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☆ たいと かつしか 葛飾 戴斗 二代浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
(斗円楼北泉参照)
   ☆ 文政元年(文化十五年・1818)      ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文政元年刊)     葛飾戴斗画『和語陰隲文絵鈔』二冊 葛飾戴斗画図 桑山道人序 宋栄堂(秋田屋)〔漆山年表〕               (戴斗ハ北斎門人亀屋喜三郎なるべし)〈〔目録DB〕は文政三年刊〉     ☆ 文政二年(1819)      ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政二年刊)    葛飾戴斗画    『二十四孝図会』一冊 画工東都葛飾戴斗 浪速南里亭其楽 江陵山人序 真野屋仁兵衛板〔漆山年表〕     ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(文政二年刊)    葛飾戴斗画『駒若全伝逆櫓松』葛飾戴斗画 南里亭其楽作〔目録DB〕    ☆ 文政三年(1820)    ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(文政三年刊)    葛飾戴斗画『昔語茨の露』葛飾戴斗画 好花堂野亭作〔目録DB〕    ☆ 文政五年(1822)      ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(文政五年刊)    葛飾戴斗画『絵本二十四孝』一冊 葛飾戴斗画 南里亭其楽編 河内屋太助他板〔目録DB〕    ◯「読本年表」〔中本型読本〕は「中本型読本書目年表稿」   ◇読本(文政五年刊)    葛飾北斎画『一本駄右衞門東海横行記遠のしら浪』(葛飾北斎)画 十返舎一九作〔中本型読本〕    〈文政五年刊『太田道灌雄飛録』巻四に巻末広告に「葛飾北斎戴斗画」とある由。葛飾戴斗二世か。「日本古典籍総合     目録」は画工名を記さず〉    ☆ 文政七年(1824)      ◯「絵本年表」(漆山又四郎著『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政七年刊)    葛飾戴斗二世画『英雄図会』一冊 画士江戸玄龍斎戴斗 南里亭其楽輯〔漆山年表〕             (頭注「大阪書目ニ画工近藤周次トアリ」)    ☆ 文政九年(1826)     ◯「文政九年丙戌日記抄」①12 文政九年(1826)四月八日(『馬琴日記』第一巻)   〝画工北斎来る。明後十日、画会致候に付、杉浦女、柳新へ案内いたしくれ候様、申に付、お百を以て、    案内致させ也。即刻帰去。杉浦方へ扇二本持参のよし〟    〈この北斎は「後の北斎」であろう。杉浦は杉浦清太郎で神田明神下、馬琴宅の地主。柳新は未詳。お百は馬琴の妻。     文政九年四月十日開催の画会の案内を、北斎自らおこなっているのだが、馬琴に対する案内というより、杉浦女他に     対してのものであるかのように、馬琴は記している。翌年の歌川国丸や歌川国貞の書画会、名弘会への対応に比べる     と、馬琴のこの北斎への対応はずいぶん素っ気ない感じがする。当然と云うべきか、当日に関する記事は見あたらな     い〉    ☆ 文政十年(1827)      ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(文政十年刊)    葛飾戴斗二世画    『校本庭訓往来』東都戴斗先生画図 峰岸龍父校  岡田群玉堂板 〔漆山年表〕    『万職図考』  葛飾戴斗先生画  楠里亭其楽序 河内屋茂兵衛板〔漆山年表〕     ☆ 文政~天保    ◯「絵入狂歌本年表」(〔狂歌書目〕は『狂歌書目集成』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇狂歌(文政~天保期刊)    葛飾戴斗二世画『日本名物画賛狂歌集』二冊 葛飾戴斗画 文々舎蟹子丸編    ☆ 天保元年(文政十三年・1830)    ◯『滝沢家訪問往来人名録』下121(曲亭馬琴記・文政十三年六月二十日)   〝庚寅(文政十三年))六月廿日地主杉浦より紹介 大暑中ニ付未面 麹町天神前京極飛騨守殿家臣     北斎門人之よし 近藤伴右衛門 画名 葛飾戴斗〟    ☆ 天保四年(1833)     ◯『滝沢家訪問往来人名録』下123(曲亭馬琴記・天保四年十一月六日)   〝巳(天保四年)十一月六日 口状書持参 是より前杉浦氏継母紹介ス来面 麹町天神前 京極飛騨守殿    家臣 画名後ノ北斎戴斗 近藤伴右衛門〟    ◯「天保四年癸巳日記」③479 九月廿六日(『馬琴日記』第三巻)   〝杉浦老婆、今の北斎戴斗と交ひくれ候様、頼ニ来ル。多様ニ付、及断畢〟    〈杉浦は神田明神下・馬琴宅の地主。「今の北斎戴斗」最初北泉と称した近藤伴右衛門。隣家の地主を通して交際を求     めて来たのである。馬琴は断ったが、ことはこれで終わったわけではなかった。十月十日日記参照〉     ◯「天保四年癸巳日記」③511 十一月六日(『馬琴日記』第三巻)   〝( 丁子屋の使い)根岸画工重信方へ罷越候よし〟     〝近藤伴右衛門事、画名戴斗、口状書持参。是迄地主杉浦氏老母を以、対面之事、度々被申入候処、多用    ニ及れ候間、自身罷越、ひたすら願候よし也。来月中旬、又可参よしニて、おみちへ口状書わたし、帰    去〟    〈九月廿六日参照。「今の北斎戴斗」は何としても馬琴に面会したいらしい。来月中旬、再度訪問する旨の口状書を置     いていった〉    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③313(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝戴斗【文化、文政ノ人】    俗称伴右衛門、遠藤氏【小笠原家浪人也】始メ北泉、居住麹町平川天神前ニアリシガ、後不知、    北斎の門人なり、名を譲り受て、二代目戴斗なり、画風師の筆法を能く学び得たり、真偽ややもすれば    不知、浪花の刻本を多く画り、【犬北斎ト云、カクトコロノモノヨク似スルヲ以テナリ】      武者鏡【板元浪花】      戴斗(二代目)画譜      小紋雛形    其多、読本類七八種あり、枚挙すべからず〟    ☆ 天保六年(1835)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保六年刊)    葛飾戴斗二世画    『万職図考』二三編 二冊 葛飾戴斗先生画 河内屋茂兵衛板〔漆山年表〕              二編 青陽楠里亭其楽序 三編 燕石楼主人銀雞     ☆ 天保七年(1836)     ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(天保七年刊)    葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』初・二編 葛飾戴斗画 池田東籬亭作〔目録DB〕    ◯『馬琴書翰集成』④241 天保七年(1836)八月十四日 馬琴、古稀の賀会、於両国万八楼   (参加者。天保七年十一月五日、林宇太夫宛(第四巻・書翰番号-68))   〝本画師    谷文晁【老病に付、名代として孫女を遣し候】 谷文一【文晁孫】 渡辺花山    有坂蹄斎 南嶺 南溟 鈴木有年 長谷川雪旦      一峨【この外従(泛々カ)の画工は、しるすにいとまあらず】 文晁弟子両三人も出候     浮世画師    歌川国貞貞秀等五七人の高弟を倶して出候】 英泉 同国直 同国芳    歌川広重 柳川重信 葵岡北渓 〔後ノ北斎載斗〕    ☆ 天保八年(1837)    ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(天保八年刊)    葛飾戴斗二世画『渡世肝要記』二編 画工戴斗画 或ハ墨仙歟 桃花山人序 積玉圃蔵〔漆山年表〕                   二世柳川重信 文晁 須原屋伊八他板     ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(天保八年刊)    葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』三・四編 葛飾戴斗画 池田東籬亭作〔目録DB〕      ☆ 天保九年(1838)    ◯『馬琴書翰集成』⑤13 天保九年(1838)二月六日 殿村篠斎宛(第五巻・書翰番号-3)   〝(『絵本三国志』)右画工の事、第三編ニ葛飾戴斗トあれバ、桂窓子ハ云云被申候へども、前の北斎也    と思召候よし。それハ乍憚、思召ちがひニて可有之候。後の北斎ハ、俗称近藤伴右衛門ト云、麹町平川    天神前、高家衆京極飛騨守殿家臣也。文化中、金七両ヲ以、その師ニ葛飾北斎戴斗の名号を譲りうけし    者是也。この後、前の北斎為一と称し候。これらニて御了然たるべき歟。その画の拙、彼近藤伴右衛    門ならバ、さこそと致想像候〟    〈『絵本通俗三国志』(池田東籬亭校正・葛飾載斗画・天保七年~十二年刊)の画工葛飾戴斗を、小津桂窓は「前の北     斎(為一)」と勘違いしていたのである〉    ☆ 天保十年(1839)    ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(天保十年刊)    葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』五編 葛飾戴斗画 池田東籬亭作〔目録DB〕    ☆ 天保十一年(1840)    ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(天保十一年刊)    葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』六編 葛飾戴斗画 池田東籬亭作〔目録DB〕    ☆ 天保十二年(1841)    ◯「読本年表」(天保十二年刊)    葛飾戴斗画『絵本通俗三国志』七・八編 葛飾戴斗画 池田東籬亭作〔目録DB〕    ☆ 天保十三年(1842)    ◯「読本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇読本(天保十三年刊)    葛飾戴斗画『三韓退治図会』葛飾戴斗画 山月庵主人(瀬川恒成)作〔目録DB〕    ◯『【江戸現在】広益諸家人名録』二編「コ部」〔人名録〕②83(天保十三年夏刊)   〝画 戴斗【名(空白)豊岡藩】糀町平川町 近藤伴右衛門〟    ☆ 天保十五年(弘化元年(1844))    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち・(*)は編者注)     ◇「葛飾為一」の項   〝(北斎)再名を門人に譲りて、雷信錦袋舎戴斗と改めたり、前ノ北斎戴斗と書す(中略)是をも、文化    の末年門人に譲り(北泉にゆづる)前北斎為一と改名す〟
    「葛飾北斎系譜」     〝二代目 門人 戴斗〟      ◇「戴斗」の項   〝戴斗 文化文政の人    俗称 伴右衛門  遠藤氏 小笠原家浪人なり    始 北泉  居住 麹町平川天神前、後不知    北斎の門人也。名を譲受て二代目戴斗となり、画風師の筆法を能く学び得たり。真偽ややもすれば不知。    浪花の刻本を多くあり(世に犬北斎といふ、画の似たる故なり)      武者鏡 (板元浪華) 絵本     (二代目)戴斗画譜   同      小紋雛形       同    其外読本類七八種あり〟    ☆ 嘉永元年(弘化五年・1848)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(嘉永元年刊)    葛飾戴斗画『花鳥画伝』初編 葛飾戴斗画 松亭金水序 須原屋新兵衛他板〔漆山年表〕     ☆ 嘉永二年(1849)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(嘉永二年刊)    葛飾戴斗画『花鳥画伝』二編 葛飾戴斗画 金水陳人序〔漆山年表〕           (初編ハ嘉永元年刊也、明治二十三年再版を出せり)    ☆ 没後資料    ◯『嗚呼矣草』〔大成Ⅰ〕(大阪、河内屋茂兵衛出版目録・年代未詳)   ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」⑲274   〝東都葛飾戴斗画/花鳥画傳/【初編/二編】全二冊    此書は花鳥草木の図を何くれともらさず輯たれば画を好み玉ふ雅児たち師を需ずして画法をしるいと重    宝の絵手本なり〟    〈「国書基本DB」葛飾戴斗二世著。初編、嘉永元年・二編、嘉永二年とする〉     ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」⑲275  〝葛飾戴斗画/英雄図会/全一冊    此書は本朝英雄良将名士の省像(セイゾウのルビ)を葛飾大人細筆に画工せられ、それ/\に小伝をくわへた    れば諸君子求て上覧し玉ふべし〟    〈「国書基本DB」『英雄図会』南里亭其楽作・玄竜斎戴斗(葛飾戴斗二世)画・文政七年刊とあり〉     ◇「大阪書林 河内屋茂兵衛梓」⑲275   〝渓斎英泉画/画本錦之嚢/全一冊    葛飾戴斗画/万職図考/【初篇 二篇 三篇 四篇 五篇】全五冊    此絵本は金銀銅鐵、象眼、居物彫物師、堂塔宮殿の彫物、根付、櫛、笄、釵、諸金具、飾師、陶器錦絵、    沈金蒔絵、あるひは煙管張、花布(サラサのルビ)糊置、上絵、染物形、幟画その外諸職にあつかふ図絵、山    水、人物、花鳥、虫獣等もつはら職巧の写真をもとむる。万家大に益ある絵手本なり〟    〈「国書基本DB」によると、英泉の『画本錦之嚢』は文政十一年刊。葛飾戴斗二代の『万職図考』は初~三篇は天保     六年刊、四~五編は嘉永三年の序〉     ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   ◇「宮川氏系譜」の項 ⑪187
    「宮川長春系譜」     〝(戴斗(北斎)門人)二代目戴斗〟(名前のみ)
  ◇「戴斗」の項 ⑪218   〝始北泉と号、俗称伴右衛門、麹町平川天神前に住す。小笠原家の浪人なり。後師の名を譲り受て二代戴 斗となり、画風師の筆法を能く学び得たり。真偽やゝもすれば見まがふ計也。世に犬北斎といふ。浪花 の刻本多くあり。     武者鏡     戴斗画譜     小紋雛形〟      ◇(京寺町通松原下ル町菊屋喜兵衛板)「絵手本并読本附録」の項 ⑪237   〝花鳥画伝   二冊  葛飾戴斗   万職図考 五冊  葛飾戴斗    絵本英勇図会 一冊  葛飾戴斗〟    〈「国書基本DB」は『花鳥画伝』を嘉永元・二年刊、『万職図考』を天保六・嘉永三年刊、『英雄図会』を南里亭其     楽輯・玄竜斎戴斗画、文政七年刊とする〉    ◯『古代浮世絵買入必携』p8(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝【二代】葛飾 戴斗    本名 伴右衛門  号 玄龍斎   師匠の名 北斎    年代 凡六七十年前    女絵髪の結ひ方 第十一図・第十二図 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 並判、小判、絵本、肉筆    備考   版物又は肉筆共初代戴斗(北斎)と間違易し〟    ◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   (「葛飾北斎系譜」より)   〝北泉(北斎門人)二世戴斗〟
      「葛飾北斎系譜」    ◯『浮世絵師伝』p117(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝戴斗 二代    【生】           【歿】    【画系】北斎門人      【作画期】文政~嘉永    葛飾を称す、姓は藤原、近藤氏、名は文雄、俗称伴右衛門、豊岡藩士にして上野山下に住み、後ち麹町    平河町に移る、初め斗円楼北泉と号せしが、文政二年より師の号戴斗を襲用せり、また別号を洞庭舎・    昇山・玄龍斎・米華斎・米華道人といふ、画風の師に酷似せること、同門中北渓を除くの外、恐らく彼    の右に出づる者はあらざるべし、故に彼の作品を以て往々北斎の作と混同するが如き例尠しとせず。彼    は又、篆書に習熟したりしと見え、其が作品中画面の一部に装飾的に篆書を配したるもの多し。彼の作    品中「張交ぜ」と称する錦絵あり、其の内「月夜の山水」、「鯉」の二図は佳作として世に知らる、絵    本類は大略次の如し。『戴斗画譜』・『花鳥画伝』・『武者鏡』・『英雄図会』・『二十四孝図会』・    『小紋雛形』・『万職図考』・『絵本通俗三国志』(読み本)。一説に二代戴斗を以て、吉原仲ノ町の    引手茶屋の主人亀屋喜三郎とするは、二代北斎の事を誤り伝へたるものなるべし。(二代北斎の項参照)〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文政元年(四月二十二日改元)戊寅」(1818)p191    九月、葛飾戴斗の画ける『和語陰隲文絵抄』出版〟    〈この葛飾戴斗は二世戴斗〉      ◇「文政一〇年 丁亥」(1827)p203   〝八月、葛飾戴斗の画ける『万職図考』出版。    十一月、戴斗の画ける『校本庭訓往来』出版〟     ◇「天保六年 乙未」(1835)p214   〝六月、葛飾戴斗の『万職図考』二・三編出版〟     ◇「嘉永二年 己酉」(1849)p228   〝九月、葛飾戴斗の『花鳥画伝』二編出版〟     ◇「嘉永三年 甲戌」(1850)p228   〝正月、葛飾戴斗の画ける『万職図考』出版〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔葛飾戴斗画版本〕     作品数:10点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:亀屋・玄竜斎・葛飾戴斗・玄竜斎戴斗    分 類:読本3・往来物2・絵画2・絵本1・漢学1    成立年:文政2~3・5・7年(5点)        天保6・13年   (2点)        嘉永1~3年    (3点)    〈「日本古典籍総合目録」が別称としてあげる「亀屋(きおく)」の使用例は見当たらない〉     (玄竜斎名の作品)    作品数:1点    画号他:玄竜斎戴斗    分 類:絵本1    成立年:文政7年    〈一点は南里亭其楽輯の『英雄図会』〉
 
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