Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ りんしょう すずき 鈴木 隣松浮世絵師名一覧
〔享保17年(1732) ~ 享和3年(1803)・72歳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔狂歌書目〕:『狂歌書目集成』  ☆ 宝暦八年(1758)    ◯「日本古典籍総合目録」(宝暦八年刊)   ◇絵本    鈴木鄰松画『英筆百画』六巻 英一蜂画 鈴木鄰松補画    ☆ 明和四年(1767)      ◯『活花百瓶図』二巻 千葉龍朴撰 東雲堂板(漆山又四郎著『絵本年表』より)    上巻 英一蜓・鄰枩・小松軒・寒葉斎・龍水・魚彦・柳文朝・英一川等画    下巻 保国・宮川春水・宋紫石等画    ☆ 明和六年(1769)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和六年刊)   ◇滑稽本    鈴木鄰松『当世穴さがし』前編五巻 鄰松画 穎斎主人作 雁金屋儀助板    ☆ 明和七年(1770)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(明和七年刊)    鈴木鄰松画『一蝶画譜』三巻 鈴鄰枩筆 雁金屋儀助板    ◯「日本古典籍総合目録」(明和七年刊)   ◇絵本    鈴木鄰松画『狂画苑』三巻 素絢斎(鈴木鄰松)画 植村藤三郎他板    ☆ 安永元年(明和九年・1772)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永元年刊)    鈴木鄰松画『絵本七笑顔』三巻 鈴木隣松筆 山崎金兵衛板    ☆ 安永二年(1773)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永二年刊)    鈴木鄰松画『英筆百画』六巻 百画春窓翁一蜂画 鈴木鄰松補画 山崎金兵衛板     〈「日本古典籍総合目録」は宝暦八年刊ありとする〉    ☆ 安永四年(1775)    ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(安永四年刊)    鈴木鄰松画『狂画苑』三巻 東都画工素絢斎筆 素絢斎鈴鄰枩序 山崎金兵衛板    ☆ 安永五年(1776)    ◯「読本年表」〔目録DB〕(安永五年刊)    鈴木鄰松『烟花清談』鄰松画 葦原守中作    ☆ 安永八年(1779)    ◯『四方の留粕』〔南畝〕①203 (安永八年一月四日明記)  (南畝の狂文「春の遊びの記」より。吉田蘭香宅の〝写絵の書き初め〟会に参加。吉田蘭香の項参照)  〝隣松が画がける松魚〈かつを〉は左慈が鱸よりあたらしく〟    〈「左慈が鱸」は故事。魏の曹操が美味で名高い呉の松江の鱸を所望した時、妖術使いの左慈が水をはった銅盤から忽     ち鱸を釣って献上したという故事。文意は隣松の画く鰹は「左慈の鱸」より新鮮で生き生きしているという意味か〉    ☆ 安永年間(1772~1780)   ◯『賤のをだ巻』〔燕石〕(森山孝盛著・享和二年序)   ◇①248   〝其頃(安永頃)同役心易きやから云合て、絵をかゝせて、夫を会のたねにして寄合話す事なり、翁(森 山孝盛)にも参会すべきよし云により、一日行たる事ありしに、画は其頃流行したる鈴木源五左衛門と て、小十人の隠居にて、画名を隣松とて、殊の外世上にてもてはやせし人なりけり、其日、塩入大三郎 が二枚折の屏風を持来りてかゝせたるに、塩入元来不学なれば、虎渓の三笑と云う事は知て居たれど、 わざと三笑とは云はず、僧と唐人と石橋の辺に手を拍て笑ひて立たる所を画てと望む、隣松心得て、三 笑を書たり、墨をかはかすとて立置たるに、亭主の親類来りて、不苦ば絵を拝見仕度抔といふ、何かは くるしかるべき、一席に入べしと、彼人座に着ながら彼屏風を見て、是は酢吸の三教とやらんにても候 か、といふ、去同役、されば候、是は釈迦、と恵遠をさし、是は老子、孔子、と淵明、陸修静をさして 教ゆ、中川勘三郎と翁は、手に汗を握る心地して居たり(以下略)〟    〈鈴木鄰松画の「虎渓三笑」を「酢吸三教(三聖吸酸)」に取り違えたという挿話。「虎渓三笑」は晋の慧遠・陶潜・     陸修静の故事、「三聖吸酸」は儒教の蘇軾・道教の黄山谷・仏教の仏印の故事。あるいはこの三聖人を孔子・老子・     釈迦とする見解もある。中川勘三郎は後の御勘定奉行・中川飛騨守忠英か。塩入大三郎は未詳〉     ◇①257   〝画家も余り世に有たるもの見ざりしが、近来に至りて、狩野栄川が法印になりて、殊の外世に鳴たり、    【是もわざ/\田沼家の隣に屋敷を拝領したる位なれば、こゝろあるものには底澄はせず、尤画もよか    りけり】其弟子に隣松とて、前に記す画を書て歩行人ありて、大小家ともにもてはやしたり、画もよく    書たり〟    〈鄰松は狩野栄川の門人〉    ☆ 天明二年(1782)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天明二年刊)    鈴木鄰松画『狂歌四画二賛』一冊 鄰松他三名 白鯉館卯雲 手柄岡持    ◯「絵入狂歌本年表」〔目録DB〕(天明二年刊)   ◇狂歌    鈴木鄰松画『狂歌四画二賛』一冊 鄰松等画 白鯉館卯雲・手柄岡持編 版元不記載    ☆ 天明三年(1783)    ◯『巴人集』〔南畝〕②396 (天明三年三月下旬詠)  〝隣松子の席画を見侍りて  毛氈の花の赤らをたべ過ぎてとなりの松の前もはづかし〟    ☆ 寛政五年(1792)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(寛政五年刊)    鈴木鄰松画『春帖』一冊 等琳筆 窪俊満写 鄰松 桑楊菴光序 蔦屋重三郎板  ☆ 寛政六年(1794)    ◯「絵入狂歌本年表」〔狂歌書目〕(寛政六年刊)    鈴木鄰松画『狂歌春の色』一冊 等琳・隣松・重政・歌麿・俊満画 つむりの光撰 蔦屋重三郎板    ☆ 寛政七年(1795)    ◯『四方の巴流』〔江戸狂歌・第四巻〕鹿津部真顔編・寛政七年刊   (挿絵)「七福神と鶴亀」寄せ書き、署名    「毘沙門天」署名「洞秀美敬画」    「布袋」  署名「行年七十一歳東牛斎蘭香画」(吉田蘭香)    「弁財天」 署名「行年六十七歳狩野休円」    「鶴」   署名「秀山敬順画」    「福禄寿」 署名「鄰松時六十四歳画」(鈴木鄰松)    「恵比寿」 署名「養意惟伝画」(笹山養意)    「大黒天」 署名「松意茂博画」    「寿老人」 署名「蕙歳政美」(北尾政美)    ☆ 寛政九年(1812)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(寛政九年刊)    鈴木鄰松画    『柳の絲』一帖 等琳画・鄰松・華藍・北斎宗理 浅草庵序 華渓老漁跋 蔦屋重三郎板    ◯『柳の糸』〔江戸狂歌・第五巻〕浅草庵市人編・寛政九年刊    (口絵)「橋場初乗」   署名「等琳画」(堤等琳)   (挿絵)「寿老人」    署名「鄰松画」(鈴木鄰松)       「にひよし原」  署名「栄之」 (鳥文斎栄之)       「鞍馬ふごおろし」署名「等琳〔印「等琳」〕」       「鶯宿梅」    署名「華藍〔印「北峰」「紅翠斎主」〕」(北尾重政)       「江島春望」   署名「北斎宗理〔印「北斎」「宗理」〕」(葛飾北斎)    ☆ 没後資料    ☆ 文化六年(1809)    ◯『玉川余波』〔南畝〕②148 (文化六年三月二日記)  〝下布田村の掛物に隣松がかける鰹あり  絵にかける隣の松の魚をみてたヾいたづらに舌をうごかす〟    〈南畝、玉川巡視中、現在の調布市にて一見。隣松の鰹は江戸を越えて流通していたのだ〉    ☆ 文化七年(1810)  ◯『あやめ草』〔南畝〕②70 (文化七年三月頃詠)  〝桜のもとに三猿あり。一ッの白猿口をとぢて両の手にて二ッの猿の耳と目をふたぎたるは、見ざるきか    ざるいはざるの心なるべし。隣松の筆なり。  面白い事をも見ざるきかざるは桜を花といはざるの智慧 〟    〈この隣松の三猿の画をどこで一見したものか、記述はない〉     ◯『半日閑話 巻二十』〔南畝〕⑪596 (日付未詳)    〈「空也僧鉢敲考」(「鉢叩き」の考証。考証者未詳)の項に、南畝の注記か〉  〝隣松といへる画人の画がける群蝶画英といへる草画の本二巻あり。其上巻にのする所空也僧の図あり〟   (挿絵(⑪597)あり。その中に)   〝融通念仏縁起所蔵 群蝶画英所載茶筅賣空也僧   文政辛巳八月廿一日借抄于南畝翁〟    〈『群蝶画英』はそもそも英一蝶の画譜。それを隣松が模写したもの二巻があって、この「空也僧鉢敲考」の挿画は、     さらに誰かが南畝から借りて写したものらしい。なお、南畝の蔵書目録に『群蝶画英』はない。『国書総目録』は安     永七年の刊行とする〉    ☆ 文政十一年(1828)    ◯『寐ぬ夜のすさび』〔新燕石〕⑦250(片山賢著・文政十一年記事)   (「遊女七越」の項)   〝文政十一年、画かき鄰松がもとへ、よし原扇屋の遊女七越、画の弟子入をいひこして来りて、おしへ呉よ、    といひやりたるに、返事はなくて、歌一首して答へぬ、      七こしにどうたちうちがなりんしやうわしは隠居でたつた一こし    かく云こして行ざりしかば、たび/\人をやりて後、来りて教へしとぞ〟    ☆ 弘化元年(天保十五年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)   (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)   〝〈鈴木鄰松 狩野家より出て 一蝶の風も慕ひし人也     一蝶画譜 鄰松の編集せし也。七笑㒵 小本三冊〉〟    ☆ 嘉永三年(1850)    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1415(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)   〝(千虎補)鄰松 寛政中 [署名]「鄰松画」[印章]「刻字未詳」(朱文方印)〟    ☆ 安政二年(1855)    ◯『古今墨跡鑒定便覧』「画家之部」〔人名録〕④211(川喜多真一郎編・安政二年春刊)   〝藤鄰松【名ハ茂銀、江戸ノ人】〟〔印章〕「藤原茂銀」  ☆ 安政六年(1859)     ◯「絵本年表」   ◇絵本(安政六年刊)    鄰松画    『本化高祖累歳録』五冊 法眼雪旦 堤等舟筆 蘭泉画 鄰松画 山本春重画 長谷川雪堤                北尾政演 東牛斎蘭香行年七十歳画 長谷川雪瑛 春英画 法橋関月                寛政甲寅原版歟 深見要言輯 広岡屋幸助求版〔漆山年表〕    〈寛政甲寅は寛政六年。〔目録DB〕は寛政五年刊とする。但し画工名はなし〉     ☆ 成立年未詳    ◯『雅俗随筆』〔新燕石〕⑥194(柳亭種秀(笠亭仙果)著・成立年未詳)   (「自子他子」の項「樽拾い」の図)   〝こは英一蝶の粉本を、明和の頃、 鄰公といふ人の集て刊行せる群蝶画英に載せたる画にて、雪中米つき    樽ひと題せるを抄模したるなり〟    〈英一蝶画『群蝶画英』は安永七年の刊〉    ☆ 明治十七年(1884)    ◯『石亭雅談』〔続大成〕⑨206(竹本石亭著・明治十七年刊)   〝形鼠一尾  加藤(ママ)鄰松    加藤鄰松、名は茂銀、幕府の与力也。狩野栄川に学び、時に名あり。時輩文麗円乗と鄰松を併せて、専    門家外の三巨手と云。貴客の招致甚だ繁く、錫賚(たまもの)夥し。嘗て幼時甫(はじめ)て四五歳の一の    円形を作り、中に一画を横に引き、又ノ(ヘツ)字を円形外に写す、(図様あり【如此形なり】)或人之を    みて何ぞと問に、鍋蓋にて鼠を圧(おさ)へたる所也と答ふ。人其秀才に感ず〟    〈加藤とあるが鈴木が正しい。文麗とあるのが加藤文麗〉    ☆ 明治二十六年(1893)  ◯『浮世絵師便覧』p212(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年刊)   〝鄰松(リンシヤウ)〟(名前のみ)  ☆ 明治二十八年(1895)  ◯『鑑定必携日本画人伝』巻之一【カ】ノ部 北村佳逸編 細川清助 明治二十八年四月刊 京都版   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝加藤鄰松    京都ノ人ナリ、江戸ニ住シ、幕府与力トナル。栄川ニ学ンデ狩野風ヲ能クス。名ハ茂銀、鄰松ト号ス。    其画ク所、太(ママ)ダ奇絶ニシテ一見何物タルヤヲ鮮スル能ハザル者アリ、鄰松ノ之ヲ説クニ因テ始メテ    識ルヲ得ルトイフ、専門画家ト対比スベキニ非ズト雖、当時却ツテ之ヲ賞シ、専門家ヲシテ顔色ナカラ    シムトカヤ。上ノ図ハ鄰松ノ画ヲ縮写セシモノナリ、観者以テ何ノ図ナリトナスカ、是レ曽テ鄰松ガ某    会席上ニテ高評ヲ博シタル図ニシテ、鍋ノ蓋ニテ鼠ヲ抑ヘタル図ナリ。(図)ハ鍋ノ蓋ニシテ下方ニ隠    見スルハ鼠ノ尾ナリトス、其妙此ノ如シ。《印章アリ》〟  ☆ 明治三十一年(1898)    ◯『書画名器古今評伝』桜巻(西島・高森編 岩本忠蔵 明治三十一年刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(59/72コマ)   〝鈴木鄰松 一蜂ノ弟子、江戸ノ人、観嵩山子祥ノ号アリ〟    ◯『浮世絵備考』(梅本塵山編 東陽堂 明治三十一年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(95/103コマ)   〝鄰松【年時不詳の人】    天明年間の人なるべし〟  ☆ 明治三十二年(1899)    ◯『新撰日本書画人名辞書』下 画家門(青蓋居士編 松栄堂 明治三十二年(1899)三月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)83/218コマ   〝加藤鄰松 84/218コマ    名は茂銀といふ 幕府の与力なり 狩野栄川に師事して画を学び 頗る之を能くす 文鹿(ろく)・円乗    と共に三巨手と称せられ 名当世に馳す 貴紳常に招致して画かしむ(今古雅俗石亭画談)〟  ☆ 昭和年間(1926~1987)    ◯『狂歌人名辞書』p251(狩野快庵編・昭和三年(1828)刊)   〝加藤(ママ、鈴木か)隣松、名は茂、幕府の与力、画を狩野栄川に学び、其名大に著はる、当時文麗、円乗    と共に江戸の三名手と称せらる、文化頃の人〟    ◯「日本小説作家人名辞書」p851(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)   〝鄰生    落款に鈴とある。「英一蝶画譜」の紹介者鈴木鄰松の事と思はれる。「吝坊吝寝取」(天明三年(1783)    刊)の作者〟    〈「日本古典籍総合目録」『吝坊吝寝取』黄表紙・鄰生作・恋川春町画・天明三年刊。鄰生を「りんせい」と読み、別称     はなし。鈴木鄰松の別称項目にも鄰生はない〉    ◯『浮世絵師伝』p222(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝鄰松    【生】  【歿】  【画系】  【作画期】明和~寛政    鈴木氏、俗称源左衛門、狩野栄川門人、浮世絵師に非ず、寛政七年版『四方の巴流』に鄰松六十四歳画    とあり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「明和七年 庚寅」(1770) p124   〝正月、鈴木鄰松の筆に成れる『一蝶画譜』出版〟     ◇「安永七年 戊戌」(1778) p134   〝正月、英一蝶の画を鈴木(一字表示不能)松の纂輯模刻せる『群蝶画英』等出版〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    作品数:8点    画号他:鈴・鄰松・鈴鄰松・鈴木鄰松・素絢斎    分 類:絵画3・絵本1・読本1・滑稽本1・狂歌1    成立年:宝暦8年  (1点)        明和6~8年(3点)        安永1・5・7年(3点)        天明2  年(1点)    〈英一蝶・一蜂関係の作品は次の三点〉    『英筆百画』絵画 英一蜂画  鈴木鄰松補画 宝暦八年(1758)刊    『一蝶画譜』絵画 英一蝶原画 鈴木鄰松臨模 明和七年(1770)刊    『群蝶画英』絵画 鈴木鄰松著 英一蝶画   安永七年(1778)刊      (素絢斎名の作品)    作品数:1    画号他:素絢    分 類:絵画1    成立年:明和7年    『狂画苑』絵画 素絢斎画 明和七年(1770)刊