Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ つきまる? きたがわ 喜多川 月麿浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
(喜多川菊麿〈きくまる〉参照)
 ☆ 享和元年(寛政十三年・1801)    ◯「咄本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇咄本(寛政十三年刊)    喜多川月麿画『笑嘉登』喜多川月麿画 立川銀馬作〔目録DB〕    ☆ 享和二年(1802)    ◯『浮世絵師伝』p122(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝初め画名を菊麿といひ、享和二年より喜久麿と更へ(云々)〟     ☆ 享和三年(1803)    ◯「艶本年表」(〔国文研・艶本〕は「艶本資料データベース」〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇艶本(享和三年刊)    喜多川月麿画『新曲糸の乱』一帖 菊麿画〔目録DB〕(注記「日本艶本目録(未定稿)による」)    ☆ 享和四年(文化元年・1804)    ◯『浮世絵師伝』p122(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝初め画名を菊麿といひ、享和二年より喜久麿と更へ、文化元年の春より月麿と改む、其の証として、肉    筆美人画の款識に「文化元年子春三月、喜多川一流倭画司筆、喜久麿改正名月麿図」とあるを『浮世絵    師伝』に挙げたり(云々)〟    ◯『稗史提要』p401(比志島文軒(漣水散人)編・天保年間成稿)   ◇黄表紙(享和四年刊)    作者の部 京伝 楚満人 石上 馬琴 一九 東子 赤城山家女 待名斎今也    画工の部 重政 豊国 春亭 豊広 長喜 月麿 北岱    ◯『筆禍史』「絵本太閤記及絵草紙」(文化元年・1804)p100(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝是亦同上の理由にて絶版を命ぜられ、且つ著画者も刑罰を受けたり『法制論簒』に曰く     文化の始、太閤記の絶版及び浮世絵師の入獄事件ありき、是より先、宝永年間に近藤清春といふ浮世     絵師、太閤記の所々へ挿絵して開板したるを始にて、寛政の頃難波に法橋玉山といふ画工あり、是も     太閤記の巻々を画き      〔署名〕「法橋玉山画図」〔印刻〕「岡田尚友」(白文方印)「子徳(一字未詳)」(白文方印)     絵本太閤記と題して、一編十二巻づゝを発兌し、重ねて七篇に及ぶ、此書普く海内に流布して、遂に     は院本にも作為するものあり、又江戸にては享和三年嘘空山人著の太々太閤記、十返舎一九作の化物     太閤記など、太閤記と名づくる書多く出来て、後には又勝川春亭、勝川春英、歌川豊国、喜多川歌麿、     喜多川月麿などいふ浮世絵師まで、彼の太閤記の挿画を選び、謂はゆる三枚続きの錦絵に製せしかば、     犬うつ小童にいたるまで、太閤記中の人物を評すること、遠き源平武者の如くなりき、斯くては終に     徳川家の祖および創業の功臣等にも、彼れ是れ批判の波及すらん事を慮り、文化元年五月彼の絵本太     閤記はもとより、草双紙武者絵の類すべて絶版を命ぜられき、当時武者絵の状体を聞くに、二枚続三     枚続は事にもあらず、七枚続などまで昇り、頗る精巧を極めたりとぞ、剰へ喜多川歌麿武者絵の中に、     婦女の艶なる容姿を画き加ふる事を刱め、漸く風俗をも紊すべき虞あるに至れり、例へば太閤の側に     石田三成児髷の美少年にて侍るを、太閤その手を執る、長柄の銚子盃をもてる侍女顔に袖を蔽ひたる     図、或は加藤清正甲冑して、酒宴を催せる側に、挑戦の妓婦蛇皮線を弾する図など也、かゝれば板元     絵師等それ/\糾問の上錦絵は残らず没収、画工歌麿は三日入牢の上手鎖、その外の錦絵かきたるも     の悉く手鎖、板元は十五貫つゝの過料にて此の一件事すみたり云々    又『浮世絵画人伝』には左の如く記せり     喜多川歌麿と同時に、豊国、春亭、春英、月麿及び一九等も吟味を受けて、各五十日の手鎖、版元は     版物没収の上、過料十五貫文宛申付られたり     豊国等の描きしは、太閤記中賤ヶ嶽七本槍の図にして、一九は化物太平記といふをものし、自画を加     へて出版せしによるなり〟    ◯『伊波伝毛乃記』〔新燕石〕⑥130(無名子(曲亭馬琴)著・文政二年十二月十五日脱稿)   〝文化二年乙丑の春より、絵本太閤記の人物を錦絵にあらはして、是に雑るに遊女を以し、或は草冊子に    作り設けしかば、画師喜多川歌麿は御吟味中入牢、其他の画工歌川豊国事熊右衛門、勝川春英、喜多川    月麿、勝川春亭、草冊子作者一九等数輩は、手鎖五十日にして御免あり、歌麿も出牢せしが、こは其明    年歿したり、至秋一件落着の後、大坂なる絵本太閤記も絶板仰付られたり〟    〈文化二年とあるが、文化元年の誤り。読本『絵本太閤記』は、武内確斎作・岡田玉山画で、寛政九年から享和二年に     かけて出版された〉    ☆ 文化二年(1805)    ◯『稗史提要』p403(比志島文軒(漣水散人)編・天保年間成稿)   ◇黄表紙(文化二年刊)    作者の部 京伝 楚満人 石上 馬琴 三馬 一九 素速斎 東紫 新好 鬼武 萩声 赤城山人          面徳斎夫成    画工の部 重政 豊国 豊広 月麿 石上    ◯『黄表紙總覧』後編(棚橋正博著・日本書誌学大系48・昭和六十一年)   ◇黄表紙(文化二年刊)※角書は省略。〔 〕は著者未見、或いは他書によるもの、または疑問のあるもの    喜多川月麿    〔復讐阿部花街〕 署名「月麿筆」          「十返舎一九著」 村田屋板    『朧月安西堤』  署名「月麿筆」          「十返舎一九著」 村田屋板    『操染心雛形』  署名「画名喜多川月麿(菊)(麿)印」 「戯作十返舎一九」丸屋文右衛門板    『鳳凰染五三桐』 署名「画名喜多川月麿(菊)(麿)印」 「戯作十返舎一九」丸屋文右衛門板    『滑稽しつこなし』署名「改名月麿筆」   「十返舎一九著」 山口屋    『花紅葉二人鮟鱇』署名「月麿筆」          「内新好作」   岩戸屋板        『奉打札所誓』  署名「改名月麿」         「曲亭馬琴校閲」 蔦屋板     〈絵題簽には「絵師喜多川月麿」とある由〉      ◯「読本年表」   ◇読本(文化二年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『復讐玄話浪花烏梅』月麿画 十返舎一九作〔中本型読本〕〈本書の改題改刻本『浪花烏梅侠夫湊花』〉    『浪花烏梅』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『俠夫湊花』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕〈『浪花烏梅』の改題本〉    ☆ 文化四年(1807)    ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(文化四年刊)※角書は省略    喜多川月麿画『面皮千枚張』(画)月麿(著)十返舎一九 山口屋板〔東大〕    ◯「読本年表」   ◇読本(文化四年刊)※角書は省略    喜多川月麿画『敵討孝烈伝』喜多川月麿画 手塚兎月作〔中本型読本〕    ☆ 文化五年(1808)    ◯「合巻年表」(〔書目年表〕は『改訂日本小説書目年表』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化五年刊)※角書は省略     喜多川月麿画    『時鳥相宿噺』歌川国貞画 表紙は月麿画 千歳松武作〔書目年表〕    『奥州瓶割坂』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    ◯「咄本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)     ◇咄本(文化五年刊)    喜多川月麿画『塵取談』喜多川月麿画 千歳亭松武作〔目録DB〕    ☆ 文化六年(1809)    ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化六年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『御嶽山誓仇討』 (画)喜多川月麿(著)十返舎一九・山口屋藤兵衛板〔東大〕    『鄙舎者富田無礼話』喜多川月麿画 東里山人(亀山人)作〔目録DB〕    『紅染団七時雨反讎』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『漢土串戯狂言起原』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『串戯狂言一夜附』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『加古川本蔵建立』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『復讐じんかうき』 喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『復讐十三鐘由来』 喜多川月麿画 感和亭鬼武作〔目録DB〕    『竜宮怪鰶後平治』 喜多川月麿画 談洲楼焉馬作〔目録DB〕    『道成寺現在鱗』  喜多川月麿画 談洲楼焉馬作〔目録DB〕    『敵討磐手杜』   喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『草庵茶漬飯』   喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『寿子宝草紙』   喜多川月麿画 千歳亭松武作〔目録DB〕    『上州絹』     喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    ☆ 文化七年(1810)    ◯「合巻年表」(〔早稲田〕は『早稲田大学所蔵合巻集覧稿』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化七年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『早替工夫仇討』 署名「月麿画」表紙「墨亭月麿画」硯亭墨山作・近江屋権九郎板〔早稲田〕     〈補注に「都合四種の墨山合巻は全て月麿画であれば、硯亭墨山は月麿の一時の仮号で、本作は月麿の自画作であっ      た可能性は高かろう」とある〉    『伊賀道中待合噺』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『千穀通稚智恵鏡』喜多川月麿画 千松亭松武作〔目録DB〕    『敵討越後獅子』 喜多川月麿画 柴舟庵一双作〔目録DB〕    『千羽烏蹊曙』  喜多川月麿画 硯亭墨山作 〔目録DB〕    『復讎化粧水』  喜多川月麿画 千載亭松武作〔目録DB〕    『曲輪育操松』  喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『御覧恋曲者』  喜多川月麿画 初音楼一炷作〔目録DB〕    『目附絵』    喜多川月麿画 硯亭墨山作 〔目録DB〕    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文化七年刊)    喜多川月麿画『於都里伎』一冊 喜多川月麿画 十返舎一九作    ◯『柳亭種彦日記』文化七年(1810)    ◇正月廿一日 p139   〝談州楼咄し初メ、北嵩子と同道、三馬子京伝子京山子豊国月まろ、夢楽談笑子等にあふ、玉豕子来〟    〈談洲楼焉馬の咄会。賑やかな顔ぶれである。蘭斎北嵩、式亭三馬、山東京伝・京山兄弟、初代歌川豊国、月まろは喜     多川月麿か、落語家は初代夢楽、初代立川談笑、漢学者柏菴玉豕〉     ◇正月廿八日 p140   〝今日ハ月まろの会なれど雨ゆへゆかず、浅草東岳寺無尽、かれこれ一日休〟    〈「豊国月まろ」と並称しているから、この「月まろ」は浮世絵師の喜多川月麿と考えてよい。現在、喜多川月麿を     「つきまる」と呼んでいるが、「つきまろ」でよいのではないだろうか〉    ☆ 文化八年(1811)    ◯「合巻年表」(〔早稲田〕は『早稲田大学所蔵合巻集覧稿』〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』           〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化八年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『仇討稚孝談』 署名「月麿画」硯亭墨山作・森屋治兵衛板〔早稲田〕         〈補注は月麿・墨山同人説に疑問を呈し、別人ではないかとする。また「月麿は一時期田舎へ籠もっていたらしく、      その旨を記した口上が文化六年刊の一九作『串戯狂言一夜附』にある」とのこと〉    『身延山誓仇討』(画)月麿  柴舟庵一雙著・鶴屋金助板〔東大〕    『駿州霊蛇唐衣』喜多川月麿画 柴舟庵一双作〔目録DB〕    『人武士弓引方』喜多川月麿画 初音楼一炷作〔目録DB〕    『忠臣一代八卦』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『初昔濃茶口切』墨亭月麿画  不乾斎雨声作〔目録DB〕    『坊太郎物語』 喜多川月麿画 硯亭墨山作 〔目録DB〕    『戻駕忠義操』 喜多川月麿画 一亭五蘭作 〔目録DB〕    ◯「絵入狂歌本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇狂歌(文化八年刊)    『江戸紫贔負鉢巻』一冊 鳥居清長・勝川春亭・歌川豊国画 烏亭焉馬編〔目録DB〕     喜多川月麿      詠「むさし野や高麗芝に江戸桜 喜多川月麿」〈狂歌のみ。作画はせず〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇滑稽本(文化八年刊)    喜多川月麿画『六あみだ詣』初編 喜多川月麿画 十返舎一九作 鶴屋金助板     〈文化七年刊とする書誌もある〉    ☆ 文化九年(1812)    ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化九年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『文福茶家満』 (画)喜多川月麿(著)不乾斎雨声 山口屋藤兵衛板〔東大〕            (見返し)「不乾斎雨声主人作 喜多川月麻呂画」    『縁は異な物/味な物好』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『由良湊長者入船』   喜多川月麿画 不乾斎雨盛作〔目録DB〕    ◯『街談文々集要』p262(石塚豊芥子編・文化年間記事・万延元年(1860)序)   (「文化九年(1812)」記事「三紅梓琴始」)     (市川団之助(三紅)所蔵、六絃琴「梓琴」の図、その落款に「喜多川月麿写」とあり)    〈六絃琴は和琴(ワゴン)との呼ばれる日本古来の楽器。月麿の写生を石塚豊芥子がさらに写したものか〉    ☆ 文化十年(1813)    ◯「合巻年表」(〔早稲田〕は『早稲田大学所蔵合巻集覧稿』〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』           〔目録DB〕は国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録データベース」)   ◇合巻(文化十年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『石動丸高野紅葉』 署名「月麿画」   不乾斎雨声作 森屋治兵衛板 〔早稲田〕    『洪福水揚帳』   署名「月麿画」   十返舎一九作 山口屋藤兵衛板〔早稲田〕    『伊勢おんど』   署名「墨亭月麻呂画」十返舎一九作 山口屋藤兵衛板〔早稲田〕    『金草鞋』初編  (画)墨亭月麿(著)十返舎一九 森屋治兵衛板〔東大〕〈江戸編〉          〈備考、前編を初編、後編を二編とする由〉         三・四編(画)墨亭月麿(著)十返舎一九 森屋治兵衛板〔東大〕〈大坂・京都編〉         五編  (画)月麿  (著)十返舎一九 森屋治兵衛板〔東大〕〈東海道編〉    『玉がしわふたり男』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    『奴五斗米名誉滝水』喜多川月麿画 五返舎半九作〔目録DB〕    『昔譚宮城野信夫』 喜多川月麿画 不乾斎雨声作〔目録DB〕    『伊勢音頭恋手踊』 墨亭月麿画  十返舎一九作〔目録DB〕    ◯『噺本大系』巻十五「所収書目解題」(武藤禎夫編・昭和五四刊)   ◇咄本(文化十年刊)    喜多川月麿画『笑嘉登』署名「月麿画」立川銀馬作 西村屋板 表紙「喜多川月麿画図」    ◯「艶本年表」(「国文研・艶本」)   ◇艶本(文化十年刊)    喜多川月麿画『笑本柳巷拾開花』色摺 半紙本 三冊           序「文化十癸酉とし」    ◯『馬琴書翰集成』⑥323「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
    「文化十年刊作者画工番付断片」      〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと。この当時、墨亭月麿と称していた     ようだ。前頭の格付けである〉    ☆ 文化十一年(1814)    ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化十一年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『金草鞋五編』(画)月麿(著)十返舎一九 森屋治兵衛板〔東大〕〈木曽街道編〉    『合鏡二つ巴』墨亭月麿画・春亭画(表紙) 十返舎一九作 錦耕堂(山口屋)板〔目録DB〕    『於臍福茶番』喜多川月麿画 十返舎一九作〔目録DB〕    ☆ 文化十二年(1815)    ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化十二年刊)※角書は省略    喜多川月麿画     『敲打先程御笑艸』勝川春亭画 十返舎一九作 山口藤兵衛板〔目録DB〕     〈『改訂日本小説書目年表』は勝川春亭・墨亭月麿画とする〉    ☆ 文化十四年(1817)    ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(文化十四年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『鼠盤十二子金銀』喜多川月麿画 五返舎半九作〔目録DB〕    『化物大福餅』  喜多川月麿画 五返舎半九作〔目録DB〕    『桃太郎宝撰取』 喜多川月麿画 五返舎半九作〔目録DB〕    ☆ 文化年間(1804~1818)    ◯『増訂武江年表』2p58(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「文化年間記事」)   〝浮世絵 葛飾戴斗、歌川豊国、同豊広、同国貞、同国丸、蹄斎北馬、鳥居清峯、柳々居辰斎、柳川重信、    泉守一(渾名目吉)、深川斎堤等琳、月麿、菊川英山、勝川春亭、同春扇、喜多川美丸。     筠庭云ふ(中略)月麿は喜多川哥麿の弟子なり〟     ☆ 文化十五年(文政元年(1818))    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   (「神田」合い印「浮世画」)   〝月麿  喜多川 号墨亭〟    〈神田住の月麿と下記の小伝馬町の月麿と「方角分」は分けているが、別人なのであろうか〉    ◯『【諸家人名】江戸方角分』(瀬川富三郎著・文化十四年~十五年成立)   (「伝馬町」合い印「浮世画」)   〝月麿           小伝馬町弐丁目〟    〈渓斎英泉の『無名翁随筆』の喜多川月麿記事に「馬喰町ニ住ス」とあり、また井上和雄の『浮世絵師伝』には「初め     馬喰町に住し、文化年間小伝馬町三丁目厩新道に移り」とあるから、二丁目と三丁目の違いは気になるが、この月麿     は喜多川月麿と同人と思われる〉    ☆ 文政二年(1819)    ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(文政二年刊)※角書は省略    喜多川月麿画『金草鞋』十二編(画)観雪斎月麿・表紙歌川豊国(著)十返舎一九 森屋治兵衛板〔東大〕    ☆ 文政四年(1821)    ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(文政四年刊)※角書は省略    喜多川月麿画    『金草鞋』十四編(画)喜多川月麿・表紙国貞(著)十返舎一九 森屋治兵衛板〔東大〕             巻末「観雪斎月麿」             〈表紙国丸画の後摺本あり〉    ☆ 文政初年(1818~)    ◯『浮世絵類考』(式亭三馬按記・文政元年~四年)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)       〝三馬按、歌麿門人菊麿、今月麿ト改ム。式麿、秀麿等アリ。二代目歌麿、初号春町、別記ニ伝アリ〟    ☆ 文政七年(1824)    ◯『江戸買物独案内』巻一(中川芳山堂撰)   〝(歯磨き楊枝問屋・瓢箪屋の「団十郎歯磨」挿絵の署名)墨亭月麿図〟  ☆ 天保元年(1830)    ◯「浄瑠璃年表」〔義太夫年表〕   ◇義太夫番付(天保元年刊)    月麿画「本朝二十四孝」署名「月麿筆」芝神明社内興行     〈この月麿が喜多川月麿かどうか分からない〉     ☆ 刊年未詳    ◯「艶本年表」(「国文研・艶本」は「艶本資料データベース」)   ◇艶本(刊年未詳)    喜多川月麿風『初夢』彩色 中判 十二枚〔国文研・艶本〕    ☆ 没後資料(下記の作画期と文化文政する諸書を参考に以下を没後資料とした)    ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③303(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「喜多川歌麿」の項、画系図、歌麿門人)   “菊麿【寛政ヨリ、文化文政ノ人、後月麿ト改ム、一流ヲ書キ、板下絵多シ、草双紙アリ、馬喰町ニ住ス、    後年浮世絵ヲ書、名ヲ改ム】”  ☆ 明治十四年(1881)  ◯ 第二回 観古美術会〔5月1日~6月30日 浅草海禅寺〕   『第二回観古美術会出品目録』竜池会編 有隣堂 明治14年刊(国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十四年五月序)   〝月麿 娼芸妓画 三幅(出品者)高橋光正〟〈喜多川月麿か〉  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯ 日本美術協会美術展覧会〔4月10日~5月31日 上野公園列品館〕   『明治廿一年美術展覧会出品目録』1-5号 松井忠兵衛・志村政則編 明治21年4~6月刊    (国立国会図書館デジタルコレクション)   「古製品 第一~四号」   〝喜多川月麿 遊女 賛種彦 一幅(出品者)若井兼三郎〟  ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『古代浮世絵買入必携』p16(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝喜多川月麿    本名〔空欄〕   号〔空欄〕   師匠の名〔空欄〕   年代〔空欄〕    女絵髪の結ひ方〔空欄〕    絵の種類〔空欄〕    備考   菊麿の改名〟    ◯『浮世絵師便覧』p218(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝月麿(ルビなし)    北川菊麿の前名〟  ☆ 明治三十二年(1899)    ◯『浮世画人伝』p69(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   (「喜多川歌麿系譜」より)   〝 菊麿    歌麿門人、俗称小川六三郎、後ニ月麿ト改、文化文政ノ頃 小伝馬町ニ住テ、専ラ板下ヲ画キ、後ニ浮    世絵ヲ廃シテ観雪ト更ム〟
      「喜多川歌麿系譜」    ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p134(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝喜多川月麿、初号菊麿、通称六三郎、後ち千助、名は潤、字は士達、後に観雪と号す、歌麿門人にして    墨川亭雪麿の師、文化文政頃の人〟    ◯「日本小説作家人名辞書」p740(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝硯亭墨山    伝未詳、或は喜多川月麿の別号か。「早替工夫仇討」(文化七年刊)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『早替工夫仇討』合巻・硯亭墨山作・喜多川月麿画・文化七年刊〉    ◯『浮世絵師伝』p122(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝月麿    【生】           【歿】    【画系】歌麿門人      【作画期】寛政~文化    喜多川を称す、小川氏、名は潤、字は子達(或は士達)、俗称千助(一に六三郎)、墨亭・観雪斎・遒    斎等の号あり、初め画名を菊麿といひ、享和二年より喜久麿と更へ、文化元年の春より月麿と改む、其    の証として、肉筆美人画の款識に「文化元年子春三月、喜多川一流倭画司筆、喜久麿改正名月麿図」と    あるを『浮世絵師伝』に挙げたり。初め馬喰町に住し、文化年間小伝馬町三丁目厩新道に移り家守を勤    む、晩年浮世絵を画かず号を観雪と改む〟      ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文化元年(二月十九日改元)甲子」(1804)p171   〝五月、江戸の浮世絵師勝川春英・同春亭・歌川豊国・喜多川歌麿・同月麿等作画により手鎖五十日の刑    に処せらる〟      ◇「文化二年 乙丑」(1805)p173   〝此年、喜久麿、月麿と改む〟    〈文化元年の記事に既に月麿の名が出ている。文化二年の月麿改名記事との関係はどうなのであろうか〉    △『増訂浮世絵』p162(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝月麿    歌麿の門人に月麿があり、版画に遊女の半身を写した丸海老屋内会見、幸栄の絵がある。なほまた焦墨    と淡墨とで、竹に虎、芦雁、惺々などを画き、また盲者の喧嘩や、三美人酩酊、蛍がい、相州江島巌屋    図三枚続などある。    この人はもと菊麿又は喜久麿といひ、後に月麿と改めたのである。名は潤、字は士達、墨亭又は観雪斎    と号した。通称は六三郎といふ。享和の初から、文政頃まで、専ら草双紙の挿絵を作つて居る。喜久麿    から月麿にかはつたのは、文化元年である。美人画の落款に、文化元甲子春三月末喜多川一流倭画司筆    喜久麿改妙正名月麿図とあるのを以て証とすることができる。    然しなほこの後も喜久麿の名を用ひたものらしく、六曲屏風壱双に十二ヶ月の美人を画きたるものがあ    る。この画の落款には、文化三丙寅春正月応需四季十二紙画喜多川喜久麿図と書し、菊麿之印の四字の    印を捺してゐる。故に月麿改名後にも喜久麿といふたとみえる。この十二ヶ月の図は小松引、初午、観    桜、郭公、菖蒲節句、蛍籠、盆踊、遊女、菊、恵比寿講、七五三祝、まゆだま等を写して、よく構図を    まとめてゐる。この屏風には正銘喜久麿筆と署名したる部分があり、また墨亭喜久麿と書したものもあ    る〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:74(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:菊麿・喜多川菊麿・喜多川月麿・喜多川喜久麿・墨亭月麿    分 類:合巻49・黄表紙13・滑稽本4・読本3・咄本2・教訓1・艶本1    成 立:享和1~3、文化1~11・14、天保13     (月麿名の作品)    作品数:67    画号他:月麿・喜多川月麿・墨亭月麿      分 類:合巻49・黄表紙8・読本3・滑稽本3・咄本2・教訓1      成立年:享和1年(1点)文化2~11・14年(62点)天保13年(1点)   (菊麿名の作品)    作品数:2    画号他:菊麿・喜多川菊麿    分 類:黄表紙1・艶本1    成立年:享和2~3年(2点)   (喜久麿名の作品)    作品数:5    画号他:喜多川喜久麿    分 類:黄表紙4・滑稽本1    成立年:享和2~4年(3点)文化1年(2点)
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