◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
「堤等琳系譜」〝(二代目等琳門人)堤等琳 三代目 法橋 別記あり 雪山 深川斎〟
〈別記とは三代目堤等琳の項目のこと〉
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1412(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)
〝深川斎堤等琳 寛政より文化中【今按ニ寛政ノ部ニ出ル、堤等琳同人ナルベシ】〟
◯『浮世画人伝』p73(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
(「堤等琳」の項)
〝堤等琳は初め秋月といひ、後雪山と改む、又深川に住して深川斎の別号ありしが、両国米沢町に移りて
法橋に叙せられ、自ら僧雪舟十一世の孫と称し、天明の頃、専ら行はれし、祭礼の献燈又は摺物団扇の
類を多く画きて大いに世に聞えぬ。等琳未だ秋月と称せし頃、浅草観音堂に、韓信俛出胯下図の絵馬を
画きて奉納し、世間に名を知られ、遂に三世等琳の名を嗣ぎぬ。等琳の名三代ありと雖(イエドモ)も、其
一世二世の事蹟詳(ツマビラカ)ならず。今伝聞する処の家系を左に掲て参考に供ふ〟
◯「集古会」第百九十二回 昭和八年九月(『集古』癸酉第五号 昭和8年11月刊)
〝木戸忠太郎 京都(出品者)深川斎画 達磨三絃を弾く図 一枚 文化年中小板画〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔深川斎名の作品〕
作品数:1 画号他:深川斎等琳 分 類:滑稽本1
成立年:文化6年
(一点は山赤亭川々作『諸国無茶修行』)