Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ じゅうざん やながわ 柳川 重山浮世絵師名一覧
(柳川重信二代参照)
 ☆ 文政九年(1826)    ◯「読本年表」「日本古典籍総合目録」(文政九年刊)    柳川重山画『絵本梅花春水』柳川重山画 南仙笑楚満人作    ◯「人情本年表」『【改訂】日本小説書目年表』(文政九年刊)    柳川重山作『恋情穿語』初二編 春川英笑画 柳川重山・南仙笑楚満人作     〈〔目録DB〕の柳川重山作。画工ではないが収録した。〔事典〕の書名は『三人娘』〉    ☆ 天保三年(1832)    ◯『増訂武江年表』2p85(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (天保三年十一月二十八日、柳川重信逝去の記事中)   〝無声云ふ、志賀理斎が子は重山といひ、後二代目重信となりしなり〟    〈「無声」とは『増訂武江年表』の編者・朝倉無声〉    ☆ 天保四年(1833)    ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③315(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   (「柳川重信」の項)   〝(筆者注、重信)天保三年十一月歿す、門人重山、続て其業をなせり、按るに、重山は師重信の聟とな    れり、馬琴作の侠客伝二編五ノ巻の末二丁、重信病おもりし其時、重山続て画しものなり〟  ◯『馬琴日記』第三巻p339(天保四年三月八日付)   〝古人柳川重信壻、鈴木左源二事柳川重正初て来ル。丁子や平兵衛同道、紹介ス。旧冬重信病死の節の謝礼、    且、自分の画已来所用等之頼也〟    〈この柳川重正は、柳川重信が病状重篤になった時、板元丁子屋平兵衛が云った〝(俠客伝の)残りさし画四丁は、重信婿重政     に画せ候〟(昨年閏十一月五日記事)の重政と同人である。ところで渓斎英泉の『無名翁随筆』には〝(重信)天保三年十一     月歿す、門人重山、続て其業をなせり、按るに、重山は師重信の聟となれり、馬琴作の侠客伝二編五ノ巻の末二丁、重信病お     もりし其時、重山続て画しものなり〟とある。この記事からいえば、この重正(重政)は柳川重山と同人である。ところが馬     琴はこの年の十月二十一日に柳川重信二代と表記するまで、どういうわけか重山ではなく重正あるいは重政と書き記すのであ     る。理由はよく分からない〉  ◯「天保四年癸巳日記」③475 九月廿日(『馬琴日記』第三巻)   〝鈴木左源二事、画工重政来ル。予、対面。俠客伝四集二の巻の壱、かしら其外画直し、持参、見せらる。    一覧の処、玄関前ニ砂利画キ有之、蛇足也。八重ニ成候間、小石入候はりかごハ、此方ニてはりけし畢。    同さし画の弐下画も見せらる。それ/\示教、右用談畢て、帰去〟    〈次条にもあるように、重政(重正)と二代目柳川重信(重山)はともに「鈴木左源二」とあるから同人であるが、馬     琴はなぜか重山と記さず、重政あるいは重正で通していた〉    ◯「天保四年癸巳日記」③496 十月十六日(『馬琴日記』第三巻)   〝(丁子屋の小者)根岸重正方へ直しニ遣ス。(中略)根ぎしより帰来。重正方ニて直し出来、直し様未    佳といへども、そのまゝ写本へとぢ入、同巻十五丁より廿七丁迄、校合済、写本わたし遣す〟    〈十月十六日の時点ではまだ重正と記している。『開巻驚奇俠客伝』四集担当の重正(重政)の方は、馬琴の望むよう     な方向に挿画がいかないようで、直しが多い。しかしこれ以上やっても無駄と思ったのか「直し様未佳といへども」     と未練を残しながらも校合済にしてしまった〉     ◯「天保四年癸巳日記」③500 十月廿一日(『馬琴日記』第三巻)   〝鈴木左源二事、画名柳川重信(ママ)来ル。予、対面。俠客伝四集五の巻さしゑの弐、猿の処出来、見せら    る。但、四の巻さし画の弐ふりかへに成候趣、示談〟    〈馬琴はこの日からこれまでの記名・重政(重山)を柳川重信に改める。この日の来訪は襲名の挨拶廻りであろうから、     十月二十一日の直前に襲名したのであろう〉    ☆ 天保十五年(1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
   「葛飾北斎系譜」(雷斗門人 名前のみ)    ☆ 没後資料    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   ◇「宮川氏系譜」⑪187
   「宮川長春系譜」〝雷斗───柳川重信───二世重信 重山〟
  ◇「重山」の項 ⑪219   〝重信門人にして、後、師の聟となれり。馬琴作侠客伝二編五巻の二丁重信病おもく重山続て画しもの也。    初編は英泉画なり。彩色摺にて藤袴(小枝繁作)といふ画本あり〔割註 麹町角丸玉板〕。二世重信、    根岸に重す。     里見八犬伝 馬琴作〟    ◯『浮世画人伝』p121(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
   「葛飾北斎系譜」〝二世 重信(初代重信門人)初名重山〟     ◇「柳川重山」の項 p126   〝柳川重山(ルビやながわぢうざん)    柳川重山、字は子義、通称は谷城季三太雪蕉と号す。柳川重信の高弟にして其女を娶れり。重信の歿後    其名を継ぎて、二世重信と称しき。馬琴が著作か侠客伝』第二輯の挿画を作るに至りて、師重信が病篤    きに会し、僅に其輯末二丁を描きて筆を擱けり、其後、里見八犬伝巻末の挿画を物し、頗る好評を得た    りき〟    ◯『浮世絵師伝』p85(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝重山 二代重信の前名(ヂウザン)〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「文政六年 癸未」(1823) p198   〝正月、柳川重山の『絵本ふぢはかま』出版〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔重山画版本〕    作品数:3点  画号他:柳川重山  分 類:人情本2・読本1    成立年:文政9~11年(2点)        天保3~4(1点)