Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ よしまる きたがわ 北川(喜多川)美丸浮世絵師名一覧
〔寛政5年(1793)~〕
(小川美丸・歌川美丸・北尾美丸・北尾重政二代参照)
  【ここでは北川美丸に関するデータのみ 全体データは北尾重政二代に収録】  ※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕   ②〔早稲田〕  :『早稲田大学所蔵合巻集覧稿』〔『近世文芸研究と評論』三五~七〇号に所収〕   ③〔早大集覧〕 :『【早稲田大学所蔵】合巻集覧』〔日本書誌学大系101・棚橋正博編集代表〕   ④〔早大〕   :「古典籍総合データベース」早稲田大学図書館   ⑤〔東大〕   :『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔日本書誌学体系67・近世文学読書会編〕   ⑥〔書目年表〕 :『【改訂】日本小説書目年表』   ⑦〔中本型読本〕:「中本型読本書目年表稿」   ⑧〔江戸読本〕 :「江戸読本書目年表稿(文化期)」    〔小咄〕   :『江戸小咄辞典』     角書は省略。①~⑥は「合巻年表」の出典。◎は表示不能あるいは難読文字  改名 北川美丸→文化七年(1810)小川美丸(美麿)→文化十年(1813)歌川美丸(美麿)→     文政五年(1822)北尾(花蘭斎)美丸→文政十年(1827)北尾重政(二世)   〈文化7年小川美丸と名乗るが、北川美丸のほうもなぜか以降も使っている。理由は分からない〉  ☆ 文化二年(1805)    ◯『黄表紙總覧』後編(文化二年刊)    北川美丸画    『茶漬腹名寄評判』署名「美丸画」「萩庵荻声戯作」岩戸屋板    〈この黄表紙の美丸画は、文化七年刊合巻『昔語兵庫之築嶋』にある式亭三馬口上「去年より御め見えの画工よし丸」     の文言と相違する。因みに「日本古典籍総合目録」によると。この『茶漬腹名寄評判』は、萩庵荻声作・北川美丸画     ・文政四年(1821)刊で「茶漬原御膳合戦の改題本」との注記がある。その『茶漬原御膳合戦』は、萩庵荻声作・歌     川豊広画・文化二序とある。やはり草双紙の初筆は文化六年ではないだろうか〉      ☆ 文化五年(1808)    ◯「咄本年表」(文化五年刊)    北川美丸画    『落咄春雨夜話』北川美丸画 十返舎一九作 ①    『恵方土産』 「北川美丸画」感和亭鬼武誌 鶴屋板①    『曲形瓢』   北川美丸画 十返舎一九作 ①    〈版本作画の初筆は文化五年か〉      ☆ 文化六年(1809)    ◯「合巻年表」(文化六年刊)    北川美丸画    『十三鐘孝子勲績』「勝川春亭・北川美丸画」曲亭馬琴作 山城屋板 ⑤    『敵討於半紅』  「北川美丸画」感和亭鬼武作 村田屋板 ②    『腹鼓狸忠信』  「北川美丸画」三馬作    鶴金板  ⑤    『東男連理緒』表紙「美丸画」「ヨシ丸画」「国貞画」十返舎一九作 村田屋板 ②  ◯『山中鹿介稚物語/十三鐘孝子勲績』勝川春亭画 曲亭馬琴作 山城屋藤右衞門板(国書データベース)    〝中編自六張至十五張 美丸画〟(下編)〝右二十張北川美丸画〟    ◯『噺本大系』巻十九「所収書目解題」(武藤禎夫編・昭和五四刊)   ◇咄本(文化六年刊)    北川美丸画『落咄春雨夜話』「北川美丸画」感和亭鬼武序(板元名なし)    ◯「国書データベース」(文化六年刊年)   ◇滑稽本    北川美丸画『浮世風呂』前編 北川美丸・歌川国直画 式亭三馬作 西村源六他板     「上之巻五葉 北川美丸画 ◯ニ「美」」「下之巻四葉 北川美丸画 ◯ニ「美」」     ☆ 文化七年(1810)(この年、北川美丸から小川美丸に改名)    ◯「合巻年表」(文化七年刊)    北川美丸画    『恋山崎与一兵衛物語』北川美丸画 式亭三馬作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『伊賀越反仇物語』 「画者 北川美麿画」表紙「北川美丸画」十返舎一九作 森治板 ②    『伊賀道中待合噺』 「北川美麿画」十返舎一九作 森治板  ①    『親為孝太郎次第』 「美丸画」  式亭三馬作  西宮新板 ①    『昔語兵庫之築嶋』 「【北川姓改/十八歳】小川美丸画」式亭三馬作 鶴金板 ②     (式亭三馬の口上)     〝去年より御め見えの画工よし丸、当春北川の姓を改めこれより小川となのりまする。いまだとしわ      かのミじゆくながらも、十七や十八でよく此やうな絵が出きるぞ。がをつたものじやと御評ばん被      下、御ひいきの御かげにて小川のすゑハ大川の大たてものとなり候やう、ひとへに/\御とりたて      奉希上ます、そのための口上、おそれながら式亭三馬敬てまうす〟      〈「がをる=我折る」は驚く・感心するの意味。この口上により、美丸は寛政四年の生まれ、初筆は前年の文化六       年と分かる。同年刊、三馬の滑稽本『浮世風呂』前編に「北川美丸画〔◯に美〕」の署名・印あり。また②の補       注によると、鈴木重三氏は曲亭馬琴の文化六年刊の合巻『山中鹿介稚語』の中編挿絵が美丸作画の早い例とする       由である〉    『昔形福寿盃』  「北川美丸画(◯に美)印」式亭三馬作 西宮新板 ②    『腕雕弌心命』  「国満画」表紙「美丸画」 式亭三馬作 鶴金板  ②    『元結濫觴』   「北川美丸画」東里山人作 岩戸板 ①    ☆ 文化八年(1811)    ◯「合巻年表」(文化八年刊)    北川美丸画    『新居焔魔附紐由来』「北川美丸画」十返舎一九作 大坂屋板 ⑤    『頓秀胡蝶笄』   「美丸画」表紙 「北川美丸画」 竹塚東子作 西与板 ①    『尾笑草』      北川美丸画  竹塚東子作 板元未詳 ①〈書誌による〉    『腹之内戯作種本』 「小川よし丸画」式亭三馬作 鶴喜板  ①    『堪忍五郎稚講釈』  小川美丸画  式亭三馬作 鶴金板  ①(静岡大本は「小川美丸画」と記す)    『茶釜前扚子物語』 「美丸画」見返し「小がわ美丸画」竹塚東子作 西宮新板 ①    ☆ 文化九年(1812)    ◯「合巻年表」(文化九年刊)    喜多川美麿画    『諺草籠中鳥』喜多川美麿画 関亭伝笑作 板元未詳 ①〈書誌による〉    北川美丸画    『鳥籠山鸚鵡助劔』「小川美丸画」曲亭馬琴作 鶴喜板 ①    『孝行雀心之竹馬』「北川美丸画」山東京山作 鶴喜板 ①     〈鶴喜板の文化九年新版目録には「『孝行雀心竹馬』全六冊 小川美丸画 山東京山作」とあり〉    『妹背山後雛鳥』 「北川美丸画」山東京山作 森治板 ①    『雷神丸剣電』  「浮世絵師小川美丸画」春亭三暁作 鶴金板 ②     〈補注、作者三暁は「『江戸方角分』によると、言助町住の斎藤新孝と伝えられる。それ以外の伝未詳で、文政三年      中の没と推定される。浮世絵師歌川国直の兄」とある〉    『大通人狐幸』  「北川美丸画」表紙・見返「小川美丸画」十返舎一九作 山口板 ①    『暠魍魎(ヒダカノカゲホシ)』「小川美丸画」東里山人作 岩戸板 ①  ☆ 文化十年(1813)(小川美丸から歌川美丸に改名)  ☆ 文化十一年(1814)    ◯「合巻年表」(文化十一年刊)    北川美丸画『今昔宿直物語』北川美丸等画 東里山人等作 ①    (注記:文化九年版『清姫太郎暠魍魎』同十一年版『六合雑劇楽屋雀』『御無事忠臣蔵』の再刷合冊改題本)    〈〔早稲田〕は『暠魍魎』の画工を「美丸画」とし「日本古典籍総合目録」は小川美丸画とする〉    ☆ 文化十三年(1816)    ◯「咄本年表」(文化十三年刊)    北川美丸画    『福ねずみ』北川美丸画 十返舎一九作〔目録DB〕    『噺の突出』十返舎一九作〔小咄〕〈解題、享和四年刊『腰巾着』の板木使用とする〉  ☆ 文政元年(文化十五年・1818)     ◯「合巻年表」(文政元年刊)    北川美丸画『金草鞋』十編「北川よしまる」十返舎一九作 森治板 ⑤    ☆ 文政四年(1821)    ◯「合巻年表」(文政四年刊)    歌川美丸画    『清水寺利生仇討』 歌川美丸画 解亭眉山作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『茶漬腹名寄評判』「美丸画」  萩庵荻声作 岩戸板  ①    『床飾錦額無垢』 「歌川美丸画」柳亭種彦・萍亭柳菊合作 鶴金板 ⑤④    『開巻未来記』  「歌川美丸画」東里山人作 岩戸板  ①    『継父之仇討』   美丸画   解亭眉山作 板元未詳 ①〈書誌による〉    北尾重政画(二世)    『恋衣仙女薫』北尾重政画 恋川春町二世作 板元未詳(注:日本小説年表による)    〈①の書誌は北尾重政画とするが未確認〉    ☆ 没後資料    ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   (名前のみ、記事なし)   〝東都    春川秀蝶・田中益信・泉守一・山本義信・古川三蝶・歌舞妓堂・【別人】勝川春章・勝川春常    勝川春山・勝川春扇・葛飾一扇・如蓮北昆・卍亭北鵞    東都    歌川国長・歌川国政・歌川国久・歌川国安・歌川国直・歌川秀丸・歌川月丸・北川菊丸、北川美丸    細田栄理・細田栄昌・細田栄亀〟  ◯『古代浮世絵買入必携』p15(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝喜多川美丸    本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名 初代歌麿 年代 凡七八十年前    女絵髪の結ひ方  第十図・第十一図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    絵の種類 並判、中判、細絵、肉筆    備考〔空欄〕〟    ◯「集古会」第五十五回 明治三十八年(1905)十一月 於青柳亭(『集古会誌』丙午巻之一 明治39年1月)   〝村田幸吉(出品者)山王祭礼日本橋大阪町・堺町練物図 二巻     右は北川美丸の肉裏(ママ) 其練物は御伽話によりたり〟  ◯『浮世絵』第弐拾四(24)号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正六年(1917)五月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「美丸の改称に就て」雨石斎主人(9/24コマ)   〝美丸(よしまる)は一に美麿(よしまろ)といひ、北尾政美に門人にして、又喜多川月麿にも学ぶと伝へら    れて居る、而して重政の没後其の名を襲つて二代重政と改めたのである、美丸の作品としては草双紙の    挿絵が最も多く、文化四五年から天保十一二年頃まで、凡そ三十四五年間に於て、百種近くの書物に挿    絵して居る、其等の中の二三に就いて考へて見ると、彼は最初北川美丸(よしまる)〔文化六年浮世風呂〕    といひ、尋(つい)で小川〔文化七年正月 昔語兵庫之築島〕と改め、其の後更に歌川〔文化十一年正月    庚申待女房献立〕と称し、最後に北尾〔文政五年 金草鞋〕と改め、終に二代重政となつたのである。    又別に華蘭斎の号があつた。それから、前記の文化七年正月発兌『昔語兵庫之築島』には「口上、去年    より御め見えの画工よし丸 当春北川の姓を改めこれより小川となのります云々」とし、尚ほ「北川姓    改十八歳 小川美丸画」としてある〟    〈二代重政襲名は文政十年〉  ◯『狂歌人名辞書』p245(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝北川美麿、華蘭斎、又、紅翠斎と号す、江戸の人、月麿門人、文政十年二世・重政と号す、北尾氏と改    む、歿年未詳〟    ◯「日本古典籍総合目録」(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)   (北川美丸名の作品)    作品数:22点     分 類:合巻17・咄本4・滑稽本1    成立年:文化5~11・13年(19点)文政4・8年(2点)   (喜多川美麿名の作品)    作品数:2点      分 類:合巻1・滑稽本1    成立年:文化9年(1点)文政5年(1点)   (北川美麿名の作品)    作品数:2点      分 類:合巻1・滑稽本1    成立年:記載なし