☆ 文政八年(1825)
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「文政八年 乙酉」(1825) p200
〝此年、柳園種春の画ける『現過思廼柵』出版〟
〈「日本古典籍総合目録」は、柳園種春の作品を、文政八年から嘉永六年にかけて刊行された読本(五点)・洒落本・
咄本・往来物(それぞれ一点)の合計八点あげているが、作画は一点もなくすべて著作である〉
☆ 嘉永五年(1852)
◯『大日本近世史料』「市中取締類集 二十」p226(東京大学史料編纂所編・1992年刊)
(「書物錦絵之部」・嘉永五年(1852)五月付)
〝【日夜必用】群玉大雑書万宝選 壹冊 本石町貳丁目半次郎店
大坂京町堀貳丁目 書物問屋
錦屋勝次郎事 柳園種春著 願人 大助(英屋)〟
〈これは町年寄・館市右衛門が江戸町奉行に提出した書付で、柳園種春著『【日夜必用】群玉大雑書万宝選』の「彫刻
売弘」許可を、板元・英屋大助が願い出たもの。「日本古典籍総合目録」に往来物『国宝大雑書万宝選』として収録
されているのがそれだろう。それには、柳川種春編・二代目柳川重信画・嘉永六年成立とある。ところで、上記願書
に画工名がないのはなぜであろうか〉