Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ つきまる(ろ)? きたがわ 喜多川 月麿(墨亭)浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
(喜多川菊麿〈きくまる〉参照)
 ※①〔目録DB〕〔国書DB〕:「日本古典籍総合目録データベース」「国書データベース」〔国文学研究資料館〕   ②〔早稲田〕   :『早稲田大学所蔵合巻集覧稿』〔『近世文芸研究と評論』三五~七〇号に所収〕   ③〔早大集覧〕  :『【早稲田大学所蔵】合巻集覧』〔日本書誌学大系101・棚橋正博編集代表〕   ④〔早大〕    :「古典籍総合データベース」早稲田大学図書館   ⑤〔東大〕    :『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔日本書誌学体系67・近世文学読書会編〕   ⑥〔書目年表〕  :『【改訂】日本小説書目年表』    〔中本型読本〕 :「中本型読本書目年表稿」    〔日文研・艶本〕:「艶本資料データベース」 〔白倉〕:『絵入春画艶本目録』    『黄表紙總覧』(棚橋正博著・日本書誌学系48)     角書は省略。①~⑥は「合巻年表」の出典。◎は表示不能文字  参考 下掲の『柳亭種彦日記』文化七年記事 種彦は「月まろ」と記す  ☆ 享和元年(寛政十三年・1801)    ◯「咄本年表」〔目録DB〕(寛政十三年刊)    喜多川月麿画『笑嘉登』喜多川月麿画 立川銀馬作    ☆ 享和二年(1802)    ◯『浮世絵師伝』p122(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝初め画名を菊麿といひ、享和二年より喜久麿と更へ(云々)〟    ◯「艶本年表」(白倉〕(享和二年刊)    喜多川月麿画『艶本婦美車』墨摺 半紙本 三冊 好亭主人(式亭三馬)作 享和二年頃     ☆ 享和三年(1803)    ◯「艶本年表」(享和三年刊)    喜多川月麿画    『会本執心久楽』墨摺 半紙本 三冊 小陰茎かり人作 喜多川月麿(喜久麿)画 享和三年〔白倉〕    『新曲糸の乱』一帖 菊麿画〔目録DB〕(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    ☆ 享和四年(文化元年・1804)  ◯「読売新聞」(明治21年5月31日付)   〝美術展覧会私評(第廿五回古物 若井兼三郞出品)     哥麿門人月麿の美人は落款に     「文化元甲子春三月未□喜多川一流倭画司筆        喜久麿改  正名 月麿図□□」      とありて讃は 世の中にたえて美人のなかりせばをとこ心のゝどけからまし     種彦戯題(けだい)とあり〟    〈下掲、文化元年の改名記事はこの若井兼三郞出品の美人画の落款に拠る〉    ◯『浮世絵師伝』p122(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝初め画名を菊麿といひ、享和二年より喜久麿と更へ、文化元年の春より月麿と改む、其の証として、肉    筆美人画の款識に「文化元年子春三月、喜多川一流倭画司筆、喜久麿改正名月麿図」とあるを『浮世絵    師伝』に挙げたり(云々)〟    ◯『稗史提要』p401(比志島文軒(漣水散人)編・天保年間成稿)   ◇黄表紙(享和四年刊)    作者の部 京伝 楚満人 石上 馬琴 一九 東子 赤城山家女 待名斎今也    画工の部 重政 豊国 春亭 豊広 長喜 月麿 北岱    ◯『筆禍史』「絵本太閤記及絵草紙」(文化元年・1804)p100(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝是亦同上の理由にて絶版を命ぜられ、且つ著画者も刑罰を受けたり『法制論簒』に曰く     文化の始、太閤記の絶版及び浮世絵師の入獄事件ありき、是より先、宝永年間に近藤清春といふ浮世     絵師、太閤記の所々へ挿絵して開板したるを始にて、寛政の頃難波に法橋玉山といふ画工あり、是も     太閤記の巻々を画き      〔署名〕「法橋玉山画図」〔印刻〕「岡田尚友」(白文方印)「子徳(一字未詳)」(白文方印)     絵本太閤記と題して、一編十二巻づゝを発兌し、重ねて七篇に及ぶ、此書普く海内に流布して、遂に     は院本にも作為するものあり、又江戸にては享和三年嘘空山人著の太々太閤記、十返舎一九作の化物     太閤記など、太閤記と名づくる書多く出来て、後には又勝川春亭、勝川春英、歌川豊国、喜多川歌麿、     喜多川月麿などいふ浮世絵師まで、彼の太閤記の挿画を選び、謂はゆる三枚続きの錦絵に製せしかば、     犬うつ小童にいたるまで、太閤記中の人物を評すること、遠き源平武者の如くなりき、斯くては終に     徳川家の祖および創業の功臣等にも、彼れ是れ批判の波及すらん事を慮り、文化元年五月彼の絵本太     閤記はもとより、草双紙武者絵の類すべて絶版を命ぜられき、当時武者絵の状体を聞くに、二枚続三     枚続は事にもあらず、七枚続などまで昇り、頗る精巧を極めたりとぞ、剰へ喜多川歌麿武者絵の中に、     婦女の艶なる容姿を画き加ふる事を刱め、漸く風俗をも紊すべき虞あるに至れり、例へば太閤の側に     石田三成児髷の美少年にて侍るを、太閤その手を執る、長柄の銚子盃をもてる侍女顔に袖を蔽ひたる     図、或は加藤清正甲冑して、酒宴を催せる側に、挑戦の妓婦蛇皮線を弾する図など也、かゝれば板元     絵師等それ/\糾問の上錦絵は残らず没収、画工歌麿は三日入牢の上手鎖、その外の錦絵かきたるも     の悉く手鎖、板元は十五貫つゝの過料にて此の一件事すみたり云々    又『浮世絵画人伝』には左の如く記せり     喜多川歌麿と同時に、豊国、春亭、春英、月麿及び一九等も吟味を受けて、各五十日の手鎖、版元は     版物没収の上、過料十五貫文宛申付られたり     豊国等の描きしは、太閤記中賤ヶ嶽七本槍の図にして、一九は化物太平記といふをものし、自画を加     へて出版せしによるなり〟    ◯『伊波伝毛乃記』〔新燕石〕⑥130(無名子(曲亭馬琴)著・文政二年十二月十五日脱稿)   〝文化二年乙丑の春より、絵本太閤記の人物を錦絵にあらはして、是に雑るに遊女を以し、或は草冊子に    作り設けしかば、画師喜多川歌麿は御吟味中入牢、其他の画工歌川豊国事熊右衛門、勝川春英、喜多川    月麿、勝川春亭、草冊子作者一九等数輩は、手鎖五十日にして御免あり、歌麿も出牢せしが、こは其明    年歿したり、至秋一件落着の後、大坂なる絵本太閤記も絶板仰付られたり〟    〈文化二年とあるが、文化元年の誤り。読本『絵本太閤記』は、武内確斎作・岡田玉山画で、寛政九年から享和二年に     かけて出版された〉    ☆ 文化二年(1805)    ◯『稗史提要』p403(比志島文軒(漣水散人)編・天保年間成稿)   ◇黄表紙(文化二年刊)    作者の部 京伝 楚満人 石上 馬琴 三馬 一九 素速斎 東紫 新好 鬼武 萩声 赤城山人          面徳斎夫成    画工の部 重政 豊国 豊広 月麿 石上    ◯『黄表紙總覧』後編   ◇黄表紙(文化二年刊)※角書は省略。〔 〕は著者未見、或いは他書によるもの、または疑問のあるもの    喜多川月麿    『滑稽しつこなし』「改名月麿筆」   十返舎一九作 山口屋    『花紅葉二人鮟鱇』「月麿筆」         内新好作   岩戸屋板    〔復讐阿部花街〕 「月麿筆」         十返舎一九作 村田屋板    『鳳凰染五三桐』 「画名喜多川月麿(菊)(麿)印」 十返舎一九作 丸屋文右衛門板    『操染心雛形』  「画名喜多川月麿(菊)(麿)印」 十返舎一九作 丸屋文右衛門板    『朧月安西堤』  「月麿筆」         十返舎一九作 村田屋板    『奉打札所誓』  「改名月麿筆」       曲亭馬琴作  蔦屋板     〈絵題簽には「絵師喜多川月麿」とある由〉  ◯「国書データベース」(文化二年)   ◇黄表紙    喜多川月麿画『恋仇被形容』喜多川月麿画 十返舎一九作 村田板    ◯「読本年表」(文化二年刊)    喜多川月麿画    『復讐玄話浪花烏梅』月麿画 十返舎一九作〔中本型読本〕〈本書の改題改刻本『浪花烏梅侠夫湊花』〉    『浪花烏梅』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『俠夫湊花』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕〈『浪花烏梅』の改題本〉  ☆ 文化三年(1806)    ◯「艶本年表」〔白倉〕(文化三年刊)    喜多川月麿画?『笑本宇意冠』大錦 十二枚組物 三丁亭序 文化三年    (白倉注「歌麿の『小町引』より序図と変わり図の二図、それに春潮の『好色図会十二候』の三~十二月の十図とを組み合     せた、題簽、序文とも全く同一な別本があるので注意を要する」)  ☆ 文化四年(1807)    ◯「合巻年表」(文化四年刊)    喜多川月麿画『面皮千枚張』月麿画 十返舎一九作 山口屋板 ⑤    ◯「読本年表」〔中本型読本〕(文化四年刊)    喜多川月麿画『敵討孝烈伝』喜多川月麿画 手塚兎月作    ☆ 文化五年(1808)    ◯「合巻年表」(文化五年刊)     喜多川月麿画    『時鳥相宿噺』絵題簽「月麿画」国貞画 千歳松武作 山口屋板 ⑥    『奥州瓶割坂』「喜多川月麿画」十返舎一九作    近江屋板 ①    ◯「咄本年表」〔目録DB〕(文化五年刊)    喜多川月麿画『塵取談』喜多川月麿画 千歳亭松武作    ☆ 文化六年(1809)    ◯「合巻年表」(文化六年刊)    喜多川月麿画    『鄙舎者富田無礼話』「月麿筆」東里山人(亀山人)作 岩戸屋板 ①    『紅染団七時雨反讎』「喜多川月麿画」十返舎一九作 板元未詳 ①    『漢土串戯狂言起原』「喜多川月麿画」十返舎一九作 山口屋板 ①    『加古川本蔵建立』 「喜多川月麿画」十返舎一九作 岩戸屋板 ①    『復讐じんかうき』 「喜多川月麿画」十返舎一九作 村田屋板 ①    『竜宮怪鰶後平治』 「喜多川月麿画」談洲楼焉馬作 山口屋板 ①    『復讐十三鐘由来』 「月麿筆」「月麿門人式麿筆」感和亭鬼武作 浜松屋板 ①    『串戯狂言一夜附』 「月麿筆」   十返舎一九作 岩戸屋板 ①    『道成寺現在鱗』   喜多川月麿画 談洲楼焉馬作 山口屋板(注:日本小説年表による)①    『御嶽山誓仇討』  「喜多川月麿画」十返舎一九作 山口屋板 ⑤    『敵討磐手杜』   「喜多川月麿画」十返舎一九作 岩戸屋板 ①    『草庵茶漬飯』   「喜多川月麿画」十返舎一九作 山口屋板 ①    『寿子宝草紙』   「喜多川月麿筆」千歳亭松武作 山口屋板 ①    『上州絹』     「喜多川月麿画」十返舎一九作 丸文板  ①  ◯『復讐十三鐘由来』喜多川月麿画 感和亭鬼武作 浜松屋幸助板〔国書DB〕   (鬼武口上)   〝とびらにて一寸御ひろう申まするは 喜多川月麿義 厺年中相休候ゆへ 近頃の合巻はいづれも結構な    る中へ返り新参にてしたゝめまするは 流行におくれはいたすまいかと辞退の処を むりに引出し相頼    したゝめさせ候まゝ 此草紙御一らんのお子さま方 何卒よろしき御評判のほど偏にねがひ奉り升〟    〈厺年は去年。どのような事情があって休筆したものか分からないが、文化3-5年の作品数はその前後年に較べると確     かに少ない〉  ☆ 文化七年(1810)    ◯「合巻年表」(文化七年刊)    喜多川月麿画〔早稲田〕    『伊賀道中待合噺』喜多川月麿画 十返舎一九作 森治板 ①    『千穀通稚智恵鏡』喜多川月麿画 千松亭松武作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『早替工夫仇討』「月麿画」表紙「墨亭月麿画」硯亭墨山作 近江屋板 ②     〈補注に「都合四種の墨山合巻は全て月麿画であれば、硯亭墨山は月麿の一時の仮号で、本作は月麿の自画作であっ      た可能性は高かろう」とある〉    『敵討越後獅子』 喜多川月麿画 柴舟庵一双作 榎本屋 (注:日本小説年表による)①    『復讎化粧水』  喜多川月麿画 千載亭松武作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『曲輪育操松』  喜多川月麿画 十返舎一九作 近江屋板(注:日本小説年表による)①    『御覧恋曲者』  喜多川月麿画 初音楼一炷作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『千羽烏蹊曙』 「喜多川月麿画」絵題簽「墨亭月麿画」硯亭墨山作 森治板 ①    『目附絵』   「墨亭月麿画」硯亭墨山作 森治板 ①    ◯「日本古典籍総合目録」(文化七年刊)   ◇滑稽本    喜多川月麿画『於都里伎』一冊 喜多川月麿画 十返舎一九作    ◯『柳亭種彦日記』文化七年(1810)    ◇正月廿一日 p139   〝談州楼咄し初メ、北嵩子と同道、三馬子京伝子京山子豊国月まろ、夢楽談笑子等にあふ、玉豕子来〟    〈談洲楼焉馬の咄会。賑やかな顔ぶれである。蘭斎北嵩、式亭三馬、山東京伝・京山兄弟、初代歌川豊国、月まろは喜     多川月麿か、落語家は初代夢楽、初代立川談笑、漢学者柏菴玉豕〉     ◇正月廿八日 p140   〝今日ハ月まろの会なれど雨ゆへゆかず、浅草東岳寺無尽、かれこれ一日休〟    〈「豊国月まろ」と並称しているから、この「月まろ」は浮世絵師の喜多川月麿と考えてよい。現在、喜多川月麿を     「つきまる」と呼んでいるが、「つきまろ」でよいのではないだろうか〉    ☆ 文化八年(1811)    ◯「合巻年表」(文化八年刊)    喜多川月麿画    『初昔濃茶口切』「墨亭月麿画」不乾斎雨声作 感和亭鬼武校合 山田屋板 ①             見返し「一亭式麿画」    『駿州霊蛇唐衣』 喜多川月麿画 柴舟庵一双作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『人武士弓引方』 喜多川月麿画 初音楼一炷作 板元未詳 ①    『忠臣一代八卦』「墨亭月麿調画」十返舎一九作 山口屋  ①    『身延山誓仇討』「月麿画」   柴舟庵一雙著 鶴金板  ⑤    『戻駕忠義操』  喜多川月麿画 一亭五蘭作  板元未詳 ①    『坊太郎物語』 「月麿画」硯亭墨山作 森治板 ①    『仇討稚孝談』 「月麿画」硯亭墨山作 森治板 ②     〈補注は月麿・墨山同人説に疑問を呈し、別人ではないかとする。また「月麿は一時期田舎へ籠もっていたらしく、      その旨を記した口上が文化六年刊の一九作『串戯狂言一夜附』にある」とのこと〉    ◯「絵入狂歌本年表」〔目録DB〕   ◇狂歌(文化八年刊)    『江戸紫贔負鉢巻』一冊 鳥居清長・勝川春亭・歌川豊国画 烏亭焉馬編     喜多川月麿詠「むさし野や高麗芝に江戸桜 喜多川月麿」〈狂歌のみ。作画はせず〉    ◯「国書データベース」画像(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文化八年刊)    喜多川月麿画『六あみだ詣』初編 喜多川月麿画 十返舎一九作 鶴屋金助板     一九序「文化辛のとし未の初春」奥付「文化七辛未孟春」〈文化七年は庚午〉    ☆ 文化九年(1812)    ◯「合巻年表」(文化九年刊)    喜多川月麿画    『縁は異な物/味な物好』「喜多川月麿画」十返舎一九作 山口屋板 ①    『由良湊長者入船』    喜多川月麿画 不乾斎雨盛作 板元未詳 ①    『文福茶家満』     「喜多川月麿画」不乾斎雨声作 山口屋板 ⑤                (見返し)「喜多川月麻呂画」    ◯『街談文々集要』p262(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (「文化九年」記事「三紅梓琴始」)     (市川団之助(三紅)所蔵、六絃琴「梓琴」の図、その落款に「喜多川月麿写」とあり)    〈六絃琴は和琴(ワゴン)との呼ばれる日本古来の楽器。月麿の写生を石塚豊芥子がさらに写したものか〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯「合巻年表」(文化十年刊)    喜多川月麿画    『玉がしわふたり男』喜多川月麿画 十返舎一九作 山口屋板 ①〈板元は文化十年新刊目録による〉    『奴五斗米名誉滝水』喜多川月麿画 五返舎半九作 山口屋板(注:日本小説年表による)     〈板元は文化十年新刊目録による〉    『昔譚宮城野信夫』 喜多川月麿画 不乾斎雨声作 板元未詳(注:日本小説年表による)①    『伊勢音頭恋手踊』「墨亭月麿画」 十返舎一九作 山口屋板 ④〈板元は文化十年新刊目録による〉    『石動丸高野紅葉』「月麿画」   不乾斎雨声作 森治板  ②    『伊勢おんど』  「墨亭月麻呂画」十返舎一九作 山口屋板 ②    『洪福水揚帳』  「月麿画」   十返舎一九作 山口屋板 ②    『金草鞋』初編  「墨亭月麿画」 十返舎一九作 森治板  ⑤         三・四編「墨亭月麿画」 十返舎一九作 森治板  ⑤         五編  「月麿画」   十返舎一九作 森治板  ⑤    ◯『噺本大系』巻十五「所収書目解題」(武藤禎夫編・昭和五四刊)   ◇咄本(文化十年刊)    喜多川月麿画『笑嘉登』署名「月麿画」立川銀馬作 西村屋板 表紙「喜多川月麿画図」    ◯「艶本年表」〔日文研・艶本〕   ◇艶本(文化十年刊)    喜多川月麿画『笑本柳巷拾開花』色摺 半紙本 三冊 序「文化十癸酉とし」    ◯『馬琴書翰集成』⑥323「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
   「文化十年刊作者画工番付断片」    〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと。この当時、墨亭月麿と称していた     ようだ。前頭の格付けである〉    ☆ 文化十一年(1814)    ◯「合巻年表」   ◇合巻(文化十一年刊)    喜多川月麿画    『合鏡二つ巴』「墨亭月麿画」表紙「春亭画」十返舎一九作 山口屋板 ①    『於臍福茶番』「喜多川月麿画」十返舎一九作 西与板 ①    『洪福水揚帳』「月麿画」十返舎一九著 山口屋板 ①    『金草鞋』五編「月麿画」十返舎一九作 森治板  ⑤〈木曽街道編〉    ☆ 文化十二年(1815)    ◯「合巻年表」(文化十二年刊)    喜多川月麿画『敲打先程御笑艸』「墨亭月麿画」十返舎一九作 山口板 ①    ☆ 文化十四年(1817)    ◯「合巻年表」(文化十四年刊)    喜多川月麿画    『鼠盤十二子金銀』喜多川月麿画 五返舎半九作 春治板(注:日本小説年表による)①    『桃太郎宝撰取』 喜多川月麿画 五返舎半九作 森治板(注:日本小説年表による)①    『化物大福餅』  喜多川月麿画 五返舎半九作 森治板(注:日本小説年表による)     〈以上の板元は文化十四年新刊目録による〉    ☆ 文化年間(1804~1818)    ◯『増訂武江年表』2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文化年間記事」)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸。     筠庭云ふ(中略)月麿は喜多川哥麿の弟子なり〟    ☆ 文化十五年(文政元年・1818)    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   「神田 浮世画」〝月麿 喜多川 号墨亭(住所・姓名空欄)〟    〈神田住の月麿と下記の小伝馬町の月麿と「方角分」は分けているが、別人なのであろうか〉     「伝馬町 浮世画」〝月麿(空欄)小伝馬町弐丁目(姓名空欄)〟    〈渓斎英泉の『無名翁随筆』の喜多川月麿記事に「馬喰町ニ住ス」とあり、また井上和雄の『浮世絵師伝』には「初め     馬喰町に住し、文化年間小伝馬町三丁目厩新道に移り」とあるから、二丁目と三丁目の違いは気になるが、この月麿     は喜多川月麿と同人と思われる〉    ☆ 文政二年(1819)    ◯「合巻年表」(文政二年刊)    喜多川月麿画『金草鞋』十二編「観雪斎月麿画」表紙「歌川豊国画」十返舎一九作 森治板 ⑤    ☆ 文政四年(1821)    ◯「合巻年表」〔東大〕(文政四年刊)    喜多川月麿画    『金草鞋』十四編(画)喜多川月麿・表紙国貞(著)十返舎一九 森屋治兵衛板             巻末「観雪斎月麿」             〈表紙国丸画の後摺本あり〉    ☆ 文政初年(1818~)    ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元年~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)   〝三馬按、歌麿門人菊麿、今月麿ト改ム。式麿、秀麿等アリ。二代目歌麿、初号春町、別記ニ伝アリ〟    ☆ 文政三年(1820)    ◯「絵暦年表」(本HP・Top)(文政三年)   ①「墨亭月麿画」(煙管と煙管入れ・印籠型煙草入れ)15/68    「署名なし」狂歌賛〈キセル入れとタバコ入れに大小の月〉  ☆ 文政四年(1821)辛巳    ◯「合巻年表」(文政四年刊)    喜多川月麿画(1点)    『金草鞋』十四編「喜多川月麿画」表紙 国貞画 十返舎一九作 森治板 ⑤             巻末「観雪斎月麿」〈表紙国丸画の後摺本あり〉  ☆ 文政七年(1824)    ◯『江戸買物独案内』巻一(中川芳山堂撰)   〝(歯磨き楊枝問屋・瓢箪屋の「団十郎歯磨」挿絵の署名)墨亭月麿図〟  ☆ 天保元年(1830)    ◯「浄瑠璃年表」〔義太夫年表〕(天保元年刊)   ◇義太夫番付    月麿画「本朝二十四孝」署名「月麿筆」芝神明社内興行     〈この月麿が喜多川月麿かどうか分からない〉     ☆ 刊年未詳    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕(刊年未詳)   「新板身延山参詣双六」「北川月麿画」こく屋紋右衛門 ② 甲府版    ◯「艶本年表」〔日文研・艶本〕(刊年未詳)    喜多川月麿風『初夢』彩色 中判 十二枚    ☆ 没後資料(下記の作画期と文化文政する諸書を参考に以下を没後資料とした)    ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③303(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「喜多川歌麿」の項、画系図、歌麿門人)   “菊麿【寛政ヨリ、文化文政ノ人、後月麿ト改ム、一流ヲ書キ、板下絵多シ、草双紙アリ、馬喰町ニ住ス、    後年浮世絵ヲ書、名ヲ改ム】”  ☆ 明治十四年(1881)  ◯『第二回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治14年刊)   (第二回 観古美術会 5月1日~6月30日 浅草海禅寺)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十四年五月序)   〝月麿 娼芸妓画 三幅(出品者)高橋光正〟〈喜多川月麿か〉  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『明治廿一年美術展覧会出品目録』1-5号(松井忠兵衛・志村政則編 明治21年4~6月刊)   (日本美術協会美術展覧会 4月10日~5月31日 上野公園列品館)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   「古製品 第一~四号」   〝喜多川月麿 遊女 賛種彦 一幅(出品者)若井兼三郎〟  ◯「読売新聞」(明治21年5月31日付)   〝美術展覧会私評(第廿五回古物品)     哥麿門人月麿の美人は落款に      文化元甲子春三月未□喜多川一流倭画司筆        喜久麿改  正名 月麿図□□      とありて讃は 世の中にたえて美人のなかりせばをとこ心のゝどけからまし〟  ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『古代浮世絵買入必携』p16(酒井松之助編・明治二十六年刊)   〝喜多川月麿    本名〔空欄〕  号〔空欄〕  師匠の名〔空欄〕  年代〔空欄〕    女絵髪の結ひ方〔空欄〕    絵の種類〔空欄〕    備考 菊麿の改名〟    ◯『浮世絵師便覧』p218(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年刊)   〝月麿(ルビなし)北川菊麿の前名〟  ☆ 明治三十一年(1898)  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(50/103コマ)   〝北川月麿【寛政元年~十二年 1789-1800】    初名菊麿、通称六三郎、一に千助、名は潤、字は士達、墨亭、また観雲斎と号す、喜多川歌麿の門弟に    て、草双紙の挿絵を画けり、はじめ馬喰町に住みしが、文化の頃、小伝馬町厩新道に移りて家守となり    ぬ、晩年に名を観雪と改め、浮世絵を画かず、柳島の妙見宮に鯉魚の額を納めしとぞ〟  ☆ 明治三十二年(1899)    ◯『浮世画人伝』p69(関根黙庵著・明治三十二年刊)
   「喜多川歌麿系譜」   〝菊麿 歌麿門人、俗称小川六三郎、後ニ月麿ト改、文化文政ノ頃 小伝馬町ニ住テ、専ラ板下ヲ画キ、    後ニ浮世絵ヲ廃シテ観雪ト更ム〟  ☆ 大正年間(1912~1925)  ◯「集古会」第百三十二回 大正十年(1921)三月(『集古』辛酉第三号 大正10年4月刊)   〝永田有翠(出品者)月麿画 傾城智恵鑑 雲楽山人作 天明三年 燕十序 歌麿跋〟    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p134(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝喜多川月麿、初号菊麿、通称六三郎、後ち千助、名は潤、字は士達、後に観雪と号す、歌麿門人にして    墨川亭雪麿の師、文化文政頃の人〟    ◯「日本小説作家人名辞書」p740(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝硯亭墨山    伝未詳、或は喜多川月麿の別号か。「早替工夫仇討」(文化七年刊)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『早替工夫仇討』合巻・硯亭墨山作・喜多川月麿画・文化七年刊〉    ◯『浮世絵師伝』p122(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝月麿    【生】  【歿】  【画系】歌麿門人  【作画期】寛政~文化    喜多川を称す、小川氏、名は潤、字は子達(或は士達)、俗称千助(一に六三郎)、墨亭・観雪斎・遒    斎等の号あり、初め画名を菊麿といひ、享和二年より喜久麿と更へ、文化元年の春より月麿と改む、其    の証として、肉筆美人画の款識に「文化元年子春三月、喜多川一流倭画司筆、喜久麿改正名月麿図」と    あるを『浮世絵師伝』に挙げたり。初め馬喰町に住し、文化年間小伝馬町三丁目厩新道に移り家守を勤    む、晩年浮世絵を画かず号を観雪と改む〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化元年(二月十九日改元)甲子」(1804)p171   〝五月、江戸の浮世絵師勝川春英・同春亭・歌川豊国・喜多川歌麿・同月麿等作画により手鎖五十日の刑    に処せらる〟   ◇「文化二年 乙丑」(1805)p173   〝此年、喜久麿、月麿と改む〟    〈文化元年の記事に既に月麿の名が出ている。文化二年の月麿改名記事との関係はどうなのであろうか〉    ◯「集古会」第二百五回 昭和十一年(1936)三月(『集古』丙子第三号 昭和11年5月刊)   〝三村清三郞(出品者)月麿画『六阿弥陀詣』一冊 十返舎一九著 鶴屋金助 文化七年〈〔国書DB〕は文化8年刊〉  △『増訂浮世絵』p162(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝月麿    歌麿の門人に月麿があり、版画に遊女の半身を写した丸海老屋内会見、幸栄の絵がある。なほまた焦墨    と淡墨とで、竹に虎、芦雁、惺々などを画き、また盲者の喧嘩や、三美人酩酊、蛍がい、相州江島巌屋    図三枚続などある。    この人はもと菊麿又は喜久麿といひ、後に月麿と改めたのである。名は潤、字は士達、墨亭又は観雪斎    と号した。通称は六三郎といふ。享和の初から、文政頃まで、専ら草双紙の挿絵を作つて居る。喜久麿    から月麿にかはつたのは、文化元年である。美人画の落款に、文化元甲子春三月末喜多川一流倭画司筆    喜久麿改妙正名月麿図とあるのを以て証とすることができる。    然しなほこの後も喜久麿の名を用ひたものらしく、六曲屏風壱双に十二ヶ月の美人を画きたるものがあ    る。この画の落款には、文化三丙寅春正月応需四季十二紙画喜多川喜久麿図と書し、菊麿之印の四字の    印を捺してゐる。故に月麿改名後にも喜久麿といふたとみえる。この十二ヶ月の図は小松引、初午、観    桜、郭公、菖蒲節句、蛍籠、盆踊、遊女、菊、恵比寿講、七五三祝、まゆだま等を写して、よく構図を    まとめてゐる。この屏風には正銘喜久麿筆と署名したる部分があり、また墨亭喜久麿と書したものもあ    る〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:74(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:菊麿・喜多川菊麿・喜多川月麿・喜多川喜久麿・墨亭月麿    分 類:合巻49・黄表紙13・滑稽本4・読本3・咄本2・教訓1・艶本1    成 立:享和1~3、文化1~11・14、天保13     (月麿名の作品)    作品数:67    画号他:月麿・喜多川月麿・墨亭月麿    分 類:合巻49・黄表紙8・読本3・滑稽本3・咄本2・教訓1    成立年:享和1年(1点)文化2~11・14年(62点)天保13年(1点)   (菊麿名の作品)    作品数:2    画号他:菊麿・喜多川菊麿    分 類:黄表紙1・艶本1    成立年:享和2~3年(2点)   (喜久麿名の作品)    作品数:5    画号他:喜多川喜久麿    分 類:黄表紙4・滑稽本1    成立年:享和2~4年(3点)文化1年(2点)