Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ せつざん 雪山浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
(雪館・堤秋月・堤等琳三代・深川斎参照)
   ☆ 文政十一年(1828)     ◯『馬琴書翰集成』文政十一年十月六日 殿村篠斎宛(第一巻・書翰番号-45)①231   〝芙蓉画、御表装も御出来のよし、さこそと想像仕候。老拙も其後、雪山墨画の山水、一ぷく求候て、表    装しかへ、折々かけてたのしミ候事に御座候〟    〈この雪山は堤等琳三代(深川斎)のことか。『馬琴日記』この年の二月十六日、馬琴は、中井乾堂という人から〝雪     山と申絵師認候〟〝絹地横物に墨水〟の画を、新宅開きの祝いに頂戴していた〉    ☆ 天保十三年(1842)    ◯『【江戸現在】公益諸家人名録』二編「ツ部」〔人名録〕②77(天保十三年夏刊)   〝画 雪山【名等琳、字雪館、雪舟十四世筆孫】浅草大代地 堤法橋〟    ☆ 天保十五年(1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
   「堤等琳系譜」(「三代堤等琳」の項 二代目等琳門人)     〝堤等琳 三代目 法橋 別記あり 雪山 深川斎〟    〈別記とは下記「三代目堤等琳」の項目のこと〉       〝堤等琳(三代目也) 寛政より天保の間の人也   始秋月、後〈雪館又〉雪山と改む。江戸の産也   始深川に住す 〈後常盤町 又米沢町河岸〉   号 深川斎と云、叙法橋〈惣髪なり 月岑按、雪舟の風にあらず、賤しき画風也〉   二代目等琳の門人也(雪舟十三世の孫と称す)一派の画風を立て、天明の頃より行れ、幟画祭礼の絵灯   籠、又摺物、団扇、交張画の刻板あり。    欄外〈天保始の頃八十余歳にて終る〉   浅草寺に韓信の額あり。秋月と云し頃、三代目等琳に改名せし時の筆也。門人数多ありて、絵馬額、幟、   提灯等の職人、総て此門に入て画ぶもの多し。諸堂社の彩色多く此人の請屓にて出来し所あり(堀の内   妙法寺、どぶ店祖師堂、玉姫稲荷其他多し)(文政中、浅草寺境内にて茶番細工といへる見せ物を工夫   して出せしなり)    按るに、東都に雪舟の画裔と称るもの多し。川島雪亭(田安侯の画師也、雪舟の画孫なり、市谷に住    し、寛政の頃より天保の今に至て存す)亦、桜井秋山(天明寛政の頃の人なり。本郷に住す雪舟の画    孫と称す。画則七冊を刻して画論を出す)長州侯の藩中に雪谷の画裔あり。当代の画を学ばずといへ    り。諸他諸国に雪舟流の画人あり、自立して其画裔と称す。近年江戸、長谷川雪旦殊に妙手なり。      因に云、長谷川等伯(始久六、叙法眼、能州七尾の人 始狩野氏の門人、後自立して、自ら雪舟五      代と書す、慶長中歿)久蔵、等伯、信春、子等伯、宗也、子等的、門人〈小野〉等林、等悦、宗宅、      等作(等伯の門人なれども画風各異也。雪舟は僧にして姓氏なし。雲谷は寺の号也。是を称号とし      て門人に与へたり。長谷川も画法筆意似たる故、雲谷と共に雪舟の画裔と混同して後世に誤るもの      也)     欄外〈桜山興〔サクラ山興〕は桜井秋山の父也。山興雪館と号す〉〟
   「堤等琳系譜」      〈欄外注に「天保始の頃八十余歳にて終る」とあるので、この『増補浮世絵類考』は没後資料とも考えられるが、下出、     嘉永二年(1849)刊の『【現存雷名】江戸文人寿命付』にも雪山等琳の名で出ているところを見ると、生前資料と見     ることもできる。今はいずれとも決しがたいが、取りあえず生前資料としておくことにする〉    ☆ 嘉永二年(1849)    ◯『【現存雷名】江戸文人寿命付』初編(嘉永二年刊)〔人名録〕②334   〝雪山等琳 此花よしまた人物をゑがきてはいもおもしろき君が一流 極上々吉 寿六百年 浅草黒船町〟    〈前条参照〉    ☆ 没後資料    ☆ 明治年間(1868~1911)    ◯『浮世画人伝』(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)   ◇「堤等琳」の項 p73   〝堤等琳は初め秋月といひ、後雪山と改む、又深川に住して深川斎の別号ありしが、両国米沢町に移りて    法橋に叙せられ、自ら僧雪舟十一世の孫と称し、天明の頃、専ら行はれし、祭礼の献燈又は摺物団扇の    類を多く画きて大いに世に聞えぬ。等琳未だ秋月と称せし頃、浅草観音堂に、韓信俛出胯下図の絵馬を    画きて奉納し、世間に名を知られ、遂に三世等琳の名を嗣ぎぬ。等琳の名三代ありと雖(イエドモ)も、其    一世二世の事蹟詳(ツマビラカ)ならず。今伝聞する処の家系を左に掲て参考に供ふ〟     ◇「堤等系譜」 p74
   「堤等琳系譜」〝等琳 法橋雪山〟