Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ そせん もり 森 狙仙浮世絵師名一覧
〔延享4年(1747) ~ 文政4年(1821)7月21日・73歳〕
 ☆ 寛政二年(1790)    ◯『浪華郷友録』「画家」〔人名録〕①281(毛必華編・寛政二年九月刊)   〝森守象【号霊明菴、舟町】森祖仙〟    ☆ 寛政四年(1792)    ◯『壬子作遊日記』〔百花苑〕④16(頼春水記・寛政四年三月二十九日記)   〝黄葉村舎 君啓、応挙、楠亭、白桃、狙仙ノ画ヲミル〟    〈頼春水(山陽の父)が、福山藩神辺の菅茶山の塾・黄葉村舎にて一見したもの。京都の市川君啓、円山応挙、西村楠     亭・森狙仙。白桃は未詳〉    ☆ 享和二年(1802)    ◯『羇旅漫録』〔大成Ⅰ〕①263(曲亭馬琴著・享和二年十一月記事)   “大坂は今人物なし。蒹葭堂一人のみ。是もこの春古人となりぬ。玉山が画は書肆のみ珍重して。雅人は    これを譏れり。又祖仙は猿の写生をよくす。その他が工などいくらもあれども京に及ばず〟  ☆ 文化六年(1809)     ◯『噺の笛』〔大成Ⅲ〕⑥166(暁鐘成著・文化六年記事)   〝大坂の画師森祖仙は獣の名人にして、殊に猿を画くこと妙を得たり。是によつて中頃名を狙仙と書改む。    此頃猿猴の生写しを画かれしに、実に壱毛のたがひなし。予も是には感に堪たり。もしいまだ猿猴を見    ざる児童あらば、彼先生の生写を見るべし〟    ☆ 没後資料    ◯『無可有郷』〔百花苑〕⑦381(詩瀑山人(鈴木桃野)著・天保期成立)   (「浮世絵評」の項)   〝浮世画の名人は、よく其時の風俗を写すをよしとす。然れども画の名ありてより此かた、筆意といふこ    とを言ふ故に、蘭画のごときものは品を下して画に齢せず。是におゐて祖僲、応挙の輩写生より筆意を    加へて両全の謀をなす〟    〈この「祖僲」を森狙仙とみた〉    ◯『椎の實筆(抄)』〔百花苑〕⑪402(蜂屋椎園編・嘉永年間写)   (安西於菟編「近世名家書画談」の稿本より写す。)   〝宗達、光琳が草花、松花堂布袋、英一蝶が人物、平安の四竹、大雅堂、謝春生山水、應擧幽霊、森祖仙    祇園南海梅、柳里恭竹〟    〈「平安の四竹」とは宮崎筠圃・御園中渠・浅井図南・山科李蹊。「謝春生」は与謝蕪村。安西雲煙(於菟)著『近世     名家書画』は天保元年~嘉永五年の成立。蜂屋椎園は骨董店にて入手した写本を〝安西繍虎と云人の輯せし、近世名     家書画談といふものゝ稿本也と記している〉    ◯『古今墨蹟鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④237(川喜多真一郎編・安政二年春刊)    〝森祖先【名ハ守象、字ハ叔?、大坂ノ人、猿ヲ画ク其形状似ルコト真ニ逼レリ、因テ世大イニ称誉ス、    晩年祖ノ字ヲ狙ニ作ル、文政四年歿ス、年七十五】〟    ◯『浪速人傑談』〔続燕石〕②43(政田義彦著・安政二年十月序)   〝森狙仙、霊明菴と号し、花屋八兵衛と称す、浪花の人也、寛延二年、船町に生る、幼年より画を好み、    初狩野家に従ひて学びしが、遂に妙を得て、画名世に高し、近代之写生家之名手にして、殊更、猿猴之    画に於ては古今独歩なる事、世の知る所也、或人より、天満祠へ画馬奉納に付、野猪之図を頼まれしに、    何卒其真形を写さんと、和州より小猪を買求め、庭に飼置て描かれしに、其画群に秀たる、見る人賞誉    せし、写生に意を用ひられしの篤きを見るべし、猶奇なる話一条を挙ぐ、芸州宮島の絵馬堂に、狙仙先    生自筆極妙之猿之画馬有しが、或人其前へ猿を連れ行きたりしが、其猿目を怒らし、飛かゝりし事有し、    狙仙氏の猿画の妙成事を、其頃彼地に於て、専噂せしとかや、此一条はたしかなる事にて、浮たる話に    あらず、何事によらず、至極の妙処を得たる人は、かゝる奇特も有事ならん、是を以て見れば、往古巨    勢金岡が描きし馬は、夜中に出て田畑をあらし、唐之代【玄宗の時の名画】呉道元が雲竜は、雨をふら    せしなど、専世上に称する所也、此理全くなしとも定めがたし、兎角、耳を尊み目を賤しむと云諺にて、    むかしの事は慕はしく、今を賤しむ、人情の常なれば、若し狙仙氏をして、千年のいにしへにあらしむ    れば、かならず巨勢氏の如く賞すべし、惜しむべし、    文政四年辛巳七月廿一日卒せらる、齢七十三なり、西天満西福寺に墓有、狙仙氏、初祖仙と書れしが、    中年之後は狙仙と改められしは、狙字を猿と訓する故、猿画の仙と云意にて改められしにや、知らず、    狙仙先生之子を徹山と称す、是又近代画名高く、狙仙子の兄に周峰と云有、西山周山の門人にて、近代    の名手なりし、     因に記す、文政の初の頃、南江戸堀三丁目に、君山の門人に、月居寉山と云画工ありし、猿画をみづ     から描き、祖仙の印刻を贋作して、他処に持行、狙仙先生の自筆なりと偽り、高価に売りし事有、狙     仙氏存生の時すらかくの如し、況や没後をや、是等人を迷はす姦賊にして、他之画名をけがすの甚し     き者にて、悪むべきもの也、     古き書画を求むるには、能々真偽を正すべきにこそ〟    ◯『名人忌辰録』下巻p35(関根只誠著・明治二十七(1894)年刊)   〝森狙仙 守象    字叔牙、浪華西宮の人、初め祖仙、後狙仙とかく。文政四巳年七月廿一日歿す、歳七十五〟  ◯「集古会」第百九十九回 昭和十年一月(『集古』乙亥第二号 昭和10年1月刊)   〝浅田澱橋(出品者)森狙仙筆 版画 猪図 一枚〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:1点    画号他:狙仙・霊猫菴狙仙・如寒斎・祖先    分 類:絵画1    成立年:記載なし    〈岸駒・丸山応瑞・上田公長・長山孔寅等と合作した『山水花鳥人物図』一帖のみ〉