の標題を仮て、また一奇を出す。中洲咄は、土山何某と十七屋なるものゝ遺事に擬して、       中洲の繁栄の光景をうつす。(中略)安永年間に清経・吟雪などが画きし一代記の類を此頃再摺       し、錦絵摺の外題をおして版行する物多し。また青本に白紙墨摺の外題をおしたる物も、同じく       此頃の再摺なり。此頃までは黒本をも制して販出せしが、寛政の中頃より絶て見あたらず〟    〈時事を擬えたものとされたのは、恋川春町作・北尾政美画『鸚鵡返文武二道』、山東京伝作・北尾政演画『孔子縞于     時藍染』、伐木丁丁作・蘭徳斎画『太平権現鎮座始』、唐来三和作・栄松斎長喜画『天下一面鏡梅鉢』、山東京伝作     ・山東京伝作・北尾政美画『奇事中洲話』。とりわけ『奇事中洲話』はきわどい作品で「飛脚屋忠兵衛/仮住居梅川」     の角書が暗示するように、表向きは冥途の飛脚の梅川忠兵衛だが、実は忠兵衛は飛脚屋十七屋孫兵衛、梅川は吉原の     遊女・誰が袖で、ともに幕府の勘定組頭・土山宗次郎と深い関係があった人物が登場する。十七屋は土山の不正米事     件加担した科で死罪、誰が袖は土山に見請けされた吉原の遊女で、土山失脚後大文字楼に戻された。土山はこの二つ     の件、不正米による公金横領と、事件発覚後見請けした妾と逐電したという不行跡で死罪となった。天明七年(1787)     十二月のことである。『奇事中洲話』はそれを踏まえている〉          ☆ 寛政二年(1790)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 通笑 京伝 全交 万宝 喜三二 信普 慈悲成 樹上石上 蔦唐丸 時鳥館    画工の部 重政 政演 政美 柳郊 豊国 亀毛 桜文橋    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 西村 西宮 榎本 大和田 秩父 村田    時評〝青砥が銭に谷風の肖像有。此書当時のさまに擬して作る。この翌年よりかゝる事を憚り、絶て作       り出さぬことゝなりたり〟    〈谷風の肖像があるという『玉磨青砥銭』は京伝作・うた麿画である〉    ☆ 寛政三年(1791)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 全交 万宝 慈悲成 新好 夜道久良記 大栄山人 秋収冬蔵 荒金土生    画工の部 重政 政演 政美 柳郊 豊国 蘭徳 文橋 春英 菊亭    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 西村 西宮 榎本 秩父 泉市    時評〝北尾政演が青本と画く事、此年にして止む〟    ☆ 寛政四年(1792)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 全交 慈悲成 楚満人 万宝 井上勝町 気象天業 信夫䟽彦 黒木    画工の部 重政 政美 豊国 蘭徳 清長 春英 井上勝町    板元の部 鶴屋 蔦屋 伊世次 西村 西宮 村田 秩父屋 泉市    時評〝今年の出板、軍書・怪談類多して戯作少し。按に此頃より世間の風俗、街談を綴ることを憚りし       故、加様の作に移りたるなるべし〟    ☆ 寛政五年(1793)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 全交 三和 石上 楚満人 曲亭馬琴 鹿杖真顔 桃栗山人 畠芋助    画工の部 重政 政美 春朗 豊国 清長    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 秩父 大和田 泉市    時評(省略)    ☆ 寛政六年(1794)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 全交 森羅亭 石上 慈悲成 真顔 馬琴 式亭三馬 千差万別 本膳亭坪平          築地善好    画工の部 重政 政美 春朗 春英 豊国    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田    時評〝石上、はじめ物蒙堂礼と号す〟    ☆ 寛政七年(1795)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 通笑 森羅亭 三和 楚満人 慈悲成 馬琴 善好 坪平 十返舎一九 黄亀    画工の部 重政 政美 栄之 豊国 春朗 二代目春町 長喜 一九    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田    時評〝楚満人義女の英、大に名あり。十余年すたれたるかたき打を再興し、是より年々に続出し、文化       に至りて大に行はるゝは、そま人の功といふべし〟    ☆ 寛政八年(1796)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 石上 馬琴 一九 善好 宝倉主 誂々堂景則、楽山人馬笑 春道草樹    画工の部 重政 豊国 一九 春朗     板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸    時評〝北尾政美青本を画く、此年に止る。是より後画風を変じ、蕙斎紹真と称し、略画式を著し、大に       行はる〟    ☆ 寛政九年(1797)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 石上 慈悲成 唐丸 馬琴 三馬 一九 馬笑    画工の部 重政 豊国 一九 春朗    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸    時評〝京伝の作、今年四部いづれも教訓を専にして、戯作の体にあらず。是より年々勧懲を事とす〟    ☆ 寛政十年(1798)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 三和 楚満人 石上 慈邪成 馬琴 三馬 一九 唐丸 恋川春町遺稿          壁前亭九年坊 傀儡子 聞天舎鶴成    画工の部 重政 豊国 可候 清長 業平榻見 栄昌 春亭    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 岩戸 山口 宝屋 村田    時評〝東海道娘かたき打、豊国が画絶妙なり。是より豊国大に行はる〟    〈「東海道娘かたき打」とは式亭三馬作の『吾嬬街道女敵討』か〉    ☆ 寛政十一年(1799)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 慈悲成 石上 馬琴 三馬 一九 鉦扈荘英 蘭奢亭香保留    画工の部 重政 豊国 一九 春亭 豊丸    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸 山口    時評〝按に、天正より以後の事を書し上梓すること、享保以前には憚らざりしにや。大坂軍記、其外あ       また見へたり。享保已後は上梓を憚ることなりしに、この頃にいたつて浪花の玉山が絵本太閤記       上梓して、大に行はる。夫にならひて、今年筆のつらなりを顕し、また豊国が太閤記のにしき絵       出て共に行はれしが、いく程もなくて前のごとく憚ることゝなりたり〟   〈武内確斎作・岡田玉山画『絵本太閤記』は寛政九年の初編、翌十年に二編、そしてこの年には三・四・五編と出ている。    「筆の連」は荘英作・勝川春亭画『太閤記筆の連』。豊国のは錦絵。これらの「太閤記」ものは、文化元年、絶板およ    び販売禁止等の処罰を受けることになるのだが、この寛政十一年時点ではお咎めなしであったのである〉    ☆ 寛政十二年(1800)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙         作者の部 京伝 楚満人 慈悲成 馬琴 一九 石上 鈍々亭和樽 色主 可候 蘭奢亭香保留    画工の部 重政 可候 豊国 子興    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸 山口    時評〝かまど将軍は北斎の画作なり。可候は仮に設たる名なり。是より二三年続て出る〟    ☆ 享和元年(寛政十三年)(1801)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 慈悲成 馬琴 三馬 一九 傀儡子 可候 和樽 竹塚東子 香保留         福亭三笑 玉亭     画工の部 重政 可候 豊国 春亭 子興 歌川豊広    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸 山口    時評(記事なし)    ☆ 享和二年(1802)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 馬琴 三馬 一九 新好 通笑 馬笑 傀儡子 石上 慈悲成 感和亭鬼武         木芽田楽 一麿    画工の部 重政 豊国 歌丸 豊広 長喜 春喬 菊丸    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸 山口    時評〝京伝作銭光記より大悲利益まで四部を四季に名付て出板す。最初上紙摺三冊合巻にして、表紙も       上の黄表紙に犬を墨摺にしたり。是合巻の権輿とも云べき歟〟    ☆ 享和三年(1803)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 馬琴 三馬 一九 可候 鬼武 三笑 石上 虚呂利 板本舎邑二 楓亭猶錦         萩庵荻声 徳永素秋 薄川八重成    画工の部 重政 豊国 可候 豊広 長喜 一九 春亭 秀麿 一九門人ゑい女    板元の部 鶴屋 蔦屋 榎本 西村 西宮 泉市 村田 岩戸 山口    時評〝此頃袋入の上本出る。是迄の袋入は、半紙に摺たる本也。此上本は糊入に摺て、紙形も殊に大に       して表紙も厚し。製本異にして王侯に呈すべし。児童の翫弄すべき物にあらず。この上本は並の       袋にはせずして、直に青本に直して出せり。後年合巻の出来たる後は、最初に上本、夫より合巻、       夫より青本と、三度に直して出したり〟    ☆ 文化元年(享和四年)(1804)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 石上 馬琴 一九 東子 赤城山家女 待名斎今也    画工の部 重政 豊国 春亭 豊広 長喜 月麿 北岱    板元の部 鶴屋 蔦屋 西村 泉市 西宮 岩戸 村田 山口 榎本    時評〝かたき打の本、いよ/\行はれ、京伝・馬琴、此年より始て敵打の作あり。今年の新刻かたき打       三分の二にして、其余わつかに戯作あり〟    ☆ 文化二年(1805)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 石上 馬琴 三馬 一九 素速斎 東紫 新好 鬼武 萩声 赤城山人          面徳斎夫成    画工の部 重政 豊国 豊広 月麿 石上    板元の部 鶴屋 蔦屋 西村 泉市 西宮 山口 岩戸 榎本 村田    時評〝今年の新梓、いよ/\かたき打多し。戯作の本は、纔十余部に過ず。翌年よりは、残らずかたき       打となりたり〟    ☆ 文化三年(1806)    ◯『稗史提要』「青本之部」   ・正月出版の草双紙    作者の部 京伝 楚満人 馬琴 一九 石上 鬼武 慈悲成    画工の部 重政 豊国 豊広 国長 春亭 国丸 北馬    板元の部 鶴屋 蔦屋 西村 泉市 村田 山口 岩戸    時評〝今年の開板する所、すべてかたき打となりたり。作者の名を記すに、戯作の戯の字を省て、たゞ       作とのみ書す、抑この戯作の戯の字は、宝暦の丈阿に始り、安永の春町・喜三二に伝え、四十余       年用ひ来りし戯の字、此時に至りて絶たり。是も時運といふべき歟。此年三馬が作、雷太郎合巻       のはじめと云べし。此本出てより世上の稗史、すぺて合巻となれり。今、爰に載る所は、今年合       巻出ざる前に発行せる本を載たり。合巻出てより後は、こと/\く次の合巻部に出たり〟    〈『稗史提要』を翻刻した広瀬朝光氏によれば「合巻部」は残念ながら散逸してしまった由である〉