◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年(1802)十月記・文政元年(1818)六月写)
(本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
長谷川長春
京師の浮世絵師也。天和、貞享の比の人歟。好色旅日記に、今の長谷川、よし田が筆にもなるまひとか
きたるは此人の事か。同時、大坂に長谷川典之丞といふあり、これは本絵にて雪舟の末孫といふ。
◯『著作堂一夕話』〔大成Ⅰ〕⑩343(曲亭馬琴著・享和三年(1803)序)
(「烟花城書画展覧の目録」の項)
〝寛政十二年九月廿五日、東山双林寺において展覧する所の烟花書画の目録〟
〝画軸 長谷川長春遊女図 西村定雅所蔵〟
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③290(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年(1833)成立)
〝長谷川長春【天和、貞享ノ頃ノ人】 俗称(空白)、京師ノ人、号(空白)、
京師の浮世絵師なり、好色旅日記に、今の長谷川、吉田が筆にもなるまい、と書たるは、此人の事か、
同時、大坂に長谷川典之丞と云あり、是の雪舟の末孫と云、【以上、類考追考】〟
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
(( )は割註)
〝長谷川長春 天和貞享の頃の人歟
姓(空白) 号(空白) 俗称(空白) 京師ノ人
京師の浮世絵師なり。
好色旅日記に、今の長谷川吉田が筆にもなるまいと書たるは此人か。同時に大坂長谷川典之丞と云あり、
是は雪舟の末孫といふ(以上、類考追考)〟
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1377(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)
〝長谷川長春 京師の浮世画師也、
貞享天和の頃の人歟、好色旅日記に、今の長谷川よし田が筆にもなるまいと、かきたるは此人の事か、
同時大阪に、長谷川典之丞と云あり、これは本画にて、雪舟の末孫と云、浮世画類考
遊女図 西村氏蔵 覊旅漫録〟
〈片岡旨恕の浮世草子『好色旅日記』は貞享四年(1687)刊。 曲亭馬琴の随筆『覊旅漫録』は享和二年(1802)の成立〉
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪200(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)
〝長谷川長春
天和、貞享の頃、京師の浮世絵師なり。好色旅日記に、今の長谷川吉田が筆にもなるまいと書たるは此
人か。同時に大坂長谷川典之丞と云あり。是は雪舟の末孫といふ〟
☆ 明治以降(1868~)
◯『浮世絵師便覧』p210(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝長春(チョウシユン)長谷川氏、俗称典之丞、雪舟の後孫と称す、◯貞享〟
◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年(1894)一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝長谷川長春 通称典之丞 貞享の人 浮世絵を画く〟
△『増訂浮世絵』p70(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝長谷川長春
浮世絵類考に出て居る人であるが、古画備考にも、京都の浮世絵師なりとして載せてある。浮世絵類考
によると、貞享天和の頃の人歟、好色旅日記に今の長谷川よし田が筆にも、なるまいかとかきたるは此
人の事かとある。よし田とは即ち半兵衛のことをいふのであらう。そうすれば、半兵衛と同じやうな画
風を画いたものであらう〟