Top浮世絵文献資料館浮世絵師総覧
 
☆ くにてる うたがわ 歌川 国輝 初代浮世絵師名一覧
〔生没年未詳〕 (歌川貞重・歌川国光参照)
   ☆ 文化三年(1806)    ◯『江戸小咄辞典』「所収書目改題」(武藤禎夫編・昭和五二年・一二版)   ◇咄本(文化三年刊)    歌川国輝画『江戸嬉笑』楽亭馬笑・福亭三笑・古今亭三鳥合作、式亭三馬評    〈国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」はこの国輝を初代とする。しかし『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮     世絵師」は初代歌川国輝の作画期を文政期からとし、しかも下出にもあるように、こちらの国輝は前名貞重で、その     貞重が国輝と改名するのは弘化四年以降である。したがって以下の国輝とこの文化期の国輝とが同人とは思えない。     取りあえず、参考までに初代国輝に入れたが、別に「歌川国輝」として一項を設けた〉    ☆ 文化五年(1808)    ◯「合巻年表」(〔書目年表〕は『改訂日本小説書目年表』)   ◇合巻(文化五年刊)※角署は省略    歌川貞重画    『狂訓己が津衛』画狂人北斎画 表紙は貞重画 十返舎一九作〔書目年表〕     〈この貞重画の表紙が文化五年のものか定かではない〉    ☆ 天保十年(1839)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(天保十年刊)    歌川国輝画    『縁結娯色糸』初・二編 歌川貞重(国輝)・歌川麿丸(国麿)画 松亭金水作    『閑情末摘花』初編   歌川貞重画 松亭金水作    ☆ 天保十一年(1840)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(天保十一年刊)    歌川国輝画    『閑情末摘花』二・三編 歌川貞重(国輝)画 松亭金水作    『沈魚伝』  二編   歌川貞重画 松亭金水作    『梅之春』  三編   歌川貞重画 為永春水作    ☆ 天保十二年(1841)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(天保十二年刊)    歌川国輝画    『春色伝家の花』歌川貞重画 為永春水作    『閑情末摘花』 四・五編 歌川貞重(国輝)画 松亭金水作    『縁結娯色糸』 三編   歌川貞重(国輝)・歌川麿丸(国麿)画 松亭金水作    『春宵月の梅』 二編   歌川貞重画 狂仙亭春笑作    『春色初若那』 三編   歌川貞重画 狂文亭春笑作    『梅之春』   四編   歌川貞重画 為永春水作    ☆ 天保十三年(1842)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(天保十三年刊)    歌川国輝一世画    『春宵月の梅』三編 歌川貞重画 庭訓舎春泉作    『沈魚伝』  三編 歌川貞重画 松亭金水作    ☆ 天保十四年(1843)    ◯「絵本年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇絵本(天保十四年刊)    歌川国輝画『教訓図会』初編 東花園貞重画 教訓亭春水著 青雲堂板〔目録DB〕    ☆ 天保年間(1830~1844)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(天保年間刊)    歌川貞重画『春色初嘉須美』初編 歌川貞重画 為永春水作    ☆ 天保十五年(弘化元年・1844)    ◯『増補浮世絵類考』(斎藤月岑編・天保十五年序)   (「歌川国貞」の項、国貞門人)
    「一雄斎国貞系譜」     〝国輝 一雄斎〟    ☆ 弘化四年(1847)    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇人情本(弘化四年刊)    歌川国輝(貞重)画『貞操婦女八賢誌』七編 歌川貞重画 為永春水二世作     ◯『藤岡屋日記 第三巻』p135(藤岡屋由蔵・弘化四年(1847)記)   〝三月十八日より六十日之間、日延十日、浅草観世音開帳、参詣群集致、所々より奉納もの等多し    (奉納物のリストあり、略)    奥山見世もの     一 力持、二ヶ処在、     一 ギヤマンの船     一 三国志  長谷川勘兵衛作     一 伊勢音頭     一 朝比奈〟
      「【キヤマム】細工舩」 貞重改 国輝画     (「RAKUGO.COM・見世物文化研究所・見世物ギャラリー」)         〈「【キヤマム】細工舩」に「貞重改国輝画」「貞重改国てる画」とある。貞重から国輝への改名は弘化四年三月以前〉         ◯『藤岡屋日記 第三巻』③131(藤岡屋由蔵・弘化四年(1847)記)   (閻魔の目玉抜き取られる)   〝三月六日夜     四ッ谷内藤新宿浄土宗大宗寺閻魔大王の目の玉を盗賊抜取候次第    右之一件大評判ニ相成、江戸中絵双紙やへ右の一枚絵出候、其文ニ曰、     四ッ谷新宿大宗寺閻魔大王ハ運慶作也、御丈壱丈六尺、目之玉ハ八寸之水晶也、これを盗ミ取んと、    当三月六日夜、盗賊忍び入、目玉を操(ママ)抜んとせしニ、忽ち御目より光明をはなしける故ニ盗人気絶    なし、片目を操(ママ)抜持候まゝ倒レ伏たり、此者ハ親の目を抜、主人の目をぬき、剰地獄の大王の目を    ぬかんとなせしニ、目前の御罰を蒙りしを、世の人是ニこりて主親の目をぬすむ事を謹しミ玉へと、教    の端ニもなれかしとひろむるにこそ。     亦閻魔と盗人と坊主、三人拳之画出ル。     (歌詞)さても閻魔の目を取ニ、這入る人こそひよこ/\と、夜るそろ/\目抜ニ参りましよ、しや     ん/\かん/\念仏堂、坊さまニどろ坊がしかられた、玉ハ返しましよ、おいてきなせへ人の目を、     抜て閻魔の目をぬひて腰がぬけたで、きもと気がぬけ。        めを二(一)ッ二ッまなこで盗ミとリ          三ッけられたる四ッ谷新宿        五く悪で六で七(ナ)し身の八じ不知          九るしき身となり十分のつミ     右閻魔の目を操抜候一件、種々の虚説有之候、一説ニ同処質屋の通ひ番頭忰、当時勘当の身、閻魔堂    ニ入、左りの目の玉を操抜取、右之方を取んとする時、閻魔の像前ぇ倒レ候ニ付、下ニ成て動く事なら    ずして被捕し共云、亦一説ニハ、同処ニ貧窮人有之、子供二人疱瘡致し候故、閻魔ぇ願懸致し候処、子    供二人共死したり、右故ニ親父乱心致して、地蔵ハかハいゝが閻魔がにくいとて、目の玉を操抜しとぞ、    是ハ昼の事ニて、子供境内ニ遊び居しが、是を見付て寺へ知らせし故ニ、所化来りて捕しともいふなり、    亦一説ニハ、近辺のやしき中間三人ニて閻魔堂ぇ押入、二人は賽銭箱をはたき逃出し、一人は残り、目    玉を抜取し故、被捕し共いふ也。       閻魔の目を抜候錦絵一件    未ノ三月六日夜、四ッ谷新宿大宗寺閻魔の目玉を盗賊抜取候次第、大評判ニて、右之絵を色々出板致し、    名主之改も不致売出し候処、大評判ニ相成売れ候ニ付、懸り名主より手入致し、四月廿五日、同廿六日、    右板元七軒呼出し御吟味有之、同廿七ニ右絵卸候せり并小売致候絵双紙屋九軒御呼出し、御吟味有之、    五月二日、懸り名主村田佐兵衛より右之画書、颯与(察斗)有之。     南御番所御懸りニて口書ニ相成、八月十六日落着。       過料三〆文ヅヽ        板元七人                      世利三人                  絵草紙屋       同断               小売     但し、右之内麹町平川天神絵双紙屋京屋ニてハ、閻魔の画五枚売し計ニて三〆文の過料也。     板行彫ニて橋本町彫元ハ過料三〆文、当人過料三〆文、家主三〆文、組合三〆文、都合九〆文上ル也〟    〈国輝画の一枚絵である。画工への処罰はなかったようだ。下出「錦絵の諷刺画」の署名は「貞重改国輝」とある。貞     重から国輝への改名は弘化四年か。この絵は、同時大流行中の三竦みの拳(この場合は閻魔と盗人と坊主)と新宿太     宗寺の閻魔の目抜き取り事件とを組み合わせた戯作戯画。犯人をめぐって、番頭の倅とか貧窮人などの浮説が生じた〉  
    「内藤新宿太宗寺」貞重改国輝画     (ウィーン大学東アジア研究所FWFプロジェクト「錦絵の諷刺画1842-1905」)        <三月 見世物 ギヤマン細工(長谷川冨五郎)浅草奧山>  ◯『観物画譜』60(朝倉無声収集見世物画譜『日本庶民文化史料集成』第八巻所収)   「ギヤマム細工船 細工人 竹岩 人形細工人 政信 口上(文字不明)」錦絵二枚続    署名「国輝画」藤岡屋慶次郎板     ☆ 嘉永元年(1848)頃    △『旧聞日本橋』p367(長谷川時雨著・昭和四~七年(1929~1852)刊)   (著者・長谷川時雨の父・長谷川深造(天保十三年(1842)生)、六七歳(弘化四年~嘉永元年)の少年時    代を回想して)   〝歌川輝国は、宅(ウチ)のすぐ前にいたのさ。うまや新道--油町と小伝馬町の両方の裏通り、馬屋新道    とは、小伝馬町の牢屋から、引廻しの出るときの御用を勤めるという、特別の役をもっている荷馬の宿    があったから--の小伝馬町側に住んでいた。くさ双紙の、合巻かきでは、江戸で第一の人だったけれ    ど、貧乏も貧乏で、しまいは肺病で死んだ。やっぱり七歳ぐらいから絵をおしえてくれた。その時分三    十五、六でだったろう。豊国の弟子だったから、豊国の画いたものや、古い絵だの古本だの沢山あった。    種彦がよこした下絵の草稿もどっさりあった。私は二六時中(シジユウ)見ていても子供だからそんなに大    切にしなかったし、おかみさんのおもよというのは、竈河岸(ヘツツイガシ)の竈屋の娘で、おしゃべりでし    ようのなかった女だから、輝国が死んでから、そういうものはどうなってしまったかわからなかった。    住居(スマイ)は入口が格子で、すこしばかり土間があって、二間に台所だけ、家賃は(今の金)で三十銭    位だとおぼえている。それでもお酒は大好きで、たべものはてんやものばかりとっていた。貧乏でもそ    ういうところは驕っていた。芝の泉市だの、若狭屋だのという絵双紙屋から頼みにきても、容易なこっ    ては描いてやらなかった。その時分、定さんという人がよく傭われてきたものだ。輝国が絵--人物や    背景を描くと、その人は、軒だの窓だとか、縁側だとか、襖とかいったものの、模様や線をひきにくる。    腕はその当時いい男だといわれていたのに、弁当も自分持ちで、定木も筆も持参で来て、ひどい机だけ    かりて仕事をして、それで一日がたった天保銭一枚(当時の百文・明治廿年代まで八厘)。今の人がき    くと嘘のようだろう〟    〈この輝国名は『原色浮世絵大百科事典』第二巻「浮世絵師」にも、国文学研究資料館の「日本古典籍総合目録」にも     見当たらないが、豊国の弟子といい種彦の下絵の草稿があったということからすると、あるいは、回想者・長谷川深     造は三代目豊国(歌川国貞)門人国輝を誤って輝国と記しているのではないか。「日本古典籍総合目録」によると、     柳亭種彦が亡くなったのち、二世種彦を自称した笠亭仙果の合巻を、国輝は十点作画している。したがって、この二     世種彦の下絵草稿が国輝の許にあったのは不自然ではない。またこの当時三十五、六歳とあるから、この国輝は天保     元年(1830)生まれの二代目ではなく、初代国輝である〉〉     ☆ 嘉永二年(1849)     ◯「合巻年表」   (〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔早大〕は「古典籍総合データベース」〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(嘉永二年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『引書語三姓太夫』初編(画)歌川国輝 (著)楽亭西馬 小林泰治郎・恵比寿屋庄七板〔東大〕             二編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬 小林泰治郎・恵比寿屋庄七板〔東大〕                  表紙 豊国    『実入秋花野苅萱』十二巻 一雄斎国輝画 柳下亭種員作 藤岡屋慶次郎板〔目録DB〕    『長命願延寿嚢』(画)歌川国輝(著)楽亭西馬 山崎屋清七板 〔東大〕〔早大〕                表紙 静斎英一 巻末署名「歌川国輝〔「貞」「重」印〕」     〈備考「本書の本文画工は歌川国輝であるが、上冊摺付表紙には「静斎英一画」の記載がある。表紙のみは      清斎英一によって描かれたものの、刊行が遅れたことと英一は英泉の門人で嘉永元年に没(三十一歳)し      たことから、急遽、本文画工が歌川国輝に代わったか」〉    『柳風花白波』 初二編 歌川国輝画 笠亭仙果作〔目録DB〕    ☆ 嘉永三年(1850)     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔早大〕は「古典籍総合データベース」)   ◇合巻(嘉永三年刊)※角書は省略     歌川国輝画    『侠客伝仦模略説』初編(画)上冊 一陽斎豊国 (著)楽亭西馬 蔦屋吉蔵板〔東大〕                  下冊 一雄斎国輝 表紙 豊国             二編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国 楽亭西馬 蔦屋吉蔵板〔東大〕             三編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国 楽亭西馬 蔦屋吉蔵板〔東大〕    『新靭田舎物語』 三編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕     〈二編は嘉永二年刊、本文挿絵は貞秀が担当していた。三編以降、国輝に代わる〉    『咲替蕣日記』初編(画)一雄斎国輝(著)墨川亭雪麿 恵比寿屋庄七板〔東大〕           二編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)墨川亭雪麿 恵比寿屋庄七板〔東大〕           三編(画)一雄斎国輝・豊国(著)墨川亭雪麿 恵比寿屋庄七板〔東大〕    『岸柳四魔談』初編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬 山口屋藤兵衛板〔東大〕〔早大〕                  袋「欽二筆」     〈国輝が師匠の三代目豊国から本文挿絵の仕事を譲り受けたのは、この年の『侠客伝仦模略説』初編下冊が初めてか。以降      国輝が担当する〉    ◯「【高名時花】三幅対」(番付・嘉永三年五月刊『日本庶民文化史集成』第八巻所収)   (上から六段目(最下段)東筆頭から四番目)   〝浮絵 タツ丁 一雄斎国輝 ・看板 サルワカ 山本重五郎 ・行燈 フカガワ 箕田北鵞    〈国輝は初代の国輝を思われるが、「浮絵」と「タツ丁」のがよく分からない。猿若町の山本重五郎は番付等の板元か。     深川住の三田北鵞は行燈にも絵を画いたようである〉     ☆ 嘉永四年(1851)     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(嘉永四年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『島巡浪間朝比奈』初編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)柳下亭種員 蔦屋吉蔵板〔東大〕                  見返し「貞章画」             二編(画)国輝    表紙 豊国(著)種員    蔦屋吉蔵板〔東大〕    『侠客伝仦模略説』四編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)楽亭西馬  蔦屋吉蔵板〔東大〕             五編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬  蔦屋吉蔵板  〔東大〕    『関太郎鈴鹿古語』初編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬  佐野屋喜兵衛板〔東大〕             二編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬  佐野屋喜兵衛板〔東大〕    『十勇士尼子柱礎』初編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 恵比寿屋庄七板〔東大〕                  表紙 豊国 十一オ「スケ貞益画」    『浅間嶽面影草紙』二編八巻 歌川国輝画 柳下亭種員作〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)     『弓張月春廼霄栄』初四編  歌川国輝画 楽亭西馬作〔目録DB〕    『御贄美少年始』 四編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕             五編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕                   見返し 貞益画 袋 貞益画     〈『御贄美少年始』の三編は嘉永二年刊で豊国が画工を担当していた〉    『新靭田舎物語』 四編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕                  袋 国輝画    『大晦日曙草紙』十六編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)山東庵京山 蔦屋吉蔵板〔東大〕     〈十五編は嘉永三年刊で豊国が挿絵を担当している〉    『児雷也豪傑譚』十五編(画)豊国 見返し 国政画(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕            十六編(画)国輝 表紙 豊国  (著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕            十七編 歌川国輝画 柳下亭種員作〔目録DB〕     〈十五編は豊国画、十六編以降は国輝が担当する〉    『咲替蕣日記』 四編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)墨川亭雪麿 恵比寿屋庄七板〔東大〕            五編(画)一雄斎国輝(著)墨川亭雪麿 恵比寿屋庄七板〔東大〕    『岸柳四魔談』 二編(画)歌川国輝 (著)楽亭西馬  山口屋藤兵衛板〔東大〕     『春柳錦花皿』初二編 一雄斎国輝画 十返舎一九作 蔦屋吉蔵板〔目録DB〕    『詞花萱草紙』初二編 歌川国輝画  墨川亭雪麿作〔目録DB〕    『竹取物語』 十三編(画)哥川国てる 表紙 豊国(著)京山老人 森屋治兵衛板〔東大〕                 見返し・袋 豊国画           十四編(画)歌川国輝  表紙 豊国(著)京山老人 森屋治兵衛板〔東大〕     〈本作品の十二編は嘉永二年刊で、本文挿絵は三代目豊国の担当〉     〈嘉永四年、国輝が師匠の三代目豊国から本文挿絵の担当を譲り受けたのは『御贄美少年始』『大晦日曙草紙』『児雷也豪      傑譚』『竹取物語』〉    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇分類なし(嘉永四年刊)    歌川国輝画『油屋お染』歌川国輝画 笠亭仙果作 前編嘉永四後編五自序〔目録DB〕     ☆ 嘉永五年(1852)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(嘉永五年刊)    歌川国輝画    『畸人百人一首』一冊 葛飾為斎  一勇斎国芳 玉蘭斎貞秀 山口屋藤兵衛板〔漆山年表〕               一雄斎国輝 一猛斎芳虎 一陽斎豊国 緑亭川柳編     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(嘉永五年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『仮名反古一休草紙』初編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   袋 国輝画              二編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   袋 国輝画         『引書語三姓太夫』 四編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)楽亭西馬  恵比寿屋庄七板〔東大〕                   袋 一雄斎画    『関太郎鈴鹿古語』 三編(画)一雄斎国輝 表題 豊国(著)楽亭西馬  佐野屋喜兵衛板〔東大〕    『島巡浪間朝比奈』 三編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 蔦屋吉蔵板  〔東大〕              四編(画)国輝   (著)種員    蔦屋吉蔵板  〔東大〕    『侠客伝仦模略説』 六編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬  蔦屋吉蔵板  〔東大〕              七編(画)一雄斎国輝(著)西馬    蔦屋吉蔵板  〔東大〕    『十勇士尼子柱礎』 二編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 恵比寿屋庄七板〔東大〕                   表紙 豊国    『雨夜鐘四谷雑談』初二編 一雄斎国輝画 柳下亭種員作 恵比寿屋庄七板〔目録DB〕    『吾邦気質俠銘鑑』初二編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作 〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)    『二重染菊花鴈金』 二編 一雄斎国輝画 柳下亭種員作〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)    『児雷也豪傑譚』十八編(画)国輝 表紙 豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕            十九編(画)国輝 表紙 豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                  見返し 一雄斎国輝画            二十編(画)国輝 表紙 豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕    『今業平昔面影』 四編(画)一雄斎国輝(著)笠亭仙果  和泉屋市兵衛板〔東大〕                (備考「本書初~三編の画工は芳虎、四編は国輝に代わっている」)    『御贄美少年始』 六編(画)一雄斎国輝(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕             七編(画)一雄斎国輝(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕    『新靭田舎物語』 六編(画)一雄斎国輝(著)十返舎一九 蔦屋吉蔵板〔東大〕    『蜀紅錦七宝績』 初編 歌川国輝画 桃栗山人作〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)    『咲替蕣日記』 六編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)墨川亭雪麿 恵比寿屋庄七板〔東大〕    『岸柳四魔談』 三編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)楽亭西馬  山口屋藤兵衛板〔東大〕    『琴声美人録』 七編(画)国輝 表紙 豊国(著)京山老人 佐野屋喜兵衛板〔東大〕                見返し・袋 立斎画    『木下闇緑林』 六巻 一雄斎国輝画 十返舎一九作 浜田屋徳兵衛板〔目録DB〕    『桜姫粧春雨』初二編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作 〔目録DB〕       『竹雀千代哢』 初編 一雄際国輝画 楽亭西馬作 〔目録DB〕    『其磧正本』  二編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作 〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)     『弘誓船橋』  二編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作 〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)    『楽浪譚』  前後編 一雄斎国輝画 玉塵園雪住作〔目録DB〕     〈昨年まで三代目豊国が本文挿絵を担当していた作品は『琴声美人録』。『児雷也豪傑譚』は昨年の十六編以降、      豊国から国輝代わっている。そして、この年の合巻の挿絵担当作品数は三代目豊国を上回る〉     ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇分類なし(嘉永五年刊)    歌川国輝画『油屋お染』歌川国輝画 笠亭仙果作 前編嘉永四後編五自序〔目録DB〕     ☆ 嘉永六年(1853)     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(嘉永六年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『仮名反古一休草紙』三編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙「豊国」袋「国輝画」              四編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙「豊国」袋「国輝画」         『島巡浪間朝日奈』 五編(著)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 蔦屋吉藏   〔東大〕    『龍王太郎英雄譚』十一編(画)一雄斎国輝 国綱補助(著)式亭小三馬   〔東大〕                   表紙「豊国」      (十編は昨年の嘉永五年刊で画工は豊国。この十一編から国輝が担当する)    『花蓑笠梅稚物語』 初編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬 蔦屋吉蔵板   〔東大〕              二編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬 蔦屋吉蔵板   〔東大〕        『侠客伝仦模略説』 八編(画)一雄斎国輝(著)西馬省訳 蔦屋吉蔵板   〔東大〕    『関太郎鈴鹿古語』 四編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬  佐野屋喜兵衛板〔東大〕    『女郎花五色石台』 五編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙「豊国」袋「抱玉画」     〈四編(嘉永四年刊)までの画工は三代目豊国)      『星月夜窓下白梅』初二編 一雄斎国輝画 翠松種春作〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)    『児雷也豪傑譚』二十一編(画)一雄斎国輝   (著)柳下亭種員   和泉屋市兵衛板〔東大〕            二十二編(画)いちゆう斎くに輝(著)りうか亭たね員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙「豊国」             二十三編(画)一雄斎国輝   (著)柳下亭種員   和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙「豊国」    『春霞五色彩』初二編 一雄斎国輝画 柳煙亭種久作〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)    『琴声美人録』八編(画)歌川国輝(著)京山老人 佐野屋喜兵衛板〔東大〕                表紙「豊国」見返し・袋「国綱画」           九編(画)国輝(著)京山老人 佐野喜兵衛板   〔東大〕    『(図)商(マサルアキナイ)』十五編  (画)国輝(著)式亭小三馬    〔東大〕             (備考、本書は式亭三馬店が薬品・化粧品の五月売り出しの景品として作った配り本の由)    『浮世文庫』一冊 一雄斎国輝画 柳昇亭種蒔 柳雨亭種安作〔目録DB〕(注記「日本小説年表による」)     〈この年、三代目豊国から本文挿絵の担当を譲られたのは『龍王太郎英雄譚』と『女郎花五色石台』〉    ◯『筆禍史』「当代全盛高名附」(嘉永六年・1853)p160(宮武外骨著・明治四十四年刊)   〝吉原細見に擬して、当時名高き江戸市内の儒者和学者俳諧師狂歌師等をはじめ諸芸人に至るまで数百人    名を列配し、其名の上に娼妓の如き位印を附けたる一小冊なり、末尾に「嘉永六年癸丑之義、玉屋面四    郎蔵板」とあり    これは吉原の細見に擬して、嘉永六年に出版した『当代全盛高名附』の一葉を原版のまゝ模刻したので    ある、曲亭馬琴、山東京伝、式亭三馬、柳亭種彦、初代歌川豊国、葛飾北斎、渓斎英泉等の如き大家没    後の文壇が、如何に寂寞たりしかを知るに足るであろう。    因みにいふ、右『当代全盛高名附』の作者及び版元は、吉原細見の版元より故障を申込まれ「細見株を    持てる我々に無断で、細見まがひの書冊を出版するとは、不埒至極である」との厳談を受け、結局あや    まり証文を入れて、書冊は絶版とする事で、漸く示談が附いたとの伝説がある、今日は他人の出版物に    擬した滑稽的の著作は勿論、其正真物に似せたイカサマ物を出版しても、咎められない事になつて居る    が、旧幕時代には右の伝説の如き事実があつたらしい(此花)        【吾妻】錦   浮世屋画工部    (上段)     豊国 にかほ   国芳 むしや  広重 めいしよ  清満 かんばん  春亭 花てふ     貞秀 かふくわん 国輝 むしや  芳虎    (中段)      国貞 やくしや  国盛 をんな  国綱 芳宗 芳艶 清亢 芳藤 芳玉 直政    (下段)      国麿 清重 芳員 芳雪 広近 春徳 春草 房種 芳豊      かむろ       やく者 にがを むしや めい処 けしき をんな 草そうし うちわゑ かわりゑ       すごろく かんばん     やりて        ◎◎〟    〈「日本古典籍総合目録」はこの『当代全盛高名附』の統一書名を『江戸細撰記』としている。〉
    「当代全盛高名附」「浮世屋画工郎」〈早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」〉     ☆ 安政元年・寅(嘉永七年・1854)     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(安政元年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『仮名反古一休草紙』五編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙 豊国 袋 国輝画              六編(画)一雄斎国輝(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   表紙 豊国 袋 国輝画          『与謝武郎恋夜話』二編(画)国輝 表紙口絵 豊国(著)花笠文京 笑寿屋庄七板〔東大〕    『花蓑笠梅稚物語』三編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬訳 蔦屋吉蔵板  〔東大〕    『女郎花五色石台』六編(画)国輝 表紙 豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕    『小児やしない草』  (画)一雄斎歌川国輝(著)一筆庵景斎英寿 紅木板〔東大〕                  上冊十ウ「歌川国輝画」    『雨夜鐘四谷雑談』三編  歌川国輝画  柳下亭種員作 恵比寿屋庄七板〔目録DB〕    『照天松操月鹿毛』初二編 一雄斎国輝画 春風亭柳枝作 和泉屋市兵衛板〔目録DB〕    『弓張月春廼霄栄』十二編 歌川国輝画  楽亭西馬作  恵比寿屋庄七板〔目録DB〕    『児雷也豪傑譚』二十四編(画)国輝 表紙 豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   見返し 一雄斎国輝画            二十五編(画)国輝 表紙 豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕                   見返し「玄魚画」            『黄金水大尽盃』初編(画)一雄斎国輝(著)為永春水 和泉屋市兵衛板〔東大〕            二編(画)一雄斎国輝(著)為永春水 和泉屋市兵衛板〔東大〕    『咲替蕣日記』 七編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)笠亭仙果 恵比寿屋庄七板〔東大〕            八編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)笠亭仙果 恵比寿屋庄七板〔東大〕                 見返し 国綱画 袋「賤丸(玄魚)」         『琴声美人録』 十編(画)国輝 (著)京山老人 佐野屋喜兵衛板〔東大〕           十一編 歌川国輝画  山東京山作 佐野屋喜兵衛板〔目録DB〕    『古今草紙合』十十一編 歌川国輝画 笠亭仙果作 蔦屋吉蔵板  〔目録DB〕     『桜姫粧春雨』 三編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作 山本平吉板  〔目録DB〕    『竹雀千代哢』 三編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作〔目録DB〕    〈この年の六月、国輝から国光と改名する。安政二年の「合巻年表」参照〉     ☆ 安政二年・卯(1855)     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(安政二年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『仮名反故一休草紙』七編(画)一雄斎国光(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕(改印・寅六)                 表紙豊国 袋柳緑花紅画 二十ウ「国輝改/国光画」     〈国輝は国光に改名。備考、本書の改印は「寅六」とあるが「寅八」の改印を有する別本もある由〉    『龍王太郎英雄譚』十二編(画)一雄斎国輝 表紙豊国(著)楽亭西馬 藤岡屋慶次郎板〔東大〕(寅六)    『花蓑笠梅稚物語』 四編(画)一雄斎国輝(著)楽亭西馬 蔦屋吉蔵板 〔東大〕(子四)    『重井菱染別小紋』五六編 歌川国輝画 為永春水作〔目録DB〕    『児雷也豪傑譚』二十六編(画)国輝 表紙豊国(著)種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕(寅三)    『黄金水大尽盃』三編(画)一雄斎国輝(著)為永春水 和泉屋市兵衛板〔東大〕(寅六)            四編(画)一雄斎国輝(著)為永春水 和泉屋市兵衛板〔東大〕(寅壬七)    『琴声美人録』     十一編(画)国輝 表紙豊国(著)京山老人 佐野屋喜兵衛板〔東大〕(寅五)     十二編(画)一雄斎国輝 表紙豊国 見返し国久画(著)京山老人 佐野屋喜兵衛板〔東大〕(寅八)    『岸柳四魔談』四編 一雄斎国輝画 楽亭西馬作 山口屋藤兵衛板〔目録DB〕〔早大〕    歌川国光画    『仮名反故一休草紙』七編(画)一雄斎国光(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕(寅六)                 表紙豊国 袋 柳緑花紅画 二十ウ「国輝改/国光画」                    (備考、袋画工の柳緑花紅は八編袋画工「玄魚」と同印で同一人とする)    『児雷也豪傑譚』     二十七編(画)一雄斎国光 表紙豊国(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕(寅十)     二十八編(画)一雄斎国光 表紙豊国 見返し玄魚(著)柳下亭種員 和泉屋市兵衛板〔東大〕(寅十)      〈『琴声美人録』十一編の改が五月でこの時は国輝名、そして「国輝改/国光画」と記す『仮名反故一休草紙』七編     の改は六月である。すると、国輝から国光の改名は安政元年(寅)六月と考えられる。ではその後、国輝名はどう     なったかというと、二代目国輝の作品が登場するのが慶応元年(1865)刊から、つまり、二代国綱の二代目国輝襲名     はその前年の元治元年(1864)と推定されるから、この間の安政二年から元治元年までは空白ということになる。し     かし実際には下掲のように、この間にも国輝画の合巻は刊行されている。また、一方で国光名の合巻も出ている。     これをどう解すべきか、よく分からない。加えて『原色浮世絵大百科事典』の第二巻や『浮世絵大事典』には、安     政二年以降、初代国輝は二代国彦と改名したとある。すると初代国輝は、安政二年以降、版本では二代国光、版画     では二代国彦と使い分けて併称したのであろうか。これも判然としない。ともあれ、二代国輝が登場する慶応元年     (1865)以前の国輝名作品は、とりあえず初代国輝の項目に収録した〉    ☆ 安政三年(1856)     ◯「合巻年表」(〔東大〕は『【東京大学/所蔵】草雙紙目録』)   ◇合巻(安政三年刊)※角書は省略    歌川国輝画    『咲替蕣日記』九編(画)一雄斎国輝 表紙 豊国(著)笠亭仙果 恵比寿屋庄七板〔東大〕                見返し「玄魚画」      ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   ◇心学(安政三年刊)    歌川国輝一世画『教訓図会』二編 国光画 教訓亭春水編 万笈堂板〔目録DB〕〈初編は天保14年刊〉     <春 足芸(花川子鶴)西両国広小路>  ◯『観物画譜』147(朝倉無声収集見世物画譜『日本庶民文化史料集成』第八巻所収)   「大坂下り太夫 花川子靎 口上(略)太夫元 七五三八」摺物 署名「◎好 国輝画」版元不明    ☆ 安政六年(1859)     ◯「絵本年表」(〔漆山年表〕は『日本木版挿絵本年代順目録』)   ◇絵本(安政六年刊)    歌川国輝画『柳橋新誌』一冊 国輝画 何有仙史撰〔漆山年表〕      ☆ 万延元年(安政七年・1860)     ◯「合巻年表」(〔目録DB〕は「日本古典籍総合目録」)   ◇合巻(安政七年刊)※角書は省略    歌川国輝画『菜種花雙蝶々』二巻 歌川国輝画 笠亭仙果作〔目録DB〕    ☆ 文久三年(1863)     <正月 駱駝の見世物 西両国広小路  ◯『観物画譜』196(朝倉無声収集見世物画譜『日本庶民文化史料集成』第八巻所収)   「(駱駝図)口上(略)」摺物 署名「国輝画」菊屋市兵衛板    ☆ 没後資料(下出『浮世絵師伝』等の作画期を参考にして、以下の資料を没後とした))    ◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪191(竜田舎秋錦編・慶応四年成立)   (「歌川氏系譜」の項)
    「歌川豊春系譜」     〝(歌川国貞門人)国輝    一雄斎ト号ス。草双紙アリ〟    ◯『浮世絵師伝』p52(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)   〝国輝    【生】           【歿】    【画系】三代豊国門人    【作画期】弘化~安政    歌川を称す、太田氏、俗称金次郎、一雄斎・雄斎と号す、初名を貞重と云ひしが、師の国貞(初代)が    豊国を襲名するに及んで、彼は国輝と改む、同門中此の類甚だ多し、亀井戸に住す。(貞重の項参照)〟    ◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)   ◇「安政二年 乙卯」(1855)p235   〝正月、雄斎国輝と宮城玄魚の画ける『俳人百家撰』出版〟    ◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)   〝国貞(三世豊国)門人 貞重(国輝)〟
    「歌川系図」    ◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)   〔歌川国輝画版本〕    作品数:77点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)    画号他:国光・貞重・一雄斎・五蝶亭・東花園・雄斎・一雄斎国輝・歌川国光・歌川貞重        五蝶亭貞重・東花園貞重・歌川国輝・一雄斎国光・雄斎国輝    分 類:合巻58・人情本9・遊戯(双六)3・咄本1・滑稽本1・俳諧1・伝記1・心学1・        絵図1      成立年:天保10~15年(11点)(天保年間合計12点)        弘化1、3~4年(7点)        嘉永1~8年  (7点)        安政1~5・7年(27点)   (貞重名の作品)    作品数:16    画号他:貞重・歌川貞重・五蝶亭貞重・東花園貞重    分 類:合巻6・人情本9・心学1    成立年:天保10~15年(11点)(天保年間合計12点)        弘化1・3~4年(4点)        嘉永1年    (1点)        安政3年    (1点)   (国輝名の作品)    作品数:57    画 号:一雄斎・一雄斎国輝・歌川国輝・雄斎・国輝    分 類:合巻48・俳諧伝記1・遊戯(双六)3    成立年:嘉永2~8年(50点)        安政1~2・4・7年(19点)   (国光名の作品)    作品数:4    画号他:一雄斎国光・歌川国光    分 類:合巻3・絵図1      成立年:安政2~3・5年(3点)
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