☆ 文化八年(1811)
◯「合巻年表」(文化八年刊)
歌川国清画
『小夜嵐峯之落栗』 歌川国清画 橋本徳瓶作 板元未詳(注:日本小説年表による)①
『和歌緑照天之松』「豊国門人歌川国清画」橋本徳瓶作 森治板 ①
◯『浮世絵師伝』p49(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国清
(前略)『青本年表』文化八年の條に「幕府小吏、茶番狂言をよくす、芸名を松魚といふ」とあり。然
るに、某年罪を得て伊豆八丈島に流謫の身となり、彼地にて『八丈島画記』を自録(写本)せり、巻末
に「八丈左遷、国清画」と著名す。(雑誌『此花』第十五枝参照)〟
☆ 文化十年(1813)
◯『馬琴書翰集成』⑥323「文化十年刊作者画工番付断片」(第六巻・書翰番号-来133)
「文化十年刊作者画工番付断片」
〈書き入れによると、三馬がこの番付を入手したのは文化十年如月(二月)のこと〉
☆ 没後資料
◯『浮世絵師便覧』p221(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝国清(キヨ)歌川、◯一世豊国門人、◯文化〟
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(60/103コマ)
〝歌川国清【文化元~十四年 1804-1817】初代豊国の門弟、其の伝詳ならず〟
◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝国清 一世豊国門人、本姓江守安蔵、一楽斎と号す、幕府の小吏なり、茶番狂言名を松魚と云ふ、罪を
獲て八丈島に流さる、文化頃の人(或は曰く和田氏と)〟
◯『浮世絵師伝』p49(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝国清
【生】 【歿】 【画系】初代豊国門人 【作画期】文化
歌川を称す、江守氏、俗称安藏、一楽斎と号す、『青本年表』文化八年の條に「幕府小吏、茶番狂言を
よくす、芸名を松魚といふ」とあり。然るに、某年罪を得て伊豆八丈島に流謫の身となり、彼地にて
『八丈島画記』を自録(写本)せり、巻末に「八丈左遷、国清画」と著名す。(雑誌『此花』第十五枝
参照)〟
〈この国清初代記事、実は関根黙庵『浮世画人伝』の国清の記事に拠ったらしい。『浮世画人伝』は次ぎのように
なっている〉
〔『浮世画人伝』p90(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)〕
〝国清 国貞門人、一楽斎、俗称江守安蔵、幕府小吏、茶番狂言ヲ能クス、芸名ヲ松魚ト云〟
〈関根黙庵はこの国清を初代とも二代とも書いてないが、国貞門人とあるので、取りあえず国清二代と見ることが
できる。ところが、井上和雄の『浮世絵師伝』は、これを国清初代と理解した。「江守氏、俗称安藏、一楽斎と
号す。『青本年表』文化八年の條に、幕府小吏、茶番狂言をよくす、芸名を松魚といふ」と書き、豊国初代の門
人であるとし、作画期を文化年間と書き加えて、この一楽斎・芸名松魚の国清を初代のものとしたのである。た
だ、井上によれば、この国清二代もまた「一楽斎、松魚楼と号した」ことになっているので紛らわしい〉
◯『浮世絵師歌川列伝』付録「歌川系図」(玉林晴朗編・昭和十六年(1941)刊)
「歌川系図」〝豊国(一世)門人 国清〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔歌川国清画版本〕
作品数:2点
画号他:歌川国清
分 類:合巻2
成立年:文化8年(2点)