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浮世絵文献資料館
浮世絵師総覧
☆ きよただ とりい 鳥居 清忠 三代
浮世絵師名一覧
〔文化14年(1817) ~ 明治8年(1875)6月15日・59歳〕
☆ 嘉永三年(1850) ◯『藤岡屋日記 第四巻』(藤岡屋由蔵・嘉永三年(1850)記) ◇中村伝九郎、十三代目中村勘三郎襲名披露の摺物 〝(三月三日より御礼のための猿若狂言興行。並びに猿若町内に摺物を配る。その摺物の挿絵) 門松 門松錺り有之、大紋・烏帽子・万歳の形、長上下着、三人居。 猿若 猿わかおどり、長上下着、廿二人居る也。 新発意 正面に楽太鼓有之、僧三人居る也
鳥居清忠
画〟 〝(四月)右之摺物、袋に入有之、其袋之表に一面に舞鶴を書、口に銀杏をくわへ居、下に寿の字書有之、 かたに、二百二十七年、下に猿若町十三代目猿若、勘三郎。 (中略) 右摺物を町中に配り候に付、集金六百四十両有之候と也、右入用金四百両も相懸り候よし、差引残り金 弐百四十両も有之候得共、坐元勘三郎借金にて、残らず引取られ候よし〟
〈この鳥居清忠は三代であろうか〉
☆ 没後資料
◯『浮世画人伝』p24(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
「鳥居清信系譜」
〝三世 清忠 二世清忠息子、俗称亀次郎、住所住吉町、三齢湯を売傍勘亭流ヲ書〟 ◯『浮世絵師人名辞書』(桑原羊次郎著・教文館・大正十二年(1923)刊)
(国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
〝清忠 二世鳥居清忠の男、三世と称す、明治八年六月十五日没、五十九歳〟 ◯『浮世絵師伝』p31(井上和雄著・昭和六年(1931)刊) 〝清忠 三代 【生】文化十四年(1817) 【歿】明治八年(1875)六月十五日-五十九 【画系】二代清満門人 【作画期】天保~明治 鳥居を称す、山口氏、俗称善右衛門、二代清忠の男なり、父の後を承けて住吉町に薬種業を営み、鬻ぐ 所の三齢湯の名に因みて三礼堂と號す、画を父及び二代清満に学び、傍ら勘亭流の書を能くせり、墓所 谷中玉林寺〟 △『東京掃苔録』(藤浪和子著・昭和十五年序) 「下谷区」玉林寺(谷中坂町五四)曹洞宗 〝鳥居清忠(画家)三世、二世清忠の男。明治八年六月十五日歿。年五十九。山応奇水信士〟 △『増訂浮世絵』p229(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊) 〝清忠三世 三世は二世清忠の男である。三世も亦父の業をつぎ、三礼湯といふ薬を鬻ぎ三礼堂と号した〟 ◯「幕末明治の浮世絵師伝」『幕末明治の浮世絵師集成』p86(樋口弘著・昭和37年改訂増補版) 〝清忠 三代(きよただ) 鳥居を称した。二代清忠の長男父清忠と、二代清満に学び、芝居絵看板、番付を描く傍ら勘亭流の書を よくした。住吉町に薬種商を営み、三礼堂とも号した。文化十四年生れ、明治八年、五十九才で歿した〟