Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ よしもり うたがわ 歌川 芳盛 二代浮世絵師名一覧
〔安政元年(1854)4月 ~ ? 〕(歌川国晴〈くにはる〉参照)
 ☆ 明治十七年(1884)  ◯ 第二回 内国絵画共進会(四月開催・於上野公園)    (『第二回内国絵画共進会/出品人略譜』農商務省博覧会掛編・国文社・五月刊)   〝第四区 東京府    正木福松、芳盛斎国晴ト号ス。東京府下谷区下谷車坂町ニ住ス。正木孝吉(号宝州)ノ男ニシテ、安     政元年四月生ナリ。慶応二年ヨリ一光斎芳盛ヲ師トシ、其号ヲ継キ、後芳盛斎ト改ム〟  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『東京大画家派分一覧表』東京 児玉友三郎編輯・出版 明治二十二年十二月刊   (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝歌川派     橋本周延 天神丁三  / 一松斎芳宗 日吉丁  / 勝川椿年 木挽町一     安藤広近 根岸金杉  / 村田良和  馬道八  / 梅堂国貞 薬研ボリ丁     正木芳盛 下谷坂丁  / 泰近清   飯倉片丁 / 落合芳幾 京バシ滝山丁     豊原国周 東京    / 応斎年方  紺屋丁  / 歌川国久 カメ井戸     安藤広重 下平右ヱ門 / 鍋田玉英  西鳥越丁 / 河守芳豊 ◎◎◎丁     柴田延子 佐クマ丁三  / 梶田半湖  下谷徒丁〟  ☆ 明治二十三年(1890)  ◯「読売新聞」(明治23年11月30日記事)〈原文は漢字に振り仮名付、()はその一部分〉   〝歌川派画工の専門    歌川派の画工にて板下絵のみに関係し居るもの其数数多(あまた)あれ共、目下一派の得意を出(いだ)し    て其名世に聞えたるものを挙ぐれバ、武者絵ハ芳年、似顔ハ国周、官女ハ周延、押絵ハ国政、手遊画    (おもちやゑ)ハ国利、新聞さし絵ハ年英、名所画(ゑ)ハ吟光、類似油絵ハ清親、見世物看板画ハ芳盛、    劇場(しばゐ)看板絵ハ清満、年中行事ハ勝月、団扇絵ハ玉英と限りたるが如しとなり〟  ☆ 明治二十四年(1891)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十四年刊)    一光斎芳盛画『人物画譜』一光斎芳盛画 明進堂(9月)   (岳亭定岡の序に「此巻は一光斎のあるじ芳盛(云々)」巻末に「光斎」の署名あり)  ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『浮世絵師便覧』p216(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年刊)   〝芳盛(モリ)    二世芳盛門人、一光斎と号す、正木氏、俗称福松、もと歌川国晴といふ、錦画、◯明治〟  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(92/103コマ)   〝二世一光斎芳盛【明治元年~三十年 1868-1898】    其の伝追て記すべし〟   〝三世一光斎芳盛(92/103コマ)    正木氏、通称福松、はじめ歌川国晴と云ふ、二世芳盛の門弟にて、錦絵を画けり〟    〈他書はこの芳盛を二世とする〉  ☆ 大正~昭和以降    ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)    (国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」所収)   〝芳盛 芳盛門人、初め歌川国晴といふ、後二世芳盛と改む、俗称正木福松、一光斎と号す〟    ◯『浮世絵師伝』p215(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝芳盛 二代    【生】安政元年(1854)四月 【歿】    【画系】初代芳盛門人    【作画期】明治    正木氏、俗称福松、慶応二年より初代芳盛の門に入りて初め盛政と号し、又芳盛斎国晴とも云ひしが、    明治十三年二月二代芳盛を襲名す、別号を一光斎と云へり、曾て浅草公園常盤座の看板を画きしとぞ。    居所下谷車坂町、後ち浅草千束町二丁目に移る〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
   「歌川系図」〝国芳門人 芳盛(二世)〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p93(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝芳盛 二代(よしもり)    正木福松、初代芳盛の門人、一光斎と号した。明治十、二十年代に多少の作画があり、また浅草常盤座    の芝居看板を描いていた〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:1    画号他:盛誠(もりまさ)・芳盛斎国晴・一光斎    分 類:合巻1    成立年:明治16年    『明治天一坊』合巻・花笠文京二世作・梅堂国政、芳盛斎国晴画・明治十六年(1883)