pi 
Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ しげのぶ にしむら 西村 重信浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』    『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(木村八重子著・平成二十一年(2009)刊)  ☆ 享保二十一年(1736)    ◯『浮世草子考証年表-宝永以降』(享保二十一年刊)   『諸分名女多葉粉』横本 五巻五冊 華亭作 享保二十一年正月刊     序 「長閑なる日 作者華亭」     署名「絵師 西村庄右衛門重信」     刊記「享保廿一年辰正月求板 順慶町心斎橋角  河内屋茂兵衛                   北久太郎町心斎橋 せと物や伝兵衛」     (「年表」は「その頃江戸で刊行された作をあまり間をおかずに大坂に移入したものであろうか。解      題本の疑ひもある」とする)    ☆ 享保年間(1716~1735)    ◯『赤本黒本青本書誌』   ◇赤本〈刊年未詳ながら、とりあえず享保年間に入れておいた〉   『鼠のゑんぐみ』(西村孫三郎重信 伊勢屋版)    〈解題、朝倉無声著『新修日本小説年表』記事「西村孫三郎重信 伊勢屋版」を引く〉    ☆ 元文二年(1737)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(元文二年刊)    西村重信画『女今川』一冊「画工 西村孫三郎重信筆」田むらよし尾女書    ◯『赤本黒本青本書誌』   ◇赤本〈刊年未詳ながら、下記解題から元文二年に入れた〉   『鼠のよめ入』(後補書題簽)署名「西村重信筆」「西村孫三良」    〈解題、役者の改名から、元文二年十一月から寛延元年十一月までの作とする。寛延十二月以降の改刻版がある由〉    ☆ 延享(1744~1748)以前    ◯『草双紙事典』   ◇赤本    西村重信画『鼠のよめ入』延享以前の刊?とする    ☆ 寛延元年(1748)    ◯『赤本黒本青本書誌』   ◇赤本   「ねずみの嫁入」 改刻版 署名「西村重信筆」「西村孫三良」    〈解題、この改刻版の「ねずみの嫁入」は役者名から寛延元年十二月以降の作とする〉    ☆ 宝暦年間(1751~1763)    ◯『赤本黒本青本書誌』   ◇赤本   『福神あそび』 署名「西村重信図」「西村重信筆」    〈解題、本書は西川祐信画『絵本大和童』(享保十六年刊)の中巻にある諸芸を七福神に取りなしたものという。「仮     年表」は宝暦頃の刊とする〉    ☆ 宝暦・明和(1751~1771)頃    ◯『赤本黒本青本書誌』   ◇赤本   『桃太郎昔咄』(西村孫三郎重信画作 鱗形屋版)    〈解題、西村重信画とする『国書総目録』を引く。しかしこの赤本の存在は不明とする。『桃太郎昔語』はこの再刻版     とされる〉     ☆ 安永六年(1777)    ◯「日本古典籍総合目録」(安永六年刊)   ◇黄表紙    西村重信画 『桃太郎昔語』    〈『草双紙事典』はこれを再版本とする。なお原本の刊年は未詳の由〉    ◯『赤本黒本青本書誌』「赤本以前之部」(安永六年刊)   ◇青本(安永六年以降の刊行)   『【再板】桃太郎昔語』 書名「西村重信図」「ゑし西村孫三良」 鱗形屋板    〈赤本『桃太郎昔咄』の再刻版とされる〉    ☆ 刊年未詳    ◯『草双紙事典』(刊年未詳)    西村重信画・西村孫三郎画 『桃太郎昔話』    ☆ 没後資料    ◯『瑣々千巻』〔南畝〕⑩332(文化八年四月八日記)  〝忠臣身替公平 六段 絵師 西村重信図〟    〈「六段」とは古浄瑠璃の事。この書籍のことは「書簡 167」(文化八年四月八日付「青山堂」宛)にもあり、〝丹表     紙之中点検いたし、表題或は序書候分〟として『忠臣身替公平』の書名をあげる。この本は土佐節の浄瑠璃本らしい     のだが未詳。「日本古典籍総合目録」に『【金平法問諍】忠臣身替物語』とあるのが『忠臣身替公平』に相当すると     思われるが、作者名は見あたらない〉    ◯「天保五年甲午日記」④35 二月十日(『馬琴日記』第四巻)   〝木村亘より使札。(中略)西村重信古錦画一枚、被贈之。(中略)江戸作者部類一の巻、鑑古抄三より    六迄貸遣ス〟    〈西村重信の「古錦画」とあるが、この重信が西村孫三郎重信だとすると漆絵・紅絵時代の絵師であるから「錦画」は     不審。木村亘(黙老)は紅絵を「古錦絵」としたのだろうか。なお、この「江戸作者部類一の巻」は二月三~四日に     成った増補分だろう〉    ◯『浮世絵師便覧』p234(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)   〝重信(ノブ) 西村氏、重長の男か、一枚絵あり、◯宝暦〟  ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(29/103コマ)   〝西村重信【元文元~五年 1736-1740】重長の男ならむ歟、なほ考ふべし、一枚絵を画けり〟    ◯「集古会」第五十三回 明治三十八年(1905)五月(『集古会誌』乙巳巻之四 明治38年9月刊)    清水晴風(出品者)丸山権太左衛門似顔絵 西村重信筆 一枚〟  ◯「集古会」第百三十五回 大正十一年(1922)一月(『集古』壬戌第二号 大正11年2月刊)    林若吉(出品者)赤本 西村重信 桃太郎 十丁一冊 宝暦頃〟  ◯『罹災美術品目録』(大正十二年九月一日の関東大地震に滅亡したる美術品の記録)   (国華倶楽部遍 吉川忠志 昭和八年八月刊)   ◇小林亮一所蔵 西村重信「遊女観桜図」(小林文七嗣子)  ◯『浮世絵師伝』p81(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝重信    【生】  【歿】  【画系】重長門人  【作画期】享保~延享    西村氏、俗称孫三郎、後に石川豊信と改む。(豊信の頃参照)〟    ◯『浮世絵年表』p90(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「元文二年 丁巳」(1737)   〝十二月、西村重信(孫三郎と称す。蓋し石川豊信の初名)の『女今川』に画けるあり〟    〈『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」は西村重信と石川豊信を別人とする〉    △『増訂浮世絵』(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝西村重信    寛永宝暦頃の風俗を写した婦人立姿の秋草を賞する着色小品に重信筆と書名し、下に西川筆の印を捺し    たものがある〟(p76)   〝西村重信    重信は西村重長の父であらうといはれて居る。この人の遺作は漆絵である。或は重長の子であらうとい    ふ人もあるが、重長の作には漆絵の外に晩年に、紅摺絵を作つて居るのに、重信のは皆漆絵で、紅摺絵    がないから、恐らく紅摺絵の創始される前に没した人であらう。然らば重長の父であらうといふ説は捨    てられない〟(p96)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:5   画号他:西村重信  分 類:赤本3・黄表紙1・浄瑠璃1    成立年:安永6年(1点)    〈「日本古典籍総合目録」は重信と石河豊信を同人とする。作品数五点は西村重信署名のもの。『浮世絵年表』のいう     往来物『女今川』は同目録に見当たらない。また『草双紙事典』によると、安永六年の作品『桃太郎昔話』は再版本     の由である〉