☆ 宝永六年(1709)
◯『瑣々千巻』〔南畝〕⑩349(蜀山人・文化八年四月記)
〝鎌倉(虫)五代記 七巻、卯ノ正月吉日 通油町藤田忠兵衛板。
【第一】鶴岡東日記【かまくらのゆらい/西行法師の事】 画工鳥居清朝
(本文、略)
〝蜀山云、此書古きものヽ様に見ゆれど、此文によりてみれば、宝永以後に作れる書也〟
〈『鶴岡東日記』文中に、大仏殿は「宝永六年」(1709)の成就という記述あり、南畝の注記もこれに拠った〉
☆ 享保四年(1719)
◯「絵本年表」〔漆山年表〕(享保四年刊)
鳥居清朝画『田植塚』半紙本「江戸浅草 鳥井清朝図」無外坊燕説
☆ 没後資料
☆ 明治十九年(1886)
◯『第七回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治19年刊)
(第七回 観古美術会 5月1日~5月31日 築地本願寺)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第二号(明治十九年五月序)
鳥居清朗(ママ) 美人 一幅(出品者)若井兼三郎〈清朝の誤記か〉
◯『古代浮世絵買入必携』p3(酒井松之助編・明治二十六年(1893)刊)
〝鳥居清朝
本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名 清倍 年代 凡百五六十年前
女絵髪の結ひ方 第三図・第四図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
絵の種類 紅絵、一枚絵、並判 細絵等
備考 〔空欄〕〟
◯『浮世絵師伝』p36(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝清朝
【生】 【歿】 【画系】初代清信門人 【作画期】享保~元文
鳥居を称す、漆絵の投者絵あり。諸書に「清朗」とあるは、清朝の「朝」を「朗」に誤りたるものなる
べし〟
◯『浮世絵年表』p74(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
「享保四年 己亥」(1719)
〝五月、鳥井清朝の画ける『俳諧田植塚』二巻出版〟
△『増訂浮世絵』p57(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝鳥居清朝
清朝は初代清信の門人であらう。丹絵・紅絵・漆絵等を作つて、剛健な作風をなし、中々立派なものが
ある。市川団十郎のすの字尽しせりふを写したるものは、細丹絵で、面白い作であり、草摺引図、市村
竹之丞三條勘太郎とを画いたものは漆絵で、よく清朝の伎倆を窺ふに足るものである〟