☆ 文政八年(1822)
◯「合巻年表」(文政八年刊)
歌川国益画
『会席料理世界吉原』「国安画」表紙「豊国画」市川三升 五柳亭徳升大作 岩戸板〔東大〕
(巻末の岩戸屋新版目録)「水戸鮟鱇小田原勝男/会席料理世界吉原/歌川国益画」
〈〔国書DB〕の『会席料理世界吉原』画像に国益の署名は見えない。「水戸鮟鱇小田原勝男」は角書き。この国益、
下出『浮世絵師伝』や『浮世絵師歌川列伝』の歌川国益とは同人なのだろうか〉
没後資料
◯「読売新聞」(明治25年12月19日記事)〈原文は漢字に振り仮名付、()はその一部分〉
〝歌川派の十元祖
此程歌川派の画工が三代目豊国の建碑に付て集会せし折、同派の画工中、世に元祖と称せらるゝものを
数(かぞへ)て、碑の裏に彫まんとし、いろ/\取調べて左の十人を得たり。尤も此十人ハ強ち発明者と
いふにハあらねど、其人の世に於て盛大となりたれバ斯くハ定めしなりと云ふ
凧絵の元祖 歌川国次 猪口(ちよこ)絵 元祖 歌川国得
刺子半纏同 同 国麿 はめ絵 同 同 国清
びら絵 同 同 国幸 輸出扇面絵同 同 国久・国孝
新聞挿絵同 同 芳幾 かはり絵 同 同 芳ふじ
さがし絵同 同 国益 道具絵 同 同 国利
以上十人の内、芳幾・国利を除くの外、何れも故人をなりたるが中にも、国久・国孝両人が合同して絵
がける扇面絵の如きハ扇一面に人物五十乃至五百を列ねしものにして、頻りに欧米人の賞賛を受け、今
尚其遺物の花鳥絵行はるゝも、前者に比すれバ其出来雲泥の相違なりとて、海外の商売する者ハ太(い
た)く夫(か)の両人を尊び居れる由〟
◯『古画備考』写本 五十巻 巻三十一(朝岡興禎他編・記載年月不明)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(50巻〔30〕9/252コマ)
〝歌川派十元祖
探(サガシ)絵元祖 歌川国益〟
〈上掲「読売新聞」と同じ記事、探(サガシ)絵の部分のみ引く。全文は本HP「浮世絵師総覧 う」歌川派参照〉
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝国益 三世豊国門人、歌川氏、岩次郎〟
◯『浮世絵師伝』p57(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国益
【生】 【歿】 【画系】三代豊国門人 【作画期】嘉永~文久
歌川を称す、役者絵あり、探し絵といふものを創案せし由〟
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝国貞(三世豊国)門人 国益〟