※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」
☆ 文政元年(文化十五年・1818)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕
◇絵本(文政元年刊)
葛飾戴斗画『和語陰隲文絵鈔』二冊 葛飾戴斗画図 桑山道人序 宋栄堂(秋田屋)
(戴斗ハ北斎門人亀屋喜三郎なるべし)
〈これは下掲『浮世絵師便覧』に拠ったのであろうか。〔目録DB〕は文政三年刊〉
◯『浮世絵師便覧』p217(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝戴斗 北斎門人、俗称亀屋喜三郎、戴斗の名を譲らる、◯文政〟
○『墓所一覧表』(山口豊山編 成立年未詳)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝戴斗為一(忌日なし)箕輪 東光山薬王寺 新吉原引手茶や亀や喜三郞
〈『墓所一覧表』は上掲『浮世絵師便覧』記事に拠って亀や喜三郎を戴斗としたのであろうが、池田義信(渓斎英泉)の
『無名翁随筆』は吉原の亀屋を二代目北斎とする(本HP「浮世絵師総覧」葛飾北斎二代参照)。戴斗と為一の初代は
いうまでもなく葛飾北斎で、戴斗二世は豊岡藩士・近藤伴右衛門、為一二世は名古屋の近藤氏とされる。今のところ
亀屋喜三郞と戴斗とを結ぶものは『浮世絵師便覧』記事だけのようだが、そもそも飯島虚心が何に拠ったものか判然
としない。然るに『墓所一覧表』は亀屋を「戴斗為一」とした。これは墓石あるいは過去帳に基づいたものなのであ
ろうか〉
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「文化一三年 丙子」(1816) p189
〝此年、葛飾北斎、其号戴斗を、門人新吉原の引手茶屋の主人亀屋喜三郎に譲るといふ説あり〟
〈井上和雄の『浮世絵師伝』は「葛飾戴斗二代」の項で「一説に二代戴斗を以て、吉原仲ノ町の引手茶屋の主人亀屋喜三
郎とするは、二代北斎の事を誤り伝へたるものなるべし」として、亀屋の戴斗二代襲名を否定している〉