Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ またへい うきよ 浮世 又平浮世絵師名一覧
〔未詳〕
 ☆ 天明八年(1788)  ◯『一話一言 巻九』〔南畝〕⑫385(天明八年六月中旬記)  (「三国遊女歌川の歌」の項。年月日未詳の欄外注)  〝或説、東海寺に浮世又平がかけるうかれめの障子あり。一休の賛とて、    高尾示曰、仏売法、僧売仏、汝以五尺体休衆生煩悩、遮莫  池水に月はよなよなかよへどもひかりもぬれず水もそのまヽ  一休といひて高尾示曰も可笑。いづれ偽作なるものなり〟    〈確かに一休宗純と遊女・高尾とでは時代違いである〉    ☆ 寛政六年(1794)  ◯『一話一言 補遺参考編一」〔南畝〕⑯四七(寛政六年六月二十一日明記)  (『池田氏筆記』所収、京都「高台寺」の項)   〝屏風片シ 泉州堺エ昔唐船入津の図也。浮世又平筆〟    ☆ 寛政十二年(1800)  ◯『浮世絵考証』〔南畝〕⑱440(寛政十二年五月以前記)  (「英一蝶四季絵跋」の文中に)   〝近頃越前の産、岩佐の某となんいふもの、歌舞白拍子の時勢粧をおのづから写し得て、世人うき世又平    とあだ名す〟  ☆ 享和元年(1801)    ◯『橘窓自語』〔大成1〕④447(橋本経亮著・享和元年の記述あり)   〝土佐又平、浮世又平などいふは、大津絵をかきはじめたる人にて、画所の土佐の流にはあらず。其父荒    木摂津守といふ人にて、信長に仕て軍功あり、信長摂津国をあたへたりしが、信長の命にたがひて自殺    せしが、成長の後織田信雄につかへ、画をこのみて一家をなし、当時の風俗をうつすことをえたるより、    世の人浮世又兵衛と呼べり、また又平ともかけり〟    ☆ 文政二年(1819)  ◯『矢立墨』〔百花苑〕⑪72(高力猿猴庵記・文政二年二月成立)   〝浮世又平といふ絵師は、浮世絵の上手ゆへの異名にして、湯浅(左注「或岩佐トトモ書」)又兵衛(マタビヤウヘ)と    いふ人なり。土佐の光起の弟子にて、子分にせし由、光起を又平と思へるも拠(ヨリドコロ)なきにはあらず〟    ☆ 天保十一年(1840)  ◯『古今雑談思出草紙』〔大成Ⅲ〕④91(東随舎著・天保十一年序)   〝浮世又平、下賤の風俗、娼婦、舞子よふの絵を書たるより、星霜を経て其流れを汲もの、風俗変化致し、    古き公家武家のすがたも、歌舞伎狂言の役者の省略形勢をうつし、児女子の悦びける如く書なすが故、    雅人は少なく、俗人は多ければ、此流、日々盛んに成て、野鄙なる物多く世に行なわる。床にかけたる    名画の一軸より、まくら屏風に張たる浮世絵に目の付人多きが如し〟
  〝又平、雪舟、一蝶がごときは、子孫相続も是なき故、定まつたる画法と絵本も伝来是なく、何となく規    矩を取失ひたる義と見へたり〟       参照 『古今雑談思出草紙』  ☆ 明治十三年(1881)    ◯『観古美術会出品目録』第1-9号(竜池会編 有隣堂 明治14年刊)   (観古美術会(第一回) 4月1日~5月30日 上野公園)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇第一号(明治十三年三月序)    浮世又平 彩色人物之画 浮世又平筆 六枚(出品者)井伊直憲         手鑑     浮世又平筆 一筥(出品者)伊達宗城〟    〈下掲『観古美術会聚英』は伝岩佐又兵衛とする〉  ◯『観古美術会聚英』(博物局 明治13年刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   〝浮世人物図屏風絵 伝云、岩佐又兵衛筆 井伊直憲     六枚紙本金地著色 画工落款無シ     評ニ曰ク、筆力遒健、著色鮮明、布置亦巧ミナリ。本会中ニ於テ又兵衛ノ画クト称スルモノニ就テ、     之を論スレバ是ノ画逸品ト称シテ可ナリ〟     〈『観古美術会出品目録』第1号「彩色人物之画 浮世又平筆 六枚(出品者)井伊直憲」〉    ☆ 明治二十一年(1888)  ◯『古今名家書画景況一覧』番付 大阪(広瀬藤助編 真部武助出版 明治二十一年一月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   ※( )はグループを代表する絵師   〝雅俗遊戯錯雑序位混淆     (岩佐又兵衛)小川破笠 友禅山人 浮世又平 雛屋立甫 俵屋宗理 耳鳥斎 英一蝶 鳥山名(ママ)燕     縫箔師珉江〟  ☆ 明治二十二年(1889)  ◯『古今名家新撰書画一覧』番付 大阪(吉川重俊編集・出版 明治二十二年二月刊)   (東京文化財研究所・明治大正期書画家番付データベース)   ※( )はグループの左右筆頭   〝雅俗遊戯    (近松門左衛門)曲亭馬琴 浮世又平 式亭三馬 十返舎一九 太(ママ)田蜀山人      英一蝶斎   耳鳥斎  宿屋飯盛 市川白猿 浅草菴 暁鐘成(岩佐又兵衛)〟  ◯『近古浮世絵師小伝便覧』(谷口正太郎著・明治二十二年(1889)刊)   〝大津絵祖 元禄 浮世又平    延宝の頃、京都丸太町辺に住して一風の戯絵を画き、後大津追分に出て見世棚を構へ、旅人に鬻ぐ、世    に此を追分画と云い、大津絵と称す。又兵衛とは別人也。混同すべからず〟