◯『絵本江戸風俗往来』p24(菊池貴一郎著・明治三十八年刊)
(正月)
〝凧の卸屋
紙鳶(タコ)は正月第一の物にして、昨年十一月頃より売り出し、十二月の下旬より正月二十日頃までは極
めて盛なり。凧の卸問屋(オロシトイヤ)は江戸中に七店ありて、七店中尤も上製の品多きは、西久保神谷町な
る伊勢屋半兵衛なり。子供等は凧半と呼ぶ。画(エ)も浮世画工国富(クニトミ)なるものの図によりて、しつ
らう。また揚げ工合の調子よきは、下谷にて堀龍と吹(フキ)ぬきの二品、京橋に白魚の三種とす。大名・
旗本の若君達は、凧部屋とて、凧の置所すらありたり。されば凧問屋の繁昌もまた容易ならず。大きな
る渋紙張(シブカミバリ)の籠を天秤に舁(カ)きて、江戸中へ卸しに出づるう者、行く所にしてあわざるなし。
山東京伝の『蜘蛛の糸巻追加』によれば、寛政以前は凧の価も安く一枚張十六文、二枚張三十二文、
四枚張・八枚張も一枚あたり十六文の割合であった。寛政八年ごろ鉄砲洲船松町の室崎屋という店が、
絵柄の複雑な凧、一枚張に骨七本という凧を売り出した。値段は一枚三十二文と倍増したが、少年達
はこの凧をあげぬことを恥としたという。その後、京橋弥左衛門町であったかに和泉屋という店がで
き、室崎やと同様の凧を売り出した。これが凧の奢侈になった始めだとある。凧屋にも盛衰があった
のである〟
〈この凧絵の画工・国富、歌川と思われるが、そうだとすると何代目にあたるのだろうか〉