Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ みんこう たちばな 橘 岷江浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕
 ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)    ☆ 明和二年(1765)      ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(明和二年刊)    橘珉江画『小夜時雨』五巻 珉江画 近江屋九兵衛板〈〔目録DB〕は「若夢坊作」〉    ☆ 明和六年(1769)    ◯『洒落本大成』第四巻(明和六年刊)    橘岷江画『郭中奇譚』署名「岷江画」白岡先生著    ☆ 明和七年(1770)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和七年刊)   ◇絵本    橘岷江画『彩画職人部類』二冊 橘岷江画 植村藤三郎他板    ◯『彩画職人部類』(国文学研究資料館所蔵・ネット上の公開画像より)    序「明和七庚寅歳十一月 邏沙窟亀求撰」    跋「岷江子姓は橘名は正敏、人と為り風神秀徹なり。好て意を絵事に留むること蔵に争ふ有り。切磋日      々に加へ、遂に以て顧虎頭が遺を得、且つ是れ張僧繇が妙を為す。嘗て謂らく、坊間百工を図する      者数本有り。挙(ミナ)粗俗にして格に入らずと。乃ち此の編を作り以て梓に繍む。其の画する所、状      貌神を兼ね、挙心生けるが如し。其の類に随て彩を(盛?)るを彫むこと、極て鮮明なり。廼ち剞      劂氏も亦真なるかな。此の編一び出ては則ち、将に米家舩の重きを増んとする者なり        明和七庚寅蝋月  春江亭普成識〟      〈顧虎頭は東晋の画家顧愷之。南朝梁の張僧繇は画竜点睛の故事で有名。米家舩は北宋米芾所蔵の書画を積んだ船名〉    奥付「画者 玉樹軒橘岷江 彫工 岡本松魚        明和七庚寅歳蝋月 東都書舗 本石町三丁目 植村藤三郎 銕炮町 沢伊助」      〈岷江、姓橘、名正敏、号玉樹軒。人となりは風神秀徹(風采が立派)という〉      ☆ 明和八年(1771)    ◯「日本古典籍総合目録」(明和八年刊)   ◇読本    橘珉江画    『阿艶草紙』五巻 橘珉江画(明和八序)    『操双紙』 五巻 橘珉江画 淡海子作(明和八年序)    ☆ 安永三年(1774)    ◯『増訂武江年表』1p194(斎藤月岑著・嘉永元年脱稿・同三年刊)   (「安永三年」記事)   〝此の時代橘の珉(ママ)江と云へる絵師、もとは縫箔師なりしが、摺込の、彩色を工夫し、「職人部類」と    云へる絵本をあらはし、其の外俳諧の点式などを制して行はれしが、やがて廃れたり〟    〈『彩画職人部類』は明和七年の刊行〉    ☆ 天明二年(1782)    ◯「読本年表」(天明二年刊)    橘岷江画『嫐草紙』五冊 岷江画 淡海子作(注記「操草子(明和八)の改題本」)    ☆ 天明四年(1784)     ◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天明四年刊)    橘珉江画『彩画職人部類』二巻 玉樹軒橘珉江画 邏沙窟亀求撰 植村藤三郎他板         〈初版は明和七年刊〉    ☆ 没後資料    ◯『浮世絵類考追考』(山東京伝編・享和二年十月記・文政元年六月写)    (本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)    珉江【元縫箔師、後浮世絵師、五文字の点式、おほく此人の絵なり】    宝暦、明和の頃、職人尽絵本、摺込の彩色を工夫して大いに行わる。   ◯『反故籠』〔続燕石〕②170(万象亭(森島中良)著・文化年中前半)   (「風俗の沿革」の項)   〝風来先生の根無草の後編の初め、鉄門屋の所に、鬼の通者出る、其比の風俗見るが如くに書れたり、插 画は珉江筆を揮へり〟    〈風来山人(平賀源内)著『根無草後編』は明和六年刊〉   ◯『無名翁随筆』〔燕石〕③294(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)   〝珉江 俗称(空白)    宝暦、明和の比、元縫箔師、後浮世絵師となる、五文字点式、おほく此人の画なり、職人尽の画本に摺    込の彩色を工風して、大に世に行る、【以上、類考追考】〟    ◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)    (( )は割註・〈 〉は書入れ・〔 〕は見せ消ち)   〝珉江 姓 橘 名(空白) 俗称(空白)    宝暦明和の頃、元縫箔師、後浮世絵師となる。五文字点式おほく此人の画也。画本〈職人部類〉に摺込    の彩色を工風して、大に世に行る。(以上追考)      職人部類 (空白)冊  摺込〈彩色〉の画〈本〉なり     〈月岑按るに、京大坂には草紙の袋其外に摺込の彩色画尤多し。甚名手際なるものなり〉〟    ◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1390(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)   〝珉江 元縫箔屋、後浮世絵師、五文字の点式、多く此人の画也、宝暦明和頃、職人尽画本、摺込の彩色       を工夫して、大に行はる、浮世絵類考〟    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕 ⑪200(竜田舎秋錦編・慶応四年(1868)成立)   〝珉江橘姓    氏、俗称とも未詳。宝暦、明和の頃、元縫箔師にて後、浮世絵師となる。五文字の点式、おゝく此人の 画なり。画本職人部類に、摺込の彩色を工夫して大に世に行る〟  ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   ※( )はグループを代表する絵師。◎は判読できなかった文字   〝雅俗遊戯錯雑序位混淆     (岩佐又兵衛) 小川破笠 友禅山人 浮世又平 雛屋立甫 俵屋宗理 耳鳥斎 英一蝶 鳥山名(ママ)燕     縫箔師珉江〟    ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝安永 橘珉江 元は縫箔師也、後画師となる。職人部類【さいしき画本】を著して名有り〟    ◯『古代浮世絵買入必携』p17(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)   〝珉江橘姓(*ママ)    本名〔空欄〕  号〔空欄〕  師匠の名〔空欄〕  年代 凡百二三十年前    女絵髪の結ひ方 第五図(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)    絵の種類 絵本、肉筆    備考  〔空欄〕〟    ◯『本朝画家人名辞書』下(狩野寿信編・明治二十六(1893)年六月刊)   (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)    〝橘珉(ママ)江ハ江戸ノ人ナリ、縫箔ヲ業トス、後能ク浮世絵ヲ画ケリ、明和年間箝彩色ヲ発明シテ大ニ行    ハルト云フ〟    ◯『浮世絵師便覧』p233(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)九月刊)   〝岷江(ミンコウ) 大坂の人、橘氏、名は正敬、玉樹軒と号す、もと縫箔師、摺込彩色を工夫せり、◯宝暦〟    ◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)(31/103コマ)   〝橘岷江【宝暦元~十三年 1751-1763】    名は正敬、五樹軒と号す、大阪の人、はじめ縫箔師なりしが、後に浮世絵師となれり、雑俳五文字の点    式は、多く此の人の画く所なりといふ、板本『画本職人部類』に摺込彩色を工夫して、大に世に行はれ    しとぞ〟  ◯「集古会」第九十四回 大正二年(1913)九月(『集古会志』癸丑之五 大正4年7月刊)   〝三村竹清(出品者)     岷江画賛 枯木寒鴉図半切 一幅  同画 一休半切 一幅     同画   馬之図全紙   一幅〟  ☆ 昭和以降(1926~)  ◯『浮世絵師伝』p195(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝岷江    【生】  【歿】  【画系】  【作画期】明和    橘氏、名は正敏、玉樹軒と号す、もと縫箔師なりしが、江戸に移住する以前京阪地方に居りて、祐信な    どの感化を蒙りしものゝ如し。明和二年江戸に於て大小暦の摺物流行せし際、彼も亦若干の作を試みき、    彼が作品としては、明和七年版の『彩画職人部類』最も世に著はる、此の書フキボカシを以て彩色の上    に新機軸を出だせしものなり〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「明和八年 辛卯」(1771) p126   〝正月、橘珉江の画ける『職人部類』出版〟  △『増訂浮世絵』p117(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)   〝橘珉江    名は正敏、玉樹軒と号した。もと縫箔師で京坂地方に居たといふことで、後江戸に移る。宝暦から明和    の人で、春信の風によく似た作風である。明和七年版の彩画職人部類はフキボカシの法を以て、彩色上    に新工夫をなしたものである〟    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔橘岷江画版本〕     作品数:7点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:橘岷江・岷江    分 類:読本3・絵画2・洒落本1・滑稽本1    成立年:明和2・6~8年(5点)        天明2年    (1点)    (絵画二点)    『彩画職人部類』狂歌絵画 橘岷江画 明和七年(1787)刊    『岷江画帖』  絵画   橘珉江画 成立年記載なし