☆ 天保年間(1830~1844)
◯『近世名家書画談』二編(雲烟子著・天保十五年(1844)刊・『日本画論大観』上385)
〝漢土(モロコシ)浮世絵師の事
五雑俎第七ニ曰、姑蘇ニ張文元ナル者有リ、最モ美人ヲ工ミ、俗中ノ神仙也と。是此邦の菱川師宜、宮
川長春、西川祐信などの類なる歟、よく人世平生の情態をうつして絶技といふべし、今世又京師に乗龍、
江戸に国貞あり、師宣・長春とは異れどもよく風俗の情態を画て世の人情を動かすに至らしむ、是又そ
の妙域に入れる者にして得がたき伎能なり〟
〈『五雑俎』曰く「明、姑蘇の張文元なる者、美人画を善くして俗中の神仙なり」と。この張文元がさしずめ唐土にお
ける浮世絵師だと、雲烟子はいう。本邦では、師宣・長春・祐信、そして天保の現代では京都の乗龍・江戸の国貞な
どが、よく風俗の情態を写して世の人情を動かすに至らしむる技倆の持ち主だというのである〉
☆ 没後資料(下記『浮世絵師伝』の作画期に拠って、以下没後資料とした)
☆ 嘉永三年(1850)
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1411(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
〝乗龍 (補)又作上龍、或乗良
五雑俎第七曰、姑蘇有張文元者、最工美人、俗中之神仙也と、是此邦の菱川師宣、宮川長春、西川祐信
などの類なる歟、よく人世平生の情態をうつして、絶技といふべし、今世又京師に乗龍、江戸に国貞あ
り、師宣、長春とは異なれども、よく風俗の情態を画て、世の人情を動かすに至らしむ。是又その妙域
に入れる者にして、得がたき伎能なり、名家書画談二篇
(補)[署名]「上龍」[印章]「乗良」「真真」(白文丸印)〟
〈安西於菟著『近世名家書画談』は天保元年(1830)から嘉永五年(1852)の成立〉
☆ 明治年間(1868~1911)
◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)
〝平安美人画師 上龍 真龍 せいとく 大空 其鳳 春貞〟
〈「せいとく」は祇園井徳〉
◯『聴雨堂書画図録』巻二 渡辺省亭著・画 稲茂登長三郎 明治二十四年(1891)十月刊
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝上龍 美人図 絹本 竪三尺八寸 濶一尺二寸〈評語なし〉
(摸写図 落款「上龍図」)〟
◯『本朝画家人名辞書』下(狩野寿信編・明治二十六年(1893)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝乗龍 京都ノ人、浮世絵師ナリ、文化頃〟
◯『浮世絵画集』第一~三輯(田中増蔵編 聚精堂 明治44年(1911)~大正2年(1913)刊)
「徳川時代婦人風俗及服飾器具展覧会」目録〔4月3日~4月30日 東京帝室博物館〕
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇『浮世絵画集』第一輯(明治四十四年七月刊)
(絵師) (画題) (制作年代) (所蔵者)
〝三島上龍 「婦女図」 天保頃 九鬼周造〟
◇『浮世絵画集』第二輯(明治四十五年(1912)五月刊)
〝三畠乗龍 「狗児」 天保頃 高橋晁山
☆ 昭和以降(1826~)
◯『浮世絵師伝』p103(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝上龍
【生】 【歿】 【画系】岡本豊彦門人 【作画期】天保
京都の人、後大阪に住む、三畠氏、上龍、或は乗龍、乗良とも号す、初め岡本豊彦に就て学び、後専ら
浮世風俗を画きて遂に一家を成せり、但し版画は描かず、門人に吉原真龍あり、よく師風を伝ふ〟
△『増訂浮世絵』p194(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝三畠上龍
京都の人で、岡本豊彦の弟子で、四条流の絵を画いて居たが、後風俗がを主としてかくことになつた。
もと/\四条流であるから、江戸の浮世絵師の絵とは、その風格が違ふけれども、一種の面白みがある。
天保年中の人。上龍は往々粗笨な筆を用ひ磊落な風俗画を作つてゐる。山姥と金太郎図に芦雪の山姥の
筆致に似せて画いたものがあるが、筆力の勝れたものである。然しなほ細密な絵も作つたのである。須
磨明石街道を画いたものに、立場の有様をこまかに写したものがあり、風俗画立派な手腕を示してゐる。
なほ背景としての風景描写にも優れた力をもつてゐる。なほ美人夏姿、石橋、芸妓と狆の図などを見て
も、何れも四条派の筆致を以てしたもので、筆の運用は巧なものであるが、美人そのものを美しく画き
あらはす手法ではない。筆の用法にのみ気をとられゐる傾がある。門人に吉原真龍がある〟