※〔漆山年表〕:『日本木版挿絵本年代順目録』
☆ 宝暦三年(1753)
◯「往来物年表」(本HP・Top)(宝暦三年刊)
皎天斎国雄画『女筆芦間鶴』巻末「画工 皎天斎国雄」宮崎競花書 和泉屋文助 宝暦三年六月刊 大坂
☆ 天明元年(安永十年・1781)
◯「絵本年表」(天明元年刊)
酢屋平十郎画『絵本人形袖』二冊 作者絵師 酢屋平十郎 和泉屋文助板
〈「日本古典籍総合目録」収録なし〉
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
酢屋平十郎画『蝦夷志略』二冊 酢屋平十郎 安永九年成立(注記「大阪出版書籍目録による」)
〈平十郎名の著作は一点のみ〉
☆ 天明三年(1783)
◯「絵本年表」(天明三年刊)
酢屋源十郎(橘国雄)画
『絵本宿の梅』二冊 画工酢屋源十郎 和泉屋文助板
『絵本千里友』二冊 画工酢屋源十郎 和泉屋文助板
☆ 天明四年(1784)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天明四年刊)
酢屋源十郎(橘国雄)画『絵本杯殿罵』二冊 画工酢屋源十郎 万屋新右衛門板
〈〔国書DB〕は未収録。『浮世絵』第十九号、吉田宇一著「彫刻師」では「絵本様殿罵(国雄)」とある〉
☆ 天明五年(1785)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(天明五年刊)
酢屋源十郎(橘国雄)画『絵本梅の甍』二冊 作者酢屋源十郎 和泉屋文助板
橘国雄画
『毛詩品物図攷』七巻 画人橘国雄 岡元鳳編 五車堂板
『挹芳斎襍画』 三巻 画工挹芳斎国雄 西村源六板
☆ 没後資料
◯『増補和漢書画一覧』聚文堂主人編 聚文堂版 文政二年(1819)刊
(早稲田大学図書館・古典藉総合データベース)
〝守国(モリクニ)
橘氏、後素軒ト号ス。業ヲ探山ニ受テ一家ヲナス。刻板ノ密画ニ妙ヲ得タリ。其刻本数種、盛ニ世ニ行
ハル。延享中ニ没。門人ニ国雄、号皎天斎、称酢屋平十郎、此人名ヲ好ザルヲ以テ世ニ知ラレズ。生涯
困窮シテ終レリ。其筆スル所、毛詩図譜、刻本世ニ行ハレリ。其落款シテ後世ニ遺セル画モ無レバ、世
終ニ其名ヲ知ラザルガ故ニ、コヽニ附録ス。古来カヽル類ノ後世ニ伝ハラザルモノ多カルベシ。世人多
クハ目ヲ賤シミ耳ヲ貴メルコト歎カシキコトナラズヤ〟
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③288(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年(1833)成立)
(「橘守国」の項)
〝(橘守国)門人に、国雄皎天斎、俗称酢屋平十郎
此人、名を不好が故に、以て世にしられず、生涯を困窮して終り、其落款して世に遺せる画もなければ、
人其名を知らず、古来かゝる類の後世に伝らざるもの多かるべし、世人多くは目を賤しみ、耳を貴へる
事、歎かはしき事ならずや、
毛詩図譜【皎天斎国雄画、刻本世に行れたり】〟
〈安永九年には「酢屋平十良」名で『蝦夷志略』を著述している〉
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年(1844)序)
(( )は割註・〈 〉は書入れ)
(「橘守国」の項、守国門人)
〝門人多き中に、国雄、(号)皎天斎、俗称酢屋平十郎、此人、名を不好ざるが故に、世にしられず、
生涯を困窮して終れり。其落款して世に遺せる画もな〈け〉れば、人其名を知らず。古来かゝる類の
後世に伝らざるもの多かるべし。世人多くは目を賤め耳を貴る事、歎かはしき事ならずや〈以上、天
明七年上木の書画一覧を引るなり〉
毛詩図譜 皎天斎国雄画 刻本世に行れたり〟
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」中p1388(朝岡興禎編・嘉永三年(1850)四月十七日起筆)
〝国雄 号皓天斎、俗称酢屋平十郎、守国門人、
是人名ヲ好ザルヲ以テ、世ニ知レズ、生涯困窮シテ終レリ、其筆スル所毛詩図譜ノ刻本、世ニ行ハル、
其落款ノ後世ニ遺レル画モ無レバ、世終ニ其名ヲ知ザル故ニ、茲ニ付録ス、古来カヽル、後世ニ伝ハラ
ザルモノ多カルベシ、世人多目ヲ賤ミ、耳ヲ貴ベルコト、歎カシキコトナラズヤ〟
◯『扶桑名画伝』写本(堀直格著 嘉永七年(1854)序)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇皎天斎国雄([31]巻十之五 雑家 64/108コマ)
〝国雄
姓氏しられず 名は国雄 皎天斎と号す 通称酢屋平十郎 橘守国の門人なり 寛延期の人なるべし
(以下『和漢書画集覧』(橘守国の項)記事省略 上掲参照)
◯『浪速人傑談』〔続燕石〕②42(政田義彦著・万延一年(1860)後序)
(「画家」の項)
〝挹芳斎国雄は、皎天斎と号し、酢屋平十郎と称す、浪速の人なり、若年より画を好、業を橘守国に受け、
尤写生の画に於て妙を得たり、画帖に挹芳斎画譜あり、世に行はる、亦、澹斎岡公翼の編述せられし毛
詩品物図攷の絵は、此人の描所なり、此人橘守国の高弟にして、近代の名人なりしが、質朴方正の隠者
にして、名を好、利を弋の心すこしもなかりしゆえへ、返て知人すくなし、惜むべし〟
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪198(竜田舎秋錦編・慶応四(1868)年成立)
〝(橘守国)門人国雄
俗称酢屋平十郎、皎天斎と号す。此人、名を不好が故に世に知られず。生涯を困窮して終れり。画く処
毛詩図譜あり。刻本にして世に行れたりといへ共、其落款して世に遺せる画もなければ、其名を知らず。
惜むべし〟
☆ 明治以降(1868~)
◯『浮世絵師便覧』p220(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝国雄(クニオ)酢屋国雄、皎天斎と号す、俗称平十郎、守国門人、◯延享〟
◯『日本美術画家人名詳伝』補遺(樋口文山編 赤志忠雅堂 明治二十七年一月刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
〝酢屋国雄 皎天斎と号す 通称平十良 守国門人 文化頃の人 浮世絵を画く〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(29/103コマ)
〝酢屋国雄【寛保元~三年 1741-1743】
通称平十郎、皎天斎と号す、橘守国の門弟にして、画く所の刻本には『毛詩図譜』あり、此の人名を好
まざるに因りて世に知られず、生涯を困窮の中に送れりと云ふ〟
◯『浪華名家墓所記』(宮武外骨編 雅俗文庫 明治四十四年(1911)三月刊)
〝皎天斎国雄(画工)(没年・墓所記載なし)
橘守国門人、俗称鮓屋平十郎、挹芳斎と号す、描く所毛詩品物図攻(ママ)、挹芳斎画譜刻本世に行はれり〟
◯『浮世絵師伝』p4(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国雄
【生】 【歿】 【画系】橘守国門人 【作画期】宝暦~天明
橘姓、俗称酢屋平十郎、皎天斎・挹芳斎と号す、描く所『毛詩品物図攷』・『挹芳斎画譜』・『女筆芦
間鶴』(宝暦三年版)・『絵本様殿罵』(天明五年版)等あり〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「宝暦三年 癸酉」(1753) p406
〝此年皎天斎国雄といへる画工『女筆蘆間鶴』に画けるあり〟
◇「天明五年 乙巳」(1785) p141
〝九月、橘国雄の『挹芳斎襍画』出版〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
作品数:6点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:橘国雄・酢屋・源十郎・平十郎・皎天斎・挹芳斎・酢屋源十郎・皎天斎国雄・挹芳斎国雄・
酢屋平十良
分 類:絵本2・往来物1・本草1・絵画1
成立年:宝暦3年 (1点)
安永9年 (1点)
天明3・5年(4点)