◯『若樹随筆』林若樹著(明治三十~四十年代にかけての記事)
(『日本書誌学大系』29 影印本 青裳堂書店 昭和五八年刊)
※(原文に句読点なし、本HPは煩雑を避けるため一字スペースで区切った。【 】は割書き
◇巻一
(歌川広重三代)p5〈明治30年代前半記事〉
〝清水晴風氏曰 予は元来絵を習ひしことあらず 或時数年前死せし広重【二世と称す】来りて 弟子と
いふては如何なれど 社中になりて呉れよとの事に 承諾せしに 予に重春といふ名を与へて 広重よ
りの系図書を贈りくれたり 広重はこれより錦絵などに 広重門重春の名を署して出版せり これ己れ
に弟子あるを示さんとてなり 而して此広重は頭の無き人なれば 少しく困難なる絵は 予の所に来り
て相談せり 誠に生きた粉本にされし訳なり〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝重晴 一世広重門人、清水氏、暁風と号す〟