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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ しゅんざん かつかわ 勝川 椿月
浮世絵師名一覧
〔天保6年(1835)~明治41年(1906)没・72歳〕
☆ 文久三年(1863)
◯「絵暦年表」
(本HP・Top)(文久三年)
②
「椿月
〔滕水〕印」(三河万歳の図)2-25/30 「出久の坊画安」大の月入り狂歌賛 ☆ 明治六年(1873) ◯「岩井紫若(三代目)死絵」 〝明治六年酉十月五日 梅香院紫覚日容信士 谷中川端 本寿寺葬 さそひ来る風になびきし三ッ扇あふぎをすてる秋ぞさびしき
勝文斎椿月
〟 署名「梅堂国政筆」改印・酉十 具足屋板
<野田市郷土博物館・市民会館 資料データベース>
〝勝文斎(四代目)本名は勝川文吉。江戸に生まれ、浮世絵勝川派の二代目勝川春山(三代勝文斎)の養 子となる。押絵細工の名手として知られ、羽子板や扁額作りを業としていた。日本橋新乗物町(現・中 央区堀留町)に店を持ち、「人形町の勝文」と呼ばれた。また、淡島椿岳の弟子でもあり、絵師として 勝川椿月とも称した。河鍋暁斎、柴田是真、川端玉章、飯島光峨、佐竹永湖などの一流絵師とも交流を 持っていた。野田の醤油醸造家からも押絵の製作依頼を受けており、押絵扁額「野田醤油醸造之図」 (野田市指定文化財)や様々な歌舞伎の場面を描いた押絵行灯(41点)などが残されている(いずれも 当館蔵)〟