Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ しゅんどう かつかわ 勝川 春童 初代浮世絵師名一覧
(勝川春道〈しゅんどう〉初代・蘭徳斎〈らんとくさい〉参照)
  〔従来、勝川春童と春道と蘭徳斎春童とは同人として一括してきたが、同じ年にそれぞれ名が別々に出てくること、    さらに同人を疑問視する説もあることから(本項、寛政六年の条参照)本HPでは別項とした。ただし、この項    では参考のために勝川春道・蘭徳斎春童の版本作品も収録した〕  ※『黄表紙總覧』(棚橋正博著・日本書誌学大大系48)  ☆ 天明八年(1788)    ◯「日本古典籍総合目録」(天明八年刊)   ◇黄表紙    蘭徳斎画    『亀子出世』『大々太平記』『姦顔取堪忍帒』『三薬太平記』『蛤金久連里』『見可徳言門上下』    勝川春道画『板垣三郎出世寿』『蝦夷渡義経実記』    勝川春童画『傘之濫觴』『夫者徳奢玉得』>    ☆ 寛政元年(天明九年・1789)    ◯「日本古典籍総合目録」(天明九年刊)   ◇黄表紙    蘭徳斎画     『嗚呼辛気楼』『二口〆勘略縁起』『太平権現鎮座始』『十千万両貨殖金』    勝川春童画『妙智力繁花鉢木』    ☆ 寛政五年(1793)    ◯『黄表紙總覧』中編(寛政五年刊)    蘭徳斎春童画『音聞七種噺』署名「蘭徳画」西村屋板    ◯「日本古典籍総合目録」(寛政五年刊)   ◇洒落本    勝川春童画『言葉の玉』春光園花丸作    〈これについて『洒落本大成』第十六巻の解題は寛政六年刊とする〉    ☆ 寛政六年(1795)    ◯『黄表紙總覧』中編(寛政六年刊)    蘭徳斎春童画    『曽我十番切』署名「蘭徳画」        西村屋板     〈備考、西村屋の新版目録より当年の初版とする〉    『忠臣金短冊』署名「蘭徳斎画」「黄山自惚作」西村屋板     〈天明年間刊『忠臣金短冊』の再刻再板本だが画工が異なる。天明のは北尾政美画〉    ◯『洒落本大成』第十六巻   ◇洒落本    勝川春童画『言葉の玉』春光園花丸著    〈解題は「本書は小説年表類には、跋末の年記によってか、寛政五年となっているが、当然寛政六年春の刊行とみるべ     きであろう」とある。また画工に関しても、解題は「画師の勝川春童も、天明、寛政期、江戸で黄表紙に多く筆を揮     った蘭徳斎春童と同一人とするには、やはり躊躇せざるを得ない」とする〉    ☆ 文化三年(1806)    ◯『黄表紙總覧』後編(文化三年刊)    蘭徳斎画    『有識鎌倉山』署名「蘭徳斎」  岩戸屋板     〈備考、刊年は岩戸屋の文化三年の新板目録に拠る。寛政三年板『有職鎌倉山』と同十一年板『星月夜鎌倉山』の合成再板〉    『将門一代記』署名「蘭徳斎」  岩戸屋板     〈備考、刊年は岩戸屋の文化三年の新板目録に拠る。寛政三年板『将門冠初雪』と『純友勢入船』の合成求板改題再板本〉         勝川春道画    『出世太平記』署名「勝川春道画」岩戸屋板     〈備考、天明四年板『出世太平記』の再板〉    ☆ 文政八年(1825)  ◯「勝川春英翁略伝」文政八年十月 六樹園石川雅望撰(牛島長命寺建立碑文)    (『浮世絵編年史』(関場忠武 明治24年12月刊)より。国立国会図書館デジタルコレクション画像50/74コマ)    (石碑の背面)   〝春徳  春童  英斎  英章  春幸  春景  春陽  春勢  春柳  春馬    春雄  春和  馬場氏     梅屋野史曰、右勝川春英が略伝を刻める碑は向島長命寺にあり、碑面上横に勝川春英翁略伝の七字を刻    み、その下に文を刻めり、また碑背に春徳以下の名を彫りたり、伝文にまなびをうけたる人々かたらひ    あわせて石を立とあれば、皆春英門人なるべし〟    〈「梅屋野史」とは内題下に「関場梅屋編輯」とあることから関場忠武の自称であろう〉    ☆ 没後資料  ☆ 天保四年(1833)  ◯『無名翁随筆』③297(無名翁(渓斎英泉)著・天保四年成立)
    「宮川春水系譜」〝(勝川春水門人)春童【称春道、号蘭徳、門人か】〟  ☆ 明治以降(1868~)  ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年(1898)六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(42/103コマ)   〝勝川春童【寛政元年~十二年 1789-1800】名は春道、蘭徳斎と号す、春章の門弟にて、一枚絵を画けり〟      ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)   〝春童 春章門人、本姓は林氏、初め春水門に学び、勝宮川と称す、後に蘭徳斎と号す、名は春道と云ふ、    寛政頃〟    ◯『浮世絵師伝』p97(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝春童    【生】  【歿】  【画系】春章門人  【作画期】明和末~寛政三    勝川を称す、蘭徳斎と号し、後に春道を画名とす、安永、天明頃には多く役者絵を画き、また黄表紙の    挿画も尠からず、寛政年間まで作画を続けしものゝ如し。其が作品中、寛政初年頃の筆と覚ぼしき美人    画(肉筆)に「道法自然」といへる印章あるを見れば、彼が抱負の一端を察するに足らむか。また、寛    政三年の絵暦には「蘭徳斎祥用画」と落款せり。一説に、彼は初め春水に学び、後ち同門の先輩たる春    章の指導を受けしなりと云ふ、最も多く春章の感化を蒙りし事は、其が作品によりて立証せらるゝ所な    り。『鹿子餅』と題する小咄本(小形六册)あり、初編上中下は春章の挿絵、二編上中下は蘭徳斎春童    画とあり、奥附には双方共明和九年正月吉日堀野屋仁兵衛外二店の版元なれども、二編の跋には其前に    上編を売出したる如く書込みあり。何れにしても春章の初弟子にて描方も巧みなる故、師より愛せられ    たる者ならむ〟     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔勝川春童画版本〕    作品数:3点  画号他:勝川春童  分 類:黄表紙3・洒落本1    成立年:天明8年 (2点)        寛政1・5(2点)