☆ 寛延二年(1749)
◯『草双紙事典』(寛延二年刊)
◇黒本・青本
鳥居清重画『うはがひ』(姥が火)
〈「寛延二年巳正月」の「新板本目録」(広告一覧)には『河内国姥が火』三冊とある。本HP「草双紙年表」参照のこと〉
☆ 宝暦二年(1752)
◯「日本古典籍総合目録」(宝暦二年刊)
◇黒本 青本
鳥居清重画『三鱗未明染』
☆ 宝暦四年(1754)
◯「日本古典籍総合目録」(宝暦四年刊)
◇黒本 青本
鳥居清重画『宝寺富貴槌』『当世だてむすめ』『旧昔鬼岩屋』
☆ 宝暦八年(1758)
◯「日本古典籍総合目録」(宝暦八年刊)
◇黒本 青本
鳥居清倍画 同清満画 同清重画『仇敵打出小槌』
鳥居清重画 『浦島七世孫』『福徳正直の頭』
☆ 宝暦十一年(1761)
◯「日本古典籍総合目録」(宝暦十一年刊)
◇黒本 青本
鳥居清重画『新子あつ盛』
☆ 明和元年(宝暦十四年(1764))
◯「日本古典籍総合目録」(明和元年刊)
◇黒本 青本
鳥居清重画『其(糸偏+文+日)从助六』『忠臣瘤丸太刀』
〈『草双紙事典』は『其(糸偏+文+日)从助六』は『風流从すけ六』の解題本とする。また『風流从すけ六』の刊年を
未詳としながらも、明和元年あるいは宝暦七、八年以前、同四年の出版も考えられるとする〉
☆ 明和八年(1771)
◯「日本古典籍総合目録」(明和八年刊)
◇黒本 青本
鳥居清重画『風流日高川』
☆ 刊年不明
◯「日本古典籍総合目録」(刊年不明)
◇絵本・絵画
鳥居清重画『わかみどりくるわそが』一冊 鳥居清重画
☆ 没後資料
☆ 寛政十二年(1800)
◯『古今大和絵浮世絵始系』(笹屋邦教編・寛政十二年五月写)
(本ホームページ・Top「浮世絵類考」の項参照)
「鳥居派系図」
〝三代目清信門弟 清重 米沢丁角 浮世絵さいしき 清忠〟
☆ 享和二年(1802)
△『稗史億説年代記』(式亭三馬作・享和二年)〔「日本名著全集」『黄表紙二十五種』所収〕
〝草双紙の画工に限らず、一枚絵の名ある画工、新古共に載する。尤も当時の人は直弟(ヂキデシ)又一流あ
るを出して末流(マタデシ)の分はこゝに省く。但、次第不同なり。但し西川祐信は京都の部故、追て後編
に委しくすべし
倭絵巧(やまとゑしの)名尽(なづくし)
昔絵は奥村鈴木富川や湖龍石川鳥居絵まで 清長に北尾勝川歌川と麿に北斎これは当世
鳥居庄兵衛清信 清倍 清重 清満 清秀 清経 清広
とりゐ清長 関 (他派の絵師は省略)〟
『稗史億説年代記』 式亭三馬自画作 (早稲田大学図書館・古典籍総合データベース)
〝青本 白紙又は赤紙の画外題に、黄表紙をかけたる本をはじめて製す。是を青本といふ
同 絵師の名を草紙の終りへばかり出さずして、上中下の分ちなく、ゆきなりに名を誌す
画工 鳥居清秀、清重、富川吟雪、富川房信、田中益信、江戸絵と号して諸国のはやる
〈『式亭雑記』に「富川房信改め吟雪」とあり〉
同 奥(ママ)村重長、石川豊信の絵はやる。田中益信は草双紙の画作を著す
〈西村重長の誤記であろう。石川豊信は巻末の「昔より青本の画をかゝざる人の名」にあるから、この「画工」とは当
時評判の絵師という意味であろうか〉
作者 文字、通幸、和祥、丈阿、専ら双紙を作る。終に作者の名を出す事は此和祥より始まる〟
☆ 文化八年(1811)
◯『式亭雑記』〔続燕石〕①70(式亭三馬記・文化八年四月一日)
〝元祖 清信 男二代目 清倍 三代目 清満 四代目 清長 清満の門人
清重というものは、清信門人
清経といふものは、清満門人、
清長と同盟なり〟
☆ 天保四年(1833)
◯『無名翁随筆』〔燕石〕③292(池田義信(渓斎英泉)著・天保四年成立)
「鳥居清信系譜」〝 (鳥居清長の項)初代清信門人 清重【小網町 市川海老蔵似顔絵之上手】〟
☆ 弘化元年(天保十五年・1844)
◯『増補浮世絵類考』(ケンブリッジ本)(斎藤月岑編・天保十五年序)
「鳥居清信系譜」〝清信門人 或清倍門人トモ 清重 小網町 アキ 代メ海老蔵似顔上手〟
〈『無名翁随筆』(渓斎英泉著。別名『続浮世絵類考』)は「清信門人」とする。「代メ海老蔵」のところ『無名翁随
筆』は市川海老蔵とする〉
☆ 嘉永三年(1850)
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1380(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
「鳥居清信系譜」〝清信門弟 清重【小網町、市川海老蔵画、名人】〟
◯『古画備考』三十一「浮世絵師伝」p中1380(朝岡興禎編・嘉永三年四月十七日起筆)
「鳥居清信系譜」〝三代目清信門弟 清重〟〈名前のみ〉
☆ 明治元年(慶応四年・1868)
◯『新増補浮世絵類考』〔大成Ⅱ〕⑪192(「竜田舎秋錦編・慶応四年成立)
「鳥居清信系譜」〝(鳥居清信門人)清重 小網町ニ住ス〟
☆ 明治以降
☆ 明治十九年(1886)
◯『第七回観古美術会出品目録』(竜池会編 有隣堂 明治19年刊)
(第七回 観古美術会 5月1日~5月31日 築地本願寺)
(国立国会図書館デジタルコレクション)
◇第二号(明治十九年五月序)
〝鳥居清重 俳優 一幅(出品者)若井兼三郎〟
◯「読売新聞」(明治19年5月16日付)
〝第七回観古美術会品評 全号続き
鳥居清重 俳優の図 着色
清重は鳥居清信の門人にして 殊に市川団十郎を画くに長じたる由なり 然らば爰に展観する処の団十
郎の絵は清重が得意の作なるべし 讃あり曰く
今こゝに団十郎や鬼は外 晋子ノ句 望ニ任テ柏莚誌ス〟
〈上掲「目録」参照〉
☆ 明治二十五年(1892)
◯『日本美術画家人名詳伝』上p101(樋口文山編・赤志忠雅堂・明治二十五年刊)
〝鳥居清重 清信ノ門ニ入リテ、俳優ノ似顔或ハ劇場ノ看板ヲ画ク(燕石十種)〟
☆ 明治二十六年(1893)
◯『古代浮世絵買入必携』p3(酒井松之助編・明治二十六年刊)
〝鳥居清重
本名〔空欄〕 号〔空欄〕 師匠の名 清信 年代 凡百五六十年前
女絵髪の結ひ方 第三図・第四図 (国立国会図書館・近代デジタルライブラリー)
絵の種類 紅絵、一枚絵、並判 細絵等
備考 〔空欄〕〟
◯『浮世絵師便覧』p231(飯島半十郎(虚心)著・明治二十六年(1893)刊)
〝清重(シゲ) 清信門人、役者似顔画、◯享保〟
☆ 明治三十一年(1898)
◯『浮世絵備考』(梅山塵山編・東陽堂・明治三十一年(1898)刊)
(国立国会図書館デジタルコレクション)(25/103コマ)
〝鳥居清重【正徳元~五年 1711-1715】
清信の門弟、一に清倍の門弟ともいふ、小網町に住みて、二代目海老蔵の似顔絵を善くせり〟
☆ 明治三十二年(1899)
◯『浮世画人伝』p24(関根黙庵著・明治三十二年(1899)刊)
「鳥居清信系譜」〝清重 小網町ニ住、二代目団十郎ノ肖像ニ巧ナリ〟
☆ 昭和以降(1926~)
◯「日本小説作家人名辞書」p799(山崎麓編『日本小説書目年表』所収、昭和四年(1929)刊)
〝鳥居清重
鳥居清信の門、江戸の浮世絵家、小網町に住む。二世市川団十郎の似顔に巧であつたと云はれる。「三
鱗未明染」(宝暦二年(1752)刊)「宝寺富貴槌」(宝暦四年(1754)刊)の作者〟
◯『浮世絵師伝』p31(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
〝清重
【生】 【歿】 【画系】初代清信門人 【作画期】享保~宝暦
鳥居を称し、清朝軒と号す、享保十四五年頃より宝暦七八年頃までの間に後者絵を画く、居所小網町。
(口絵第十五図参照)〟
◯『浮世絵年表』(漆山天童著・昭和九年(1934)刊)
◇「宝暦四年 甲戌」(1754) p108
〝此年鳥居清重『宝寺富貴の槌』といへる黒本を画けり〟
◇「明和元年(六月十三日改元)甲申」(1764)
〝正月、鳥居清重の画に成れる『三鱗あけほの染』出版〟
◯『草双紙事典』
(刊年未詳の作品。署名と作品名)
鳥居清重画 『朝日太平記』・『化物忠臣蔵』・『風流从すけ六』
△『増訂浮世絵』p56(藤懸静也著・雄山閣・昭和二十一年(1946)刊)
〝鳥居清重
清重も清信の門人で、遺作は版画が多いが、筆彩色の時代から色摺時代までに亘つて居る。その作画
期は享保年間から宝暦九年頃までの間といはれと居る。清信の晩年の作風に似たものが多い。肉筆も
往々存在するが中々優れた手腕がある〟
◯「日本古典籍総合目録」(国文学研究資料館)
〔鳥居清重画版本〕
作品数:33点(「作品数」は必ずしも「分類」や「成立年」の点数合計と一致するとは限りません)
画号他:鳥居清重
分 類:黒本12・黒本青本18・青本2
成立年:宝暦2・4・8・11年(9点)明和1・8年(3点)