◯『明治人物夜話』「国周とその生活」p243(森銑三著・底本2001年〔岩波文庫本〕)
(国周の談)
〝「親父の時分にゃア身上もよかった。そうして通三丁目へ奥州屋という湯屋を開いたが、何だか気に食
わないというので、そこを譲って、南伝馬町へ兄貴が押絵屋を出したから、わたしも押絵をやって見よ
うというので、そこを譲って、一遊斎近信(チカノブ)の弟子になったが、全くこれが手ほどきで、それか
ら二代目豊国の弟子になった」
(森銑三記事)
一遊斎近信という押絵師については、何ら聞くところがない。二代目豊国は即ち国貞で、天明六年に
生れた。国周には四十九歳の年長で、大分年が離れていた〟