Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ くにてる うたがわ 歌川 国輝 二代浮世絵師名一覧
〔天保1年(1830) ~ 明治7年(1874)12月15日・45歳〕
(歌川国綱二代参照)
 別称 一雄斎 曜斎 一曜斎  ※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』 〔目録DB〕:「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔東大〕  :『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』   『【明治前期】戯作本書目』(山口武美著・日本書誌学大系10)  ☆ 元治元年(1864)    二代目国綱から二代目国輝へと改名   (下掲慶応元年記事及び「読売新聞」(明治23年10月17日付)記事参照)  ☆ 慶応元年(元治二年・1865)(改印:丑月改)     ◯「合巻年表」〔目録DB〕(慶応元年刊)    歌川国綱画    『加賀見山曾我笠松』二編 歌川国綱画 仮名垣魯文作    『傀儡師筆の操』 初二編 蘭斎国綱画 仮名垣魯文作 辻岡屋文助板    歌川国輝二世画    『上総木綿小紋単地』三編 歌川国輝画 勝諺蔵作    『嫗山姥』     二編 歌川国輝画 仮名垣魯文作    〈二代目国輝の合巻はこの慶応元年が初登場、国綱名の合巻もあるので、国綱の国輝への改名は前年の元治元年(1864)     と思われる〉    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕(慶応元年刊)    歌川国輝画    「富士登山振分双六」    「一雄斎国輝画」大黒屋金三郞 改印「丑十改」①    「東海道五十三駅名所寿語録」「一雄斎国輝筆」糸屋庄兵衛  慶応1年7月 ②  ◯『歳成記』風鈴山人著 玉家如山蔵板 乙丑仲秋(慶応元年八月)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)◎は難読文字( )は本HPの注記   〈当時人気のあった浮世絵師や戯作者などを吉原細見に擬えて格付けしたもの〉   〝浮世屋絵四郎 〈浮世絵師〉    (一段目)清満(不明)   貞秀 おふなぐら 芳虎 京ばし   芳艶 ほん丁         国貞 ほんじよ  広重 中はし   芳幾 すは丁   国周 ひもの丁    (二段目)芳藤 下や    芳年 中はし   国輝 おふなぐら 房種(不明)         芳豊 ◎大き◎丁 芳春 あさくさ  芳盛 下や    国久 やなぎ原         国孝 やなぎ原    (三段目)国時 芳富 重次 重清 芳延 芳滝 艶豊 艶政 幾丸 幾年     やくしや/にがほ/むしや/めい/しよ/けしき/女ゑ/合くはん     かはりゑ/ゑでほん/かき入/きはもの/かんばん/あふぎ     (役者 似顔 武者 名所 景色 女絵 合巻 変わり絵 絵手本 かき入? 際物 看板 扇)     やりて せり(遣手 ?)〟    〈これが明治元年の擬え細見では大躍進する〉     ☆ 慶応二年(1866)     ◯「合巻年表」(慶応二年刊)    歌川国綱画    『八犬伝犬の草紙』四十八編(画)国綱画(著)種彦 蔦屋吉蔵板 表紙 国貞    歌川国輝二世画    『仮名手本忠臣蔵』     初編(画)歌川国輝(著)菊亭文里 山本平吉板 見返し「新之画」     二編(画)歌川国輝(著)菊亭文里 山本平吉板 見返し「新之画」    『水鏡山鳥奇談』     四編(画)一雄斎国輝(著)鶴亭秀賀 辻岡屋文助板〈初編から三編の画工は一鴬斎国周〉    歌川国輝二世画    『花御所九重日記』初三編 一雄斎国輝画 鶴亭秀賀作 辻岡屋文助板〔目録DB〕    ◯『徳川昭武滞欧記録』第二(日本史藉協会叢書編・東京大学出版会)    ◇慶応二年四月「七 浮世絵師の件町奉行より勘定奉行への照会書」p418(同上)    (パリ万国博覧会に出品する「浮世絵画帖」百枚の画工名)   〝浮世絵師重立候者名前    亀戸町 久蔵店 国次郎方 国輝〟    (他に芳艶・芳幾・国周・芳虎・芳年・立祥・芳員・貞秀・国貞)〟    〈二代目国輝。詳しくは本HP「浮世絵事典」【は】「パリ万国博覧会」参照〉  ☆ 慶応三年(1867)  ◯『浮世絵師伝』p52(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国輝 二代 慶応三年一月、陣幕久五郎の土俵入を画きし絵馬 浅草寺に現存せり〟     ◯「絵本年表」〔目録DB〕(慶応三年刊)    歌川国輝画『東海道風景図会』一冊 一雄斎国輝画 藤岡屋慶治郎板    ◯「日本古典籍総合目録」   ◇分類なし(慶応三年刊)    歌川国輝二世画『廓曾我仮家細軒』二冊 歌川国輝画 鈍亭魯文作     ◯「合巻年表」(慶応三年刊)    歌川国輝画〔東大〕    『當九字万倍曽我』初編下冊(画)一雄斎国輝(著)仮名垣魯文綴・竹柴涛治校合 加賀屋吉兵衛板    『八犬伝犬の草紙』四十九編(画)一雄斎国輝(著)柳亭主人 蔦屋吉蔵板     (画工一雄斎国輝は、四十二編以降の画工国綱と同一人、慶応元年刊から二代目国輝の合巻が登場する)    歌川国輝画〔目録DB〕    『当裏梅魁香達引』二巻 歌川国輝画 藤本吐蚊作    『朝日影霞隈取』 二巻 歌川国輝画 瀬川如皐作(注記「日本小説年表による」)    歌川国綱画    『加賀見山故郷錦絵』(画)一蘭斎国綱 表紙 豊国(著)仮名垣魯文    ◯(番付名不明)(慶応三~四年刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   〝倭画    孟斎芳虎  〈年齢未詳、天保七年(1836)あたりから合巻の挿絵を担当し始める〉    一恵斎芳幾 〈35歳〉    一鴬斎国周 〈33歳〉    一梅斎芳春 〈40歳〉    一雄斎国輝 〈二代目国輝、38歳〉    一魁斎芳年 〈29歳〉    喜斎立祥  〈二代目広重。慶応元年、安藤家を去り、喜斎立祥と号す。42歳〉     玉蘭斎貞秀〟〈61斎〉       〈三年前の元治元年(1864)、長年にわたって浮世絵界を支え続けてきた三代目豊国(初代国貞)が逝去。あらためて番付を見    返すと、芳幾・国周・芳年等の若手が目につく、これを勢いのある新旧交代と見るべきか、それとも層の薄さが目立ち始め    たと捉えるべきか〉    ☆ 明治元年(慶応四年・1868)     ◯「合巻年表」〔東大〕(明治元年刊)     歌川国輝画『八犬伝犬の草紙』五十編(画)歌川国輝(著)柳亭種彦 蔦屋吉蔵板    ◯「双六年表」〔本HP・Top〕(明治元年刊)   「東海道五十三駅大双陸」一曜斎国輝 万屋吉兵衛  明治元年 ⑪〈二代国輝〉     <春 足芸(花川小鶴)両国橋詰>  ◯『観物画譜』147(朝倉無声収集見世物画譜)   「大坂下り太夫 花川子靎 口上(略)太夫元 七五三八」摺物 署名「応好 国輝画」版元不明  ◯「見世物興行年表」(ブログ)   「大坂くだり 花川子鶴」錦絵 署名「応需 一◎斎国輝画」大黒屋平吉板(改印「辰二月」)    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪191(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
   「歌川豊春系譜」〝(歌川国貞門人)国綱 号一蘭斎。四ツ谷ニ住ス〟     ◯『歳成記』風雷山人著 玉家如山蔵板 戊辰仲冬(明治元年十一月)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)※◎は難読文字   〝浮世屋絵四郎    (一段目)貞秀 芳虎 芳幾 芳年 国周 国輝 国貞 国明    (二段目)芳春 芳盛 芳藤 房種 重次 広重 重清 国久 一豊 国歳 芳富    (三段目)芳延 国時 国玉 芳豊 芳信 艶長 幾丸 年晴 周延 年次     かぶろ/おい/らん/どう/ちう/すがた/大に/しき/がう/くわん     げたい/なかみ     (禿 花魁 道中姿 大錦 合巻 外題 中味)     やくしや/にづら/大くび/丸◎/めい/しよ/けしき〟     (役者 似顔 大首 丸◎? 名所 景色)     やりて く◎り(遣手 ?)    〈慶応元年の『歳成記』に比べると大躍進である〉    ☆ 明治初年(1868~)  ◯「国立国会図書館デジタルコレクション」(明治初年刊)    歌川国輝画『衣食住諸職繪解錦画』曜斎国輝 文部省製本所    〈多色摺絵本〉    ◯『明治人物夜話』「国周とその生活」p246(森銑三著・底本2001年〔岩波文庫本〕)    (国周談 明治三十一年(1898)読賣新聞誌上)   〝「その後、わたしア日本橋の音羽町へ新宅を拵えたことがある。それは随分普請もよし、植木は皆芸者    の名を附けて、ちゃんと出来上ったから、国輝(クニテル)がその時分やかましい奉書一枚摺へ、額堂の絵を    画いた散らしを撒いて、いよいよ新宅開きとなった。音羽町というところは、岡(オカ)ッ引(ピキ)なんぞ    が多く住まっていたが、わたしは豆音(マメオト)さんという岡ッ引の世話になって、着物なんか貰ったから、    その礼廻りをした。帰って来ると、昔、今紀文といわれた山城河岸の津藤さん、猩々暁斎(シヨウジヨウキヨウ    サイ)、石井大之進という、上野広小路へ出ている居合い抜きの歯磨き、榊原藩の橋本作蔵という、今の    周延(チカノブ)なんぞが大勢来ていた。     けれどもわたしも酔っているから、二階へ上って、つい寝てしまうと、何だか下でがたがたするから、    目を覚まして、降りてッと見ると、暁斎め、酒に酔ったもんだから、津藤さんの着ていた白ちゃけた彼    布(ヒフ)を脱がして、びらを画いた丼鉢の墨ン中へ、そいつを突込んだ。津藤さんはにがい顔をしている    と、暁斎はそれを引きずり出して、被布中一面に河童さんを画いちまった。あれも酒がよくないから、    みんな変な顔していると、今度は唐紙へ何か画くてェんで、畳台の二つ三つ庭へ並べ、その上へ二階の    上り口に建ててあった、がんせきの新しい襖を敷いて、机にしたもんだ。そうしてその上で絵を画くん    だから、芸者が墨を持って立っているのもいいが、拵えたばかりの襖の上を、どしどし歩くから、ポコ    ポコ穴が明く。そこでわたしも、あんまり乱暴で見かねたから、傍へ行って、暁斎坊主、ひどいことを    するな。よしなさい、といったが、酔っているから、つんけんどんにやったんだろう。     そうすると暁斎め、持っている筆で、わたしの顔をくるりと撫でて、真ッ黒にしてしまったから、わ    たしも怒る。歯抜きの石井大之進は、暁斎の奴、反ッ歯(ソッパ)だから、おれがそいつを抜いてやると、    りきむし、周延の橋本作蔵は刀を抜いて、斬ってしまうぞと飛びかかったから、暁斎め驚いて、垣根を    破って逃げちまったが、その時分中橋の紅葉川の跡がどぶになってたんで、そこへ落ッこちたから、ま    るで溝鼠(ドブネズミ)のようになったのは、わたしの顔へ墨を塗った報いだと笑った。     けれども暁斎は、あれほどになるだけ感心のことは、その後わたしの家へ尋ねて来たから、それなり    に仲が直ってしまったが、周延が刀を抜いた時には、どうもひどい騒ぎで、往来も止まるくらいだった」    (森銑三記事)     国輝は、明治七年に四十五歳で歿した二世国輝であろう〟  ☆ 明治四年(1871)     ◯「合巻年表」〔東大・追補〕(明治四年刊)    歌川国輝画『八犬伝犬の草紙』五十五編(画)歌川国輝(著)柳亭主人録 蔦屋吉蔵    〈改が明治四年三月〉     <十月 曲馬(フランス人スリエ)招魂社境内>  ◯「見世物興行年表」「スリエ曲馬二」(ブログ)〈国立国会図書館デジタルコレクション参照〉    歌川国輝画「佛蘭西曲馬」錦絵三枚続 署名「一曜斎国輝画」辻岡屋文助板    ☆ 明治六年(1873)    ◯『【明治前期】戯作本書目』(明治六年刊)   ◇歴史戦記    歌川国輝画『復古夢物語』初編一冊 一曜斎国輝画 桜雨園主人著 文永堂版      <四月 撃剣会(会主榊原鍵吉)>  ◯「見世物興行年表」(ブログ)    歌川国輝画   「(土俵上、太刀打ち図)」錦絵三枚続 署名「曜斎国輝」(二代国輝)大黒屋平吉板   「大日本撃剣会」錦絵三枚続 署名「国輝画」「曜斎国輝画」山本屋平吉板   「撃剣会試合繁栄図」錦絵三枚続 署名「曜斎国輝筆」大黒屋平吉板(改・酉四月)     <五月 馬術会(草刈庄五郎)馬喰町初音の馬場>  ◯「見世物興行年表」(ブログ)   「馬術技藝会之図」錦絵三枚続 二代国輝画 辻文板(改・酉六月)    ☆ 明治七年(1874)(十二月十五日没 四十五歳)    ◯『【明治前期】戯作本書目』(明治七年刊)   ◇歴史戦記    歌川国輝画    『復古夢物語』二編二冊 山田国輝画  松村春輔著 文永堂版           三編三冊 一曜斎国輝画 松村春輔著 大嶋屋・政田屋二書房版  ◯『名人忌辰録』下巻p2(関根只誠著・明治二十七年(1894)刊)   〝歌川国輝 一雄斎 明治七年十二月十五日歿す、歳四十五。亀戸村法蓮寺に葬る〟〈これは二代目の国輝〉  ◯『近代教育錦絵の研究』「第4章 第2節 二代国輝の墓碑調査」井上素子著 平成25年   (『筑波大学芸術学研究誌 藝叢』28号・ネット上に『近代教育錦絵の研究』のpdfファイルあり)    寶蓮寺 過去帳 明治七年条〝円乗道清信士 十二月十五日(山田)絵師国輝〟    墓石 正面 「萩小田家之墓」       左側面「山田家先祖代々之霊」       右側面「圓乗道清信士 明治七年十二月十五日 絵師国輝 一曜斉(ママ)國輝」     ◯「集古会」第六十六回 明治四十一年(1908)一月 於青柳亭(『集古会誌』戊申巻二 明治41年10月刊)   〝村田幸吉(出品者)国輝画 繁栄双六 小三馬作〟  ☆ 明治前期  ◯「【当時一品】名誉博覧会」明治前期刊(『美術番付集成』瀬木慎一著・異文出版・平成12年刊)   〝目印のフラフ 見あてはたしか     ◎画 一曜斎国輝 ・東弘庵京伝・三遊亭円馬・竹本大嶋太夫・尾上いろは〟    〈この番付の刊年は明治七年と推定される。根拠は下掲本HP「浮世絵事典」の「浮世絵師番付」参照のこと〉    浮世絵師番付「☆明治前期」参照    ☆ 没後資料  ◯「読売新聞」(明治23年10月17日付)   〝国輝大に奮激す    初代国輝と云ふは旧幕臣にて 本名を太田金次郎と呼び 名人二代豊国の一弟子にて 神田明神へ捧げ    たる神田祭の大額を画きて其の名世に高かりしが 不幸にして狂気したれば 師匠豊国は亀戸なる曲物    (まげもの)屋の伜山田金次郎を迎へて其の後を嗣がしめ 之を二代目国輝となしたるに 此の人また画    (ゑ)に巧みにして 浅草観音・亀戸天神へ力士の大額を捧げ 其の名先代に譲らざりしが 両人(りや    うにん)物古(ぶつこ)の後 深川霊岸町の岡田藤四郎其の後を承け三代目国輝となる〟    〈二代目国輝の襲名は元治元年と思われる。二代豊国とあるが、現在は三代豊国(初代国貞)とする〉  ◯『浮世画人伝』p90(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
   「歌川国貞系譜」〝国綱 国貞門人、一曜斎、俗称山田金次郎、後ニ二世国輝ト更ム〟    ◯『見ぬ世の友』巻九 東都掃墓会 明治三十四年(1901)刊   (国立国会図書館デジタルコレクション)(巻6-13 33/76コマ)   〝明治七年十二月十五日 歌川国輝 号一雄斎 年四十五 葬于亀戸法蓮寺〟  ◯『浮世絵』第二号(酒井庄吉編 浮世絵社 大正四年(1915)七月刊)   (国立国会図書館デジタルコレクション)   ◇「千社札と浮世絵」扇のひろ麿(13/24コマ)   〝(三代豊国門下で慶応末から明治初年にかけて浮世絵の千社札を画いたのは)国貞 国周 国輝 国峰〟    〈本HP「浮世絵事典」【せ】「千社札・色札」参照〉  ◯「集古会」第百六十三回 昭和二年(1927)十一月(『集古』戊辰第一号 昭和2年12月刊)   ◇課題 明治古物   〝遠藤万川(出品者)国輝国政錦絵 亀井戸 鉄砲洲 本郷赤門    浅田澱橋(出品者)錦絵 国輝 第(一字欠)大区京橋新橋間煉瓦石造商家 三枚組〟  ◯「集古会」第百八十一回 昭和六年五月(『集古』辛未第四号 昭和6年9月刊)   〝浅田澱橋(出品者)国輝画 錦絵 三田薩摩邸焼打図 三枚続  ◯『浮世絵師伝』p52(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国輝 二代    【生】天保元年(1830)   【歿】明治七年(1874)十二月十五日-四十五    【画系】三代豊国門人    【作画期】嘉永~明治    歌川を称す、山田氏、俗称国次郎、一雄斎・一曜斎と号す、初め二代国綱を名乘りしが、後ち師豊国の    推薦によりて二代国輝となる、東京名所を題材とせる錦絵數多あり、また彼が慶応三年一月、陣幕久五    郎の土俵入を画きし絵馬浅草寺に現存せり。墓所、亀井戸法蓮寺。(二代国綱の項参照)〟    ◯『浮世絵師伝』p52(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国綱 二代  国輝の前名〟     ◯「集古会」第百九十二回 昭和八年九月(『集古』癸酉第五号 昭和8年11月刊)   〝浅田澱橋(出品者)国輝画     第一大区従京橋新橋迄煉瓦商家図 三枚続一組 /国輝画 人形町通従水天宮深川遠景 同     海運橋五階造真図 同 /浅草橋図 同    /鉄砲洲新島原避廓図 同    三村清三郞(出品者)国輝画(錦絵江戸名所)京橋煉瓦石繁栄図 三枚    上羽貞幸 (出品者)一曜斎国輝画 東京高輪蒸気車鉄道之全図 三枚続一組〟  ◯『浮世絵年表』p208(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   「天保元年(十二月十日改元)庚寅」(1830)   〝歌川国輝生る。(明治七年十二月十五日歿す。行年四十五歳)〟    △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序)   「城東区」宝蓮寺(亀戸町四ノ九七)新義真言宗智山派   〝宝蓮寺(画家)二世、本名山田国次郎、一雄斎と号す。明治七年十二月十五日歿。年四十五。円乗道清    信士〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
   「歌川系図」〝国貞(三世豊国)門人 国輝(二世)〟    ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p87(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝国輝 二代(くにてる)    山田金次郎、一雄斎、一曜斎と号した。三代豊国の門人、始めは国綱と名乗つていたが、のち二代国輝    となる。その作画期は慶応より、没年までに及ぶ。よく明治の開化風物を描き、また教育絵などをもの    にした。その画風は貞秀に似た所あり、一時貞秀に師事したともいわれる。天保元年生れ、明治七年十    二月、四十五才で歿した〟     ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p97(樋口弘著・昭和37年改訂増補版)   〝国綱(くにつな)二代 一曜斎国輝の前名、の項参照〟  ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   (歌川国綱画版本)    作品数:17点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:一蘭斎・国綱・一蘭斎国綱・歌川国綱    分 類:合巻14・人情本1・歌舞伎1    成立年:安政2・4~7年(7点)        万延2年    (1点)        文久1・3年  (3点)(文久年間合計4点)        慶応1~3年  (3点)        〈文久年間以降の国綱が二代目と思われる〉   (歌川国輝名の作品)    作品数:11       画号他:国綱二世・歌川国綱二世・一雄斎・一雄斎国輝・歌川国輝・歌川国輝二世      分 類:合巻9・絵画1      成立年:万延1年  (1点)        文久1~3年(1点)        元治1年  (2点)        慶応1~3年(11点)   (歌川国綱名の作品)    作品数:1    画号他:歌川国綱二世    分 類:合巻1    成立年:万延1年、文久1~3年、元治1年、慶応1年(1点)    〈笠亭仙果作合巻『犬の草紙』四十一編~四十八編(万延元年(1860)~慶応元年(1865))の画工名に国綱を使い、     四十九編(慶応三年(1867))に至って国輝名となる〉