【ここでは北川美丸・小川美丸に関するデータのみ 全体データは北尾重政二代に収録】
※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕
②〔早稲田〕 :『早稲田大学所蔵合巻集覧稿』〔『近世文芸研究と評論』三五~七〇号に所収〕
③〔早大集覧〕 :『【早稲田大学所蔵】合巻集覧』〔日本書誌学大系101・棚橋正博編集代表〕
④〔早大〕 :「古典籍総合データベース」早稲田大学図書館
⑤〔東大〕 :『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔日本書誌学体系67・近世文学読書会編〕
⑥〔書目年表〕 :『【改訂】日本小説書目年表』
⑦〔中本型読本〕:「中本型読本書目年表稿」
⑧〔江戸読本〕 :「江戸読本書目年表稿(文化期)」
〔小咄〕 :『江戸小咄辞典』
角書は省略。①~⑥は「合巻年表」の出典。◎は表示不能あるいは難読文字
改名 北川美丸→文化七年(1810)小川美丸(美麿)→文化十年(1813)歌川美丸(美麿)→
文政五年(1822)北尾(花蘭斎)美丸→文政十年(1827)北尾重政(二世)
〈文化7年小川美丸と名乗るが、北川美丸のほうもなぜか以降も使っている。理由は分からない〉
☆ 文化二年(1805)
◯『黄表紙總覧』後編(文化二年刊)
北川美丸画『茶漬腹名寄評判』「美丸画」「萩庵荻声戯作」岩戸屋板
〈この黄表紙の美丸画は、文化七年刊合巻『昔語兵庫之築嶋』にある式亭三馬口上「去年より御め見えの画工よし丸」
の文言と相違する。因みに「日本古典籍総合目録」によると。この『茶漬腹名寄評判』は、萩庵荻声作・北川美丸画
・文政四年(1821)刊で「茶漬原御膳合戦の改題本」との注記がある。その『茶漬原御膳合戦』は、萩庵荻声作・歌
川豊広画・文化二序とある。やはり草双紙の初筆は文化六年ではないだろうか〉
☆ 文化五年(1808)
◯「咄本年表」(文化五年刊)
北川美丸画
『恵方土産』 「北川美丸画」感和亭鬼武誌 鶴屋板①
『落咄春雨夜話』十返舎一九作 ①
『曲形瓢』 十返舎一九作 ①〈版本作画の初筆は文化五年か〉
☆ 文化六年(1809)
◯「合巻年表」(文化六年刊)
北川美丸画
『十三鐘孝子勲績』上中下編「勝川春亭・北川美丸画」曲亭馬琴作 山城屋板 ⑤①
上「春亭画」中編「美丸画」下「北川美丸画」
『敵討於半紅』 「北川美丸画」感和亭鬼武作 村田屋板 ②
『腹鼓狸忠信』 「北川美丸画」三馬作 鶴金板 ⑤
『東男連理緒』表紙「美丸画」「ヨシ丸画」国貞画 十返舎一九作 村田屋板 ②
◯『噺本大系』巻十九「所収書目解題」(文化六年刊)
北川美丸画『落咄春雨夜話』「北川美丸画」感和亭鬼武序(板元名なし)
◯「滑稽本年表」(文化六年刊)
美丸・国直画
『浮世風呂』前編「北川美丸画」式亭三馬作 西村源六他板 ①(画像)
二編「歌川国直画」式亭三馬作 石渡平八他板 ①(画像)
(注:二編の紙帙は色刷絵入)〈国文学研究資料館本の画像をみると、色摺の紙帙には「小川美丸画」と
ある。しかしこの紙帙が文化6年当時のものかは未確認〉
北川美丸画『道中膝栗毛』八編「美丸画」十返舎一九作 村田屋治郎兵衛他板 ①
〈七編の巻末広告では八編の画工は春亭となっている〉
☆ 文化七年(1810)(北川美丸から小川美丸に改名)
◯「合巻年表」(文化七年刊)
北川美丸・小川美丸画
『伊賀越反仇物語』「画者 北川美麿画」表紙「北川美丸画」十返舎一九作 森治板 ②
『伊賀道中待合噺』「北川美麿画」十返舎一九作 森治板 ①
『親為孝太郎次第』「美丸画」 式亭三馬作 西宮新板 ① ◯ニ合
『昔語兵庫之築嶋』「【北川姓改/十八歳】小川美丸画」式亭三馬作 鶴金板 ②
『昔形福寿盃』 「北川美丸画(◯に美)印」式亭三馬作 西宮新板 ②
『腕雕弌心命』 「国満画」表紙「美丸画」 式亭三馬作 鶴金板 ②
『元結濫觴』 「北川美丸画」東里山人作 岩戸板 ①
『恋山崎与一兵衛物語』式亭三馬作 板元未詳(注:日本小説年表による)①
◯『昔語兵庫之築嶋』「【北川姓改/十八歳】小川美丸画」式亭三馬作 鶴金板 ②
(式亭三馬の口上)
〝去年より御め見えの画工よし丸、当春北川の姓を改めこれより小川となのりまする。いまだとしわかの
ミじゆくながらも、十七や十八でよく此やうな絵が出きるぞ。がをつたものじやと御評ばん被下、御ひ
いきの御かげにて小川のすゑハ大川の大たてものとなり候やう、ひとへに/\御とりたて奉希上ます、
そのための口上、おそれながら式亭三馬敬てまうす〟
〈「がをる=我折る」は驚く・感心するの意味。この口上により、美丸は寛政四年の生まれ、初筆は前年の文化六年と分
かる。同年刊、三馬の滑稽本『浮世風呂』前編に「北川美丸画〔◯に美〕」の署名・印あり。また②の補注によると、
鈴木重三氏は曲亭馬琴の文化六年刊の合巻『山中鹿介稚語』の中編挿絵が美丸作画の早い例とする由である〉
☆ 文化八年(1811)
◯「合巻年表」(文化八年刊)
北川美丸画
『新居焔魔附紐由来』「北川美丸画」十返舎一九作 大坂屋板 ⑤
『頓秀胡蝶笄』 「美丸画」表紙 「北川美丸画」 竹塚東子作 西与板 ①
『尾笑草』 「北川美丸画」 竹塚東子作 岩戸板 〔狩野文庫画像〕
小川美丸画
『腹之内戯作種本』 「小川よし丸画」式亭三馬作 鶴喜板 ①
『堪忍五郎稚講釈』 小川美丸画 式亭三馬作 鶴金板 ①(静岡大本は「小川美丸画」と記す)
『茶釜前扚子物語』 「美丸画」見返し「小がわ美丸画」竹塚東子作 西宮新板 ①
◯『噺本大系』巻十四「所収書目解題」(文化八年刊)
小川美丸画『妙五天連都』「小川美丸画」十返舎一九作 村田屋板
☆ 文化九年(1812)
◯「合巻年表」(文化九年刊)
喜多川美麿画
『諺草籠中鳥』関亭伝笑作 板元未詳 ①
北川美丸画
『妹背山後雛鳥』前・後編「北川美丸画」山東京山作 森治板 ①
『孝行雀心之竹馬』 「北川美丸画」山東京山作 鶴喜板 ①
〈鶴喜板の文化九年新版目録には「『孝行雀心竹馬』全六冊 小川美丸画 山東京山作」とあり〉
『大通人狐幸』 「北川美丸画」表紙・見返「小川美丸画」十返舎一九作 山口板 ①
小川美丸画
『鳥籠山鸚鵡助劔』 「小川美丸画」曲亭馬琴作 鶴喜板 ①
『雷神丸剣電』「浮世絵師小川美丸画」春亭三暁作 鶴金板 ②
〈補注、作者三暁は「『江戸方角分』によると、言助町住の斎藤新孝と伝えられる。それ以外の伝未詳で、文政三年
中の没と推定される。浮世絵師歌川国直の兄」とある〉
『暠魍魎(ヒダカノカゲホシ)』「小川美丸画」東里山人作 岩戸板 ①
◯「咄本年表」(文化九年刊)
小川美丸画『妙伍天連都』「小川美丸画」十返舎一九作「文化かのとの未自序」村田屋板 ①
〈辛未は文化8年〉
☆ 文化十年(1813)(小川美丸から歌川美丸に改名)
◯「合巻年表」(文化十年刊)
歌川美丸画
『重井筒娘千代能』前編「歌川美丸画」後編「歌川国丸画」山東京伝作 森治板 ①
『海陸西国往来』「歌川美丸画」十返舎一九作 鶴喜板 ⑤
『籤本浮世絵抄』「歌川美丸画」振鷺亭作 鶴喜板 ④
◯『馬琴書翰集成』⑥323 「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
「文化十年刊作者画工番付断片」
〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと。当時は小川美丸を称していた〉
☆ 文化十一年(1814)
◯「合巻年表」(文化十一年刊)
北川美丸画『今昔宿直物語』北川美丸等画 東里山人等作 ①
(注記:文化九年版『清姫太郎暠魍魎』同十一年版『六合雑劇楽屋雀』『御無事忠臣蔵』の再刷合冊改題本)
〈〔早稲田〕は『暠魍魎』の画工を「美丸画」とし「日本古典籍総合目録」は小川美丸画とする〉
☆ 文化十三年(1816)
◯「咄本年表」(文化十三年刊)
北川美丸画
『福ねずみ』北川美丸画 十返舎一九作 ①
『噺の突出』「北川美丸画」十返舎一九作 ①(画像)〔小咄〕〈解題、享和四年刊『腰巾着』の板木使用とする〉
☆ 文政元年(文化十五年・1818)
◯「合巻年表」(文政元年刊)
北川美丸画『金草鞋』十編「北川よしまる」十返舎一九作 森治板 ⑤
☆ 文政四年(1821)
◯「合巻年表」(文政四年刊)
歌川美丸画
『清水寺利生仇討』 歌川美丸画 解亭眉山作 板元未詳(注:日本小説年表による)①
『茶漬腹名寄評判』「美丸画」 萩庵荻声作 岩戸板 ①
『床飾錦額無垢』 「歌川美丸画」柳亭種彦・萍亭柳菊合作 鶴金板 ⑤④
『開巻未来記』 「歌川美丸画」東里山人作 岩戸板 ①
『継父之仇討』 美丸画 解亭眉山作 板元未詳 ①〈書誌による〉
北尾重政画(二世)
『恋衣仙女薫』北尾重政画 恋川春町二世作 板元未詳(注:日本小説年表による)①
〈①の書誌は北尾重政画とするが未確認〉
☆ 天保四年(1833)
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③303(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
(「喜多川歌麿」の項、菊麿(月麿)門人)
「喜多川歌麿系譜」〝美麿【後北尾重政トナル、小川ト改、歌川トナリ、北尾ト改ム】〟
☆ 没後資料
◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)
(名前のみ、記事なし)
〝東都
春川秀蝶・田中益信・泉守一・山本義信・古川三蝶・歌舞妓堂・【別人】勝川春章・勝川春常
勝川春山・勝川春扇・葛飾一扇・如蓮北昆・卍亭北鵞
東都
歌川国長・歌川国政・歌川国久・歌川国安・歌川国直・歌川秀丸・歌川月丸・北川菊丸、北川美丸
細田栄理・細田栄昌・細田栄亀〟
◯『古代浮世絵買入必携』p15(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝喜多川美丸 本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名 初代歌麿 年代 凡七八十年前
女絵髪の結ひ方 第十図・第十一図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
絵の種類 並判、中判、細絵、肉筆 備考〔空欄〕〟
◯「集古会」第五十五回 明治三十八年(1905)十一月 於青柳亭(『集古会誌』丙午巻之一 明治39年1月)
〝村田幸吉(出品者)山王祭礼日本橋大阪町・堺町練物図 二巻
右は北川美丸の肉裏(ママ) 其練物は御伽話によりたり〟
◯『浮世絵』第弐拾四(24)号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正六年(1917)五月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇「美丸の改称に就て」雨石斎主人(9/24コマ)
〝美丸(よしまる)は一に美麿(よしまろ)といひ、北尾政美に門人にして、又喜多川月麿にも学ぶと伝へら
れて居る、而して重政の没後其の名を襲つて二代重政と改めたのである、美丸の作品としては草双紙の
挿絵が最も多く、文化四五年から天保十一二年頃まで、凡そ三十四五年間に於て、百種近くの書物に挿
絵して居る、其等の中の二三に就いて考へて見ると、彼は最初北川美丸(よしまる)〔文化六年浮世風呂〕
といひ、尋(つい)で小川〔文化七年正月 昔語兵庫之築島〕と改め、其の後更に歌川〔文化十一年正月
庚申待女房献立〕と称し、最後に北尾〔文政五年 金草鞋〕と改め、終に二代重政となつたのである。
又別に華蘭斎の号があつた。それから、前記の文化七年正月発兌『昔語兵庫之築島』には「口上、去年
より御め見えの画工よし丸 当春北川の姓を改めこれより小川となのります云々」とし、尚ほ「北川姓
改十八歳 小川美丸画」としてある〟
〈二代重政襲名は文政十年〉
◯『狂歌人名辞書』p245(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)
〝北川美麿、華蘭斎、又、紅翠斎と号す、江戸の人、月麿門人、文政十年二世・重政と号す、北尾氏と改
む、歿年未詳〟
◯「日本古典籍総合目録」(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
(北川美丸名の作品)
作品数:22点
分 類:合巻17・咄本4・滑稽本1
成立年:文化5~11・13年(19点)文政4・8年(2点)
(小川美麿名の作品)
作品数:5点
画号他:小川美丸
分 類:合巻(5点)
成立年:文化7年(1点)同8年(1点)同九年(2点)
(喜多川美麿名の作品)
作品数:2点
分 類:合巻1・滑稽本1
成立年:文化9年(1点)文政5年(1点)
(北川美麿名の作品)
作品数:2点
分 類:合巻1・滑稽本1
成立年:記載なし