◯『無名翁随筆』〔燕石〕③319(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
「堤等琳系譜」〝浅草寺に韓信の額あり、秋月と云し比、三代目等琳に改名せし時の筆なり、今猶存す〟
◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)
「堤等琳系譜」〝(二代目等琳門人)秋月 三代目等琳と云〟
◯『浮世画人伝』(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
◇「堤等琳」の項 p73
〝堤等琳は初め秋月といひ、後雪山と改む、又深川に住して深川斎の別号ありしが、両国米沢町に移りて
法橋に叙せられ、自ら僧雪舟十一世の孫と称し、天明の頃、専ら行はれし、祭礼の献燈又は摺物団扇の
類を多く画きて大いに世に聞えぬ。等琳未だ秋月と称せし頃、浅草観音堂に、韓信俛出胯下図の絵馬を
画きて奉納し、世間に名を知られ、遂に三世等琳の名を嗣ぎぬ。等琳の名三代ありと雖(イエドモ)も、其
一世二世の事蹟詳(ツマビラカ)ならず。今伝聞する処の家系を左に掲て参考に供ふ〟
◇「堤等琳系譜」より p74
「堤等琳系譜」