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☆ としひで みぎた 右田 年英浮世絵師名一覧
〔文久2年(1862)~大正14年(1925)2月・64歳〕
 ☆ 明治八年(1875)    ◯『増補 私の見た明治文壇1』「柳塢亭寅彦氏の狂歌」1p223   (野崎左文著・原本1927年刊・底本2007年〔平凡社・東洋文庫本〕)   〝右田氏名は寅彦、豊後臼杵の人で明治八年兄豊彦氏と共に笈(キュウ)を負うて上京し、豊彦氏は始め西洋    画を学び後大蘇芳年の門に入つて梧斎(ゴサイ)年英と名乗り、寅彦氏は明治十二年三世柳亭種彦氏の門    に入つて柳塢亭(リウヲテイ)寅彦と号し後師から三ッ彦の印を譲られた程で所謂柳亭名取りの高弟となつた〟  ☆ 明治二十年(1887)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十年刊)    年英画    『南朝忠臣桜井遺訓』 口絵のみ  年英 柳本計    開進堂(4月)    『滑稽独演説』    口絵のみ  正編 月耕 続編  年英 骨皮道人 共隆社(正続編 4月)② 〈続編に奥付無〉    『雅楽多草誌』    口絵のみ  年英 笑々居士   共隆社(9月)    『紅涙三斗薔薇の花影』挿絵・表紙 年英 八重の屋主人 共隆社(10月)②    『政治小説芳園之嫩芽』挿絵 年英    松木董宣   共隆社(10月)②       『珍事のはきよせ』 口絵・挿絵 年英 竹軒居士  共隆社(10月)(角書「欧州奇獄」)    『社会仮粧舞』   口絵のみ  年英 三木愛華  共隆社(11月)    『新旧思想教育競』 挿絵 年英 松の家みどり   共隆社(12月)    『当世滑稽文章』  口絵のみ  年英 自笑居士  共隆社(12月)    『東京の新年』   口絵・挿絵 年英 松の家みどり 共隆社(12月)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十年刊・国文学研究資料館)    年英画    『婦人気質』  口絵のみ 年英 風月散人   共隆社(9月)    『芳園の嫩芽』 挿絵   年英 松の家みどり 共隆社(10月)    『続滑稽独演説』口絵のみ 年英 骨皮道人   共隆社(11月)(稗史小説)  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治二十年刊)    年英画    『百人百色』  口絵のみ  年英   骨皮道人    共隆社(1月)(角書「浮世写真」)    『東洋開化之魁』挿絵    年英   小榑由太郎   共隆社(2月)    『飛鳥川』   挿絵・表紙 年英   松の家みどり  共隆社(2月)    『金蘭花縁』  挿絵・表紙 年英   雪の屋だるま  共隆社(3月)     『花錦出世奴』 口絵・挿絵 梧斎年英 右田寅彦    博覧堂(5月)〈右田寅彦は年英(右田豊彦)の兄〉    『娯目数誌』  口絵のみ  年英   自笑居士    共隆社(8月)(角書「稗史小説」)    『義勇の壮鬼』 口絵のみ・表紙 年英 成仏居士    共隆社(10月)    『独り言』   口絵のみ  年英   常談亭独言居士 共隆社(11月)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治二十一年刊・国文学研究資料館)    年英画    『明治貴女鑑』 挿絵 年英・表紙 清親 花汀散史 共隆社(1月)(稗史小説)    『東洋開化の魁』挿絵    年英    電霆散士 共隆社(2月)  ☆ 明治二十三年(1890)  ◯「読売新聞」(明治23年11月30日記事)〈原文は漢字に振り仮名付、()はその一部分〉   〝歌川派画工の専門    歌川派の画工にて板下絵のみに関係し居るもの其数数多(あまた)あれ共、目下一派の得意を出(いだ)し    て其名世に聞えたるものを挙ぐれバ、武者絵ハ芳年、似顔ハ国周、官女ハ周延、押絵ハ国政、手遊画    (おもちやゑ)ハ国利、新聞さし絵ハ年英、名所画(ゑ)ハ吟光、類似油絵ハ清親、見世物看板画ハ芳盛、    劇場(しばゐ)看板絵ハ清満、年中行事ハ勝月、団扇絵ハ玉英と限りたるが如しとなり〟  ☆ 明治二十四年(1891)  ◯ 日本青年絵画協会 臨時研究会(明治二十四年十一月開催 上野公園桜ヶ岡日本美術協会列品館)   (『明治期美術展覧会出品目録』より)    右田年英 曹操横槊 三等褒状  ☆ 明治二十六年(1893)    ◯『浮世絵師便覧』p209(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝年英(ヒデ)      梧斎と号す、錦画、新聞挿画、◯明治〟    ☆ 明治三十二年(1899)  ◯『東京専門書画大家一覧表』番付 東京 市橋安吉編集・出版 明治三十二年六月刊    (東京文化財研究所「明治大正期書画家番付データベース」)   〝画 右田年英 麻布箪笥丁ノ六十七〟  ☆ 明治三十六年(1903)    ◯『明治東京逸聞史』②p117「素人義太夫」明治三十六年(1903)(森銑三著・昭和44年(1969)刊)   〝素人義太夫 〈文芸界三六・八〉     甲乙生の「紳士の義太夫」という一文が載っている。その中に右田年英、同じく寅彦(ノブヒコ)その他    の人々の義太夫熱のことの記されているのが面白い。     年英は画家で兄さん、寅彦は文士で弟だ。この二人は朝日新聞での名物男であるが、二三年前から義    太夫熱に取りつかれ、其鳳を師として、兄さん其猫(キミョウ)、弟は其岱>(キタイ)と号する。今はなかなかの    巧者で、遠吼俱楽部というを拵えた。それに加わる面々に、瀬戸半眠の其楽、村松柳江の其翠その他が    ある。栗島狭衣も加わりはしたが、これは稽古の日が浅くて、まだ芸名がない。俱楽部の年二度の大温    習会には、見事な刷り物が作られる。半井桃水、幸堂得知の先生方は、聞き手の筆頭ということで、お    役目御苦労といわれる。近頃「堀川」を掛け合でしようというので、其岱の与次郎、其猫の母、其鶴の    お俊、其楽の伝兵衛ということとなった。其鶴は朝日専属の刻師山本悌興堂である。右の内では、其猫    の母親が一番黒ッぽく、お俊の其鶴は根に清元があるので、それだけ艶ッぽいとの評判だ。熱は昨今が    頂上らしく、今年の春、其猫太夫は、床本に見立てた年賀状を配った。朝日の社員には、この先が思い    やられるといっている人もある。     素人義太夫も大阪が本場であったろうが、東京にも相当の熱心家がいたのである。この頃の朝日新聞    には、専属の刻師がいて、挿絵の木版を彫ることをしていたのである〟    ☆ 明治年間(1868~1912)    ◯『増補 私の見た明治文壇1』「明治初期の新聞小説」1p88   (野崎左文著・原本1927年刊・底本2007年〔平凡社・東洋文庫本〕)    「(八)新聞挿画の沿革」   〝明治初年の新聞さし絵の画家といへば、前記の落合芳幾、月岡芳年、小林永濯、山崎年信、新井芳宗、    歌川国松、稲野年恒、橋本周延(ハシモトチカノブ)、歌川国峰(ウタガワクニミネ)、筒井年峰(ツツヰトシミネ)、後藤芳景    (ゴトウヨシカゲ)の諸氏に止(トド)まり、後年名を揚げた右田年英(ミギタトシヒデ)、水野年方(ミズホトシカタ)、    富岡永洗(トミオカエイセン)、武内桂舟(タケウチケイシウ)、梶田半古(カジタハンコ)の諸氏は挿画の沿革から云へば第二    期に属すべき人々で、久保田米僊(クボタベイセン)氏が国民新聞を画き始めたのも亦此の後期の時代である〟    ◯『こしかたの記』(鏑木清方著・原本昭和三十六年刊・底本昭和五十二年〔中公文庫〕)   「烏合会」p217   〝 英朋の師の右田年英は、私の師年方と同門であるが、浮世絵という概念からはかけはなれて、至極健    康に、おおどかな筆致を有っていた。それに就いて想い起すのは歌川流の始祖豊春が豊後の臼杵(ウスキ)    の出で、右田氏と同郷である〟    ☆ 没後資料    ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)    (国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」所収)   〝年英 芳年門人、右田氏、梧斎と号す、錦絵新聞挿絵、明治〟    ◯『狂歌人名辞書』p148(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝梧斎年英、通称右田豊彦、豊後臼杵の人、明治十一年出京して大蘇芳年の門に入り、錦絵及東京朝日新    聞の挿画を執筆す、大正十四年二月六日歿す、年六十二〟    ◯『浮世絵師伝』p128(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝年英    【生】文久二年(1862)   【歿】大正十四年(1925)-六十四    【画系】芳年門人      【作画期】明治~大正    右田氏、名は豊彦、俗称豊作、梧斎・晩翠楼・一頴斎等の号あり、豊後国北海部郡臼杵村の人にして後    東京に移る。錦絵及び新聞挿画等を描けり〟    ◯『江戸絵から書物まで』朝野蝸牛編 昭和九年(1934)刊   (「(と)明治年間執筆画家名略」)   〝大蘇 芳年(武者、美人)歌川国芳門人 明治年間執筆           月岡米次郎 明治二十五年六月九日 五十四歳没 根津住           門人年方・年英・年恒・年参・年信・年忠・年峯・年親・年章・年基・年昌  ◯『明治世相百話』(山本笑月著・第一書房・昭和十一年(1936)刊   ◇「絵双紙屋の繁昌記 今あってもうれしかろうもの」p128   〝〈明治初期〉両国の大平、人形町の具足屋、室町の秋山、横山町の辻文などその頃のおもなる版元、も    っばら役者絵に人気を集め、団菊左以下新狂言の似顔三枚続きの板下ろしが現われると店頭は人の山。    一鴬斎国周を筆頭に、香蝶楼豊斎、揚洲周延、歌川国重あたり。武者絵や歴史物は例の大蘇芳年、一流    の達筆は新板ごとにあっといわせ、つづいて一門の年英、年恒。風俗は月耕、年方、永洗、永興といっ    た顔触れ。新年用の福笑い、双六、十六むさしまで店一杯にかけ並ぺた風景は、なんといっても東京自    慢の一名物〟     ◇「水浴させた文晃の画 絵具の使い方を知らぬ画」p238   〝絵具も今と昔とは原料や製法の異なるものが多く、従って古製の絵具は貴まれた。故右田年英画伯の厳    父は狩野の塾頭であった人で、古い絵具を大切に保存していた。年英氏が少し分けて下さいというと    「これはお前たちの使う絵具じゃないよ」とはねつける。当時、すでに著名の年英画伯にさえ容易に使    わせぬくらいであった〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「芝区」東禅寺   〝右田年英(画家)通称豊彦、月岡芳年の門人にて新聞の挿画を描きて名高し。大正十四年二月四日歿。    年六十三。鳳栖院梧斎豊彦居士〟    〈『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」は享年を六十四歳とする〉    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p90(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝年英(としひで)    右田豊彦、梧斎、晩翠楼、一頴斎等の号がある。豊後国臼杵の人、芳年の門人。明治中期より末期にか    けて新聞挿絵に大きな足跡を残した人である。門人に鰭崎英朋がある。文久二年生れ、大正十四年六十    四才で歿した〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:1点     画号他:年英・晩翠楼年英・一穎斎年英    分 類;絵画1    成立年:明治期    〈一点は『歴史錦絵帖』二帖(芳年・年英・延一・橋本周延画)〉
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