Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ なとり しゅんせん 名取 春仙(参考)浮世絵師名一覧
〔明治19年(1886)2月7日 ~ 昭和35年(1960)3月30日・74歳〕
 ※「近代書誌・近代画像データベース」(国文学研究資料館)  ☆ 明治四十年(1907)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十年刊)    名取春仙画    『我や人妻』口絵 春川 青木苫汀 広文堂(6月)〈2ページ大口絵〉    『魔法破』 挿絵 春川 アンデルセン  開文社(12月)  ☆ 明治四十一年(1908)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十一年刊)    名取春仙画    『伊達の大奥』口絵のみ 春川     猫遊軒伯知 広文館(2月)    『自白』   口絵・装幀 名取春川  宮崎湖処子 如山堂(7月)    〈画工名は同年刊『山水美論』の巻末広告による〉    『ゆるさぬ関』口絵・装幀 清方 春川 古愚庵主人 梁江堂(9月)    〈2ページ大折込口絵、名取春川は巻末広告による〉  ☆ 明治四十三年(1910)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十三年刊)    名取春仙画    『世界見物』  口絵 不折・装幀 NATORI 藪野椋十 有楽社(1月)    『新聞記者修行』口絵のみ 名取春仙    松崎天民 有楽社(5月)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十三年刊)    名取春仙画    『デモ画集 戌の巻』名取春仙画 如山堂(10月)(序者:泉鏡花・森田草平・平福百穂)  ☆ 明治四十四年(1912)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(明治四十四年刊)    名取春仙画『漫画と訳文』挿絵・表紙 岡本一平 名取春仙 仲田勝之助 広文館(1月)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治四十四年刊)    名取春仙画    『日本の神様』 口絵・挿絵 名取春仙 渋川玄耳 子宝倶楽部(2月)〈初刊年月は大正7年刊3版奥付による〉    『金色夜叉画譜』装幀・挿絵 太田三郎 名取春仙 川端龍子 尾崎紅葉著 精美堂(上巻 12月)〈下巻未見〉  ☆ 大正元年(明治四十五年・1912)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正元年刊)    名取春仙画    『侠艶録』 口絵・装幀 春仙   佐藤紅緑  新潮社(1月)    『長恨歌』 口絵のみ  名取春仙 篠原嶺葉  如山堂(3月)〈2ページ大折込口絵〉    『平和』  口絵のみ  名取春仙 平木白星  如山堂(3月)    〈『長恨歌』『平和』の画工名は大正2年刊『机の塵2』の巻末広告による〉    『荒尾譲介』口絵・挿絵 名取春仙 小栗風葉  新潮社(6月)〈終編は大正3年1月刊〉  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(国文学研究資料館・大正元年刊)    名取春仙画『魯鈍な猫』表紙・扉 名取春仙 小川未明 春陽堂(9月)〈□内に「春」の篆字体落款〉  ☆ 大正二年(1913)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(大正二年刊)    名取春仙画    『殻』  表紙 扉 春仙     中村古峡 春陽堂  (4月)    『礎』  口絵・挿絵・装幀 春仙 佐藤紅緑 金尾文淵堂(前後編 6・7月)    『雲乃響』口絵・装幀 春仙    佐藤紅緑 新潮社  (7月)〈2ページ大折込口絵〉  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正二年刊)    名取春仙画    『眼鏡』 挿絵・表紙 名取春仙  島崎藤村 実業之日本社(2月)(愛子叢書1)    〈画工名は3年刊『八つの夜』の巻末広告による〉    『豆栗集』口絵 百穂・装幀 非水 生田虎蔵著・出版(9月)            挿絵 非水 太田三郎 夢二 弘光 春仙  ☆ 大正三年(1914)    ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正三年刊)    名取春仙画    『荒尾譲介』  口絵・表紙 春仙?   小栗風葉 新潮社(1月)    『参宮日記』  口絵 英朋・装幀 春仙 泉鏡花  春陽堂(1月)〈2ページ大色摺折込口絵〉    『誘惑』    口絵 清方・装幀 春仙?菊池幽芳 春陽堂(前後編 3・7月)    『へちまのかは』口絵 河合英忠 結城素明 名取春仙 平福百穂 岡本一平 高村光太郎            杉村楚人冠著 至誠堂(3月)(大正名著文庫3)  ☆ 大正八年(1919)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正八年刊)    名取春仙画    『のらくら旅行』口絵・挿絵・装幀 春仙 高松多見雄 日吉堂(6月)    『箙の梅が香』 挿絵 名取春仙 三宅亀次郎   珍書倶楽部(10月)  ☆ 大正九年(1920)  ◯『奇想凡想』(宮武外骨 文武堂 大正九年六月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(68/115コマ)    ※半角括弧(よみ)は 原文の読み仮名   〝絵画無落款論 美人を見よ    画家としてかなり有名な名取春仙は、遊蕩の金銭に窮した結果、川端龍子、平福百穂、安田靱彦の偽筆    を描いて二万五千円を詐取したことが発覚して、去日検挙されたと云ふが、これは世間の美術品を購求    する者に真の鑑識眼が無く、只管(ひたすら)其社会的名声の如何を以て絵画の是非巧拙を定める標準と    して居る盲共が多いからこんな事に成つてのであつて、此一事は即ち彼等盲目賞翫者共に対する好個の    鑑戒である。    然し乍らさうではなく、春仙の描いた偽筆は名作たる値があつたのであるとすれば、春仙は龍子百穂靱    彦等と同等若(もし)くは同等以上の技術を有するものであつて、其落款の名義如何に拘らず、彼の描い    たものは当然二万五千円の価値が存在して居たものだと云はねば成らない、果して然らば、それが刑法    上の犯罪として処罰されるといふことは、一面條理の上から観て甚だ不当だと云ふ事に成る〟  ☆ 大正十四年(1825)    ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(大正十四年刊)    名取春仙画『流矢』挿絵・装幀 春仙 田山花袋 金星堂(10月)  ☆ 昭和二年(1927)    ◯『増補古今書画名家一覧』大阪(石塚良一蔵編集・出版 昭和二年刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝古人今人浮世絵大家  大阪 名取春仙〟  ☆ 昭和四年(1929)  ◯「近代書誌・近代画像データベース」(昭和四年刊)    名取春仙画    『現代長篇小説全集』新潮社      22「小山内薫 谷崎精二篇」口絵・挿絵 名取春仙 水島爾保布(4月)      15「吉井勇篇」      口絵・挿絵 名取春仙 幡恒春  (7月)    『現代大衆文学全集』平凡社       17「田山花袋篇」口絵・挿絵 名取春仙 柿内青葉(8月)  ☆ 昭和六年(1931)  ◯『浮世絵師伝』p94(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝春仙    【生】明治十九年(1886)  現在  【画系】久保田米仙外  【作画期】明治~大正    名取氏、本名は芳之助、明治十九年東京に生れ、小学時代、同窓の川端龍子氏、岡本一平氏と共に画才    を認めらる。中学時代、久保田米仙の司馬画塾に学び、米仙の失明後、漢籍、美学、美術史等の講義を    聞き、技術方面は米仙の嗣子金仙氏に学ぶ、別に池田有真翁に着彩の秘法を聴き其門に遊ぶ。十七の時、    真美会へ水墨牧牛図二曲屏風を出品褒賞を受く。十九歳の時、平福百穂氏に私淑し其説に随つて洋画を    兼学す。明治四十年美術学校撰科に入学せしも安田勒彦氏の追学に刺戟されて退学す。    二十三歳 -「東京朝日新聞」夏目漱石氏を迎へて其作に配すべき画家を求む、幾多の応募者中、野田    九浦氏と共に挙げられて、藤村、草平、鏡花、花袋等諸文豪が挿画に風格ある新機軸を出し其名大に揚    がる。二十五歳 -「デモ画集」「日本の神樣」(渋川玄耳共編)「漫画と訳文」(岡本一平、仲田勝    之助共著)等の著作あり、小杉未醒氏の「黒白」紙上の激賞や、デモ画集中百穂氏の序文に「……春仙    君の画は実に春仙君から生れたで……山に水に花に鳥に將た小説に劇に行くとして可ならざるはなく嘱    目する処直に春仙君の絵が生み出される、春仙君は憎い程の才人……」と其個性を賞讃されてゐる。二    十六歳 - 結城素明、平福百穂諸氏の当時の尖端的作品発表唯一の機関たりし無声会に迎へられ龍子氏    と共に会員となり夙に斬新なる作風を成す。二十七歳 - 百穂、芋銭、龍子、恒友、浩一路等の諸氏と    結んで三五会(珊瑚会)を組織し現画壇新傾向の急先鋒を成す。二十八歳 - 未醍氏、耕花氏の推挙に    より琅玕洞展(院系展の権威ありし画商展観)に「韮山の太閤」を出陳、横山大観氏に認めらる、同年    作素描「松助の顔」を前田青邨氏は其客室に掲げ妙技を共鳴せりと伝へらる。三十歳 - 復興第四回院    展に六曲屏風「潮満珠潮干珠」を出品、僅々十一点の厳選に入り、本格的才能を認めらる。蓋し当時の    入選水準は現下の帝展特選に等しく其反響も亦今日の比にあらず。三十一歳 - 美術院試作展に入選    「劇場の巻」は川端龍子氏の「獅子」と共に院賞励賞を受く。院友に推薦さる。三十三歳 - 第六回珊    瑚会に「緑の裡の光り」と題する鎌倉大仏の隠見する松林に朝陽の輝く大作を出品し問題となる。三十    四歳 - 支那山東省泰山に遊び青島に滞在して山水画及書道の研究に没頭す。三十五歳 -「朝日」の    執筆及諸雑誌の執筆を止め、専心本格的製作に耽る。三十八歳 - 万朝報社に入り絵画部主任たり、余    技として漫画を描き、サンデー毎日の創刊に際し再び版画の筆を執り週間朝日、演芸画報其他諸誌に執    筆。大正五年頃、京橋区柳町の画博堂に展覧されたる名優画家の内、氏の作で雁治郎の紙屋治兵衛が渡    辺版画店主の限に止り依頼されて木版画に作り、肉筆では現はせない色の情味が摺の技巧次第で意想外    の色調が現はれ、次に源之助の切られお富を試作したのが動機となり、大正十四年五月(四十歳)から    「春仙似顔集」と表題し、一ヶ月三図宛、趣味の会員へ頒布し、昭和四年一月、三十六枚揃 - 完成し    た、此似顔集は「創作版画 - 春仙似顏集」と氏が自信の下に表題を付けたのであるから、徒に肉筆の    模写に堕ちた複製的技巧を弄したものや、幼稚粗野を以て新味と曲解した自刻式のものと異つて、木版    画に就て幾多の洗練と研究を重ねて古版画に見ざる新味を出したるため、「名優妙技の俤、名匠の霊筆    に依て洵に活けるが如し」と批評された、趣味会員より名優及び新派俳優の追加を希望され、一揃の外、    十図以上製作中。尚ほ似顏集を見られて、独逸大使ゾルフ博士、徳川頼貞侯、高見廉吉氏の肖像を木版    画で依頼され製作した。    昭和五年の米国雜誌「アメリカン、マガゲン、オブアート」に依て、伊東深水、川瀬巴水氏等と共に版    画の功績を世界に紹介された。自今氏は日本劇画協会同人、日本挿画協会々員。住所は東京府中野町、    仲町十二番地〟  ☆ 昭和十二年(1937)  ◯『改訂古今書画名家一覧表』大阪(東楓荘散人編 益井文英堂 昭和十二年刊)    (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   〝現代浮世絵名家  大阪 名取春仙